果南(カナン)
2026-01-16 22:47:34
2786文字
Public さめしし
 

春望む天秤

さめしし。ワンドロのお題「温泉」「○○始め」で書きました。
つき合っている二人が、正月明けの週末をまったり過ごして、春のことを語ります。
どちらもそれぞれ楽しくて、どちらでも隣にいるのだから。


 大根おろしとポン酢を添えた、大きな和風ハンバーグ。ローストビーフがたっぷり乗せられたグリーンサラダ。肉じゃがに、味噌汁。
 テーブルに並んだ数々の料理を平らげて、私は心地よい満腹感に浸っていた。両手で湯呑みを包み、獅子神が風呂に行く前に淹れていってくれた緑茶を、ゆっくりと啜る。
 正月が終わり、戻ってきた日常の流れにも慣れてきた週末。今日は彼らの来訪も無く、獅子神と二人きりの休日だ。年末年始は何かと五人で過ごしていたから、久しぶりの静かな時間といえる。揃って出かけたり遊んだりするのも勿論悪くはないが、こうしてゆったりと獅子神をひとり占めできるのは、やはり格別の味わいがあった。
 彼の関心も、優しさも気配りも、全て私だけに注がれる。
 私も彼に触れ、好意や欲をさらけ出すことを躊躇わなくていい。
 ——そんなことを考えていたら、かちゃりとリビングの扉が開いた。
「あれ、まだそっち座ってたのか? ソファーに行っててよかったのに」
「獅子神」
 風呂上がりの獅子神が、パジャマ姿でこちらに歩み寄ってきた。温められた体、桜色を帯びた肌の色が艶かしい。整髪料のとれた金の髪がやわらかく額に落ちかかって、目元に薄い影を添えていた。
 いつもながら、美しい。単に容姿が整っているというだけでなく、清潔で健康的な肉体が放つ存在感と品の良さ、折れないしなやかさ等が渾然となって、彼の美しさを作り出している。最初から目を惹く男ではあったが、数々の戦いや経験を経て、ここ最近はいっそう輝きを増した。そう思うのは、私の恋人としての贔屓目ばかりではないだろう。
 その獅子神は私の傍まで来ると、空になった湯呑みを見下ろして、尋ねてきた。
「もう一杯、飲む?」
……そうだな」
 私が少し迷ったのが、意外だったらしい。薄青色の瞳を丸くして私の顔を覗き込むと、からかうような口調で獅子神は言ってきた。
「どーしたよ、センセイ。さすがに食い過ぎたか?」
「そんなことはない」
「肉始め、て言うからリクエスト通りに作ったけどよ。いくらお前でも多すぎるんじゃないかって心配したんだぜ?……ま、大丈夫ならいいけどさ」
 空の湯呑みを持ち上げ、台所に向かっていく。いつものシャンプーやボディソープの香りに加わって、最近使っている入浴剤の匂いがふわりと漂った。
 先日、彼らと共に行った温泉のものだ。
 成人男性が五人、揃いも揃って好きに振る舞い、笑い、心ゆくまで楽しんだ。特に獅子神は全員から度々指摘されるほど、傍目にもわかりやすく(まあ、それはいつものことだが)はしゃいでいた。よほど気に入ったらしく、帰りには土産物屋でその温泉を模したという入浴剤を買って、こうして家でも使用している。特に不快な匂いというわけでもないので、私から何か言うことでもなかった。
 恋人が、友人達との初めての温泉旅行を楽しみ、幸せな思い出として反芻している。そして、そこには私も居たのだ。
 文句をつけるべき箇所は、無い。
「しかし、さ。何で今日が肉始めだったんだ?」
 薬罐を火にかけながら、獅子神が言った。
「え?」
「お前、正月からもうたくさん肉食ってるじゃねーか。おせちの肉巻きだって、天堂とさんざん取りあってただろ?」
「それはそれだ。が、あなたの料理を心ゆくまでゆっくりと味わえるのは、今日が新年初だからな。これが……今年最初の、私が楽しむ肉だ」
 二人きりで、との言及は含めなかったが、そこは伝わったのだろう。
 キッチンに立つ獅子神の頬が、ほんのりと赤みを増した。
……村雨」
「こうして、あなたと共に過ごせて嬉しい」
…………うん」
「勿論、彼らと皆で遊ぶのが嫌というわけではないが」
「わかってる。オレも、そうだよ」
 薄青色の瞳が優しく輝いて、私を見つめる。
 低い声が、あたたかく鼓膜を震わせた。
 ダイニングテーブルの椅子と、キッチンのカウンターの中。多少の物理的な距離があっても、私たちの心の間を隔てるものは何も無い。隣に寄り添っている時と同じように、獅子神を感じることができた。

 愛おしい、私の恋人。
 今年もこうして、あなたと共に在れる。
 
 くすっと獅子神が笑った。
「どうした」
「いや……お前、かわいいなと思って」
「あなたもかわいい」
 真面目に応じたのだが、何故か獅子神は吹き出した。
「そーゆートコなんだよなぁ、まったく」
「別に構わないだろう。それより、出したいものがあるなら早く出すがいい」
 先ほどキッチンに向かった時から、ちらちらと冷蔵庫に視線が向いたり、右手がそちらへ動きかけたりしている。それを指摘してやると、獅子神はひくりと口元を引きつらせた。
「うぇ、やっぱバレてんのかよ」
「当然だ。それにあなたも、さして隠そうという気は無かっただろう」
「へーへー。そのとおりですよ」
 肩をすくめて、獅子神は冷蔵庫へ向かった。
 下の扉を開けて、白い深皿を取り出す。それを運んでくると、ことんと私の前に置いた。
……これは」
 盛られていたのは、真っ赤ないちごだった。丁寧にヘタが取ってあり、果肉が瑞々しく輝いている。
「もう売られているのか」
「ん。今週あたりからけっこう増えてきたぜ。値段もお手頃になってきたし」
 言いながらテーブルの正面に回ると、獅子神は椅子を引いて腰を下ろした。
「年が明けてから、まだ食ってなかったろ? だから、イチゴ始めってコトで」
「獅子神」
 にっ、と笑って頬杖をついて、獅子神が私を見つめる。
 得意げな——優しい笑顔。
「さ、食おうぜ。腹が大丈夫なら、だけど」
「無論、平気だ」
 手を伸ばして、一番上のいちごを摘まんだ。
 食べる前に、つややかな紅い実を軽く掲げてみせる。
「ありがとう、獅子神。今年もよろしく」
 既に正月から何度か述べた言葉を、もう一度伝えた。何度だって繰り返していいだろう。

 私は本当に、あなたを愛しているのだから。
 ずっと共に在りたい。今年も、その先も。

「おぅ、こちらこそな」
「春になったら、いちご狩りに行きたい。そして温泉に泊まろう」
「お、いいぜ。でも食いすぎるなよ?」
「できるだけ善処することを検討する」
 何だそれ、と獅子神が笑う。心底楽しそうに、やわらかく眼を細めて。
 私だけが見たその笑顔を、大切に記憶に焼きつけて、手にしたいちごを口に入れる。歯を立てた途端にぱっと広がった酸味と甘み、獅子神が用意してくれたそれを存分に味わいながら、温室の中に広がる一面のいちご畑を想像した。その後の風流な温泉も、そこにいる獅子神の笑顔も。
 勿論二人きりで行きたいが、五人で行くのもまた違った楽しさがある。どちらを先にと提案するかが、極めて悩ましい問題なのだった。