猫澤
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グリーンライター



 ――まあ、一度は諦めた恋だったからね。
 僕が生まれてはじめて好きになった人は、常に凛と前を向いていて。世界の薄暗さなどその身で照らさんと、いっそ眩しいくらい、いつだってぴかぴか輝いているような人間だった。
 お星様のような彼に恋をした。
 自信家で、周囲に気を配るリーダーシップもあるのに、ひとりで突っ走ってしまいそうになるのがたまに瑕。
 オメガの性が未熟で、それゆえにちょっと無防備。
 発情期に抑制剤も飲まず街中をふらふらしたり。付き合ってもいないうちから、番いになろうだなんて言いだしたり。
 そんな彼だったから、凸凹な僕達が結ばれるビジョンが当時の僕にはまったく見えなくて。ちょっぴり投げやりになっていたことは否めないけれど、いまになって思えば、まさに、恋は盲目だった。
 と、いうか。恋に盲目――が正しいか。
 散々振り回されたし、散々振り回した。お互い様な紆余曲折。回り道に回り道を重ねて実を結んだ恋だ。
 ……だからこそ。
 今後は素直に、ふたりの幸せを願ってもいいだろう?
 ――これは、恋と運命の、その先の話。


……おや?」
 僕と司くんが身も心も雌雄一対となって――あれからいくつか月日が経過した。
 アークランドのショーキャストと共にショーをしたり、演出家としての腕を買われて勧誘されたり。はたまたフェニックスワンダーランドの宣伝大使活動が終了したかと思えば、司くんが単身ワークショップに挑んで演技に磨きをかけたり――それはもう、目まぐるしいほどたくさんのことが起きた。
 それでも僕達をとりまく環境や感情の変化などワンダーステージに訪れるお客さん達には関係のない話。
 今日も全力でショーをして、笑顔の大輪を咲かせて――汗だくになりながら男子更衣室へと滑り込んだのがつい先程のことだ。
 自分の荷物が入ったロッカーの手前で小首を傾げる。
 すると目敏く僕の変化に気づいた司くんが、にょきっと横から首を突っ込んだ。
「どうかしたのか?」
「ああ、いや……ちょっと見つからないものがあって」
 タオルがどこにも見当たらない。
 ショーのリハーサルの際に汗を拭いて、そのままリュックに無造作に突っ込んだところまでは覚えている。そのリュックはロッカーのラックの上に置かれており、ご丁寧に最後までチャックがしっかり閉まっていた。
 ふむ、と顎に手を当てる。
 まったく自慢できる話ではないのだけれど、僕はショーに関わらない部分は結構な「ずぼら」らしく、しっかりしろと司くんや寧々に怒られることがしばしばある。たとえば脱いだ服をソファーの上に放置しっぱなし、とか、風呂上がりに濡れた髪をそのままにして翌日ひどい寝癖がついてしまうだとか。
 そんな僕が、無意識にリュックのチャックをきちんと閉めるとは到底思えない。
 念のため貴重品を確認する。――しかし、財布や携帯が盗まれた形跡はなかった。
 ただ、タオルだけ。それだけがロッカーから忽然と姿を消していた。
……ねえ、司くん」
 抑揚のない、至って普通の呼びかけ。けれどその瞬間びくっと隣に立つ司くんの肩が跳ねて、もしかして、が確信に変わる。
 振り返ればあからさまに司くんは僕から視線を外して、しどろもどろと狼狽えた様子を見せた。
「な、ななななんだ……類のタオルなんて見ていないぞ!」
「おや、よく失くしたのがタオルだとわかったね?」
――
 ああ、なんだか見ているこっちが可哀想に思えてくるくらい、司くんが顔を真っ青にしている。グラデーションの髪に隠れて冷や汗の滲む額を見下ろし、僕は短く嘆息をこぼした。
 なにも彼を問い詰めていじめようというつもりはない。
 理由もだいたい、見当はついていた。
……まあ、タオルくらいまた買えばいいか」
「んなっ、そ、そんなわざわざ買わなくても、そのうちちゃんと戻ってくると思う……ぞ!」
「そうかい? ……フフッ」
 慌てた様子で遮る司くんを後目に、くす、と微笑む。
 べつに、本当にタオル一枚くらいどうってことはなかった。それで最愛の恋人が喜んでくれるのなら。
 オメガはアルファのにおいのついた持ち物を欲しがる特徴がある。大方それが原因で、司くんは僕のタオルを持ち出したのだろう。僕と彼は番いで、そして同時に恋人同士なのだから、こそこそしないで堂々と頼ってほしいとは思うけれど。
 真面目な彼のことだから、言い出せなかったのかもしれない、と思い直す。そこは、時期をみて察してあげられなかった僕の落ち度だ。
 横で着替える司くんにそっと身を寄せる。
 更衣室には僕と司くん以外のキャストの姿はなかったが、僕は声を潜めて耳打ちした。
「司くん、もうじきヒートだろう?」
「!」
「ひとりで発散する気だったのかな。水くさいじゃないか。言ってくれればいいのに……僕はそんなに頼りない?」
……、それは、……すまん。類が頼りないわけではなく……、」
「ではなく?」
 言葉尻を繰り返し訊ねれば。司くんはもごもごと物言いたげな顔をして、静かに目を伏せ、僕の視線から逃れるように顔を隠した。
……は、ずかしい、だろう。……じっ……自慰に使いたい、など……
……
 じわりと熱を帯びる司くんの耳朶に形容しがたい感動を覚えて、無意識に口角を上げてしまう。
 カタン、と指先の触れたロッカーが音を立てた。狭い更衣室に西陽が射し込む。司くんの首元から漂う、汗と、甘いフェロモンのにおい。
……今日このあとは一緒にうちで過ごそうか。……ご両親に、きちんと連絡してね」
 するりと、意図を含ませて首筋からうなじを指先でなぞる。大袈裟に体を揺らした司くんは瞳を持ち上げ、ほんの少し、期待の入り混じった視線を僕に向けた。
 皆まで言わずとも僕の言いたいことを理解したのだろう。番いのアルファとオメガが、オメガの発情期に合わせて夜を共にするなんて、もう、何をするかなど明白だ。
 司くんはぽつりと小さく口を開いて、けれどたしかに「……わかった」と頷いた。

   *

 僕と、司くん。ふたりだけで勝手に番いの契約を結んでしまったことは、彼の家族に叱られても仕方がないと思っていた。
 なぜなら大事な息子さんの将来を奪ったも同然のことをしたのだ。彼のうなじを咬むときも、僕はきちんとそのくらいの覚悟をもっていたつもりだった。司くんはどうも「類はオメガに誘惑されなくなって、オレもヒートにフェロモンを撒き散らさなくて済む! 一石二鳥ではないか!」ぐらいにしか思っていなかったようだから、尚のこと。
 ……もちろん、罪悪感は募ったけれど。
 それでも、わかっていたのにきちんと司くんを説得しきれなかったのは僕に後ろめたい下心があったからだ。
 だからこそ司くんのご両親に詰られても、責められても、すべて甘んじて受け入れようと思っていた。
――類。母さんが類と話したいそうだ」
 フェニックスワンダーランドでの活動後、僕の家の前で家族に連絡を入れていた司くんは、そう言ってスマホから少し耳を離して僕を呼んだ。
 どき、と心臓が跳ねる。
 彼からスマホを預かって耳に当てると――咲希くんがもう少し大人になったらこうなるだろうかと思わせる――落ち着いた女性の声が鼓膜を震わせる。
『あ、類くん? 司のこと、よろしくね』
 ――はい、と頷くと、電波越しにも司くんのお母さんが嬉しそうに微笑んだのが伝わってきた。
 思えば以前に天馬家に直接挨拶に伺ったときもそうだった。司くんのご両親は拍子抜けするほどあっさり僕を受け入れて、そのうえ口を揃えて「司を頼んだよ」なんて言い出すものだから、朝から緊張でいっぱいだった僕は安堵で崩れ落ちそうになってしまって。
 咲希くんにも「るいさんなら大歓迎!」なんて手放しに喜ばれて、うれしいやら恥ずかしいやら、複雑な心境になったのをよく覚えている。
……大切にします」
 喉から零れ落ちた言葉。それは紛れもない本心だったが、本人に聞かれるのはまだ少し照れくさくて――小声でそう返した僕は挨拶もそこそこに通話を切り上げ、司くんにスマホを手渡した。
 そのまま手を繋いで僕の作業部屋であるガレージへと歩を進める。
 ドアを開くと、嗅ぎ慣れた自室のにおい。肩越しに司くんを振り返れば、存外近く、蜂蜜色の瞳と目が合った。
「どうぞ。散らかっていてすまないね」
「お前の部屋が散らかっていなかったときがあったか?」
「フフフ」
 招かれるまま室内に足を踏み入れた司くんは、ぐるりと部屋の中を一瞥して。やがて、落ち着かない様子でそわそわと忙しなく歩き出した。
 その頬にうっすらと熱が浮かんでいる。きっともうヒートが始まりつつあるのだろう。
 彼から漂う、おいしそうなにおい。理性を塗りつぶすような、あるいは脳内の思考回路をめちゃくちゃに繋がれるような、そんな感覚が背筋を這い上る。
「お茶の用意をしてくるよ。司くんはゆっくり寛いでいて」
「あ、ああ。お構いなく……
 本格的にヒートが始まったら、おそらく僕も司くんも性行為に夢中になってしまう。熱が引くまで巣篭もりできるように、食糧と飲料はある程度確保しておきたい。
……巣篭もり、か……
「そうそう、」
「ん?」
 部屋を出る間際、僕は司くんの背中にそっと声を掛けた。
……僕の服、好きに使っていいからね」

   *

(そろそろかな……
 両手いっぱいに携帯食や水などを抱えて、作業部屋へと向かう。
 司くんは元々未成熟なオメガだったから、ヒートがきても発情を伴うことはなかった。それはそれで無自覚にフェロモンがだだ漏れ状態となってしまっていたので、傍目から僕は内心ひやひやさせられることも多かったのだが。
 神さまのいたずらか、僕と体を重ねて、快楽を覚えてからは普通のオメガ同様発情するようになったし――それに。
 部屋の前で立ち止まる。ドア越しにも漂うフェロモン。いまは、僕だけを誘う甘い香りだ。
 ふ、と表情を緩め、熱る体をいなしてドアノブに手を掛ける。
 電気すらついていない、薄暗いガレージの片隅。フロアマットの上にある服の山を見つけて、僕はますます笑みを深くした。
「お待たせ。僕達のおうちは上手に出来たかい?」
……んっ、あ……ちょうどいま、出来たところ、だ……
 僕の服に埋もれるようにして、着ている服を乱し自慰に耽る司くんを見下ろす。部屋中の服をかき集めたのだろうか。その『巣』は大きく、僕がお邪魔してもまだ少し余裕がありそうだ。
 ――ネスティング。または、巣作り。
 オメガは、番いのにおいに包まれると安心する。ゆえに、発情期には番いの衣類などで巣を作り上げ、その中で欲を発散させたがる性質がある。
 僕のにおいに包まれた司くんは目を蕩けさせ、白濁の滲む自身を扱きながらふやけた声で続けた。
「まだ試作だが……、あっ、く、……これからどんどん上達する予定なので、評価は甘めに頼む」
「おやおや。君にしては弱気だねえ。フフ、心配しなくても上手に出来ているよ。百点満点だ」
……さすがに甘すぎんか?」
 呆れた声だが、その中に嬉しさが滲んでいるのは見逃さない。
 荷物を邪魔にならないところに置いた僕は、着ていた上着を脱いで司くんに手渡した。爛と目を輝かせそれを抱きしめた彼の、両頬を手で包み込む。
 顔を寄せ、くちびるを合わせれば。すぐに司くんも夢中になって僕のくちびるに吸い付いた。
 何度も、何度も、子供みたいに口をくっつけては離して。
「僕もお邪魔していいかい?」
「もちろんだ……
 承諾を得た後で、僕の番いお手製の巣を壊してしまわないようそっと潜り込んだ。
 中はむせ返るほど、性と、司くんのフェロモンで溢れかえっていて、ダイレクトに僕の脳みそをぐちゃぐちゃに掻き乱す。
 胸元に擦り寄る司くんの後孔に手を伸ばすと、そこは既に濡れていた。
 我慢出来なくて触れていたのだろうか。指を一本挿し入れる。難なく中は僕の指を飲み込んで、内壁でぐにぐにとうれしそうに咀嚼していた。
「ンッ……
 司くんの体を抱え込み、中を慰める指を増やせば、司くんはびくりと体を震わせて感じ入った声を上げた。
 濡れた音に混じって聞こえる、鼻を抜けるような嬌声。
 涙を滲ませぐずぐずに甘えたそれは、いともたやすく僕の平常心を崩していく。
 司くんがほしい。そればかりが脳を支配して、僕は熱い吐息を吐き出した。心拍がはやい。興奮で息が上がり、中心にどんどん熱が集まる。
「は……。いつか……お互い夢を叶えて、仕事が軌道に乗って、お互いいいかなって思えたときにさ……
「ふ、……っ」
「ここで、神さまに赤ちゃんくださいってお願いする、練習、しておこうね」
 司くんの太ももに自身の先を擦りつけてマーキングしながら、彼の耳元にそう吹き込むと。ぴたり、驚いたように司くんは固まって、ぱちぱちと目を瞬かせた。
…………そ、れは……類は、子供がほしい……ということか?」
「そりゃあ……あれ? もしかして司くんはほしくないのかい?」
 ――まあ、一度は諦めた恋だったから。
 意図せず想いが通じ合って、それなりに浮かれている自覚はある。それはもう、寧々に「イチャつくなら他所でやって」だとか「えむの教育に悪いことしないで」だとか言われるくらいには。
 恋をして。番いになって。ふとしたときにその先の未来を考える。結婚だとか、出産だとか、そういうありふれた未来を。
 ふたりの将来のことだから、当然、ふたりで話し合って決めるべきだと思っているし、司くんが嫌なら無理強いするつもりはないけれど――
 でも僕は、ワンダーステージで、子供達と戯れる司くんを「いいなあ」って思ってしまったんだ。
「だが、オレはスターに……
 もにょ、とらしくもなく言い淀む彼の姿に、今度は僕がぱちぱちと目を瞬かせた。
「スターは子供を産んではいけない決まりでも?」
……そういうわけではないが、役者と子育ての両立は大変じゃないか?」
「おや。フフ……僕は子育てを君だけに任せるような甲斐性無しではないつもりだよ」
……!」
「ふたりの子なら、ふたりで育てるべきだろう」
 僕と、君で。
 熱のはしる頬にくちびるを押し当てる。
 はく、と司くんの喉仏が微かに上下して、顔を見合わせれば、司くんは少しだけ泣きそうな瞳をしていた。
……す、清々しいほど、かっこいいな、お前……
「君ほどではないけれどね」
「んっ……
 口づけを交わし、今度は甘く、深く、彼の口腔に舌を伸ばす。
 ちゅく、と濡れた音が耳奥を犯している。たまらなくなって司くんの体を組み敷けば、司くんは何も言わずとも僕の首裏に腕を伸ばした。
……、」
 逡巡を重ねて。こつ、と額を重ね合わせる。間近に捉えた蜂蜜色の瞳は透明で、真っ直ぐに僕を見つめていた。
……オレも、ほしい。類のこども」
 内緒話をするみたいに、少しだけ掠れた声が――司くんの息が、くちびるに触れる。
 彼に合わせて僕も声を潜め、静かに囁いた。
「じゃあ、練習……しておくかい?」
「そう、だな……何事も積み重ねが肝心、だからな…………今日はしっかり奥まで突いてくれ、ぜんぶ受け止め……んむっ」
 とんだ爆弾発言をし始めた彼のくちびるは早々に塞いでしまって。
 やわらかな巣に、ふたり沈んでいく。
 しあわせの糸を手繰り寄せるように、ふかく、ふかく。


end.