やまだ
2026-01-15 20:23:47
1882文字
Public 原神
 

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ぎきょ〜だいと蛍ちゃん 忘れられない日の話

「君は駒の進めかたがうまいね。仲間のことをよくわかってる」
 ラグヴィンド邸の応接室への重い扉を押し開けた途端に聞こえたその声は、ガイアを少しだけ苦笑させた。
 大昔に、真逆の台詞を同じ人物に笑いながら告げられたことがあったからだ。
 もっと仲間を信じなきゃだめだよガイア、と朗らかに笑う義兄へ、どうせ当時の自分は曖昧にへらへらしてみせたのだろう。仲間なんてものをガイア少年は知らなかった。
 扉の隙間から、静かに室内へ体を滑りこませる。都合のいいことにディルックはこちらに背を向けて卓についており、チェス盤を注視しているせいもあってガイアの侵入に気づいていなかった。
 代わりにその向かいにきちんと背を伸ばして座る蛍と目が合ったが、ガイアが微笑みながら唇に人さし指を立てると声なく破顔して頷いてくれる。彼女も兄をもつ身であるから、ガイアとはこういうとき何かと波長が合うのだった。
「降参してもいいよ、ディルックさん」
 うきうきと弾んだ声に隻眼を瞠る。なんと、チェスの腕ならモンドで十指には入るだろうディルック相手に、蛍はそれなり以上の善戦をしているらしい。大したものだ。
「まさか」
 ディルックは楽しそうに鼻で笑った。すっかり蛍とのチェスに夢中だ。毛足の長い絨毯の上を抜き足差し足で近寄るガイアを隙間風か何かとでも思っているのか、振り向く様子もない。
 ディルックのななめ後ろに立ち、そうっと首を伸ばしてみる。くすくす笑う蛍へにっと笑いかけてからチェス盤を見下ろす。ディルック側からは黒の、蛍の側からは白の騎士団が、盤上で互いの王を睨んでいた。
 スキュアを狙って斬りこんでいく黒のビショップの死角から、白のナイトがその脇腹を狙っている。蛍の陣はキングを守るため、クイーンも最前線に上がって黒の軍勢の殲滅に出ていた。
 ディルックのほうはまだキングを動かしていないらしい。次の一手で白のクイーンの切先が黒のキングを捉えるところだが、何をのんきに笑っているのか。
 ディルックの肩を肘置きにして身を乗り出す。
「格好つけてる場合か? ルークは動かしちまったんだろ? キャスリングはできないぞ」
「もちろん。君に教わらなくてもわかってるよ、ガイア」
 卓上のチェスセットはガイアがこの屋敷に来たころからあるものだ。垂香材を組み合わせて作った盤と、ワイナリーのぶどうの木を削って作った駒は、触れると淡い芳香が立ちのぼる。
 よく覚えている。ガイアも幾度となくこの部屋でディルックと駒を奪いあった。ディルックは昔からほとんど黒駒だったが、まれにガイアが勝つと次の勝負では膨れながら、渋々と白を選ぶのだ。あまりの負けず嫌いぶりに、当時ガイアはしみじみ感心したのだった。
「ここまで蛍のクイーンを取れなかったのが痛いな。らしくないじゃないか」
 ガイアの揶揄に、ふ、とディルックが盤面を見つめたまま微笑んだ。
「確かにそうだね。僕のミスだ」
 蛍はのんびりと紅茶を飲んでいる。カップの陰から覗く澄まし顔は、ディルックへの彼女なりの気配りだろう。それにガイアは目線で謝意を告げる。
「どうする? 助けてやろうか? ひとりじゃ蛍に勝てないって言うなら助太刀するぜ」
 ガイアのおどけた申し出に、ディルックはふふっと肩を揺らした。ふわふわとつられて動く赤髪から覗く白い頬はくつろいで柔らかく緩んでいる。
「君の申し出は嬉しい。だがさすがにそれは……
 ガイアを振り返ったディルックの、微笑みをたたえた双眸が一瞬でぎくりと固まった。みるみる見開かれていくその表面には、今にも噴き出てしまいそうな笑みを耐え、頬を膨らませてぶるぶると震える阿呆面の男が映っている。ガイアがいる。
「ガイア。もう、なんですぐそういう顔しちゃうの」
 蛍の呆れ声に答えてやる余裕すらない。
 何しろガイアを睨みつけるディルックときたら、十年も昔にチェスで負けたときとまったく同じ顔で膨れているのだ。
「君、覚えておけよ……
 とうとう腹を抱えて笑いだすガイアを呪う声に、先までののんびりとしたまるみはない。だが地を這うような低い声でガイアを脅すこの声もまた、紛れもなくディルックだ。
「ああ」
 笑いすぎて息が切れる。目尻に浮かんだ涙を指先で払い、ガイアは仏頂面のディルックをまっすぐ見つめた。
「言われなくてもしっかりと覚えておくさ、ディルック」
 この男がこれほど無防備に娯楽へ没頭する姿を見た今日を、そんな自分をさらけ出しても構わないと思える友に出会えた今日を、忘れられるものか。