朝、シャオヘイが上着の盤釦と格闘しているあいだ、とっくに身支度を済ませているムゲンはするりと外に出て、そしてまだがやっとひとつしか留められていないぐらいの時間でするりと戻ってきた。その腕にはいつもの金属板がくっついていて、シャオヘイの身長くらいで切り揃えた竹を何本か抱えている。
じっと見つめるシャオヘイに気がつくと、小さく手招きして微笑んでくれた。土間に転がった竹からからころと気持ちのいい音がする。
「おいで」
「師匠、それ何?」
「竹」
「それはわかるけど」
むうっとするシャオヘイの顎の下、二番目の穴から順番に、ムゲンの指がみるみる盤を留めていく。
「きつくないか?」
「ん、平気。……ね、あれどうするの? 食べるの?」
「食べない。さあ、顔を洗ってこい。食事にしょう」
「師匠!」
ムゲンは柔らかく笑ったままシャオヘイの上着を軽く叩いて皺を伸ばしてくれた。それは嬉しいからいいのだけど、質問にも答えてほしい。いつもはシャオへイが疑問を口にすればすぐに教えてくれるのに、なんだかはぐらかされている。
唇を尖らせるシャオヘイを、ふっと笑う優しい声と大きな手が水場に促す。
「……もう少し待てる顔だ」
「ええっ、師匠のけちんぼ!」
「いいから。それとも腹が減っていないのか?なら私がおまえのぶんも……」
ムゲンが最後まで言いきる前からシャオヘイは水場へ向かって一心不乱に駆けだしていた。
「意外と覚えているものだな」
ほんのり目元を和らげるムゲンの手には、薄く鋭く伸ばした小刀代わりの金属板がある。土間に立てた竹を縦に二等分し、ばらばらになったうちの一片をまた二等分し、というふうに少しずつ幅を狭めて作られた細長い竹棒が、すでに小さな山を作っている。
シャオヘイはそれをムゲンの横から半目で眺めていた。胡坐を組み、ついでに腕も組み、唇はへの字にして不機嫌を前面に押し出してもいる。
「師匠、早く教えてよ。何してるのさ」
本当はムゲンの背中によじ登って文句を言ってやりたいのに、刃物を使っていて今は危ないからと叱られてしまったのでもうできない。
「まだ我慢できる顔をしてる」
シャオヘイの不興を浴びせてみてもムゲンは涼しい顔だ。細く削いだ竹を曲げたり、そこへ別の竹棒を糸で括りつけたりで、そこそこ忙しそうなのがまたおもしろくない。
「してない! ねえ、もうお昼になっちゃう。ぼく今日まだなんにもしてないよ」
いつもなら、朝食を食べたあとはすぐ外にいる。
山でムゲンに術のいろはを習ったり、あるいは街に出かけて人間が作る物に触れてみたり、シャオヘイの一日はなかなかやることが多いのだ。今日だってムゲンと一緒に何をするかを楽しみにして目覚めたというのに、肝心の師はひとりで何かせっせと作りながら笑っている。質問くらいしてもいいはずだ。
苛々と尻尾で地面を叩きながらムゲンを見、その手元を見る。竹棒は一筆描きで描いた魚のような、鳥のような、妙な形になっていた。
妙な形、なのだが、シャオヘイは尻尾で地面を叩くのをやめてまじまじとそれを見つめる。
「……なんか見たことある気がする、この形。なんだっけ」
どこかで見たのだ。たぶん、そのときシャオヘイはまだムゲンにもフーシーにも会っていなかった。
腕を組んだまま首をあっちにやりこっちにやる。尻尾がいつの間にかムゲンの髪に絡まっていたけれど、今はそれどころではなかった。こういうものはちゃんと思い出さないと気持ちが悪い。
ふっ、とシャオヘイの頭の上から笑い声がする。
「こうすればどうだ?」
ムゲンは糊をつけた竹枠を薄紙にあて、形に沿って小刀で丁寧に切り取った。魚とも鳥とも判別のつかなかった骨組に紙が乗っただけで、随分違って見える。
鳥だ、と思ったところでシャオヘイの記憶が音をたてて繋がった。思わず声が大きくなる。
「わかった! これ、人間が空にいっぱい浮かべてたやつだ!」
「凧というんだ。絵をつけてやるから、できあがったら町で子どもたちと揚げてみるといい」
「……ずっとぼくのために作ってくれてたの、師匠?」
「ああ」
尻尾を振り回すと絡んだままのムゲンの髪も一緒に跳ねた。
とても嬉しいのに、なんだか同じくらい恥ずかしい。
それに町で子どもたちと、なんて、まるでムゲンは一緒に遊ばないみたいな言い草だ。
「……師匠も一緒にするなら、凧やりに町に行ってもいいよ」
もう一度尻尾を振る。きょとんと目を丸くしてシャオヘイを見るムゲンの、尻尾みたいに長い髪も一緒にぴょんと跳ねるのだ。
修行も旅も、外出も、シャオヘイはずっとムゲンと一緒にやってきた。ムゲンに作ってもらった凧を揚げるときだって、もちろん一緒であるべきだ。一緒に、楽しいことをやりたいのだ。
「……そうだな」
はたしてムゲンは目尻をほんの少し下げて笑った。
ふっと吐息のような笑声とともにシャオヘイの頭を撫でてくれる。
「私にもこの凧を貸してくれるのか、シャオヘイ?」「いいよ。師匠だから特別」
「そうか」
夜明けの河原をひとり歩いていたときに、まだ星の残る空を飛ぶいくつもの凧を見上げたことがある。あれがシャオヘイのなかにある凧の記憶だ。
けれどきっと今日からは、ムゲンと一緒に揚げるこの凧が、このただひとつが、シャオヘイの大切な思い出になる。
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