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roku
2026-01-16 11:16:23
3799文字
Public
松イチ
バレンタイン【松イチ】
辛いものと甘いもの。
どちらかを選ぶとするならば迷わず甘いもの。
だけど松本は周りから、甘いものが苦手、なんなら嫌いだと思われている。それは松本の持つキリッと凛々しい雰囲気からだろうか。それとも職場で飲むコーヒーがいつもブラックだからだろうか。どちらにせよ松本はそんな周りの持つイメージとは対照に甘いものが好きだった。
◇◇◇
松本が玄関を開ければ、流行りの音楽を口ずさみながらキッチンで夕飯を作っている上機嫌の恋人。
「ただいま」と声をかければ返ってくる「おかえり」
松本は冷えた身体に温もりを分けてもらうように一之倉を後ろから抱きしめた。
「冷たっ」
「聡は温かいな」
首元に甘く噛みつけば、調理の手を止めた一之倉が身体の向きを変え松本を見上げる。
「在宅のいいところだよね」
「そうだな」
松本の首に腕をかけ軽く背伸びをし、唇を重ね合わせた。
「唇も冷たい」
「あたためてくれよ」
松本は一之倉の腰をぐっと引き寄せこつんと額をくっつける。細く鋭い瞳をさらにすうっと細めた一之倉が、緩んだ口もとのまま啄むようなキスを繰り返す。そんな可愛い恋人の行動は松本の欲を掻き立ていく。
松本は離れようとした一之倉の後頭部を押さえその薄い唇を舌先でなぞり、ほんのり開いている隙間に挿し込み歯列をなぞる。
「
…
っん
…
」
漏れる甘い吐息に唇を離してぎゅっと抱きしめた。
「しれっと下半身押し当てんなよ」
「すまんな。聡が可愛くてつい」
「はぁ〜
……
まぁいいや。あれ、オレから」
松本の行動と言動に呆れながら視線をテーブルへ移した一之倉。松本は一之倉を抱きしめたまま同じように視線を向けた。そこには小さな紙袋がひとつ。
そう、今日はバレンタインだ。
「また高級そうだな」
「だってさ、こういう時しか買わないでしょ?」
「まぁそうだけどよ
…
」
甘いものが好きな松本に、毎年一之倉はあちこちで開催されているバレンタインフェアに足を運び、そこから厳選してプレゼントしている。高校生の頃から比べれば随分とランクの高いチョコレートだ。
「いらないならオレが食べるね」
「いや、いる!」
「でも安いのが好きなんだよね」
滅多にお目にかかることのない高級なチョコレートも好きだが、一之倉が言うようにいつでもどこにでも売っているものの方が、実のところ口にあっている。
「だからこれも買ってきたよ」
松本から離れた一之倉が冷蔵庫から取り出したのはアルファベットが書かれている思い出のチョコレートだった。
「今年はオレが松本に初めてチョコあげてから10回目だからちょっと昔を思い出してさ」
「もうそんなに経つのか」
懐かしいなと松本もあの頃を思い出す。
◇◇◇
高校1年のバレンタイン。
松本は数少ない女子から渡されたチョコレートの全てを受け取らなかった。明らかに義理だとわかるそれさえもだ。
寮室へ戻った松本が手ぶらだったことを不思議に思った一之倉が「あれ、チョコは?」と訊ねた。「もらってねぇよ」とどこか不機嫌だった。
「甘いもの好きだよね?」
そんな問いかけに「それはそうだが
…
」と歯切れの悪い返事を返す。
「もったいない」
「そんなことねぇよ。それより
……
」
「ん?」
今日という日にもらうチョコに意味があるとするならば、それは一之倉からがいい。まさかそんなことが言えるはずもなく何でもないとベッドに潜り込んだ。
それから1年。
沢北人気の影響もあり、松本のもとへやってくる女子の人数は去年よりもやや減った。ただその数に反比例するように彼女たちの本気度は上がっていたように思う。松本はそんな彼女たちからの気持ちを受け取ることはできないと、また手ぶらで帰って来たのだった。
「今年も手ぶら?」
「そうだが?」
当たり前だろと言わんばかりの返事に一之倉の口角がほんのりと上がる。
「ならこれあげる。手出して」
ぐっと握られた拳が突き出され、松本はその拳の下に手を広げた。パッと開かれた手からこぼれ落ちたのはキャンディのように包まれたチョコレートが4つ。
「お
…
おう。
…
いいのか?」
控えめに訊ねた松本の瞳は控えめとは無縁なくらいの輝きを放っていた。
「ふはっ!どんだけ嬉しいんだよ」
「だって一之倉からだぞ?嬉しいに決まってるだろ!」
どうやら決まっているらしい。
破顔した松本につられて一之倉も笑顔になる。
「
……
これって
………
」
松本はそのチョコレートに書かれてあるアルファベットが4つとも違うことに気づいた。
「
……
一之倉?」
「まぁ、そういうことだから」
ふいっと逸らした一之倉の頬は心なしか色を変えている。
「
……
食べるのがもったいない」
飾っておくか、などと言い出した松本は机の正面、教科書を立てている前にチョコレートを並べた。
「何やってんの?ちゃんと食べろよ!」
「食べたらなくなるじゃねぇか」
なくなってしまうことが余程嫌なのか、拗ねたように唇を尖らせている。
「またいつでもあげるから、とりあえず腐る前に食べてよ」
松本はその顔にぱぁっと花を咲かせ、なら1日1個
…
いや、1週間に1個にするか
…
と頭を悩ませていた。たかだか安いチョコひとつでそんなに喜んでくれるなんて、思いは伝えてみるものだと一之倉は思ったのだった。
◇◇◇
「あのチョコはあれ一度きりだったな」
「あーそうだね。だってさ、オレが欲しかったのは4文字だったから、残りは女子からチョコをもらえなかった仲間たちが全部持ってって
…
」
「そう、だったのか?」
「うん。お前らにやったんじゃねーよ!って思ったんだ」
10年経って初めて聞いた裏話に松本の眉間がきゅっと寄る。
「どうしたの?」
「
…………
オレだけじゃなかったのか?」
「ん?」
「みんなに配ったってことか?」
「待って!配ったというか、余りを処分?してもらっただけだし」
10年前の仲間にさえ嫉妬してしまうほど松本は一之倉を想っている。
「
…
わかってるが
……
」
未だ険しい表情のままの松本に、くすりと笑みが溢れた。
「稔ってさ、重たいよね」
「
……
え?」
「愛」
「
……
迷惑か?」
どうやら重たいことは自覚しているようだ。
「迷惑だったら別れてる。それによく考えて?あのチョコが一度きりだった理由」
考えてと言われた松本はその理由がわからずさらに眉根に皺を刻む。
「
…………
」
「わかんないなら教えてあげる。あれだとまたみんなの手に渡る。それが嫌だった。オレは稔にだけ食べてほしかったから」
「
……
聡」
「まぁまぁオレも重たいよ」
目を細めてクスクスと笑う一之倉。衝動に駆られた松本が引き寄せその腕の中に閉じ込める。
「好きだ」
「うん、知ってる」
腕の中で顔を上げれば優しいキスが降ってくる。
「スーパーで見かけて、10年で時代が変わったなって思って買っちゃったんだ」
「あ?」
言われて思い出のチョコレートを見てみると、そのパッケージには【LOVEのチョコだけ詰めました】と書かれてある。一之倉から腕を解いた松本はその手で袋を盛大に開け、中身をばらばらとテーブルへ出した。
「
……
すげぇな。パッケージどおり愛情たっぷりだ」
「でしょ?じゃあこっちはいらない?」
一之倉が持ち上げた小さな紙袋を、それとこれとは別だと奪い取った松本。
「安い方にこんなに愛が詰まってるのに?」
意地悪に片方だけ口端を上げる。
「どっちも好きだし、何よりオレを思って選んでくれた聡のことは誰より好きだ!」
まっすぐ見つめる真剣な瞳に捉えられた一之倉は思わず手で顔を覆う。
「はぁ
…
ほんとに恥ずかしいやつだな」
「あ?」
「どっちもやるから飾らず食べろよ」
「ははっ、わかってるよ!で、3倍返し
―
「それはいらない!」
松本の顔の前に手をかざして松本の言葉を遮った。
毎年松本から“3倍返し”と称した愛情が注がれ、それに耐えきれた試しがない。
もう我慢の男などと言われたのは遠い昔の話だった。
松本は、何でだよ
…
と不服そうに目を細めながら、小さな袋から取り出した小さな箱を取り出す。星をかたどった箱を開ければ、真っ赤なハート型のチョコと、箱と同じ星型のチョコ、そして月の形のチョコが入っていた。
『松本さんは月、イチノさんは星って感じがしますよね!』
いつだったか太陽みたいな後輩がそんなことを言っていた。
「これ
…
」
「ん。あいつを思い出したのは癪だけど、何かすごいしっくりきたからさ」
「やっぱり飾っておきてぇな」
「なら中身食べて箱だけ飾れよ」
一之倉が箱から星型のチョコを松本の口もとへ運べば、松本は月型のチョコを摘んで一之倉へ差し出した。
「お互いを食べ合ってるみたいでやらしいな」
「そういう発想がやらしいんだけど?」
「ははっ、すまん!」
そう言いながら残った真っ赤なチョコを咥え一之倉へと顔を寄せる。一之倉は松本の意図を汲み取り、そこへかぶりつきかりっと半分を齧り取る。互いの口の中で蕩けたチョコレートは、フランボワーズの甘酸っぱさとホワイトチョコの甘さが混じり合って、ふたりで歩んできた10年を思い出させる、そんなやさしい味がした。
松本が一之倉の頬に手を添え額を合わせれば、近い距離で交わる視線が熱を帯びてゆく。
一之倉は続きを期待するようにその瞳をゆっくり閉じた。
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