千代里
2026-01-18 10:58:39
9241文字
Public 君ふれ短編
 

君触れ・クガネ編・5話


「ユキハネ、知り合いなのか?」
 傍らの少女に確認しながら、ヒョウセツは目の前の青年へと目をやる。
 アウラ族の女子ほど小柄ではないが、大柄な体躯が多いアウラ族の男性であるヒョウセツにとって、目の前の青年は随分と小柄に見えた。
 アイスブルーの髪の毛を一つにまとめ、高く結い上げ、その頭頂部からは、獣の耳のようなものが生えている。腰から伸びるふさふさの毛に覆われた尻尾は、アウラ族の鱗が露出したそれとは随分と違う。おそらく、西方に来てから時たま見かける『みこって族』という種族だろう。
 ユキハネに親しげに話しかける彼は、どうやら通りすがりの一般人というわけではないらしい。なぜなら、彼の身につけているローブは明らかに冒険者が使うものだったからだ。
「ミィハさん、こんにちは。ヒョウセツさん、こちらはミィハ・ト・リーゼさんです。ミストヴィレッジで錬金薬の商いをしている方で、私やお師様と一緒に依頼を受けた……ええと」
 そこで、一瞬ユキハネは言葉に詰まる。彼女が続く言葉に辿り着く前に、
「何度か冒険者として行動を共にした友人だ」
 やや硬さはあったものの、彼はさらりと自分とユキハネの関係を『友人』とまとめた。
 すると、ユキハネの顔にパッと笑顔が花咲く。
「はい、そうです。ミィハさんは、私とお師様の友人なんです」
 まるで、友人と言われるのを待ち望んでいたかのように、ユキハネの声が弾む。
「ミィハさん、こちらはヒョウセツさんです。ヒョウセツさんのお父様から依頼されて、私が彼に魔物との戦い方を指南しているところだったんです。お二人は、降神祭にあわせて東方から来ている行商の方でもあるのですよ」
「ああ。どうりで、この辺りでは見ない顔だったわけか」
 アウラ族のヒョウセツを見上げながら、ミィハは一人納得したように頷く。
「ミィハさんは、リムサ・ロミンサの冒険者の顔を全員覚えてるんですか?」
「ミストヴィレッジに住んでいる住民なら、大体はな。配達で、冒険者ギルドやマーケットに顔を出すことも多い。ついでに、特徴的な人物は覚えるようにしているんだ。この辺りでアウラ族は珍しいが、東方からの客人なら納得だ」
「すごいです。私も見習わないと」
 出会って数分とおかず、会話を弾ませるユキハネとミィハ。その傍で、ヒョウセツは何やら胸の奥にモヤモヤとしたものをかんじていた。
……なんか、オレと話してる時とユキハネの空気が違ってないか?)
 無論、ヒョウセツはユキハネにとっては依頼主の大事な子息で、お客様の扱いをするべき存在だ。
 気の置けない『友人』とは、扱いに天と地ほどの差があるのは当たり前だと、仮にも商売人の父のそばにいたヒョウセツは理解しているつもりだった。
 それでも、同年代であり、ここ最近は教えを受けるために毎日顔を合わせているユキハネが、いつまでも自分をお客様扱いして他人行儀な振る舞いをしていることが、妙にヒョウセツの心をざわつかせるのだ。
「ヒョウセツさん、といっただろうか。ユキハネが指導しているということは、あなたは魔道士なのか?」
「いや、オレは、こいつが得物だ」
 自分の武器のことが話題になり、ヒョウセツはここぞとばかりに己の側に置いていた刀を見せる。すると、ミィハは意外そうにユキハネと青年を交互に見やり、
「ユキハネが教えているのなら、てっきり魔道士なのかと思ったんだが」
「別にいいだろ。ユキハネは、オレにとってすごくいい先生なんだからよ。魔物とどう向き合ったらいいか、きちんと丁寧に教えてくれた。得物の上手い使い方は道場でも教えてもらえるけど、魔物との戦い方は道場じゃ教えてくれねえから大助かりだ」
 もしくは、たとえ教えて欲しいと言っても「危ないから」とか、「子供がすることじゃない」と言って、頭でっかちの大人たちはヒョウセツを危険から遠ざけていただろう。
 それでは、いざ実戦になったとき、刀すら存分に振るえなくなる。それは、つい先日の戦いで身に染みて分かったことだ。
 ユキハネは同年代ということもあってか、ヒョウセツを子供扱いせず、丁寧に魔物との戦いを指導してくれる。
(でも、この依頼はきっとこの街にいるまでなんだよな……
 ユキハネから、もっと多くのことを教わりたい。そうでなくても、彼女の些細な会話は冒険や戦闘に関わるものでなくても楽しいと思っていた。
 なのに、そんな彼女との別れが刻々と迫っていると、ヒョウセツはどうにもやりきれない気持ちになってくる。
「なあ、ユキハネ。さっき言ったことだけど、本気で考えてくれねえか?」
「ええと……それは……
「一緒に東に帰って、指導を続けてくれってことだよ。あ、そうだ。ちゃんと指導のための報酬も払うからさ」
 ユキハネの躊躇の理由が依頼の際に生じる金銭に由来するものではと、ヒョウセツは前のめりになって付け足す。
 しかし、ユキハネは落ち着き無く視線を彷徨わせ、
「それは、その……お金のことはお師様にも、相談しないと」
 苦し紛れな言い訳じみた答えだとユキハネは思ったが、幸か不幸か、ヒョウセツにはそのようには聞こえなかったらしい。彼はより熱心にユキハネへと身を乗り出すと、
「報酬も大事だけどさ。正直なところ、オレはユキハネの意見が聞きたいんだよ。フェリキシーさんの話とかはその後でいい」
「でも――
「良いわけがないだろう。フェリキシーがいないところで、君を何を言ってるんだ」
 戸惑いを隠せないユキハネの代弁をするかの如く、竹刀で背中を引っ叩くかのような鋭い言葉が挟まれる。先ほどからヒョウセツとユキハネのやり取りを見守っていたミィハが、柳眉をつり上げてヒョウセツを睨んでいた。
 突如割って入った第三者の言葉に、ヒョウセツはむっとする。ただでさえ、このユキハネの『友人』は、ヒョウセツとユキハネの二人の時間を妨害しているのだ。ここにきて、更に続く未来の話にまで口を挟まれてたまるかと、対抗心がむくむくと生まれていく。
「あのなあ。あんたは関係ないだろ、ユキハネの友達さんとやら」
「関係はある。向こうみずな子供が、その向こう見ずさに気が付かずに馬鹿なことを言って人を困らせていたら、止めるのは大人の役割だ」
「ミィハさんっ」
 流石に言い過ぎだと、ユキハネは声を上げるが、すでにヒョウセツが立ち上がりミィハに迫ろうとしていた。
 しかし上背が遙かに上のヒョウセツから見下ろされても、ミィハは全く表情を変えなかった。
「さきほど、君の父親から依頼されて指導をしている、とユキハネは言ったな。ならば君は金銭的に自立していないのだろう。なのに、人一人を家に招き、さらには指導という名の労働を要求している。それほどまでに話を進めるなら、そのための金銭の交渉はすでに父親と済ませているべきだ」
 済ませているのか、と目で問われて、ヒョウセツはぐっと言葉に詰まる。
「それは――……だけど、そもそも親父がオレに稽古をつけて欲しいって、そうだ、最初は親父から頼んだんだ。だから!」
「だが、君の故郷に連れて行ってもいいという話までは至ってない。そうだな?」
 ミィハが被せるようにぶつけた言葉に、ヒョウセツは答えられなかった。まさに彼の言う通りだったからだ。
 何か他の手段でユキハネを東方に招く手段はないか。理由はないか。ヒョウセツは必死に思考を巡らせる。
 困ったように彼を見つめているユキハネの視線に気づかず、ヒョウセツは「そうだ」と声を上げた。
「だ、だけど、ユキハネは元々は東の出身なんだ。だったら、彼女の帰省のついでに稽古に付き合うっていうのは、アリだろ!?」
「東に帰省したいと彼女が望んでいるのなら、その交渉も成立するがな」
 どうなんだ、とミィハに視線で問われ、ユキハネは唇を結んだまま、黙りこくってしまう。
 ミィハの論理的な言い分も、拙いながらも必至な想いが伝わるヒョウセツの熱弁も、ユキハネには自分が否定していいものか判断がつきかねていた。
(ミィハさんは、私が悩んでいることを知っているから、私の代わりに、ここにいるという選択があると示してくれているんですね)
 どこか周りに流されやすい自分が、ヒョウセツの勢いに乗せられてしまわないように。ミィハの気遣いは嬉しい。彼の言葉に従っていれば、冒険者としてのユキハネの肩書きを背負ったまま、昨日と変わらない今日を過ごせる。
(でもヒョウセツさんの誘いは……私にとって、どういう意味を持つことになるのでしょう)
 味噌汁を飲んだとき、心にふっとよぎった懐かしいという気持ち。幼い頃に母に手を引かれて歩いた故郷の町並みが、こんな時に限って妙に鮮やかに瞼の裏に蘇る。
 だが、その夕焼けの色が黄昏に染まる頃――同じ色の瞳を持つ男の横顔が頭の端を掠めていった。
 ユキハネが決めろ、と素っ気なくも、決して見捨てずに見守ってくれた師匠のことを思うと、軽々しくヒョウセツの案に頷くのは薄情にも思える。
……私が帰っても、クガネに私の居場所はありません。両親は、亡くなって久しいので」
 自分の意見を整理するためにも、ユキハネは一呼吸置いて告げる。
 今まで、ミィハやケイたちには話していなかった過去を、今ここで伝えようと彼女は決めた。
 ユキハネの目から見て、冒険者として立派に一人で立つ彼らに語るにはやや引け目を感じてしまう、自分ですら直視しづらい過去。
 だが、今なら話せる気がした。自分がどこにいるかを示すために、これはやはり避けては通れない道だ。
「私の家は、クガネで商いをしている店の一つでした。ですが、私を連れて西方に荷物を運んでいる時に海賊に襲われ、両親はその時亡くなったのです」
 一息で話したものの、視線は下へと落ちていく。目の前の彼らの顔を正面から見る勇気がなかったからではない。過去の傷に触れるとき、自分がどんな顔になるかが分からず、今の顔を見せる決心がつかなかったのだ。
「私は幸い命拾いしましたが、長らく……お父さんとお母さんを殺した人たちの下で働いていました。たまたま彼らがウルダハで私を手放し、お師様が私を見出して連れ出してくれたから、今の私はここにいるのです」
 そこまで語ると、やはり自分はフェリキシーの隣にいるべきだという気持ちが少しずつ膨れあがってくる。
 東方はユキハネという人間のスタート地ではあるが、それ以上の意味は持たない土地だという意見が己の中で優勢を占める。
「だから、君にとっては東に向かうことは、懐かしい場所に帰るとと必ずしも繋がらない、と言いたいんだな」
「はい。ミィハさんの言う通りです。もちろん、依頼があれば考えることはありますが……
 だが、そこには依頼主との依頼を受けるものとしての契約関係が生ずる。ヒョウセツが希望しているような、帰省のついでという形にはならない。
……悪い。まさか、ユキハネにそんな事情があったなんて、オレ知らなくて」
「このことを知ってるのは、お師様くらいですよ。ヒョウセツさんが謝る必要はありません」
 だから、帰っても居場所もないので、とユキハネが続けようとした時だった。
「じゃあ、ユキハネの親族とかは、どうなんだ? クガネの店ってなると一代で経営してるところは少ねえはずだ。大体一族ぐるみで店を開いてるんだから、ユキハネのことを心配してる親族はまだいるんじゃないか?」
 ヒョウセツの発言は、ユキハネにとって目から鱗の驚きだった。
 小さい頃の思い出を探すと、たしかに両親の他にも祖母や父母の縁者の姿がよぎることもある。ユキハネにとっては一番身近にいた両親の喪失があまりに大きくて、彼らが今どうしているのかを真面目に考えたことは殆どなかった。
 だが、今思い返せば、自分をかわいがってくれたのは両親だけではない。小さな自分を背負っていたのは、親戚の誰かではなかったか。母親に「ユキハネちゃんは将来べっぴんさんになるよ」と仕事の片手間に話していたのは、家の中にいた血縁者だったのだろう。
「たしか、お母さんの妹……叔母さんには、小さい頃面倒を見てもらったことがある、気がします……
 朧げな記憶ではあったが、ヒョウセツの言葉を呼び水に、ユキハネの中で欠片となってしまった思い出が一つの形に纏まっていく。
 自分の手を引いて仕事で忙しい母のもとに連れて行ってくれた女性――あれはたしか、母によく似た顔をしていたから、きっと叔母のはずだ。ユキハネが少し大きくなる頃、彼女にも赤ちゃんが生まれ、少し年上のユキハネは彼女のお姉さんを気取って手伝いに名乗り出たような気がする。
「だったらさ。その人たちに、ユキハネは元気だって伝えるためにも、帰るってことには意味があるんじゃねえか。ほら、親戚の人たちも絶対ユキハネのこと、気にしてるだろうし!」
「でも……もう十年近く前の話です。きっと、私のことも死んだものと思われていますよ」
「十年経っても家族は家族だろ。オレだって、もし小さい頃に生き別れになった親戚がいるってなったら、どうしてるか気になる。ユキハネの家族だってぜってーそうだ!」
 ヒョウセツに言われると、本当にそうではないかとユキハネの中で小さな期待が生まれる。味噌汁の香りが鼻の奥でぐっと濃くなった気がする。
(ヒョウセツさんの言うように、叔母さんや叔父さんも店の仕事をしていたのでしょう。なら、私の家はなくても、親戚の家はクガネにあるのかもしれない。それに叔母さんにとって、お母さんは姉でもあるんです。船で旅立ってどうなったかも……ちゃんと、知りたいのではないでしょうか)
 あまりに長く消息を絶っていたので、おそらく死んだものと思われてはいるだろう。
 だが、もしかしたら生きているかもしれないと、わずかな希望に縋り続けている可能性もある。
 叔母の心に一つの区切りを与えるためにも、そして姪っ子が生きていると伝えるためにも、帰省することは意味があるように思えた。
 何より、今ならヒョウセツがいる。彼ら父子に頼んで、クガネの案内をしてもらえるならば、再会の可能性も上がるのではないか。
 そんな淡い期待が、ユキハネの中で形を取り始めた時だった。
「どうだろうな。血が繋がっているといえども、ユキハネにとっても彼らが良い人物であるとは限らない」
 シンと冷えたミィハの声が、二人の間に再び割って入る。
……おい。なんでそんな言い方するんだよ。あんた、ユキハネの家族に会ったことがあんのかよ」
 ユキハネが前向きになろうとした矢先に、出鼻を挫くようなことを言ったからだろう。ヒョウセツが、不満げな様子を隠そうともせずにミィハに尋ねた。
 しかし、ミィハはニコリともせずに、ヒョウセツを見やる。
「会ったことはない。しかし、家族だからといって、ユキハネの全てを肯定してくれると期待を持たせるのなら、その考えは危険だと言っている。家族に裏切られた時、君はユキハネの落胆に責任が持てるのか?」
「そんなふうに、何でもかんでも悪いように考えんなよ。ユキハネの家族なんだろ。家族なら、ずっといなくなっていたとしても、血のつながっているユキハネのことを大事にするに決まってる。そんなの当たり前じゃないか!」
「君こそ、彼女の家族に会ったことでもあるのか? まるで見てきたように言うが」
「会ったことがなくても、そんなの家族なら当然だって言ってんだよ!」
 ヒョウセツの熱のこもった発言とは裏腹に、ミィハはまるで氷のように冷え切った視線を送り続けていた。
「君は、自分の両親と親族に感謝するといい。そのように、無条件で他人を信用できるようになれたのは、君の信奉する『家族』のおかげだろう」
 ミィハの言葉だけを追うなら、ヒョウセツの血縁を称賛しているように聞こえる。しかし、彼の声音には言葉にあるような感嘆の気配は一イルムも存在していなかった。
……おまえ、オレの親父やお袋を馬鹿にしたのか?」
「していない。感謝するといいと言っただけだ。家族だから大事にしてくれる、という単純な考えを君が他人に押し売りできるほど無邪気に信じられていることを、感謝するべきだ、と」
「ミィハさん!」
 ユキハネは声を上げ、二人の間に割って入った。
 ヒョウセツが今にもつかみかかりそうな勢いで数歩ミィハに迫る。流石に、この状況はユキハネとしても見逃せなかった。
 ミィハもまた、ヒョウセツに対して彼らしくない感情的な発言をぶつけている。昨日のやり取りからも薄々察していたが、ミィハは故郷や家族に対して何某か思うところがある人物らしい。
 そんな彼にとって、ヒョウセツの無垢とも言える『家族』に対する全幅の信頼は、自分の神経すら逆撫でするものに聞こえたのだろう。
「ヒョウセツさんも、ミィハさんも、私の家族のことで喧嘩をしないでくださいっ」
「だけど、ユキハネ!」
「ヒョウセツさん。私の家族や故郷のことは、私の問題です。でも、きっと私の家族は私の帰りを待ってるとヒョウセツさんが言ってくれたのは嬉しかったです」
 言いつつも、ユキハネは二人の間に広げた手を下ろさなかった。片方の手には杖を構え、その先端はヒョウセツに向けられている。
 魔法こそ発動しなくとも、少しでも乱暴な真似をするなら、ユキハネは魔法の発動も躊躇うつもりはなかった。
「ミィハさんも。もしかしたら頑張って故郷に戻ったのに、その先に私が傷つくかもって、徒労になるかもしれないって心配してくれたのですよね。でも、そのせいでヒョウセツさんのご家族にまで話題にあげるのは、よくないと思います」
 我が意を得たりとばかりに、ヒョウセツの口角が持ち上がったのを見て、すかさず「ヒョウセツさんもですよ」とユキハネは言う。
「私がヒョウセツさんの依頼を引き受けるかどうかも、まだはっきりしていないのです。なのに、私の家族の話まで持ち出されては、私は困ってしまいます」
 ユキハネの凛とした声が、二人の青年の血気に逸る気持ちをいくらか落ち着かせてくれたらしい。二人がそれぞれ肩の力を抜いたのを確かめて、ユキハネは杖を下ろし、石突で地面を打つ。
「私がどうするかは、私が決めますから」
 言いながらも心のどこかで、本当に決められるのかと尋ねる自分がいる。
 しかし、今はその不安をぐっと喉の奥に押し込めた。
「二人は喧嘩しないでください。二人とも、私の大事な……友人、なのですから」
 それぞれの顔を見やったものの、さすがにこれだけですぐに仲直りとなるほど、二人とも単純ではない。彼らにとって譲れない信念をぶつけた結果、あのような言い争いになってしまったのだろうから。
(でも、このまま空気が悪い状態で街に戻るのは……ちょっと、居た堪れませんよね)
 ユキハネが望んだことではないが、言い争いの発端はユキハネがヒョウセツの申し出を受けるかどうか、決断しかねたことにある。
 自分のせいで依頼主をよくない気持ちにさせたなどと聞いたら、フェリキシーはなんと言うだろうか。
 だが、剣呑な雰囲気を残したままではあったとしても、ユキハネがオロオロしている間にも時間は進む。
……確かに、君の言うとおりだな。先ほどは言葉がすぎた」
 先にミィハが頭を下げたものの、ヒョウセツはまだしかめ面をしている。ミィハも、自分が彼の家族を愚弄するような結果になったと自覚しているからか、自分に対して謝れとは言わない。
(でも、これじゃあ、気まずい空気のままお別れになってしまいます……
 ミィハが次にヒョウセツに会うのは、いつになるかわからない。明日には再会するかもしれないが、もう二度と会わないかもしれないのだ。
 だからこそ、ここで嫌な空気のまま別れるのは良くないと思った時。
 ふと、思い出す。ウルダハの『店』にいたとき、些細な報酬のやりとりで喧嘩しているフェリキシーと彼の相棒を前にして、二人にげんこつを落とした『彼女(リト)』の言葉を。
 ――あーあー、二人とも。いつまで子供みたいに拗ねてるのさ!
 ――お互い、自分が悪いってわかってんなら、仲直りの印に握手でもしな! それでチャラってことにすりゃいいだろ!
 からりと笑う、彼女の声に背中を押された気がした。
 彼女なら、こんな時どうするだろう。そう思った時には、ユキハネはすでに一歩を踏み出していた。
「だ、だったら! 仲直りの印に、握手しましょう!」
 突然の申し出に、二人が揃って鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。だが、お構いなしに、ユキハネは続ける。
「握手ですよ、握手。それで、二人の喧嘩はおしまいです。そうしましょう!」
 勢いに任せて、ユキハネはミィハの手とヒョウセツの手を取る。お互いの手を結ばせ、その上からユキハネはさらにぎゅっと自分の手を重ねた。
 ユキハネの勢いに押されたのか、ミィハとヒョウセツが思わず顔を見合わせる。そこには、握手の効果からか、先ほどまでの険悪な空気はなかった。
……そう、だな。こっちも、ムキになって悪かったよ」
 ヒョウセツの方からも、不承不承の感じはあったものの、詫びの言葉が告げられる。なぜかユキハネの手とユキハネを交互に見遣っていたが、ユキハネ自身は二人の和解が最優先で青年の視線に気がつくことはなかった。
 三者の手が結ばれ、そして離れていく。ミィハはなにやら不思議なものでも見るかのように手のひらを見つめていたが、やがて一つ息を吐くと、
「そろそろ、僕は街に行く。友人を待たせているんだ。それで、君たちはどうする」
「それなら、私たちも今日はこの辺りで切り上げます。ヒョウセツさん、行きましょう」
「わかった。あー、でも、また親父のしけた店先を覗くことになるのかあ」
「そんなこと言ってはムヒョウさんが気の毒ですよ。それに、もしかしたらたくさん売れているかもしれません」
「冒険者が住んでる所で、一気にあれこれ買っていった子供がいたらしいけど、それっきり大して売れてないんだよ。親父も、ばあちゃんやじいちゃんにいい顔しようとしなくてもいいのによ」
 
 そんなことを話しながら帰ったユキハネたちは、広場に辿り着いて目を丸くことにする。
 背後に山積みになっていた在庫が目減りした、ムヒョウの店の店先。そこでは、ケイが声を張り上げ、手をぶんぶん振りながら、長蛇の列の整理をしており、フェリキシーが盗人が姿を見せないか目を光らせていた。
 至上最高の売り上げを達成して見せたムヒョウの店を目にして、ヒョウセツは我が目を疑い、これは夢では無いかと自分の頬を引っ張ってみせたのだった。