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hisashiNKI
2025-03-23 13:28:16
4510文字
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19世紀後半なお貴族ジョシュクラとモブ男の懸想の話
・舞台は19世紀後半(ビクトリア朝期)のイギリスの上流階級っぽい感じです
・名無しのモブ男一人称、兄に懸想して破れるやつです
・兄は28メンタルだけど33、左腕欠損してます
・何もかも雰囲気!幻覚!適当!です
ロズフィールド公爵家の長男についての噂はしばしば耳に入ったものだった。
もっぱらその外見は、家督を継いだ次男である麗しの公爵殿とはまるで正反対の、顔に大きな傷のある薄暗い顔つきの醜い大男だとかいうのが定説だった。
その醜さのせいで母親からは見放され、あの美しい白鷺の城に幼い頃から幽閉され、彼に同情的だった先代の公爵が亡くなってからは国軍に一兵卒として放り込まれて戦場に駆り出され、遂には左腕までも失って路頭に迷った挙句、仕方なしに弟の現公爵殿が引き取ることになったのだとか。
ジョシュア・ロズフィールド公爵はその場に一目姿を現しただけで誰もが虜になるあまりに輝かしい、魅力的な人物だったため、ゴシップ好きの
――
本人達が肯定したことはないが
――
紳士淑女方は、その家柄と完璧な美しさ素晴らしい人柄に、嫉妬ややっかみなどを多分に含んで、日々小さな悪意を吹聴するのであった。
しかしその日、コヴェントガーデンへ観劇に行った折、私は驚くべきものを目撃した。
新進気鋭の舞台作家の演出するマクベスの、第二幕が始まろうという時だった。
丁度私の正面に見える人払いされたボックス席へ、ロズフィールド公爵が入って来た。遠目に眺めてもそのすらりとした長身と、撫で付けられた美しい濃い金色が目を惹いた。
時折こうやって、共も連れずに公爵ただ一人で観劇をしているのを見かけることがあった。今日もそういった一日であろうと舞台に目を戻そうとした時、黒髪の男が静かに入ってきて公爵の隣に腰を下ろした。私は驚いて、歌が始まったことにも気づかなかった。
公爵の連れであればそれなりの名士であろうが、見たことのない男だった。歳の頃は三十前後、背丈は公爵と余り変わらないようだが、彼の方が体格はよく、公爵と揃いの燕尾を着ているためそれがよく分かった。二人はごく親しい間柄のようで、時折顔を寄せ合って笑顔を見せていた。
あの公爵とあんな風に親密な態度を取れる人物は一体何者なのか、私は舞台に向けていたはずのグラスを彼の方へやった。
拡大された黒い男の顔を見て、思わずアッと声が上がりそうになった。
彼の左頬には皮膚が刮げ落ちたような大きな傷があったのだ。それに、左手は手袋をしていて一見しただけではわからないが、ぎこちなく動く肩を見るに恐らく義手だ。
私はまさかあの男が、とひとり噂の真相を知ったことに心臓が激しく高鳴り、その顔を改めてまじまじと眺めた。
髪は照明を反射して艶やかに輝く漆黒、公爵よりも濃い青い瞳、目は穏やかだが意思の強さが見て取れた。高い鼻梁に薄く形の良い上品な唇、しっかりとした骨格に長い首、公爵に向けるはにかんだ微笑みが妙に印象に残った。
公爵の兄が醜い男だと言うのは嘘だった。
カーテンコールが終わる頃、全く頭に入ってこなかったこの舞台の感想をどう述べようかと思案していると、公爵とその兄が席を立とうとするのが目に入った。私は隣に座る友人を置いて、慌ててホールから飛び出た。
フロントで少しの間立っていると、公爵がその長い足を優雅に動かしてやって来た。
「おや、ロズフィールド公爵。ご機嫌よう。あなたも××の評判を伺って?」
さりげなさを装って声をかけたが、おそらくは待っていたことがばれているだろう。
「こんばんは××候。ええ、とても斬新な演出でした」
公爵はにこやかに微笑んだ。私は公爵の隣に所在なげに立っている黒髪の男の方へ会釈した。間近で見ると、従軍していたらしいというその精悍さがよくわかった。
「こちらは兄です。アフガンに行っていたのですが、退役となって戻って来たところなのです」
「クライヴ・ロズフィールドです。お初にお目にかかります」
男は少し困ったように眉を下げ、ぎこちなく笑みを浮かべておずおずと右手を差し出して来た。まるで、人馴れしていない犬のようだった。憐れだが、しかしどこか親しみの湧く愛らしさも感じる。噂は間違いだったが、公爵と正反対というのは正しかった。
「ああ、あなたがそうでしたか。初めまして」
驚いた風を装って、手を握った。手袋越しにもわかる暖かい手だった。
拍手の音がまばらになり、公爵は慌てて帽子を被った。
「申し訳ない、××候。もう出なくては。兄は人混みが苦手なのです」
公爵は早口に言って、まだ私に何か言いたそうにするロズフィールド卿の腰に手を回し、そのまま足早に扉に向かった。私は呆気に取られて二人の後ろ姿を眺めるしかなかった。
噂では、負傷し行き場を無くした醜い兄を、弟も疎ましく思いながらも義務だからと渋々面倒を見ているということだったが、観劇中の仲睦まじげな様子といい、今の過干渉とも見える行動ともいい、それも丸っきり嘘ではないか!と少し憤りを覚えたのであった。
I
それから数週間後、とあるパーティでまたあの兄弟を見かけた。
あの舞台の夜以降、公爵の姿を見ることはあったが、彼の兄が公の場に姿を現すことはなかった。
その日の賓客であるルサージュ卿とロズフィールド兄弟は旧知の中だそうで、それで兄の方もやっと出てきたのであろう。
噂の張本人の登場に皆目を丸くし、傷付いてはいるが端正な姿と、弟と同じく人を惹きつける何かを見とめるや否や、散々撒き散らした悪評はすっかり無かった事にして、誰も彼もがロズフィールド卿と親しくなりたがった。
恥ずかしながら私もその内の一人で、なんとかあの日の続きをできないか、人垣の外から様子を伺っていたのだった。
その日一番のかしましさを見せるふくよかな婦人に困り果てたのか、ロズフィールド卿はおろおろと目線を泳がせ、少し離れてシャンパンを飲んでいた私と遂に目があった。
「××候ではないですか?先日ご挨拶させて頂いた
……
」
彼は少しホッとした顔でこちらに声を掛けてきた。私はシャンパンの入ったグラスをもう一つ手に取って彼の方へ向かった。
「やあこんばんは。またお会いできるとは光栄です」
婦人は私の登場にあからさまに機嫌を損ねた顔をし、他の一団に見知った顔を見つけたように装って、そちらへ駆けて行った。
「今日はまるであなたが主役のようですね。お疲れではないですか?」
グラスを渡すと彼は素直に受け取り、また子犬のように眉を下げはにかんだ。
「少し。ずっと軍隊にいたものですから、こういった場は不慣れで
……
」
そのままグラスを一気に煽った。
浮き出た喉仏が上下して、私は何故かそこから目が離せなかった。
「ありがとうございます、××候。あなたを見つけられて、よかった」
彼は微笑んで、
「私は夜風にあたってきます」
と言い残して立ち去ってしまった。
I
「公爵閣下、もしあなたがよければですが、あの方を私の元へ頂けませんか」
夜も更け、皆あちらこちらへの賑やかな周遊は終わり、それぞれ思い思いに静かに過ごす時間がやって来ていた。
広い談話室には私とロズフィールド公爵、隅の席にしめやかに内緒話をする男女の数名しかいなかった。
公爵の方をチラと見ると、私の言葉は聞こえなかったかのように紫煙を燻らせていた。ソファにゆったりと腰掛け、長い脚を組み、表情は殆どなく、目は伏せ目がちで、骨張った指に細煙草を挟んだ姿はいかにも怠惰で、美しかった。
「いえ、その、私は妻に先立たれて子も親類も無いもので、話し相手が欲しいのです。彼は負傷兵だとも伺いました。悪いようには決して致しません」
私は思わず言い繕うような事をしてしまったことを恥じた。が、公爵が兄を疎ましく思っているという噂が本当であったら、喜んでこの申し出を受けるに違いないと思ったのだ。
公爵はゆっくり煙草を喫んでいた。
もしかしたら酔っていて、私の言葉が聞こえていなかったのかもしれない。もう一度伝えるべきかと口を開けようとしたその時、公爵がこちらを向いた。
「彼は僕のものだから、あげられない」
あまりに美しい笑みだった。
長いハシバミ色の睫毛に縁取られた目が細められて、こちらをじっと見ていた。しかし、優しさといったようなものは一欠片も無く、冷ややかな、ゾッとするような眼差しだった。完璧な弧を描く薔薇色の唇は作り物めいていて、血の通ったもののようには到底思えなかった。それなのに、彼の深い強い怒りは私の肌を刺した。
私は何も言えず、公爵は短くなった煙草を灰皿に押し付けて、席を立った。
I
ふいに、隅の席にいた男女がいなくなっている事に気づき、談話室には私一人だけ取り残されていた。
公爵が居なくなってからもう随分時が過ぎた気がしたが、マントルピースの上の置き時計を見ると、大した時間は経っていなかった。
私はよろよろと立ち上がって外に出た。もう殆どの客が帰っていったようで、途切れ途切れに囁やかな話し声しか聞こえてこなかった。
外に出て新鮮な空気でも吸おうと、バルコニーへ出る扉の前に立った時、先客がいることに気づいた。真紅のカーテンの隙間、古風な飾りのフランス窓の向こうに背の高い人影が二人分見えた。
思わずカーテンに隠れ、覗き見た。窓から漏れ出た光と、月明かりに照らされて浮かび上がったのは、公爵とその兄だった。
さっき公爵はなんと言ったのだったか。心臓が嫌な音を立てていた。
二人はお互いの顔を覗き込んで、何事か話し込んでいるようだった。こちらからは公爵は背になっているため、ロズフィールド卿の顔しか見えなかった。
余程深刻な話なのか、仄かに照らされた彼の表情は眉根が寄り、真剣に弟を見つめている。鈍く光る青い瞳が揺れているようにも見えた。
――
だが、兄がただ弟を見る目だろうか?
嫌な予感は益々増し、背にじっとりと汗が滲んだ。それでも足は根を張ったようにその場を離れられない。
ふいに、公爵の手が兄の傷痕の残る頬を撫でた。兄は目を伏せて、その手に僅かに頬擦りをした。それから、従順な犬のように舌を出してみせた。それは大型の猟犬が主人に見せるような純粋な忠誠によるものではなかった。赤く色付いた、生々しいものだった。公爵は彼の腰を強く掴んで引き寄せ、出された舌に吸い付いた。その拍子に、彼の胸に挿されていた薔薇の花がくしゃりと歪んだ。
吐き気が喉をせり上がり、よろめいた。
カーテンを強く握ってどうにか堪えた。
「ミスター、大丈夫ですか?水をお持ちしましょうか?」
後ろからやって来たボーイが心配そうに声をかけてきた。
「
……
ああ、ああ。大丈夫。少し飲み過ぎたようだ」
それから、ロズフィールド卿は公の場に現れることはなくなり、公爵は相変わらず一人で誰もをその輝かしさで虜にしていた。
公爵は私と会っても以前と変わらず気さくに話をした。
私ももう彼の兄のことを口に出すことはしなかった。
五月に、庭に咲いた真っ赤な薔薇を見て、はにかんだ微笑を思い出し少し胸が焦がれた。
しかし、真実とは時に残酷なものなのだ。
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