hisashiNKI
2024-05-31 19:42:35
3839文字
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踏ん切れない兄さんのジョシュクラ

めちゃくちゃ注意
※ED後ちょっと経ってくらい
※弟とモブ女が絡んでます
※ジョシュクラはできてません


バルコニーの柵に半ば縋るように取り付き、真っ黒の川面を覗き込む。迫り上がってくるものに喉を灼かれ嘔吐いた。透明の胃液を幾分か吐き出すと荒い息が少し落ち着く。
あの手が。
そのまま柵に掴まったままずるずると座り込んだ。心臓が不快な音を立てている。あの手が。ゴホゴホと咳が出て涙が滲む。苦しい。赤色。柵に額を押し当て呻く。甘い鼻をつく匂い。違う。手が伸ばされる。ただ見ているしかない。本当は、やめてくれと叫びたかった。そんな資格はないのに。違う、その手は。そのしなやかな手は。

I 

「兄さん、あの鳥はなんて鳥だったんだろうね」
 隣を歩いているとばかり思っていた弟の声が、背後から聞こえた。
 振り返ると、幾分か離れたところでジョシュアは空を見ていた。今にも崩れそうな鈍色の空。遠い山並みの向こうは黒く塗り潰されてしまっている。
 何の話かわからず答えに躊躇した。
 返事がないことに焦れたのか、ジョシュアは視線をこちらに移した。常は目を惹く弟の鮮やかな姿も、暗く沈んで灰黒の世界に溶け込んでしまっている。薄青の瞳だけがやけに光って見えたが、表情は陰になって判別が難しかった。
「ごめん、急ごうか。雨が来そうだ。」
 ジョシュアは、返答を諦めて足早に歩き始めた。

 川横にある宿の扉をくぐった途端、降り始めた。久方ぶりの大雨だった。まだ夕刻にもなっていないのに暗く陰鬱な外界と違って、中は明かりが煌々と灯され、こんな日にしては珍しく大勢の客が楽しそうに声を上げ食事をしていた。隅の席に二人分の空きを見つけ座ると、給仕がそそくさと寄ってくる。
「良かったですね、濡れなくて」
「ああ。席も汚さずに済んだ。」
 ジョシュアが悪戯っぽく微笑むと、年若い給仕はサッと頬を染め少し吃りながら「何にしましょう」と尋ねてくる。
「エールと、暖かいスープを二つずつ」
 給仕はジョシュアから視線を外せないまま名残惜しげにキッチンの方へ去っていった。
「この雨だと、今日中にイーストプールへ戻るのは難しそうだな。部屋に空きがあるといいんだが。」
「そうだね...」
 先程見せた微笑は消え、どこか放心したように談笑する人々を眺める横顔。
「どうした?疲れたか?」
 ジョシュアは、ハッとしてこちらに向き直ると、ばつが悪そうに口角を上げてみせた。
「お腹、空いたな。」
 
 幸いにも一部屋だけ空きがあった。雨は降り続き、夜になるとやけに冷え込んできたので毛布を2枚借りることにした。ジョシュアは食事の後ずっと何か考え事をしているようで、窓辺で珍しくだらだらと酒を飲んでいた。呼びかけても曖昧な応えしかない。
 戴冠式が近く迫っていた。長く不在だったロザリアの正当な後継——ついに、ついにジョシュアが大公となる。正式にその座に就けば、今までのように単身で各地を行き来することも難しくなる。その前に、大戦後の傷跡がまだ残るロザリアの現状を見て回るという名目で、小さな旅に出ることにした。教団の幾人かが従者を申し出たがジョシュアは断り、フェニックスの騎士である自分が供を命じられ随行している次第であった。昔、まだかつてのロザリア城が壮麗な姿を保っていた頃、その頃夢見た3人での気ままな旅をする機会ではないかと思ったが、ジルは兄弟水入らずで、と笑ってトルガルと共に隠れ家に残った。

 毛布を受け取りに物置の方へ行く途中、先程の給仕とすれ違った。
「あの、お連れの方は
 髪を下ろし紅を引いている。安物の香水が鼻を掠めた。
「部屋にいるよ。」
 給仕は小さく頭を下げ、足音をあまり立てずに廊下の向こうの暗がりへ去って行った。
 少し開いたままになっている窓から、ざあざあと音が入り込んできている。雨足はまた強まってきたようだった。

 部屋に戻ると、ジョシュアはテーブルに突っ伏した格好で眠ってしまっていた。伏せられた長い睫毛が蝋燭の灯にチラチラと揺れている。
 手に軽く握られたままの盃をそっと外し、毛布を体に掛ける。ベッドに運んでやりたかったが片腕では抱えることもままならず、そのままにしておくことにした。
 正直なところ、"シド"としての活動を続けるか、騎士としてジョシュアのもとに戻るべきか、迷っていた。
 あの鳥は——昼間の問いかけを反芻する。思い起こそうとすると、なにかざわりとした予感が湧くものの、いくら記憶を辿っても、靄の中を掻き分けているようではっきりと形にならなかった。
 ジョシュアの手から取った盃にはまだ少しだけ液体が残っていた。一口呷る。目の前で眠りこけている弟と同じように酔いたかったが、どれだけ飲んでも素面の自分には土台無理な話だった。

 ふと目が覚めた。
 寒さに身慄いし、毛布を体に引き寄せる。雨は止んだようだった。
 おそらく真夜中であろう室内の闇に目が慣れてくると、ジョシュアの姿が無いことに気がついた。このまままた寝てしまおうと思い、目を瞑るがいつまで経っても柔らかな眠りには落ちていかなかった。
 水が欲しい。毛布を体に巻き付けたままベッドから降り、テーブルに近付くが、空の酒瓶しかなかった。
 毛布を脱ぐと、空気の冷たさが肌を刺した。音を立てないように扉を開け、廊下に出る。広くはないはずの廊下が、静寂に沈んだ暗闇のせいで無限に広がるようだった。左右もわからなくなりそうだったが、なんとか階段まで辿り着きそっと一段目に足を下ろした。
 階下の食堂の奥、昼間ジョシュアと食事を摂った席にほのかに明かりが灯っている。
 なんとなく躊躇われ、柱の影からそっと覗くと、ジョシュアと、黒髪の女が座っているのが見えた。
 二人は顔を近づけ、何かボソボソと話しているようだったが、内容は聞き取れない。水は諦めて部屋に引き返そうと思うのに、足は動かなかった。
 ぼんやりと燈った明かりの中、いやに目立つ女の赤い口元が誘うように弧を描く。ジョシュアの手が、美しい形をした細く骨ばった手が、テーブルに置かれた女の小さな指先に重なった。
 
 ——白鳥。
 そうだ、白鳥だ。
 
 森の中、雛鳥を抱えた幼い腕。突然、記憶の奔流が溢れて足元がぐらぐらと揺れたように錯覚した。音を立ててしまうことも気にせずにその場から逃げ出した。そう。逃げ出したのだ。ジョシュアが鳥の名を知らないはずは無いのに。

 その日はジョシュアの体調が良く、母の目を盗んで城を抜け出し、すぐ近くにある森へ遊びに行ったのだった。綺麗な湖がある森で、ノイバラやツツジが咲く立夏の頃だった。
 遊び疲れたジョシュアと湖の畔で涼んでいると、草むらの中でか細い悲鳴を上げる灰色の雛鳥を見つけた。足を怪我して動けないようだった。ジョシュアは、か細く弱々しい体をそっと手のひらに乗せ、頭を撫でた。すると、その手からあたたかな赤光が迸り、ジョシュアと、覗き込んだ自分の顔を照らした。やがて苦しそうな鳴き声は聞こえなくなった。ジョシュアはもう一度灰色の頭に愛おしそうに触れてから、湖面へ放してやった。
 その弟の姿に、胸がつかえて鼻の奥がツンとした、その感覚がありありと蘇った。優しい炎、生を繋ぐ、美しい赤色……

 そして、その輝きの反面、その華奢な体のもとに跪き、歓喜の涙を流しながら、全てを曝け出して赦しを乞う自分の姿を夢想した。懊悩とも言える願望。我が王。我が主。この世界で唯一の血を分けた我が——
 そんな隠微で身勝手な妄想にぞっとして、振り払うようにジョシュアから目を逸らし、湖に手を浸した。水面をたどたどしく滑って行った灰色の小さな姿は、殆ど見えなくなっていた。
 水はあまりに清らかで、湖面に舞い落ちた白いノイバラの花弁と赤みがかった紫色のツツジの花弁が折り重なって無数に広がり、澄んでいた。雛鳥の姿をじっと見送っていたはずのジョシュアが、いつの間にか隣にしゃがみ込んで同じように透き通った湖に手を浸けた。ジョシュアは俯いていて、どんな顔をしているのかは分からなかった。
「冷たい」
 ジョシュアの小さな手が、水の中で揺らめき、俺の手に絡んだ。
 驚いて、思わず弟の方を見ると彼もこちらを見ていた。柔らかな薔薇色の頬の、稚い顔。そのはずなのに、何故だか全然知らない顔だった。生い茂る木々の影の中、自分のものよりも薄い青の瞳だけがやけに強く光って見えた。
「ジョシュア」
 名をそっと呼んでみても、彼はこちらを見つめたまま何も言わなかった。
「ジョシュア」
 もう一度呼ぶ。水の中の手が更に深く絡まり、指の股をジョシュアの爪が掻いた。
 背筋にぞくりとしたものが走り、少しだけ恐ろしさと、腹の底から湧き上がる仄暗い悦び。
 あと一度だけ名前を呼ぼうと口を開いた瞬間、バサバサと羽音が鳴り響き、木漏れ日に照らされた輝く湖面の向こうから純白の大きな鳥が、その羽根を散らせて飛び去っていった。

I

 気づけば、柵を掴んだままの指は凍えて感覚が無く、震えていた。雨のせいで増水した川が轟々と音を立てている。東の空に一筋の暁光が走る。そろそろ夜明けだった。
 あの時、答えていたら?
 何か変わったのだろうか。
 しかし、きっと、忘れてしまうように強く願った瞬間から、絡まった手はほどけてしまったまま二度と戻らないのだ。
 こちらへ近づいてくる靴音が、扉の向こうから響いていた。