音無 馨(おとなし かおり)
2026-01-17 15:34:30
14646文字
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【君が弱さを映す鏡面】(全年齢)インジュナWEBオンリー展示作品

大試練後、ストームボーダーに居座るインドラはアルジュナとの距離の詰め方を模索していた。そんな時、特異点攻略からアルジュナが負傷して帰還し……。

人界の門、【人理】は『そうあらねば通さぬ』と頑なだった。

門が勝手に言うことであれば無視を決め込んで良かったが、悲しいかな……神と人の歴史が分かたれてからというもの、人界は神が降り立つには世界の強度が足りないのであった。白紙化した地球 いまであれば、なおのこと。できることなら本来の威光 テージャスのまま地に降り立ちたかったものだが、己の理を通したとて本懐は遂げられない。それで万が一、いや……億が一でも人界に何がしかの影響を及ぼせば……。神々の王の名折れであると同時に何より、今は世界を救わんと奔走する物好きな人間に仕える我が息子アルジュナが、その生真面目さゆえに美しい黒曜石の瞳に寸分の光を称えることなく、こちらをジロリとめつけるかも知れない。それは何だか、非常に、本気 マジで心底嫌だった。

──削れ、削れ、削れ。門の形に沿うように、渡る道の強度に耐え得る重さに、こうであれという注文通りに。神々の王である オレが気に食わぬものの言いなりになるなどこれが最初で最後であろう。自身を人間を象った依代に詰め込み、切り分けた霊基をそれぞれヴァジュラとアイラーヴァタに振り分ける。『付属品』という形であれば【人理】の判定も甘くなるらしい。 オレの譲れぬ一線と【人理】の譲れぬ一線をギリギリまで押しつけ合って、ようやっと『サーヴァント』として扱われる規格に至った。体裁さえ整えば中身までは口うるさく言われないのだけは御の字だな、と勇んで人界に足を踏み入れた瞬間──空の概念が壊れた。……クソ、本当に脆いんだな、今の人界は。


そうこうして今は、アルジュナと仕えるマスター にんげんが暮らすストームボーダーに オレはいた。我が天界 スヴァルガと比すれば何もかも矮小で取るに足らないものであるから、ストームボーダーの手狭で味気ない空間は想定通りで失望する以前の話だったが、開かれる宴とそれに飛び込んでくる奴らは存外面白いし、出される酒も食事も悪くない。何よりもアルジュナと毎日好きな時に好きなだけ顔を合わせることができるという一点だけで、それはもう極上と呼んで差し支えなかった。

「でも、まだきちんとお話する好機到来 チャンスに恵まれていませんよね」
「あっ、こら〜!本当のこと言っちゃ不敬千万 ダメダメだろ〜!」
「ええい、思考を読むな!」

ヴァジュラたちの小五月蝿 うるさい鳴き声を横に流しながら、酒を煽りつつ改めて思考に耽る。今日は急遽発生した特異点にアルジュナが適合するからということで、マスター にんげんと共に朝から現地へ赴いて行った。 オレが端を発した去る特異点でも目覚ましい活躍をしていたアルジュナの姿を思い返し、無意識に口角が上がる。きっと今日赴いた特異点でも輝かしい戦果を挙げていることだろう。……帰ってきたら本人から直接話を聞かせて貰えないだろうか。自室 ここに招いてどうせなら生前天界 スヴァルガに招いた時みたいに、膝に乗せてそれくらいなら何もおかしくない、よな。

期待と想像を巡らせて上向いた心持ちのまま、アルジュナたちの帰りを待っていると、にわかに外が騒がしくなった。

……帰ったか」

遠くから雑多に混じるマスター にんげんや他のサーヴァントの気配の中に、確かにアルジュナを感じ取ったが、少しばかり違和感があった。今のアルジュナの肉体はエーテルで構成された魔力の塊のようなものだ。普段であればその流れは一定の規則性を保っているが、何かがどうにも違う。妙な胸騒ぎを覚え、自室を出る。気配を辿って廊下を進むと、人だかりができている場所を見つけるに至った。

「何の騒ぎだ」
「──ッ、インドラ様……

凡庸という言葉を形にしたような赤毛の マスター オレの姿を認めるとたじろいだ。あわせて何かを隠し立てるような動きに訝しんでマスター にんげんの後ろを窺い見ると、そこにはアルジュナがいた……が様子がおかしい。そもそもマスター にんげんとアルジュナであればアルジュナの方が体格が良いのだから、マスター にんげんの影に隠れられるはずもないものを。なぜ──と思った瞬間、 オレが与えた真白きヒマラヤの雪原のような衣服に似つかわしくない赤い華が散るのが両の目に留まった。腹部からの出血、それもかなりの量。アルジュナは負った怪我を庇うように屈み込んで抑えていたのだと気付いたのは同時だった。

「アルジュナ、おまえ……おい、どういうことだ?マスター にんげん

問い掛ける。まともに答えられぬのであれば我が雷霆をその身に受ける覚悟かと、言外に含めながら。生意気にもマスター にんげんはそのポーズに怯むことなく、真っ直ぐ オレを見つめ返した。

……わかってます、インドラ様が言いたいこと。これはサーヴァントを率いる私のミスだから、きちんと説明したいと思ってます。でも、少しだけ待ってください……今は、アルジュナを」
「御託はいい。く弁明してみせろと言うのだ」

周囲の人間やサーヴァント達が急速に緊張感を高めたのを肌で感じたが知ったことではない。大体、かような凡庸な娘に我が息子が仕えるに値するのかと些か疑問があったのだ。いくら兵の練度や士気が高かろうと、扱う将が判断を誤ればすべてが無駄になる。

「ふん……、雷神というのはどこもコレだから……

かたわらに立っている黒いフードを目深に被った男が憎々しげに何か吐き捨てたことすらどうでもよかった。問い掛けに返答なく、膠着し一向に動かぬ状況に痺れを切らした オレは指を構える──。

……インドラ神!!おやめください!!」

足元から静止の声が上がる。そこにはアルジュナが苦悶の表情を拭えぬまま、なお強い瞳で オレを貫くように見上げていた。

「は……ッ、申し訳ありません。貴方の息子、名代でありながらこの体たらく。これには私自身にも責があります。マスターを咎めるのであれば、共に私にも……

よろめきながらも足を踏み込んで立ち上がったアルジュナは、自然とマスター にんげんの前に庇うように進み出る。その態度に無性に苛立ったところで、張り詰めた場の空気を切り裂く声が響く。

「退きなさい!!患者の前ですよ!!」

思わぬ闖入者 ちんにゅうしゃに睨みを効かせながら振り向くと、そこには赤い衣服に身を包み、ドゥルガーもかくやの凄絶な怒気をはらんだ形相の、美しい女が立っていた。

……今のは貴様か?不敬だぞ。 オレに向かって──」
「ここにあるのは患者かそうでないかだけです。誰であっても同じこと。それに……これ以上彼の治療を邪魔をするのは、貴方にとっても本意ではないはずですが」

女は視線を オレの背後に滑らせる。呻き声が聞こえたかと思うと、先ほどまでマスター にんげんの前に立っていたアルジュナが床に両膝を付いていた。想定よりも思わしくない、と悟って目を みはる。マスター にんげんは慌ててアルジュナの肩を支えるように掴んだ。

「アルジュナ!!大丈夫!?」
「貸せ、マスター。お前は管制室に報告があるだろう、早く行け」
「ごめん……お願いします、アスクレピオス」

それを皮切りに、目の前の光景に呆然として動きを止めていた オレなど初めからいないもののように、周囲が騒然と動き始める。

……インドラ様、改めて……あとで、事情をお話させてください」
「チッ……

マスター にんげんが去り際にそう言うのを、舌打ち一つで返してそれ以上返事をしなかった。それをと受けとめたのか、再度頭を下げた後はどこぞかに走り去っていく。正直、後々あいつが律儀に戻ってきたところでこれ以上問い詰める気にもならなかった。アルジュナのあの苦悶の表情を目の前で見てしまっては、何もかもどうでもよくなってしまったのだ。

……落ち着かれましたか」

両の目どころか千の目をもって部屋の奥に連れて行かれる我が息子の様子を伺おうと眼力を上げていたところを、今しがた臆することなく オレに口を挟んできた苛烈な女は、先ほどまでの意気をやや下げて話し掛けてくる。

「邪魔をするな。いかに オレが寛容な神々の王であろうと、おまえが佳い女であろうと……差し出がましい貴様の言動を許すのは一度までだ」
「神がどう、というのはさておき……貴方がミスター・アルジュナのお父上であることは聞き及んでいます」
……む」

今度は オレが気勢を削がれる番だった。『インドラ』という名はもちろんのこと『神々の主 デーヴァパティ』『天空の主 ディヴァスパティ』『天界の主 スヴァルガパティ』『惜しみなく与える者 マガヴァーン』『偉大なるインドラ マヘーンドラ』など…… オレを呼ばわる名はいくらでもあったが、息子を──アルジュナを主語として オレを呼ぶ者は居なかった。そして、そう呼ばれた事実に嫌な気はしない。むしろじわりと高揚が滲んだような気がして、この感情の出所を思わず探した。 オレの当惑を知ってか知らずか女は話を続ける。

「さすがに治療を行っているところまでは入れられません。ですが、前室でお待ち頂くことはできます」
……何が言いたい?」

訝しむと、キョトンとした顔で女は首を傾げた。

「ご心配なのでしょう?ご子息が」

……そう直截的 ちょくせつてきに言われては いや、と言うこともできず。らしからぬ従順さで女の後ろに付いて室内に入ってしまった。

「ご紹介が遅れました。私はフローレンス・ナイチンゲール。このカルデアの医療部門に携わる──かつてはいち看護師だった者です」

「どうぞ」と促され、示された場所は些末で地味なベッドだった。あからさまに怪訝な顔をしてみせると、ナイチンゲールと名乗った女は眉を下げて困ったように詫びた。

「申し訳ありません。貴方の体格に見合うサイズの椅子がありませんでした。診察時に触診で使うベッドですが……程よく大きさがありますから、少しでも快適さを取るのであればそちらに、と思いまして」
……ハナからここの設備に期待などしておらん」

本当に致し方なくといった風に、押し返す弾力の弱いクッションのベッドへ腰を下ろす。すると、ナイチンゲールは何かの板──おそらくタブレットという電気で動く情報端末を持って、 オレに近付いてきた。

「ちょうど良い機会です。普段、貴方はこちらを訪ねられませんから……ミスター・アルジュナの治療が終わるまで、ミスター・インドラへ軽く問診をさせて頂けますか」
「おい、なんでそんなことをせねばならん」
「何かあれば貴方の体調を伺うように仰せつかっていましたから。その、ご子息から」
……、アルジュナが……?」

余計なことを、という怒りよりも先に生じたのは、アルジュナが オレのことを気にかけてくれているという喜びと、もしや心配をかけさせているのか?という一抹の不甲斐なさだった。

「私は魔術や神秘などは埒外 らちがいですから、詳しくは存じ上げませんが……ミスター・アルジュナから貴方は特殊な体質であると、そうお聞きしています。だから貴方本人でも気付かない不調が医療従事者としての視点でもし表れているようであれば、気に掛けてほしいと。お酒もよくお飲みになられているようですし」

近代の生まれであろう英霊ナイチンゲールに対して、 オレが依代の身体であることをなるべく噛み砕いた結果、アルジュナはそう説明したのだろう。近からずも遠からずといったところだが、それよりも気になることがある。

「いつ、そんなことを……待て、アルジュナは以前から此処を訪ねていたのか?体調が悪かったのか?何か病か、呪いか……?」

自然と身を乗り出しかけていた オレを、ナイチンゲールは怯むことなく片手で制す。

「それを私からお伝えすることはできません。職務上知り得た患者本人の心身に関する相談事由を、医療従事者がみだりに外に漏らすのはプライバシーの侵害です。気になるのでしたら後ほど、きちんと本人から聞かれてください」

……それが出来たら今も昔もこうして、悩ましくなどなっていないのだが。心中で悪態をつきながらも、ただでさえアルジュナと繋がりがあり、不遜ではあれど、真摯に神と向き合わんとする見所ある佳い女の紡ぐ言葉であれば傾聴に値する……そう思い直した オレは口を つぐんだ。

「話を戻します。最近、体調はいかがでしょうか。ささやかな違和感でも構いません」
「フン、何も問題などない。 オレが手ずから拵えた神の玉体に瑕疵など一つもあるものか」
……頻繁にお酒を飲まれておられますが、飲酒前と後で変化は?」
オレは“インドラ”だぞ。酒の方から オレ かしずいて干してくれと願うまである、 オレはこの世の酒のあらゆるを支配していると言ってもいい」
「時折、食堂で宴会後に眠りこけている姿をお見かけしますが」
……寝てなどおらん、あれは瞑想だ」
……いいでしょう。ただ──先ほどから時折、押さえておられます……お腹の調子はいかがでしょうか」
「あ?」

不意に予期せぬ方向に話を転がされ、間の抜けた声が出てしまった。ナイチンゲールは、 オレの身体をじっと見据えている。視線を追って下を見ると、何故か右手が己の腹のあたりを押さえていた。

……は?」
「自覚が無かったようですね。痛みませんか?」
……いや、……今は……

『今は?』と無意識に口の端から漏れた言葉に首を捻りながら手を離したが、己にも御しきれない不可解な我が依代 に思考が止まってしまった。

「であれば、一過性の……精神的なものでしょうか。ストレスで胃に違和を覚えたり、痛めることは往々にしてあります」
「ストレスぅ?バカなことを」

ストレスなど、それこそ オレに似つかわしくない言葉だ。思うまま、望むままに振る舞い、それを咎める者も遮る者もいない。あらゆる神々の頂点に立つ オレに対して何を言い出すかと鼻で嗤おうとしたが、ナイチンゲールは真剣そのものだった。

……プライベートに立ち入り過ぎてはいけない、といったようなことを……先ほど言った手前ですが……そうですね、患者の心に寄り添うのも私の役割です。貴方はミスター・アルジュナと離れて暮らしていた期間の方が長かったとお聞きしましたが」
……まあ、そうとも言うな?」

天界と地上という意味合いであれば、確かにそうだろう。当のナイチンゲールは人間で言うところの『仕事で家を空けがちな父親とその子』くらいの認識で語っているように見えたが、ここで口を挟んでもややこしくなるかと考えたのと、あながち間違いとも思わなかったので特に訂正もしなかった。ナイチンゲールはしばらく不躾に オレの顔をまじまじと見つめていたかと思うと、溜息を吐いた。

「そうですね、端的に言ってしまいましょう。ミスター・アルジュナの様子を気にかける素振りを見せられる度に、お腹に手がいっていました」
……ぐ、」

業腹だ。そう指摘されては思い当たるところがドッと溢れてくる。遠路はるばる地上まで、アルジュナと まみえるために来たくせに……クソ邪竜にちょっかい出されて極下な姿を晒すことになるわ、嫌な記憶を振り払うように勇み足でストームボーダーに乗り込み居座ったところで、ヴァジュラたちに指摘されたようにいまだ二人で過ごす時間もまともに作れていない。しまいには酷く傷付いたアルジュナの姿を見て、動揺してしまったのだ。……おかしな話だ、生まれた時からあいつを見てきた。勇猛果敢にあらゆる魔性と対峙し、神々の試練を乗り越え、地を一掃するような戦争に嘆きながらもその身を投じる姿すら。その中で傷付くことなど当然あったし、それでどうこうするようなか弱い男ではないこともよく知っている。知っていたが──天から眺めるばかりのあの頃と違って、それに直接相対した今、何故か オレの方が参っている。……いいや、本当はわかっている。半神でありながら半人、だからこそ定命。故に不滅でなく、死して我が下に帰らなかった息子。二度、この手から取りこぼすような真似をしたくないのだ。

「なぜ、その様な……苦虫を噛み潰したような、というのでしょうか。そんな顔をされるのですか」
……貴様には関係ない」

『こんな弱々しいオレはカッコつかねぇからだ』と口が裂けても言うわけなかったが、この女は異様に目敏い。しれっと「我が子を想う親の気持ちや振る舞いに貴賤はないかと」と言い添えてきた。……そろそろ、このインドラを精神的に追い詰めた人間の女として評価に値するかもしれない。美しさは申し分ないからな。

「ご自身の大切なご家族が傷付いているところを見て動揺しない方はおられませんし、貴方がこうして彼と共同で生活する機会を得たことで……離れて暮らしていた時には気付かなかったことに気付いたり、深まる理解もあったのでしょう。遠く話を聞いているだけでは実感できない生々しさ、何事も目の当たりにして経験することでしかわからないことはあるというものです。……私自身も看護師として一歩踏み出した時、そうでしたから。そして、そういう時に一番『ままならなさ』を自覚して……不必要に苛立ったり、ストレスが溜まることもあるのですよ」

常にどことなく張り詰めている雰囲気を纏っていたナイチンゲールは、その瞬間、品良く柔和に微笑んだ。……なるほど、これは『クリミアの天使』と呼ばわれるに相応しい顔だと、ナイチンゲールという真名を明かされた時に人界の知識を軽くさらって得た情報と照らした オレは目を細めた。兵士という名の戦士たちにとってはそれが確かな慰めであっただろうとも。

「せっかくの機会ですから、ミスター・アルジュナの治療が終わり次第、きちんとお話をされてみてはいかがでしょう。今回の特異点攻略が終わった以上、しばらく彼もお休みがあるはずです。ストレスの起因がそこにあるのなら、解消するのもまた必然、そこにあるものですから」
「うむ……。フ、最初はどうかと思ったが……おまえは身も心も佳い女ではないか。どうだ、今度の宴席ではおまえも オレに酌をする栄誉を──」
「それはお断りしますが」
……つれないな。いや、そういうところが良いのか……?」

先ほどまでの笑みが嘘のように真顔ですげなく撥ねつけられ、惜しみつつ引き下がる オレの耳に「胃痛の理由も似た者同士なのですね」と小さく呟くナイチンゲールの声が届いたが、その意図するところはよくわからずじまいだった。



「終わったぞ。チッ……なんだ、異教の雷神もまだ居たのか。さっきまでそれこそ無闇矢鱈に落ちる雷鳴の如く喧しかったのに、よく静かにしていられたな」

二人分の足音が オレとナイチンゲールが居る室内に入ってくる。長い白髪をまとめ上げ、人間の社会でいわゆる『手術服』と形容される姿の再臨で入ってきた随分な物言いの一人目は、先ほどマスター にんげんからアルジュナを引き受けて連れて行った印象の悪い黒いフードの男だった。

「アスクレピオス、おつかれさまです」
「『なんだ』とは何だ、貴様……

売り言葉を買ってやろうかと立ち上がった途端、遮るように眼前に二人目にあたる人影が割って入る。

「ああ……!!失礼を申し訳ない、ムッシュ・インドラ。彼はちょっと……貴方ではない『雷神』というものに、思うところがあって……。それよりもアルジュナの容態だ。僕はシャルル=アンリ・サンソン。今回、アルジュナを担当した一人です。治療も上手くいきましたし、体調も安定していますから……面会して頂いて構いませんよ」

オレの前に立ちはだかった、先のアスクレピオスと比して紳士的な振る舞いのサンソンという男は、別室の方を指差す。そうと聞いては他のものに かかずらう暇などない。アスクレピオス相手にはひと睨みきかせ合い、先ほどまで会話を交わしていたナイチンゲールには会釈されながら、 オレは案内された室内に入った。複数のベッドが整然と居並ぶ奥の方に、一つだけカーテンが閉められた所がある。

「あちらになります。それでは……僕はこれで」

サンソンが部屋を後にして静まり返った室内。目当てのベッドへ近寄る己の足音が響いて、緊張感がいや増した。カーテンに手をかけゆっくりと開くと、アルジュナがベッドに横たわっていた。身を包む白衣を溶かすようにシーツも、枕も、掛けられている布団も清潔な白一色。そのせいか褐色肌の顔と黒曜の髪色が浮き上がり際立って、 オレの目に最初に飛び込んでくる。

……アルジュナよ」
……!」

目を閉じていたアルジュナは、こちらに気付いて瞼を開いた瞬間慌てたように起き上がろうとする。だが傷に響いたのか、一瞬、痛切な表情を見せた。それを受けて今度は オレが慌てる番だった。

「おいやめろ、起きるな」
「し……しかし、……
「起きるなと言うのが聞こえなかったのか!」
……ッ、申し訳ありません」

焦りが過ぎて怒鳴るように叱りつける。ビクリと身体を震わせ、すごすごとベッドに戻っていくアルジュナの居た堪れない顔を見ながら、 オレはまたも己の無様さに辟易した。アルジュナの前で理想の己を描こうとする度に、手に力が入り過ぎてヘタクソな線を引いてしまうような空回り。小さく唸りながら何か言わねばと続きの言葉を手繰ろうとしたが、アルジュナの方が速かった。

……改めて、あなたの息子として不甲斐ない様をお見せしてしまい、申し訳ありません。先ほどはああ言いましたが……マスター、彼女は今……人類とその住まう世界の存亡の危機を救うための、唯一と呼んでいい存在です。私はさておき、マスターに関してはどうか平にご容赦を、寛容な沙汰を……
「──ッ……

だから。そうではない、そうではないのだ。 オレはインドラだ、天空を統べる神々の王だ。常ならば雨粒の如き人間や有象無象の神々が オレに対して粗相をすれば持てる限りの礼を尽くし、頭を垂れ、赦しを乞うことは当然のものと受けとめているが……おまえから聞きたい言葉はそれではない。させたい顔もそれではない。きっと今、また無意識に己の腹に手をやっているかもしれない。 オレがあの瞬間、激情に駆られたのは──。

……あの小娘のことはもうよい。世界を救うにも手一杯な奴らに高望みをしていたわけではない、人間ゆえに失敗もあろう。ただそれを繰り返し続けるようであれば三流だ、次はないぞとだけ言っておけ」

八つ当たりのようなものだしな、という言葉は静かに奥底に飲み込んだ。それを聞いたアルジュナが「ありがとうございます」とホッとして安心した顔を見せるものだから、 オレとしてはやはり、面白くない。滲む苛立ちのままにアルジュナのもとへ近付き、勢いをつけて座った オレの体重を、ベッド脇に置かれた簡易な椅子がギシリと悲鳴をあげながら受けとめる。その音を聞き取ったアルジュナは心配そうに横目でこちらを見つめてきたが、椅子の方は辛うじて無事だ。次に力を入れて座れば原型を留めることは叶わないやもしれないが。

「そんなことより、おまえは
……はい?」
「おまえの調子は大丈夫なのか」
「あ、……ええ。……スキルの再装填 リチャージが完了する直前に、隙を突かれ、タチの悪い攻撃を呪いと共に貰ってしまいました。弱体無効が間に合わなかったので、受けた傷は呪いの影響で酷く悪化してしまいましたし、その場にこの傷を治せるものが帯同しておりませんでしたので、こうして……お恥ずかしい限りです。しいて幸運だったことと言えば、この戦闘が特異点における最後の戦いであったことでしょうか。すぐに帰還することができましたから……
「そうか」
「治療も済みましたし、あと十分 じゅっぷんほど安静にしていれば戻っていいとも言われています」
「そうか……
……ええ」

オレが思っていたよりも傷の程度は軽かったようだ。廊下で苦悶の表情を浮かべながら崩折れるように座り込んでいた時と比べて、顔色も良く、明瞭な受け答えをするアルジュナの姿を見て、安堵に満ちる。……が、そこから会話が続かなくなった。とはいえこれ以上あれこれ話し掛けるのも傷に障るかもしれないか、と黙って見守ることに切り替えたが、アルジュナの方は落ち着かない様子で口元をまごつかせていた。途端、気不味そうに呟く。

「ですから、あの……インドラ神、私のことはお構いなく……戻られて構いません、が……
……なんだ、邪魔だから早く帰れと言うのか」

厄介払いされそうな気配をいち早く察して、返す刀で切り返した。余裕なく拗ねたような色が声に出てしまった……かもしれない、いや気の所為だ。多分。

「め、滅相もない!!……しかし、インドラ神の貴重な時間を割いて貰うまでもないと思いまして……その……ええと、」

飛び出すかと思うほど目を丸く見開いたアルジュナが身振り手振りで言い募る姿にまた苛立って、そして、寂しくもなる。……ああ、寂しいのか。アルジュナから神として敬意を払われ、丁重に扱われる度に、当然だと思うよりも腑に落ちない気持ちが募っていた。こういうのを『他人行儀』と言うのだったか。

「心配もさせて貰えないのか」
……え、」
…… オレはおまえの父であるのに、心配もさせて貰えないのか」
「あ…………

その一言にアルジュナは思うところがあったのか、ぴたりと動きを止めバツが悪そうな顔で目線を彷徨わせた。しばらく言葉を探すようにしていたが、ゆっくりこちらを見返した。

……ご心配を、おかけして申し訳ありませんでした」
「ああ、もう オレの気を揉ませてくれるな。たとえその身がエーテルの塊で、人として生きていた時のそれと同じでなくとも、できる限り健やかであって欲しい。…… オレは苦行なぞ見るのすら嫌だからな」
「気をつけます……ね」

アルジュナは戸惑うように謝ると、それを受けて顔の力を緩めた オレをそのまま何か言いたげに上目遣いでじっと見つめていた。……あ、今のすげえ可愛い。……いや、そうではなく。

「な、……なんだ?」
……あ、いえ……その、変なことを。何なら、戦士 クシャトリヤらしからぬことを、言ってしまうのです……が」
「構わん、言え」
「は、はい」

食い気味に許可を出したからか少し怯ませてしまった。せっかくアルジュナが オレに対して胸襟を開いて話をしてくれようとしていたのに、後退するかと内心焦ったが、アルジュナはゆっくり、噛み締めるように口を開いた。

……生前の、まだ年若い頃。初めて敵対する者たちへ弓を取って応戦した時、傷付いた時──興奮と同時に怖かったな、痛かったな……と感じたことを思い出しました」

此処ではない何処かを見つめる瞳、その視線の先にアルジュナが生まれ、育ち、そして死んだ── オレが見守ってきた故郷たる大地があるような気がする。

現在 いまとなっては遠い感覚です。私は戦士 クシャトリヤ、その役割に徹し、成すべきがあれば己が身を砕いてでも戦う覚悟があります。特に此度の現界は……世界を救済せんと誰よりも恐ろしい思いをしながら戦う、本来その様な荒事と無縁のはずだったマスター かのじょのために。……ですが、そう、自分にとっても戦い傷付くことが痛くて恐ろしいものであるということを……弱音、のようなものを思い出しました。変な話ですね。貴方に見守って頂いている、今……。これはきっと、安心感からくるものなのでしょう。私よりも強く、頼りになる方を目の前にしたから……少しだけ、寄り掛かってみたくなった」

至って勤勉、清廉、公明正大で、非の打ち所のない英雄である我が息子が、その相好を崩す。

「ふふ……貴方の前では私は、やはり……甘えたな こどもなのですね。……父、様」

掛け布団の中に顔を半分埋め、気恥ずかしげにアルジュナがその唇を震わせ、紡いだ言葉が──『父様 とうさま』の四文字が、依代の耳に届いて霊基に沁み渡る。その意味を実感した瞬間、世界が反転したような気がした。

バキッ

「──え?い、インドラ神!!大丈夫ですか!?インドラ神!?」

先ほどまで座っていた椅子は、最初の衝撃と耐荷重オーバーの慢性疲労が積み重なり、 オレ りきんで座り直そうとしたことがトドメになって見事にひしゃげていた。気付けば オレは腰から落ちて硬い床に放り出されている。なるほど反転したのは オレの方だったか……と、ベッドの上のアルジュナがひたすら狼狽えているのを横目に見ながら妙に冷静に状況を分析していた。そんなことより、だ。アルジュナは今何と言っていた? オレ……『父様』と、呼んでくれたのか?寄り掛かりたいとか、あ、甘えたい……とか?言わなかったか?言った、言ったな?ああ……とんでもない、極上だ!天地両界においてこれほどの幸福 しあわせがあるだろうか?いや、ない。どれほどの佳い女を抱いても、名だたる美酒を浴びるように飲んでも、この境地には至れないと豪語できる。悦に浸りながら、頭はこれ以上ないフル回転で オレの思考を巡らせる。……そうだ、チャンスではないか?もともと オレは今日、アルジュナを部屋に迎えて特異点での活躍を……否、それだけでなく、もっと密に、いろんな話を聞かせて貰おうと考えていたのだ。そうして人間の親というのは、傷病に苛まれた我が子の看病をするものだと相場が決まっているではないか。この機会 チャンスを逃せるわけなどない──勝ったな、何か知らんが勝ったぞこれは。

「アルジュナよ、もう時間的に十分 じゅっぷん経ったな?」
……へ、え?あ、……はい、確かに……?」

室内の壁掛け時計をちらと見ながらアルジュナは答える。よし、ならもう良いだろう。

「これからの予定は?」
「は……えっと、もともと今回の特異点修正が終わったら……しばし休暇を頂く予定でした、が……このような仕儀になりましたので、鍛錬もいったん控えて……大人しく過ごしていようか、と……?」
「そうか、ならば当面は オレの部屋で休め。馴染み深い故郷の空気に包まれた方がおまえにとっても養生になるだろう? オレが誂えた部屋であればそれができる、欲しいものがあれば言うがいい。何でも工面してやろう!」
「はい!?」
「そうと決まれば早く行くぞ、おい!」

怒涛の情報量を叩き込み思考停止して動けなくなっているアルジュナをこれ幸いと抱きかかえ、ベッドから引き剥がす。同時に、これまで自室に待機させていたヴァジュラたちを呼びつけた。

「インドラさま〜!!もっちろん準備万端 オーケー!!」
「先ほどまで広げていた酒器の類もすべて美化清掃 かたづけておきました。焚きしめる香はアルジュナと部屋に戻ってから決めましょう、好みがあるでしょうから」

すかさず現れたヴァジュラたちも オレの気分に同調して、少なからずテンションが高い。両手でピースをしながらくるくると オレたちの周りを回転し、自室に向かって先導する。

「でかした!行くぞアルジュナ!」
「ま、待って……お待ち下さい……ちょっと、あの……聞いてらっしゃいますか!?インドラ神にそんな……看病のようなこと、とてもさせられません!!」

さすが我が息子、鍛え抜かれた『筋力A』から繰り出される渾身の腕力で オレを振り解いて降りようとしてきたが、こればかりはおまえにも譲れない。腕の中のアルジュナをすかさずしっかり抱き直し、抵抗を捻じ伏せた。

「なんだ、先ほどまで寄り掛かりたいだの甘えたいだの言っていたではないか?」
「言っ……てるところと言ってないところが改変されて混ざってます!!そもそもこれは、ものの例えのようなもので……っ」
「ハハハ!!遠慮するな、何ならおまえの傍らで本を読み聞かせてやろう。人間の親は子が眠れるまで本を読み聞かせてやるものなのだろう?絵本を抱えた童女が言っていたぞ」
「そ、れは……ナーサリーのことですね!?ああもう、ナーサリー!!インドラ神に変なことを吹き込みましたね!?大丈夫ですから、本当に、そこまでされなくて結構ですから!!サーヴァントとしては年若く かたどられていますが実年齢で言えばもう、いい歳なんですから!!」

そんなもの オレからすれば些末なことだと理解しているだろうに、苦し紛れの言い訳をするものだ。そういうところも、それ以外のすべても、どうしようもなく愛おしい。顔を見れば触れたくなり、触れれば与えたくなり、重ねるほどに、近付く度に、新鮮な歓びに満たされ飽きることがない。際限なく愛おしさが深まっていく。アルジュナをあの雪山 ヒマラヤの中で喪って以来、アルジュナが側に居ないまま過ごした数千年の日々をどう生きていたのか、もはや思い出せぬほどに満ち足りていた。──だからこそ今、ふと過った。カルデアの旅路の果てで オレは、アルジュナを手放すことができるだろうか、と。知らずアルジュナを抱く力を強めながら オレは、内から湧き上がる離れ難さを誤魔化すように大笑した。



「確かにお話をされたらどうでしょうか、とお伝えしましたが……良くも悪くも行動の速い方ですね……

呆れ返った顔で、止める間もなく去っていく父子 おやこを見送ったナイチンゲールを見ながら、サンソンは苦笑する。

「まさに いかずちの如くか……ああ、アルジュナには経過観察があるから明日には改めて医務室に顔を出すように伝えておかないと……
「ついでにきちんと器物損壊で賠償請求しておけよ、あの親馬鹿 インドラに。息子絡みで感情が昂ぶる度にこの調子で何でもかんでも壊されたらたまったもんじゃないぞ」

アスクレピオスはどんな凄腕の医師でも手の施しようのない無惨な座椅子を足で避けながらボヤいた。そうして、医務室を中心とした対インドラを念頭にした備品の増強・配置計画が持ち上がったとか、いないとか。



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「──あら、たまには良いのではなくて?いつまで経っても『親』にとっての『子』は『子』でしょう?それに、子どもの為にと本に触れてくださる方が増えるのは大歓迎よ。私は誰かの為の物語 ナーサリー・ライムだもの」

アルジュナに名前を呼ばれたことに気付いて、騒々しく廊下を通り過ぎていった父子 おやこを見送りながら渦中の少女がひょっこりと顔を出した。強面だが意外にも子ども受けの良いインドラは、ナーサリーのような子どものカタチをしたサーヴァントたちとも交流があった。特に、大気の精霊であるワンジナはその司る属性の近さも相まってよく懐いている。そのワンジナに ならった呼び方で、ナーサリーはどこへともなく語りかける。

「大きなお空さんに、あとでオススメの物語を選んでたくさん教えてあげなくちゃね」

くすくすと笑い、ナーサリーは柔らかなスカートの裾をふわりと翻して駆け去って行く。含みのある響きをもった、即興歌をうたいながら。

「遠い昔に別れた子、二度と会えずの愛しい子。地に再び瞬く一等星、向かってお空の方から降りてきた!しばらく遊んだらご満足されるのかしら?それとも、今度こそお空の一等星にするためにお迎えに来たのかしら」