Privatter+
Font
Serif
Sans Serif
Color
Light
Dark
auto
Font size
Large
Medium
Small
Language
Japanese
English
Sign in with Google
Sign in with ID and password
Account ID
Password
Sign in
Forgot password?
Create account
三角リョヲヘイ
2026-01-18 15:35:36
3944文字
Public
Clear cache
月に鎮め/「幕の内弁当」ろく口目
さあさ、野暮なことは言いっこなし、粋に参りましょう。
それでは幕間にひと口、どうぞお召し上がりください。
食事処伊呂波は、たった今本日の営業を終了して各々が店内の片付けに入ったところである。
トキ時は対面式調理場の内側を整える為に何度か土間と往復しているし、黒骸は客がしっちゃかめっちゃかにした椅子を戻したり予備の椅子を定位置に片付けたりしている。
羅乃目はというと、全ての卓を清潔な台拭きで丁寧に拭いていくという大仕事に向き合っている最中だ。営業後だけではなく、営業前に客を迎え入れる前準備としても行われているこの作業は、一番最初にトキ時から直々に羅乃目へと任された仕事であった。
きゅっと音が聞こえてきそうなくらいに真剣な手付きで、客のこぼした少し大きな醤油の点を一拭き。
そして何故かそこで止まる羅乃目の手。
「
……
」
ちょうど土間から店内に戻ってきたトキ時は、視界に捉えた羅乃目に声を掛ける。
「どうした羅乃目、急に眠くなっちまったか?」
「
……
ねえトキさん」
「ん?」
羅乃目の様子の変化に、黒骸も椅子を重ね終えてから振り返った。
「『
太都
だいと
』って、なんで『太い都』って書くんでやんすか? 普通に『だいと』って読むなら『大きい都』って書くでやんしょ?」
「ああ、それか」
どうやら羅乃目は客のこぼした醤油の点から、今自分たちが生活している場所の名前についてまで脳内で連想を繋げていたらしい。確かに『太』には点がある。
「俺も気になっていました。不思議ですよね、それこそ最初はたまたま見かけたものの誤字かと思いました」
黒骸も羅乃目と同じ疑問を抱いていたらしい。気にはなるが自分で調べる程でもなく、かと言ってわざわざ質問する頃には脳内からするっといなくなってしまう類の柔らかくて薄い疑問だ。時と場合によってのみ気になる、正味たいして興味のない疑問である。
「お、いいぞー。これは諸説あるんだけどな」
そう言ってトキ時は人差し指で宙に『大』を書いた。この文字はとてもよくできている、書いたトキ時側からもそれを見ている羅乃目と黒骸側からも、文字が左右対称できちんと伝わるからだ。まあ、毛書で厳密に丁寧に書くならば話は別なのだが。
「まずな、大きいって漢字を名前やらなんやらにつけたいと思ったとするだろ? でもそういう時はあえて小さいって漢字を使うんだ」
「意味わかんないでやんす、変なの」「変ですね、そのまま普通に使えばいいのでは?」
そもそも人間側が使っているこの感覚がどうやらふたりには理解できない話らしい。仲良く頭に疑問符を浮かべてほんのり首を傾げている。
「ははは、そうだよなあ、変だよな、でもそうなんだよ。ここはそういうものなんだって思ってくれ」
あまりに素直な反応にトキ時は笑いを隠せなかった。教師でもなんでもないトキ時は、他人からの真っ直ぐな「なんで?」「どうして?」と向き合う機会はそう無い。そして彼にとっては新鮮な反応に理由という追加の説明を添えることができないことも、トキ時が教師ではないことに由来している。
「この変なのが前提条件なんだよ、大の代わりに小の漢字を使う。それを念頭に置かないといけないんだ」
「
……
にんげん、いみわかんない」
話を進めるトキ時に紛れて、こっそりと羅乃目が唇を尖らせていた。
「ここの名前を決めようって時に、最初は『大きい都』って書いて『だいと』にするつもりだったんだ。この国の東側を治める立派な都だからな、そりゃあ大きいが似合うって当時の人は思うだろ? でも大の代わりに小を使うことになっている、だからこの漢字は使えない。だからって『小さい都』にするわけにはいかない。『こと』『おと』『しょうと』どれも微妙だろ? 威厳のかけらも無いしな」
「ややこしいですね」
黒骸は皺にならない程度に眉間に力を入れた。
「そこでだ、ここに
……
」トキ時は今一度宙に向かって『大』を書くと続けて「
……
点を足したわけだな」
宙に書いた文字のあるべき位置に、トキ時は人差し指でトンと点を付け加えた。『太』の完成である。
「それで『太都』の完成だ。まさか『犬』って漢字にするわけにもいかないからな。『太い』って漢字には豊かだとか、最上位だとか、大元だとか、それこそ『大きい』よりも大きいを強調しているって意味なんかもあって縁起も都合もよかったらしい。なんとこの説は寺子屋の教本にも載ってるんだ、『太い』って漢字に変えようって提案した昔の偉い坊さんか誰かの素晴らしき偉業って内容でな」
この犬云々については当時トキ時が教師に言われたものをなぞり直して伝えている。印象に残っているのだろう。その割に重要そうな部分や明確な説明は記憶にないのか深掘りされない。決して誤情報ではなさそうだが、あくまでもトキ時の記憶に依存した内容ということは踏まえておいた方がよさそうだ。子どもの頃に習った歴史の授業など、大抵の場合はこの程度の記憶であろう。
「諸説あると言っていましたが、他にはどのような?」
黒骸は他の説を聞いて早く納得したいらしい。彼は今も全く納得していない表情をしている。
「『大きい都』に決めた偉い人間が恥をかかない為に部下がこっそり点を書き入れただとか、うっかり墨をこぼして点が入ってしまっただとか、書いた奴が大馬鹿で漢字を間違えただけみたいなのもあるが、似たような説がいくつか
……
諸説あるって言いつつも、結局は『大きい』が駄目だから『太い』になったって説の言い換えみたいなもんだ。経緯が諸説あるって感じだな」
「ふうん? 知らなかったからちょっと頭よくなったでやんす」
「人間はややこしくするのが好きなんだなという感想ですね」
「よ。やってるー?」
トキ時先生の授業が終わったと同時に、閉店している筈の伊呂波へと非常識な来客があった。無遠慮に開けられた戸から見慣れた顔が覗き込んでいる。
「あ、死神だ! 残念! もうやってないでやんす!」
「ええー? ほんとにぃ? 残念」
良は閉店後だということを理解したうえでこの時間に店へ顔を出しているのだが、羅乃目に合わせてさも悲しそうな表情で残念がってくれる。死神様は仲間に優しいのだ。
しかしよくよく見るとこの男、ほんのり顔が赤く普段の五割り増しで腰の辺りから色気が漏れている。そしてほのかに漂うこの香り。
「良さん、かなり飲んでますね」
「なに、付き合いでちーっとだけだって、死神様も色々あんの、余裕余裕。こっちは大丈夫? なんもなかった感じ?」
「今日は平和だったな。なんもなかった感じだ」
良は右手をひらひらさせながら店内へと歩を進めてくる。酒を飲んできたのなら腹は空いていないだろうと推測できるので、単に様子を見に寄ったのだ。店のケツ持ちとしてかなり真面目な死神様である。
「それが聞けて安心した。え、てかなに、大きいが駄目で太いがいいとか聞こえてきたけど、ちん
……
」
「言わせねえよ、それ以上は、続きはないからな。太都の漢字の話だからな」
良が下世話な話を始めようとするので、トキ時がすかさず言葉を被せていく。こういう時のトキ時の瞬発力は普段の比ではない。
「良さん酔ってますね」
黒骸からの冷静な指摘を聞き流しながら、良は「羅乃目にいいこと教えちゃおー」と満面の笑みで近付くと彼女の耳元へ顔を寄せた。良のややかがみ込んだ姿勢がまた妙に色っぽい、何処から湧いて出てくるのだろうか。
「まあ羅乃目は知ってると思うけどぉー」
ここで一呼吸。何を教えてくれるのだろうか。
ちなみに内緒話の姿勢ではあるが、声は全く潜められていないのでダダ漏れである。
「大きいのも太いのもいいよ。あと、な・が・い・の・も♡」
──びたぁん!
語尾に色っぽい吐息をとタメをこれでもかと乗せながら、羅乃目に『何か』を伝えている良の頭に正確に布巾が飛んできた。
「ちょ、なにぃ、もう」
それは濡れて少し汚れていたのか、気持ちいい位にいい音が鳴った。トキ時が投げたのだ、対面式調理場の内側から。
「お前本当にそういうところだからな、許さないからな、羅乃目の教育に悪いって言ってるだろ」
「なに、羅乃目だって立派な大人なんだから気持ちいいちんこの話くらいしてもいいでしょ。そりゃあ最終的には技術がものをいうからデカけりゃいいってもんじゃねえけど短小の粗ちんがいいなんて奴いな
……
」
──びたあぁぁん!!
何処から出したのか、トキ時はもう一枚濡れた布巾を(今し方の物よりも遥かに濡れて滴っている)正確に良の頭に全力で投げた。
トキ時はこういう時に
だけ
驚く程正確な運動神経を発揮する能力を持っているらしい。是非とも普段の彼にも少し分けてあげてほしいものだ。
「んも、なにぃ、いいじゃん! 気持ちいいこと嫌いな奴いなくない? 俺は大好き! この後もする!」
「うるせえ!! 疲れてる夜中にでかい声出させんな!!」
酔っている良の抗議と、なんなら一番うるさいトキ時が低俗な押し問答を繰り広げている。ふたりきりならば適当に受け流すが、羅乃目が同じ空間にいる際のトキ時は保護者としての役割に脳みそを切り替えている場合が多い。今がまさにそれだ。
そんな大人たちをなんとも言えない目で見つめつつ、当の羅乃目の両耳は背後に立つ黒骸の大きな手によって柔らかく塞がれていた。
「
……
」
耳を塞いだ手が離れないように羅乃目は自身の手のひらを黒骸の手に重ね合わせて押さえながら、首を目一杯上に向けて黒骸と目も合わせる。
軽く見つめ合って微笑むふたりと、全く雰囲気に合わない環境音。
そんな中、実は彼女が口の中で「それは知ってる」と言って心の中で悪戯っぽく口角を上げていたことを誰も知らない。
Reaction
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.
Custom color
Reset color
広告非表示プランのご案内