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よるうみはる。
2026-01-17 02:38:38
6775文字
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原作軸
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Tyrant's Miniature Garden
マトリョシカの曲名から。
試し行動をする叶黎明はいるのかどうか問題。長くなったのでべったー行き。
深夜二時。
リビングのソファで、その男は気怠げに、だが計算し尽くされた角度で首を傾げた。その首筋には、見せつけるように生々しいキスマークが刻まれている。自分のものではない、安っぽい香水の匂いをわざとらしく纏って。
――
あ、まただ。
獅子神敬一は心中でひとりごちる。自分の価値がまたひとつ下がっていく。
告白というものをしたのは、自分からだった。告白にも満たないような、稚拙な恋心だったかも知れない。「わるい、気持ち悪いよな」叶黎明に隠し立てするには難しく、それならば言ってしまった方が楽だと思ったのだ。嫌なら極力近付かないように努力はするし、二人きりにならないようにも努める。だから、友達はやめないでくれないかと。そう言ってみたところ叶は、「別に、全然いいよ? オレそういうの気にしないから」と笑ってみせた。
「敬一くん、全然見た目も悪くないし、いいよ。敬一くんと”も”付き合っても」
そんな風に言われた日は嬉しくて、その男の真意が見えていなかったのだ。端的に言えばひどく舞い上がっていたのである。だってそれは叶うはずのない恋心。自分が初めて芽生えさせた何か大切なものだった。だって人のことをちゃんと好きになるなんて、獅子神が思ってもいなかったのだ。
しかし、言葉はちゃんと聞くものだぞ、ギャンブラー。情けなくて涙ももう出そうにない。目の前の男は、別に、獅子神一人と付き合っているというわけではなかったらしい。確かに「オレ以外とも」というようなニュアンスは最初に言われていたわけで、舞い上がっていた己の方が悪かったわけだ。
それは仕方がないことだった。
けれども、叶黎明という男の中で獅子神敬一という存在は、やはり思ったよりも低かったらしい。
……
面白いものが好きな男なので仕方がない。
強い奴がいるならそっちに目を向けたくもなるだろう。 趣味が似ている友人がいるならばそちらを優先するし、セックスをするならば女の方が手軽でいい。そんなことは分かっているし、実際にこの男に言われた言葉だった。
「あれ、起きてきたの?」
深夜に家に来ることが多いこの男の開口一番に、呆れた顔を返す。最近はどうやって笑っていたのかも思い出すのは難しい。とはいえ、少なくとも昔から愛想笑いを張り付けるのだけはいやに上手かった。親に嫌われないように習得したそれが今も役に立っているような、気がする。
「いつきたんだよ」
襟ぐりの大きく開いたフードの中、鎖骨のそばには知らないキスマークがついている。
(
――
わざとだ)
以前なら、それに怒鳴りもしたが、今更そんな気力も起きない。「ふざけるな」と襟ぐりを掴み、自分以外の匂いを消すように、必死でその上から自分の痕を付けようとしたこともあった。 そのたびに目の前の男は「ごめんね、怒らないでよ」とちっとも悪びれない謝罪と、どこか満足げに目を細めて見せた。
獅子神の激情が、彼にとっての愛の証明のようなものだったらしい。けれど今の自分には、そんなエネルギーすら残っていない。 電池の切れた玩具のように、ただ、表面上の滑らかな対応をなぞることしかできなかった。
「そういや、ケーキもらったんだ。銀座のどっか人気のやつ」
「へえ。でもオレいま糖質制限中だから」
「そうだっけ。でもまあ、朝ごはんにでもしてよ」
冷蔵庫に入っているだろうそれ。もらいものと言うが、恐らく今日寝た女から渡されたものだろう。そんなものを食べる気もしなかったので適当な返事をする。
不意に立ち上がった叶が、ゆっくりとこちらにやってきて探るように獅子神の顔を覗き込んだ。その顔はまだ、どこか楽しげにしている。自分が無理をして笑っているのか、それとも内心で激しく嫉妬しているのか、その「内側」を暴こうとする子供のような無邪気な残酷さで見つめてくる。
手をのばしてくる叶のそばに、女の香水の香りがして、いやになった。
目を閉じる。夜に出かける母親の匂いを思い出して吐き気がしそうだった。
「もう、いいだろ
……
」
ずっと言おうと思っていた。もう、いいだろう、と。
耐えていたはずの目からぼたりと涙が落ちる。ああちくしょう、情けないな。でも、だってあんまりだ。好きになっただけだったのに。オレは友達でいいって言ったのに。この男がやさしく、つきあってもいいと言った。キスも、それ以上も許したから。でもどんどん何かが取り留めなく、零れ落ちていく。だってオレは、趣味だって合わない。何が人気かも、何が流行っているのかも興味がない。ゲームだって小さいときにやったことがないから、話も分からない。ギャンブルだって、他の人間と比べたらまだまだだ。
――
だから、友達でよかった。
恋人になったら、興味を引けるものが何もなく、料理だって別に獅子神はプロじゃないから、いつか飽きてしまうものだ。
「なあ、かのう、オレ、もういいから
……
」
絞り出した声は、自分でも驚くほど震えていた。 視界が歪み、一滴の涙が頬を伝って床に落ちる。一度堰を切れば、溜め込んでいた泥水のような感情が止まらなくなった。 いやだ、女々しい。子どもっぽい。耐えろよ、なあ。泣いたってこの男の興味を引くことなんて叶わないことを知っている。
むしろこうなってしまった方が、きっと男にとっては興ざめもいいところだ。
痛いくらいに袖口で目元をぬぐったが、どうしようも無かった。ただただ布が水分を得て、色を濃くしていく。これが例えば賭け事だったなら、獅子神はたぶん、そう、叶黎明という男にずっと愛をベットし続けて、そのたびに負け続けていたんだと思う。
そうやって、賭け続けて、獅子神にはなんにも残らなくなってしまったのだ。
元々、親の愛情を求めていた獅子神の器なんてものは最初から壊れていたから何とかその穴を埋めて保っていたはずだった。けれど、もうそれもどうやら限界で今は何を注いでも多分流れていくだけだ。
「オレ、やっぱり、お前の興味にはなれないみたいだから、さ。もう、いいだろ、なあ。友達じゃ、やっぱり難しいか。
……
あ、うん、そうか手軽に抱けるやつがいなくなるなら、困るなら、そっちは、なんとか頑張るから
……
だから、もうさ」
もう、とそれ以上言葉に出来なかった。それ以上何かを言おうとして舌の根が震えて、うまく笑えそうになかったからだ。
もう、オレを「恋人」の枠に置かないでくれ。 「都合のいい体」でいいから、せめてお前の「特別」を確かめるためのサンドバッグにするのはやめてくれ。
そう言おうとして、喉がひきつった。
「
……
何、言ってんの」
男の声は、今まで聞いたことがないほど掠れていた。見れば、彼は幽霊でも見たかのように青ざめ、立ち尽くしている。なんでそんな顔してんだよ。言葉にはならなかった。乱暴に腕を取られ、ぐっとソファーの上に引き倒される。恐ろしいほどの剣幕を前に、なんで怒っているのか理解が出来なかった。
なんで、オレはちゃんとお前の都合のいいものになろうとしているのに。どうして怒るのか、理解が出来ない。
「
……
なんで、お前が怒ってんだよ」
ソファに背中を打ち付けられ、目の前に叶の顔が迫る。
その瞳は、怒りというよりは、大切な手札をすべて奪われそうになったギャンブラーのような、剥き出しの狂気に満ちていた。むりやりキスをされる。ぬるりと入ってきた舌に驚いて、思わず顔を叩くと、男が冷え切った目で唇をぬぐいながら見下ろす。
「はは、まだ怒れるじゃん」
男が何を言っているのか理解できない。滂沱と流れる頬を男の大きな手が包み込み、無理やり視線を固定させる。逃れることが難しいまま、オレは男の大きなスマイルマークのコンタクトを見続けるしかできない。
「
……
かの、」
呼びかけは、声になる前に喉の奥で溶けた。
名を呼ぶという行為そのものが、今はもう重すぎた。名前を口にすれば、また何かを期待しているみたいで、それがひどく惨めに思えた。掴まれていた頬の感触が、じんと遅れて痛みとして浮かび上がる。叶の手は大きく、骨張っていて、指先はやけに冷たい。その冷えが、皮膚を越えて、頭の奥まで染み込んでくる気がした。
嗚咽に引き攣った息を整えようとして、余計に泣きじゃくる羽目になる。潰れた蛙みたいな声がして、本当に嫌気がした。深く息を吸おうとして、まだ他人の香水が鼻についた。さっきよりもはっきりと感じる。たぶん、叶がさっきよりもずっと近いせいだった。余計なものまで感知してしまう。
リビングは静かだった。
時計の針の音と、冷蔵庫の低い唸りだけが、夜が進んでいることを主張している。こんな時間まで起きているのに、外の世界は何事もなかったみたいに沈黙していて、そのことが妙に腹立たしかった。
叶は、しばらく動かなかった。
それ以上怒鳴りもしない。突き放しもしない。ただ、逃げ場を塞ぐ位置で、こちらを観察している。その視線には、さっきまでの軽さがなかった。かといって、罪悪感や後悔の色も見当たらない。獅子神に対して泣いている謝罪の言葉すら見出さない。きっと泣いている理由だって分かっているだろうに、それでも叶は何も言おうとはしなかった。
そこでふと、叶がいま、考えているのだと理解する。何を考えているのか想像した。ギャンブルの時よりも、想像は容易かった。
おそらく、どう言えば、どう触れれば、また同じ位置に戻せるか。感情の配置を、頭の中で組み直しているのだ。視界いっぱいにある男の顔は、いつも見せる軽薄な笑みとも、獲物を前にした余裕とも違っていた。焦りと苛立ちが混ざり合った、ひどく歪な表情だ。
「そんなに、追い詰めてたんだ。オレ」
ぽつりと。何でもないように吐き出されたそれに、獅子神は肯定も否定も出来ず見つめるしか術がない。まるで、ただの観測結果を口にしているみたいだった。
「それで、敬一くんは疲れちゃったんだ」
確認をするかのような問いかけに、そうだなと思った。もう、疲れていたのだと思う。好きでいることに、理由を探すのも。怒らない自分を正当化するのも。叶の行動一つ一つに、意味があるはずだと考えるのも。
ぜんぶ。
疲れてしまったのだろう。
空っぽの身体は思ったよりも重たい。なくなった分だけ軽くなると思っていたからだ。このまま叶が都合のいい男にしてくれた方が楽だったのに。
叶の赤い目と視線がぶつかる。至近距離で見るその瞳は、相変わらずコンタクトレンズで色が分からない。だからこそ中身が読めない。底が見えないというより、底を見せる気がない目だ。
「
……
だから? オレの国からいなくなるのか?」
その問いは、責める調子ではなかった。
どちらかといえば、困惑に近い。自分の所有物が、勝手に位置を変えようとしているのを見つけたときの、不愉快さ。完全に消える勇気なんて、ない。だが、同じ場所に居続ける体力も、もう残っていなかった。
答えないままでいると、叶はほんの少しだけ眉を寄せた。
「ぜったいにだめ」
その一言は、怒鳴り声でも懇願でもなかった。
幼子が玩具を取り上げられそうになったときのような、切実で、しかし疑いの余地のない断定だった。視界を塞ぐほど近い距離で、叶黎明の顔がある。息がかかる。呼吸が重なり、肺の奥が勝手に酸欠を訴え始める。身体のどこかが危険だと叫んでいるのに、脳はそれを処理するより先に、諦めの方向へと舵を切っていた。ああ、まただ。結局、こうなる。
叶にこうして見つめられると、途端に力をなくしてしまう。何もかも、諦念してしまうのだ。自分の中の防衛本能かもしれない。これ以上傷つかないようにしているだけなのかも知れない。
「オレが許したんだ。勝手に出て行こうとするなんて許されない」そもそもと、叶はさらに続けた。「だってさ、敬一くん。嫌なら嫌って言うと思ってたし。離れるなら、もっと早く離れてたでしょ?」
胸の奥が、静かに軋んだ。その通りだったからだ。
嫌なものはさっさと切り捨てる。合わないものには近づかない、そういう生き方をしていた。
「でもさ」
叶は、こちらの反応を確かめるように、一拍置く。
「それでも、いたじゃん」
その言葉は、殴るよりもずっと静かで、ずっと正確に獅子神の心臓を打ち抜いた。
反論しようとして、喉が鳴る。だが続く言葉は、どこにも見当たらなかった。叶の言う通りだったからだ。自分は逃げようと思えば出来た。この男が、追いかけているに長けているにせよ、少なくとも嫌だと言えばやめる素直さは持ち得ていたのだ。獅子神は自分の行動を鑑みる。怒って嫉妬して、ふざけるなと声を荒げてはみたが、嫌だと言ったことは無かったことを思い出した。
ふざけるな、ひどいやつだと詰った記憶はあったが、こんなこと嫌だと言ったのは今回が初めてかも知れない。
だって、拒絶は、叶が怒るかもしれないから言えなかった。こんな判断すら、正常にできなくなっている。
叶はこの行動を、獅子神が“選択”したのだと、見なしている。
「疲れたとか、限界とかさ。そういうのって、結果論じゃない?」
責める口調ではなかった。むしろ淡々としていて、分析的ですらある。ギャンブルの配信中、盤面を読み解くときの声色に、よく似ていた。
「敬一くんは、ここにいる方を選び続けた。オレが嫌なことしても、傷ついても、それでもさ」
指が、獅子神の顎を持ち上げる。
抵抗しようと思えば出来たはずなのに、身体は言うことを聞かなかった。見上げた先で、叶の顔がゆっくりと近づく。
「離れなかった」
ちゅう、とキスをされて胸がざわつく。怖くて仕方がないのに目を離せない。舌が歯列を割って、獅子神の口内を舐めた。それだけで、じわじわと身体に温度が灯る。
獅子神の胸の奥で、何かが音を立てて崩れる。
――
逃げなかった自分。
――
怒りきれなかった自分。
――
縋ることを、どこかでやめなかった自分。
すべて、獅子神が選んだことだった。いまこの行動すらも、なくなってしまっていったものが愛情だと宣う愚かさも。
「だからさ、オレは間違ってないよ。敬一くんはオレ以外、もうなんにもないんだから」
叶はそう結論づける。
自分が他人と寝たことも、獅子神を試したことも、泣かせたことも。そのすべてが、【関係性の維持に必要な行為】だったかのように。
叶黎明が怖かった。何を言っているのか分からなくて。何を考えているのか、理解を拒んでしまう。だって叶が言っているのは、今までの獅子神敬一の中身をすべて無くして、自分で埋めようとしているということだ。
どう考えたらそうなるのか。自分だけの世界を創る男の思考に、獅子神はただただ黙っているしかなかった。
「ねえ、オレがこんなにも一から愛してあげたいって思ったの敬一くんだけなんだ。オレ以外の愛情なんて知らなくていいし、知ってるならなんにもない状態にして、そっから満たしたいと思ってるんだ。オレがこれだけ執着してるって、敬一くん分かってる? わざわざ怒らせて、面倒な女まで抱いてきてるんだ。なア、敬一くん」
それは愛情の告白に聞こえなくもない。けれど同時に、完全な囲い込みの宣言だった。
逃げたら終わり。戻る場所はない。それを、優しさの形で差し出してくる。
「だからさ」
叶は、獅子神の額に自分の額を押し当てる。逃げ場はない。呼吸すら共有させられる距離だ。
ここで「やめろ」と言えたなら、まだ終われたのかもしれない。
けれど獅子神の中には、もうそんな言葉を支える芯が残っていなかった。愛情を削られ、尊厳を切り売りして、代わりに与えられる「必要とされている感覚」に縋りついてきた結果だ。
「敬一くんをぜーんぶもらってあげる」
この恋は、すべてが壊れてからがスタートラインだったのだと今更気付く。叶の腕の中、そこは叶黎明という名の箱庭だった。
深夜二時過ぎ。
リビングの明かりの下、叶黎明は自分の庭を完成させる。壊れかけのギャンブラーを、自分だけの、可愛い標本として。そして獅子神敬一は、愛されているという実感だけを抱いたまま、自由を思い出すことを、静かにやめた。
――
檻の中は、思っていたよりも、ずっと温かかったので。
とろとろと穴の開いた器にまた一滴、水滴が落ちてくる。獅子神の内側に叶の感情が落ちてくる。
それが檻だと気づいたときには、鍵を握っているのが叶黎明ではなく、自分自身だったことを、獅子神敬一はもう思い出せそうになかった。
END
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