河童の皿箱
2026-01-20 09:20:32
1846文字
Public 遊戯王:短め(2026年)
 

たぶん、アイツは人攫い。

レコがワゴンのことを少しだけ考えるだけ。

 日すら届かぬ路地裏の。あくせく働く人々が、知らぬ存ぜぬその場所に、わずかに下がった敷地がひとつ。未だに点かぬネオンを横目に、男がその重い扉を開いた。
 防音扉のさらにその先、またその先へ。薄ぼけた照明が足元を微かに照らす、それすらも、男は怯まず、確たる足で。進んで、進んで。くだって、くだって。最後の扉のその先は、腹から突き上げるような爆音。反響する大空間。共鳴する鉄骨、ギラギラ光るスポットライト。男が底を見下ろせば、レコード状のステージに、少女がひとり。まるでヒールがスタイラスのよう。滑走しては、音を鳴らし、無造作に積みあがったスピーカーと、かき集められた廃材モニターの山が、そのステージを彩っていた。
 ふ、と。少女が立ち止まる。長い長い髪をやはり円盤状に纏めた少女は、不意に上を見れば、ふぅ、と、ため息をついた。その合図にオンボロロボットのDJが手を止めれば、DJもまた、上に手を振った。

 かつり、かつりと。階段を下りる男。穏やかに、たおやかに。その所作はむしろ、男らしいとは言えぬほど。汚らしい路地裏と廃材クラブに似合わぬその男は、その周囲だけに花を咲かせているかのようで。開いているのか否か定かでない細い細い目を、店番の者たちに向けては、微笑んだ。
 「ヨォヨォ。今日も暇してンのカ?」。DJが問えば、男は肩をすくめた。「いえ、その逆ですよ。近くに用があったので、足をのばした次第です」。そんなやり取りに、少女は少しむくれて、そっぽを向いた。「覗きなんて、趣味悪い」、と。そんな態度にも男は怒ることなく、「いやはや、申し訳ない。こちら手土産でございます」と紙袋をDJに差し出せば、けれど少女もちょこちょこ寄っては、その外装を見て、大きさを見て、わずかに口元を緩めた。
 「近々、また発ちますのでしかし、随分と」。男は廃材の山を、作りかけの芸術を見上げた。両手の指では足りぬほどの、レトロ、いやいやもっと遡って、クラシックなTVモニターが、煌々と光を発しては、舞台を照らす。「ミクスもクリップも張り切っててナァ。殺風景だったが、良くなったロ?」。そう、まるでDJの頭のような、極厚のモニター。描かれたニヤケ顔が男に向けば、けれど男もまた、機嫌よく微笑んだ。「素敵です」、と。けれど少女はつまらなそうに「そればっかり」。じっとり睨みつけるも、男はやはり、穏やかに微笑むばかりで、全く効いていなかった。

 ただの熱心なファン、と云うには、優雅な男。それもそのはずこの男、名をワゴンと云う。ある先進都市の顔とすら言えるほどに、そして世界中を熱狂の渦に吞み込んだ、著名なアーティストである。このジュークジョイントに心奪われ、時折こうしてふらり立ち寄る。その多忙故に頻度こそ近辺の者たちに劣るが、けれど少女らの曲には人一倍、いや二倍三倍、静かに、静かに耳を傾けては、音を繊細に拾い上げた。「レコードの新曲、聞かせていただきましたよ」と、その賞賛の言葉に、そして彼が街々で振るう表現力に、古の音と爆音に、少女たちはどうにも舌を巻くばかり。
 「そう。あんがと」、と。少女が言えるのはそればかりで。わずかに俯いた視線を、DJは背を叩いて強引に上げた。「アンタの曲も聞いてるってヨォ」、なんてリークに、少女はスニーカーをヒールで踏みつけてやっても、DJは知らぬ顔。「レコはすげぇゼ? 毎朝のウォーミングアップに」、そこまで発したその瞬間。鋭い回し蹴りがDJを襲い、転倒からの復帰にあくせくしているうちに、少女は真っ赤に染まった顔を明後日に向けた。
 「とにかく、もう行って。練習の邪魔!」。そう叫んで男を強引に階段まで押しやれば、男も降参とばかりに階段を駆け上がり、「それでは、また」と立ち去った。

 ふう、と。少女は大きくため息をついた。要らないことばっかり言いやがって。じっとDJを睨んでも、痛覚もないオーナーは、ニヤケ顔を向けるばかり。

 クソ、腹立つ。きっとアイツはああいう奴だ。水か空気かみたいに、掴もうとしても掴めない。しかも誰にも優しくして、家に困った子供とか、攫って食い物にしているに違いない。ここらの界隈のホームレス女なんて、そりゃあもうあっという間に骨抜きにされちまうだろう。まあでも、チョコは食べてやらんでもない。アレ、美味しいって聞いてるし。

 とはいえ収まらぬ腹でまたレコードを蹴り上げる。突発的で不協和な轟音が、クラブに響き渡った。