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ウッウ
2026-01-16 17:50:11
14365文字
Public
メイドカフェパロ
オーナー×バイトの廻あざです。
メイドカフェというよりコンカフェに近いです。
とある繁華街の一角。
そこに、小さなカフェがあった。
淡いクリーム色のレンガ壁に、パステルブルーの扉と窓枠。錆びかけた木製の鎧戸が陽の光を反射して、鈍く輝いている。
まるで南仏の街に迷い込んだような、洗練された外観
――
まさかここがメイドカフェだなんて、知らなければ誰も分からないだろう。
「お、お待たせしました、ご主人様
……
!」
ぎこちなくオムライスを運ぶ少女は、福来あざみ。
アルバイトを始めてまだ三日目の、大学一年生だ。
今年の春に上京し、何気なく求人サイトを眺めていた時、可愛い制服の写真に一目惚れして、募集要項もろくに読まずに応募した。
「はぁ
……
あざみーが来てくれてマジで助かったよ
……
」
カウンターの向こうから料理を手渡し、店長の休美がぼやく。
週末は客入りが多く、昼のピークを過ぎても席は満席のままだった。
「あは
……
は
……
」
人手は常に足りていないらしく、あざみは面接のその場で即採用された。
メイドカフェだと知った頃には、話はすでにトントン拍子で進んでいて、今さら「やっぱり辞めます」とは言い出せなかった。
ぎこちない笑顔のまま、あざみは今日もフロアを行き来している。
ちなみに、この初々しさが堪らないとのことで、彼女の客評判はやけに良かった。
「あざみちゃん!チェキお願い!」
「ひぇっ!は、はい!」
客の一人に声を掛けられ、慌てて返事をする。
サーブメイドの指名やチェキ撮影、キャストドリンクなど、この店には“推し”に貢げるシステムが整っていた。
「ハート作ろう、ハート!」
「は、はい
……
」
これまで男性と接する経験がほとんどなかったあざみは、肩が触れる距離まで詰め寄られ、身体をぎゅっと強ばらせる。
二人で指先を合わせて、ハートを作った時、不意に男の手があざみの腰に触れた。
そのまま、ぐっと引き寄せられる。
(ひ
……
ひぇぇ
……
っ)
パシャリ。シャッターが押され、引き攣った笑顔のツーショットがフィルムに焼き付けられた。
「ご主人様!お触りは、めっですよー!」
先輩メイドが軽く注意するが、男はへらへらとまるで気にも留めない様子だ。
あざみは困り果て、とりあえず笑ってその場から逃げようとした。
そっと後退りをした、その時
――
。
「ッひ
……
!」
思わず息を呑み、視線をぱっと逸らした。
「
……
ん?あざみちゃん、どうしたの?」
男が振り向きざま、怪訝そうに声を掛ける。
「あ
……
な、なんでもないです
……
!」
視線を伏せたまま、必死に取り繕う。
顔を上げてしまえば、男の背中
――
そこに浮かび上がる【無数の眼】が、否応なく“視えて”しまうからだ。
怯えた色を帯びた、無数の女の眼。
それに気づいているのは、あざみだけ。
周囲は誰一人として、異変に気づかない。
彼女にしか見えない、特別な痕跡だった。
「あざみー、大丈夫?」
顔色の悪いあざみに、休美が声を掛ける。
「あ
……
はい
……
」
「疲れた?先、休憩入る?」
心底気遣うような声色だった。
眉を下げ、憂えげにこちらを見つめる休美。
営業終了までは、まだまだ時間がある。ここで心配をかけるわけにはいかない。
「い、いえ!ジャスミンさんこそ、お先にどうぞ!」
開店前からずっと働き詰めの休美に、少しでも休んでほしくて、あざみは彼女の背中を軽く押した。
「
……
そう?じゃあ、何かあったら声かけてね。裏にいるから」
「はいっ!」
拳をぎゅっと握り、にっこり笑う。
その様子を見て、休美はようやく安堵の息をつき、踵を返した。
しかし、ふと足を止め、何かを思い出したかのように振り返る。
「あっ、それと、あとで来客が
――
」
――
カランカラン。
扉のベルが鳴り、二人の視線がそちらへ引き寄せられた。
「あ、お、お帰りなさいませ!
……
ジャスミンさん、今なにか言いました
……
?」
「
……
いや、大丈夫。じゃあ、あとはよろしくー」
後ろ手に手を振り、休美はバックヤードへと消えていく。
あざみは小さく首を傾げたものの、すぐに気持ちを切り替え、ホールへ戻った。
時刻は夕方に差し掛かり、店を後にする客も増えてきた。
席は次第に疎らになり、慌ただしかった店内も、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
――
カランカラン。
再び、来客を告げるベルが鳴る。
あざみは小走りで駆け寄り、内側から扉を引いた。
「お帰りなさいませ!
……
ご、ご主人様!」
そこにいたのは、車椅子の男だった。
白く透き通るような肌。
上下ともに白の、ゆったりとした衣服。
あまりにもラフな格好だが、それを気にさせないほど、彼は端正な顔立ちをしていた。
短めの平行眉に、高く通った鼻筋。
切れ長の黄金色の瞳が、あざみをじっと見つめている。
視線が絡み、一瞬、言葉を失う。
だが、すぐに我に返り、ふわりと笑顔を浮かべると、あざみは扉を大きく開いた。
「一名様ですか?」
「
……
ええ。ジャスミンはいますか?」
落ち着いた、深みのある声。
低すぎず、高すぎない。聞き心地のいい声色だった。
「て、店長は
……
席を外していまして
……
」
休美の知り合いだろうか。
客にしては、彼女を呼び捨てにするあたり、どこか親しげだ。
もごもごと答えると、男は「そうですか」とだけ呟く。
あざみはちらりと店内を見渡した。
レジからすぐの席。そこなら、店員をすぐ呼べるし、車椅子での移動も楽そうだ。
「あの
……
お席まで、車椅子
……
押させていただいてもいいですか
……
?」
すると、彼は静かにあざみを見つめた。
射抜くようでいて、どこか見透かされているような、不思議な視線。
整った容貌に、ついどぎまぎしてしまう。
「
……
では、お願いします」
「はい!」
大きく頷き、彼の背後に回る。
ハンドグリップを握り、ゆっくりと車椅子を押し始めた。
「あっ、あざみちゃん!その人は
――
」
接客を終えた先輩メイドがこちらに気づき、声を上げる。
だが、車椅子の男は、そっと人差し指を立て、口元へと運んだ。
薄い唇が吊り上がり、瞳が細められる。
「
……
しー
……
」
メイドは言葉を失い、顔を真っ赤にして、押し黙る。
あざみは、きょとんと彼女を見た。
「
……
はい?どうかしましたか?」
「あ
……
いや
……
なんでも
……
あはは
……
」
歯切れ悪く笑い、先輩メイドはそそくさとキッチンへ消えていった。
あざみは、男を目的のテーブルへ案内する。
メニューとお冷を置き、にこやかに告げた。
「注文がお決まりになりましたら、こちらのベルでお呼びくださいね!」
テーブルの上のハンドベルを見下ろし、彼は柔らかく微笑む。
「ありがとうございます。
……
新人さんですか?」
「はい!先日入店した、あざみです!」
「そうでしたか。よろしくお願いします」
まるで店の関係者のような、自然な口調だった。
先ほどの先輩メイドの反応が脳裏をよぎり、少し躊躇しながら口を開く。
「
……
あの、常連さん、ですか?」
「
……
まあ、そうですね。すみません、コーヒーをお願いします」
「か、かしこまりました!」
元気よく返事をすると、あざみはキッチンへ向かった。
彼は静かに視線を伏せている。頬に落ちた長いまつ毛の影に、思わず胸が高鳴った。
(
……
かっこいい人、だなぁ
……
)
これまで異性との接点がほとんどなかったあざみにとって、彼は群を抜いて整った容姿の持ち主だった。
まるで芸能人に会ったかのような気分になり、心が浮き足立つ。
「お待たせしました!」
「どうも、ありがとうございます」
丁寧に淹れたドリップコーヒーをテーブルに置くと、彼はコーヒーフレッシュやシュガーには手をつけず、そっとカップを持ち上げた。唇に運ぶ手前で、一度香りを確かめる。
見ているこちらが緊張してしまうほど、優雅な仕草だった。
そしてゆっくり、口をつける。
「
……
あぁ、美味しいですね」
その一言に、張り詰めていた肩の力が抜ける。あざみはほっとしたように、微笑んだ。
「あざみちゃーん!」
奥のテーブルから、間延びした声が響く。
振り返ると、先ほどチェキを頼んできた男が、へらへらと笑いながらこちらを見ていた。
「
……
あ
……
」
先ほど見た光景が、脳裏によみがえる。
背中に蔓延る、無数の眼
――
。
思い出した途端、あざみの顔色が、さぁっと青ざめた。
「
……
大丈夫ですか?」
車椅子の男が、静かな声で問いかける。
はっと我に返り、慌てて笑顔を貼り付けると、あざみは大きく頷いた。
「は、はい
……
すみません。失礼します!」
ぺこりと頭を下げ、奥の席へと小走りで向かう。
待っていた男は、分厚いレンズの眼鏡を持ち上げ、頬を引き攣らせるようにして、にちゃりと笑った。
「お会計、あざみちゃんにお願いしたくってさぁ」
「あ、ありがとうございます
……
」
がちゃがちゃと、わざとらしい音を立てて荷物をまとめる男。
あざみは伝票を受け取り、彼の背中を見ないように視線を逸らしつつ、急ぎ足でレジへ向かった。
金額を確認している間も、視線を感じる。
顔を上げると、男はにたにたと笑いながら、あざみの身体を舐め回すように眺めていた。
「
……
ねぇ。今度はチェキじゃなくて、俺のカメラで撮らせてよ」
「
……
え?」
男は首から下げた小さなバッグを持ち上げる。
ずしりと重そうなその中身は、おそらく一眼レフだろう。
チェキ以外の撮影は、要相談。入店の際に、休美から伝えられていた。
「じゃあ
……
店長に聞いてみますね」
「大丈夫!店の外で撮ればいいから!」
「そ、外ですか
……
?」
戸惑うあざみに、男は身を乗り出し、声を潜める。
「みんな、やってるよ?
……
お手当て、弾むからさぁ」
「え
……
えっと
……
?」
あざみには、男の言っている意味がよく分からない。
初心な反応を楽しむように、男は黄ばんだ歯を覗かせ、粘ついた笑みを浮かべた。
――
チリン。
涼やかな鈴の音が鳴り、はっと意識が引き戻される。
「
――
あざみさん」
静かに名を呼んだのは、車椅子の男だった。
「注文、よろしいですか」
「あ、はいっ!
……
す、すみません。また今度
……
」
「うん、考えておいてね」
男はねっとりとした声で答え、扉へ向かう。
取っ手に手を掛けた、その瞬間。男の背中に浮かび上がる無数の眼と視線が絡み、思わず大きく息を呑んだ。
一拍置いて、胸元をぎゅっと押さえつけると、車椅子の男の元へ向かう。
「す、すみません、ご主人様
……
お待たせしました
……
!」
車椅子の男はあざみの顔を見て、唇の端をゆるやかに持ち上げた。
「
……
先ほど、困ってらっしゃいませんでしたか?」
「
……
へっ
……
?」
ぽかんと口を開け、瞬きをする。
先ほどのレジでのやり取りを見て、声を掛けてくれたのだろうか。
そのさりげない心遣いに、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「あ
……
た、助けてくださったんですか?」
「何を言われましたか?」
問いの答えは返らない。
むしろ、逆に投げかけられた質問に、あざみは戸惑った。
「えっと
……
撮影を頼まれただけで
……
」
「それだけですか?顔色、悪いですよ。他にもなにか言われたのでは?」
こちらを心配しているというより、淡々と事実を確認しているような口調だった。
困惑しながらも、あざみはおずおずと答える。
「
……
すみません。変なもの、見ちゃって
……
」
「変なもの?」
話してもいいのか、一瞬言い淀む。
けれど、誰にも言えずに抱え込む方が、よほど恐ろしく思えた。
あざみは小さく息を吸い、ぽつぽつと語り始める。
「
……
わたし
……
生まれつき、よく分からないものが見えるんです。幽霊
……
みたいな
……
」
「ほう。興味深いですね。例えば、どんなものですか?」
笑われるかと思ったが、彼は静かにあざみの言葉に耳を傾けている。
それどころか、どこか面白がっているような雰囲気だった。
その空気に背中を押され、あざみは言葉を続けた。
「さっきの方の背中に
……
たくさんの眼が見えたんです」
「
……
眼?」
「はい。眼、だけです。みんな、どこか悲しそうで
……
苦しそうな
……
」
「
……
ふむ」
男は顎に手を当て、考え込む。
一度口を開いてしまうと、止まらなかった。
彼の冷静な反応が、今まで誰にも話せなかった秘密を、するりと外へ引き出していく。
「他にも、影が見えたり
……
あ、あそことか!」
入口手前にある、木製のハンガーポールを指さす。
お客様からお預かりした上着などを掛けておく、アンティークなデザインのものだ。
「あそこの一部、手が浮かんで見えます。
……
両手で、押さえつけてる
……
?壊れちゃったんですかね?」
「
…………
」
「
……
なんて。信じてもらえませんよね
……
えへへ
……
」
黙りこくってしまった男に、あざみは笑って誤魔化した。
困らせてしまっただろうか。遅れて後悔が、胸の内にじわりと広がる。
男は視線を伏せたまま、ぼそりと小さく呟いた。
長い前髪が影になり、その表情はよく見えない。
「? なんですか?」
問い返した途端、男は勢いよく顔を上げた。
その顔は
――
目が爛々と輝き、瞳孔が開ききっている。唇を三日月のように吊り上げた、恐ろしいほどの笑顔だった。
「
――
Fabulous!!」
「
………
へ?」
音割れしたかと思うほどの大声が、店内に響き渡る。
あざみも、周囲の客も、誰ひとりとして言葉を失った。
だが、男は皆の反応など気にも留めず、興奮した様子で捲し立てる。
先ほどまでの静かな印象とは、全く異なった雰囲気を醸し出していた。
「素晴らしい
……
!その能力、実に摩訶不思議です!あのハンガーポールは先日壊れ、ジャスミンが文句を言いながら修理していました。継ぎ目も丁寧に合わせていたので、普通は気づかないと思いますが
……
貴女にはお見通しなのですね」
「え、あ
……
」
「千里眼というより
……
念視とでもいいましょうか。おそらく、過去の痕跡を視覚的に捉えているのでしょう。いやはや
……
実に面白いですねぇ
……
!」
「は
……
はあ
……
?」
理解が追いつかず、生返事をしていると
――
遠くから、慌てた足音が近づいてきた。
「その声
……
!なんで客席にいる!?」
「
……
じゃ、ジャスミンさん
……
!」
バックヤードから現れたのは、休美だった。
髪は乱れ、頬には謎の線。どうやら寝ていたところを、彼の大声で起こされたのだろう。
「おや、ジャスミン」
男は穏やかに微笑む。
休美は忌々しげに彼を睨みつけ、大きなため息を吐き出した。
「ごめん、あざみー。変なの相手させて
……
」
「い、いえ
……
ジャスミンさんのお客様ですか?」
素直に尋ねると、彼女は「はあ?」と、眉をひそめた。
「違う違う!こいつはこの店の
――
」
「ジャスミン」
男が、静かに遮る。
どこか圧のある声に、休美はぴたりと口を噤んだ。
「私は、この店の常連ですよね?」
「
……
は?」
意味が分からないとばかりに、間の抜けた声を上げる休美。
男はもう一度、繰り返す。
「私は、ここの常連客。
……
でしょう?」
そして、沈黙が落ちる。
妙な緊張感が、この場を支配していた。
あざみは困ったように、二人を見比べる。
やがて、休美は諦めたように、小さく息をついた。
「
………
金、落とせよ」
「勿論です」
男は満足気に微笑む。
休美はなんとも言えない、神妙な顔を浮かべると、そっとあざみの肩に手を置いた。
「
……
とりあえず、あざみーは休憩入っていいよ」
「
……
は、はい
……
」
状況を飲み込めないまま、あざみは頭を下げ、バックヤードへと向かう。
その小さな背中に、男の声が優しくかけられた。
「
……
あざみさん、またお会いしましょうね」
それからというもの、あざみの出勤日には、必ず車椅子の男
――
廻屋が訪ねてくるようになった。
それも、あざみの固定指名で。
「
……
ご主人様。毎日来られてますよね
……
?」
遠慮がちに声をかける。
廻屋はノートパソコンを広げ、静かに画面を見つめていた。仕事だろうか。彼は昼過ぎに来店し、閉店まで何かしらの作業をしている。
時折あざみを呼び止め、席に着かせては念視について質問を投げかける。ひとしきり聞くと、またパソコンへと視線を戻す
――
その繰り返しだった。
「ご迷惑でしたか?」
「い、いえ!嬉しいです」
そう答えはしたものの、他のキャストが忙しなく働く中、自分だけ席に着いているのは多少なりとも居心地が悪い。
休美曰く、「これも仕事のうち」らしいが
――
実際、廻屋が支払う固定指名料とキャストドリンク代のおかげで、あざみの給料は目に見えて増えていた。
「あざみさん。以前もお伝えしましたが、私のことは主人と呼ばなくて結構ですよ」
「あ
……
はい。廻屋さん」
「Good。それと
……
毎日ではありませんよ」
彼はパソコンから目を上げ、一言。
「私が来ているのは、あざみさんのシフトの日だけです」
「
……
あはは
……
」
なぜ自分のシフトを把握しているのか。
乾いた笑みが、口から零れる。
だが、あざみとしても、廻屋の接客は全く嫌ではなかった。
少し変わった人ではあるが、落ち着いていて、優しくて、そして何より格好いい。
視線が合うと、彼はどこか揶揄うように、ゆったりと微笑んでみせた。
途端に心臓が、どぎまぎと早鐘を打つ。
(
……
ど、どうしよう
……
かっこいい
……
)
頬が熱くなり、慌てて視線を逸らした。
――
チリンチリン。
「あざみちゃーん」
鈴の音とともに名前を呼ばれ、あざみは反射的に立ち上がる。
「
……
す、すみません。行ってきます
……
!」
「ええ、どうぞ」
逃げるように奥のテーブルへ向かいながら、あざみは火照った頬を冷まそうと、ぷるぷると首を振った。
「お、お待たせしました。ご主人様!」
呼んだのは、例の
――
背中に眼を持つ男だった。
彼もまた、この店の常連の一人である。
男は下卑た笑みを浮かべ、あざみを上から下までじろじろと眺めた。
「最近さぁ、あの新入りばかり構ってない?イケメンだもんねぇ」
「えっ
……
あ、すみません
……
」
彼女が廻屋につく時間が多いのは、注文と指名が入っているからだ。
だが、結果として他の客の接客が減っているのも事実で、あざみは思わず頭を下げる。
「
……
あいつと付き合ったりなんて、してないよね?」
「ふぇっ!?ま、まさか
……
!」
顔を真っ赤にして、両手を振る。
淡い恋心を抱いている自覚があるだけに、心臓がどきりと跳ねた。
挙動不審な彼女だったが、男は疑う様子もなく、「ふぅん?」と鼻で笑う。
「
……
まぁ、いいや。それより写真の件、考えてくれた?」
「えっと
……
それは
……
」
「ほら!画質いいでしょ」
男は嬉々としてカメラを起動する。
液晶モニターに映し出されたのは、毛足の長いカーペットの上に寝転ぶ、水着姿の女性だった。長いまつ毛に縁取られた丸い瞳が、こちらをじっと見つめている。
「わ、わぁ
……
綺麗ですね
……
?」
「ほら、これとかもさ」
男が十字キーを押すと、次々にデータが表示された。
どれも際どい格好の、若い女性ばかりだ。
「
……
こ、これは流石に
……
」
言い終わる前に、あざみの腰に男の腕が絡みつく。
「ひぇっ!?」
「ね?チェキなんかより、ずっと可愛く撮ってあげられるよ
……
?」
男の顔が近づく。
目は一切笑っておらず、乾いた唇が捲れ上がり、口角だけがねっとりと歪んでいる。
その表情を見て、背筋にぞわりと冷たいものが這い上がった。
――
チリン。
「あざみさん」
静かな声が、すっと耳に届いた。
涙目で視線を向けると、廻屋がこちらを見つめている。
「
……
チッ」
舌打ちとともに腕が離れ、ようやくあざみは解放された。
腰に残る感触が気持ち悪く、ふらつきながら廻屋の元へ向かう。
「
……
ご注文ですか?」
「ヴーヴを」
「
……
はい?」
廻屋は静かな声で、淡々と告げた。
「ヴーヴ・クリコを。ロゼでお願いします」
ざわ、と。店内がにわかに騒然とする。
あざみは手元のメニュー表に目を落とした。
アルコールドリンクの欄に並ぶ一番下。彼が指し示すそれは
――
。
「ろっ、ろろろ、六万円!?」
店のメニューの中で一番高い、シャンパンボトルだった。
「じゃ、ジャスミンさぁん!」
ちょうど近くにいた休美に助けを求めると、彼女は肩を竦め、小さくため息をつく。
「
……
払えるならいいんじゃない?」
「お願いします。もちろん、あざみさんの指名で」
「はいよー」
「うぇぇ!?」
慌ただしくボトルが運ばれ、やがてコルクが小気味よく弾けた。
サーモンピンクの液体が、ゆっくりとグラスを満たしていく。
呆然と見守るあざみに対し、廻屋は優雅にグラスを傾けた。
「あぁ、美味しいですね。あざみさんも
……
いえ、未成年でしたね。何にしますか?」
「
…………
」
言葉が詰まって、出てこない。
「これで、当分
――
私以外、接客できませんね?」
遠くから悔しそうに睨みつけてくる男を尻目に、廻屋は愉しげに、くつくつと喉の奥で笑った。
「
……
すみません。お会計しか来れなくて
……
」
申し訳なさそうに、あざみは頭を下げる。
その後も何度か他の客に呼ばれたが、そのたびに廻屋が、
「私以上に、注文額が高い方はいらっしゃいますか?」
と静かに返すものだから、結局あざみは勤務時間のほとんどを、彼の席で過ごすことになっていた。
「はは
……
あざみちゃんもすっかり人気者だね
……
」
背中に眼を持つ男が、ひくりと口角を吊り上げる。
歪な笑みではあったが、先ほどのような露骨な嫌味はなく、あざみはほんの少しだけ肩の力を抜いた。
男はそろりと店内を見渡す。
閉店間際のフロアには、もう廻屋しか客はいない。
他のメイドたちもキッチンで片付けに入っていた。
「
……
あのさ。今日
……
く、黒いボールペン、落ちてなかった?」
「ボールペン、ですか?」
男は小刻みに頷く。
焦りを含んだ視線が、落ち着きなく泳いでいた。
念視で何か見えないかと、じっと目を凝らしてみるが、店内に特に異変は感じられない。
「
……
すみません、分からないです。閉店後に探してみますね」
「あ、ああ
……
もし見つけたらさ、あんまり触らないでほしいんだ」
声を潜め、男は続ける。
「できれば
……
次に出勤するまで、あざみちゃんが持っててくれると助かる」
「
……
?わ、分かりました
……
」
深刻そうな様子に、あざみは頷いた。
男は目に見えて安堵し、硬くなっていた表情を緩める。
そして、もう一度あたりを見回してから、低い声で言った。
「
……
ねぇ。ちょっとだけ、外に出てもらってもいいかな?」
男はあざみの返事を待たず、扉に手をかける。
背中の眼が気になったが、そのまま行かせるわけにもいかない。戸惑いながらも、後を追った。
店の外は人通りが多い。ネオンが遠くでちかちかと瞬き、雑踏の音が渦を巻いている。
だが男は、そのまま店舗裏の路地へと足を向けた。
一本道に入っただけなのに、高いビルに阻まれ、街灯の光はほとんど届かない。
一層空気が、冷たく感じられた。
「あの
……
ご主人様
……
?」
不安げに呼びかけると、男は歩みを止める。
振り向きざま、彼はあざみから視線を逸らさぬまま、ゆっくりと笑みを作った。
まとわりつくような、薄気味悪い笑顔だった。
「ごめんねぇ
……
今日はぜんぜん話せなくて、悲しかったからさ
……
」
ぞわり。嫌な予感が背筋を駆け上がり、あざみはその身を強ばらせた。
男はそのまま、ゆっくりと距離を詰めてくる。
足がすくんで、動けなかった。
「
……
写真、撮らせてよ」
ケースからカメラを取り出し、キャップを外す。
レンズを装着し、男は慣れた手つきで構えた。
「あ
……
あの
……
」
「ここでいいからさ。悪いと思ってるなら
……
一枚だけ、ね
……
?」
足元から震えが込み上げる。
ばくばくと心臓がうるさく脈打ち、視界がぐらりと揺れた。
怯えるあざみを気にも留めず、男はさらに近づいてくる。
「その格好、いつもと同じだしさぁ
……
リボンだけ外せる?ブラウスも、ちょっとだけ緩めて
……
」
「い、いや
……
ひっ
……
!?」
路地の手前、わずかに光が差し込む場所へ男が踏み出した瞬間、あざみは小さな悲鳴を上げた。
背中にあったはずの無数の眼が、今は手、首、顔
――
露出しているすべての場所に、びっしりと浮かび上がっている。
逃げ出そうとした足がもつれ、あざみはその場で崩れ落ちた。
「あ
……
あ
……
っ」
「あざみちゃん
……
?大丈夫
……
怖くないよ
……
?」
男が、さらに近づく。
恐怖に耐えきれず、あざみは目を閉じ、顔を伏せた。
その時、
「
――
あざみさん、ここでしたか」
背後から、柔らかな声が落ちる。
はっと顔を上げると、車椅子に乗った廻屋が、すぐ後ろに立っていた。
「
……
ッ、廻屋さん
……
!」
一気に力が抜け、視界がじわりと滲む。
しゃがみ込んで涙ぐむあざみを見下ろし、彼は穏やかに微笑んだ。
「お、お前
……
!」
男が顔を真っ赤にし、こちらへと詰め寄ってくる。
あざみは小さく息を呑み、反射的に廻屋の脚にしがみついた。
廻屋は気にする様子もなく、懐から一つの物を取り出し、男に差し出す。
「お忘れ物ですよ」
「
……
え」
それは、黒のボールペンだった。
赤らんだ男の顔から、一気に色が引いていく。
「あ
……
それ、は
……
」
「よく出来ていますね。小型カメラ」
にこり、と廻屋が微笑んだ。
男は慌ててペンを奪い取り、大事そうに胸に抱え込む。
背中を丸めた姿は、急に小さく見えた。
「な、なんで
……
俺のだって
……
」
「おや。やはり、貴方の物でしたか」
廻屋は目を細め、ゆっくりと笑みを深くする。
「床に落ちていたので
……
お店の備品かと思いましたが。持ち主が見つかって、何よりです」
男の顔色は、みるみるうちに青ざめていく。
言葉を失った彼に、廻屋は低い声でそっと囁いた。
「今度は落とされないように
……
ね」
男は弾かれたように踵を返し、闇の奥へと走り去った。
残されたあざみは、呆然と廻屋を見上げる。
「
……
お店、戻りましょうか」
その優しい声に、張り詰めていたものが切れ、涙がぽろぽろと溢れ出した。
「う
……
うぅ
……
ありがとう、ございます
……
!」
「いえいえ。お怪我はありませんか?」
「はいぃ
……
っ」
泣きじゃくるあざみの頭に、廻屋の手がそっと触れる。
ぽんぽん、と優しく撫でられ、胸の奥がきゅう、と締め付けられた。
しばらくして、表の方から休美の焦ったような声が聞こえてくる。
「ジャスミン、こちらです」
廻屋の声に応じ、駆け足の音が近づいてくる。休美が苛立ちを露わに、路地裏を覗き込んだ。
「オーナー!?また勝手に
――
」
「あざみさんはこちらですよ」
廻屋の影で見えなかったのだろう。
地面にうずくまる彼女を見て、休美ははっと表情を変えた。
涙を拭いながら、あざみは先ほどの休美が叫んだ彼の呼び名を反芻する。
「
……
オーナー!?」
ばっと勢いよく廻屋を見上げると
――
。
「おっと。バレてしまいましたね」
そうして彼は、どこか楽しげに、悪戯っぽく笑った。
閉店後の店内に残っているのは、あざみ、休美、そして廻屋の三人だけだった。
テーブルを囲み、互いの顔を見合わせている。
ようやく涙が止まり、あざみは赤くなった眦を擦りながら、休美が淹れてくれたコーヒーを啜った。
喉を通ってお腹に落ちる温かさが、疲弊していた心をじんわりと解きほぐしていく。
「
……
改めまして」
口火を切ったのは、廻屋だった。
「私がこの店のオーナーである、廻屋渉です」
常連客だとばかり思い込んでいたあざみは、信じ難いものを見るように、まん丸の瞳を瞬かせる。
「
……
ど、どうして、お客様のふりなんか
……
」
「貴女とお話がしたくて。最初からオーナーだと告げてしまうと、余計に緊張させてしまうかと」
「
…………
」
それにしても、やり方が回りくどすぎる。
この数日だけでも、彼が支払った金額は決して少なくないはずだ。
縋るように休美を見ると、彼女は「ごめん」とでも言いたげに、両手を顔の前でそっと合わせた。
「私はこのメイドカフェ以外に、いくつかの事業を経営していまして」
静かな声で、彼は語り出す。
黄金色の瞳が怪しく光り、ゆっくりと細められた。
「そのうちの一つが
――
探偵業です」
「
……
探偵
……
?」
休美をちらりと見ると、彼女は目を伏せ、驚いた様子もない。
どうやら、知っていたらしい。
「このカフェは、言わば情報収集の場でもあります。私はこの足ですから、主にネットを通じて情報を集めているのですが
……
やはり、人の口からしか得られない話というものもありまして。
……
綺麗な女性が相手だと、男はつい口が緩むものです」
くつくつと愉しげに笑う廻屋に、あざみは呆れたように「はぁ
……
」と気のない返事をした。
「さて。こちらをご覧ください」
彼はノートパソコンを開き、液晶画面をあざみに向ける。
そこに映っていたのは、なにやら怪しげなサイトだった。
水着姿や制服姿の女性たちが、扇情的なポーズでカメラを見つめている。
「
……
な、なんですか、これ
……
」
「先ほどの男が運営している、個人撮影サイトです」
気まずげに視線を逸らしたあざみに、廻屋は淡々と告げた。
「自宅やレンタルルームで行う、一対一の撮影会ですね。彼は、そこで撮った写真をこのサイトに掲載していました」
スクロールされた先、最下部のリンクにカーソルが合わせられる。
「ここから先は、着替えの盗撮や、衣服がさらに乱れた状態の写真が展示された
――
成人向けの有料サイトです」
「ひぇ
……
」
画面はそれ以上動かなかったが、想像するだけで背筋が冷え、あざみは小さく息を呑んだ。
そんな撮影に誘われていたのか。一度収まった恐怖心が、再び胸の内にじわりと広がる。
「彼は金銭をちらつかせ、わざと分かりにくく書いた同意書にサインさせて、無理やり撮影を行っていました。被害者が警察に相談しても、同意があったのならと、取り合ってもらえなかったそうです」
「そ、そんな
……
」
絶句するあざみに、廻屋は平然と言葉を続けた。
「今回の依頼は、彼が盗撮をしているという証拠集めでしたが
……
」
廻屋は言葉を切り、ゆっくりとあざみを見つめる。
視線が交錯し、気恥ずかしさに彼女の丸い頬がふわりと染まった。
「
……
おかげさまで、証拠が見つかりましたよ」
「
……
え?」
廻屋はコーヒーカップを手に取る。
ほのかに湯気の立つカップへと視線を落とし、香りを楽しむその仕草には、不思議と華があった。
その横顔に、思わずほうっと見蕩れてしまう。
「先ほどの黒いボールペン。小型カメラが内蔵されていました。彼の座っていた椅子の下に落ちていたんです。
……
こっそり、ジャスミンに拾ってもらいました」
「
……
あ
……
」
「スカートの中、盗撮されるところでしたねぇ」
彼が躍起になって、あざみを呼ぼうとしていた理由。
それが分かった瞬間、ぞわりと身の毛もよだつような感覚に襲われた。
あの路地での出来事も、外での撮影の誘いも
――
すべては、このサイトにあざみを加えるためだったのだ。
呼吸が乱れ、ぶるりと震えた背中を、休美がそっと撫でる。
その温もりに、少しずつ心が落ち着いていった。
「
……
ありがとう、ございました
……
」
「いえ、私の読みが甘かったです。
……
怖い思いをさせてしまいましたね」
「そ、そんな
……
!助けてくれたじゃないですか
……
!」
あざみはぶんぶんと首を振る。
廻屋はこちらを見据えたまま、ゆるく微笑んだ。その視線は、妙に優しい。
「
……
あざみさんがご無事で、何よりです」
途端に、息が詰まるように胸が苦しくなった。
顔を真っ赤にさせ、硬直するあざみを見て、休美が白けた顔でため息をつく。
「
……
で?証拠のボールペンは、返しちゃったの?」
「ええ。彼女のピンチでしたので」
はっとして、あざみの顔から一気に血の気が引いた。
「ごっ、ごめんなさい!わわわ、わたしのせいで
……
!?」
「ご安心ください。中のデータはすべて保存済みです。ほかの盗撮データもいくつかありました。この店の裏口に設置された監視カメラで、路地の様子も撮れています。このデータを提出すれば
――
警察も動き、このサイトも閉鎖されることでしょう」
慌てふためく彼女に、落ち着いた答えが返される。あざみはほっと安堵し、息をついた。
だが、その直後、気づいてしまう。
中のデータは保存済み。ということは
――
。
「あ
……
あの
……
わたしの、スカートの中って
……
?」
あざみは顔を赤くしたり、青くしたりしながら、視線を泳がせた。
廻屋はにっこりと微笑み、それ以上は何も言わない。
もしかして、見られたのかも。羞恥でどうにかなりそうだった。
テーブルに突っ伏し、項垂れるあざみの頭を、休美がぽんと撫でる。
そして空になったカップを手に、キッチンへと向かった。
二人きりになったホール。
廻屋はぽつりと、愉しげに告げた。
「それにしても
……
貴女の念視能力、本当に素晴らしいですね」
「
……
ふぇ?」
顔を上げると、廻屋はあざみをじっと見つめ、柔らかく微笑む。
その視線に射抜かれたようで、どきりと心臓が跳ねた。
「あの男の背中に眼が見えたのでしょう。悲しそう、苦しそう、と仰っていたではありませんか。きっと、撮影の被害に遭った女性たちの視線が焼き付いたのでしょう。
……
まるで、写真のフィルムのように」
「は、はぁ
……
」
「貴女はこの情報を知らなくとも、本能的に彼を避けた。Fantastic!実に調査員向きの、素晴らしい能力ですよ」
「そう
……
なんですかね
……
?」
興奮気味の廻屋に圧倒されながらも、褒められるのは悪い気がせず、あざみは照れるように頬を掻く。
「そこで
――
」
彼は身を乗り出すと、あざみの手を握った。
大きな手のひらに包み込まれ、あざみは「ひぇっ!?」と声を裏返す。
「私の探偵業を手伝っていただけませんか?貴女のその力、是非お借りしたいのです」
ぐい、と迫る廻屋の顔。
あまりに整った容貌に、心臓がばくばくと脈打つ。
距離が近すぎて、その鼓動の音に気づかれてしまうのではないかと思った。
握られた手のひらはひんやりとして、妙に心地がいい。
あざみは震える声をなんとか絞り出し、小さく頷いた。
「わ
……
わたしで、よければ
……
」
「Excellent!どうぞ、これからよろしくお願いいたします。あざみさん」
「はひ
……
オ、オーナー
……
さん
……
」
その後も、なぜかあざみは手を離してもらえなかった。
キッチンから戻った休美が、限界寸前で涙ぐむ姿を見て、「何やってんだ!」と廻屋の頭を殴るまで
――
どきどきしすぎて、あざみは寿命が縮んだ気がしてならなかった。
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