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roku
2026-01-16 10:41:53
3355文字
Public
松イチワンドロライ
第20回『いいふうふ』
大人軸/同棲中
11月22日
ただいまとリビングのドアを開けて入ってきた松本の手には白い小さな箱。ケーキボックスと名付けられている箱の中身はもちろんその名の示す通りケーキだろう。せいぜい違ったとしてもプリンであるとか、微々たる差だと思う。
一之倉は、誕生日でも記念日でもない日に持ち帰られたその箱の意味を考え、ひとつの答えにたどりつく。
「おかえり。何かやましいことあるの?」
「え?」
目を大きく開いた松本は、一之倉が普段通りのトーンでなぜそのような問いを投げたのかが理解できずに固まってしまった。
「稔?」
名前を呼んで顔を覗き込めば、ハッと我に返った松本。その口から「別にやましいことなんかあるわけねぇだろ」と、呆れとほんのり怒りを含んだ答えが返ってくる。
「じゃあ何でケーキ?」
「今日、いい夫婦の日らしいんだ」
「
……
は?」
はにかむ松本が持っていた箱を冷蔵庫へと仕舞う。その背に投げかけられたのはあまりにも素っ頓狂な声だった。
「会社の後輩から聞いたんだ。11月22日で
いいふうふ
・・・・・
、なんだと」
「うん。それは知ってる」
一之倉がそう返せば、知ってたなら教えろよ、なんて唇を尖らせて拗ねている。
「何で?オレたちには関係ないでしょ?」
自分たちは夫婦ではないし、これから先だって世の中がとても大きく変わらない限り、それが認められることはない。そんな思いが“関係ない”という突き放すような冷たい言葉となった。
「
…………
」
現実主義者の一之倉らしい答えに、松本は口を噤んで眉をきゅっと寄せ顔を顰めている。その姿に、少し言い方がきつかったかもしれないと、胸がチクチクと痛んだ。
「
……
ごめん。言い方、きつかった」
「ん?あ、あぁ」
松本は軽い相槌をひとつ打っただけで、それ以上は何も言わずにスーツを脱いだ。
一之倉が準備した夕飯が並ぶテーブル。さっき生まれたわだかまりはやはり残ったままなのか、いつも通り椅子に腰を下ろした松本が「あのさ
…
」と思い詰めた様子で口を開いた。
「
……
ん?」
短い返事すら、緊張で震えていたかもしれない。
「わかんねぇんだよな」
「何が?」
「確かにオレたちは夫婦じゃねぇけどさ
…
」
頬杖をつき、ムッとしながら視線を斜め下に下げる。
「それに関してはごめんって言っただろ」
「いや、あ、別に責めてるとかじゃなくて、だな
…
」
「じゃあ何だよ?」
はっきりしない松本に苛立ちが募り、また言葉がきつくなる。
「変わらなくないか?」
「は?」
「法的には結婚してない、というかできねぇけど、一緒に暮らして、生計一緒にして、家事分担して、お互いの足りない部分を埋めあって、歩み寄って
…
これはもう夫婦だろ」
松本が険しい顔をしていた理由は一之倉の言葉のトゲが突き刺さったからではなかったようだった。
夫婦だろ。そんな風に言い切られてしまえば完全に否定することもままならず、熱が集まる顔を下げ、箸置きに置いた箸を見つめた。
「何か違ったか?」
うーんと更に考え込む松本に、違わないと思う。と小さく告げれば、とても嬉しそうに「だよな!!」と大きく笑った。
一之倉は不思議だった。
松本は現実を見ながら理想の中にいるのか、理想の中にいるのに現実がきちんと見えてるのか。どちらにせよ相反するはずの理想と現実が、松本の中には共に存在しているのだ。
現実主義者で理想を追わない自分とは違う。そんなところに深く惹かれているからこそ、今も音が漏れ聞こえそうなほどに、心臓が騒いでいる。それを隠すように「冷めたら不味くなるから早く食べろよ」と声をかけた。そしてほんの少し瞳を大きくした松本を見て、また言い方が悪かったのではないかと後悔する。だが当の松本はそんなこと意にも介さず「聡の料理は冷めても絶品だが、温かいほうがもっとうまいからな。いただきます」と手を合わせ、箸を取り、ご飯を口へと運ぶのだった。
夕飯を終え、冷蔵庫から小さな箱を取り出して開けてみると、そこにはカットされたケーキがふたつ。ひとつはアップルパイ。もうひとつは洋梨のタルトだった。
ベタにショートケーキだろうと思っていた一之倉は一瞬驚いた様子を見せた。
「予想と違ったか?」
「あ、うん」
「どっちも旬の果物なんだってさ」
「そうなんだ。それで稔はどっち食べるの?」
全く違うふたつのケーキ。買ってきた松本が先に食べたい方を選ぶべきだと思った。
「いつも通り半分ずつにしないか?」
「
……
そうだな」
ふと、こういうのってふうふっぽいのかなと考え、きっとふうふの形はそれぞれだから、考えるのをやめた。
半分ずつに。そういいながらナイフでカットするわけではなく直接フォークを入れる、その几帳面に見えて大雑把なところが松本のいいところだ。
「全然半分じゃない」
「いいんだよ。だいたいで」
そっちの方が多いと抗議すると、ほら。とケーキを乗せたフォークが目の前に差し出され、一之倉はためらうことなく口を開けた。すると松本は「そのへんの夫婦より、オレたちのほうが仲良いと思うぞ」と笑った。
◇
11月23日
いい夫婦の日の翌日である今日は勤労感謝の日。
【仕事の成果を祝い、勤労に感謝を示す日】だそうだ。
勤労に感謝って言われてもなぁ
…
一之倉の仕事は、ブラックではないが繁忙期ともなれば体力勝負ではあるし、家にいる時間の方が短い時ももちろんある。山王で鍛えられていなければいくら我慢の男といえど倒れていたに違いない。そして、恋人である松本が毎日疲れて帰ってくる姿を見ているだけに、とても勤労に感謝などできそうになかった。
ただ当たり前のように「夫婦だろ」と言い切った松本には感謝したかった。
隣で穏やかに眠る松本を起こさないようにそっとベットを抜け出した一之倉は、少し遅い朝食を取り、メモを残して静かに家を出た。
「
……
おかえり」
「わぁっ!」
玄関のドアを開けるとそこには、シューズボックスを背にして座り、立てた両膝を抱え込んでいる松本がいた。纏う空気はどんよりと重たく、腕の間から覗かせる顔には元気がない。
「びっくりするじゃん!何してんの?」
靴を脱ぐより先に、しゃがんで視線を合わす。
「
……
聡を待ってた」
下がった眉の下には、不安の色をした瞳。まるで一之倉が帰ってこないかもしれないと思っていたかのようだった。
「ちょっと買い物に出るってメモ置いてただろー」
そう言ってわしゃわしゃと頭を撫でれば、その顔に血色が戻ってくる。それでも松本は置いていかれたことに不満があるようで、「ひとりで行かなきゃいけなかったのか?」と責めるような言い方をした。
「ん?そうだなー」
間延びした返事をすれば再び膝を抱えた腕に頭を埋めた松本。
「拗ねんなよ。それよりこれ、受け取ってほしいんだけど?」
ぐっと握った拳を差し出し、松本が顔を上げるのをじっと待つ。
いつまでも松本が顔を上げようとしないので、一之倉は松本の左手を掬い取った。
「何すんだよ
……
って、聡!?」
掬い取った手の薬指にすうっとはめられたのは、とてもシンプルなシルバーのリング。
「昨日、嬉しかったんだ。ふうふだって言い切ってくれたこと。だからそのお返し。あ、もちろんペアだよ」
ほら。と広げた手のひらにちょこんと小さく、だけどキラリと大きく主張する揃いのリング。
「
……
聡」
「どう?機嫌直った?」
あぁ。と感慨深く頷いた松本の瞳は潤んで見えた。
「
…
それ、オレが聡につけてもいいか?」
「もちろんだよ」
松本が手のひらにあるそれを親指と人差し指でつまみ取る。一之倉がすっと左手を差し出せば、その手に手を添えてリングを薬指へと近づける。
松本が指輪をつまんでいる指が震えている。
「緊張してる?」
「
…
仕方ねぇだろ」
「こっちまで恥ずかしくなるから早くしてよ」
頬をほんのり赤く染めた一之倉が、自分から松本の持つリングへ指を滑らせた。
かざした手を眺め、「やっぱりお揃いっていいね」と笑って見せれば、力強く引き寄せた松本の腕の中にいとも簡単に収まってしまう。
「聡、ありがとう。死ぬまで一緒だな」
「死んでも一緒がいいな」
刻む鼓動は速く、伝わる熱はとても熱かった。
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