やまだ
2026-01-15 20:20:52
1757文字
Public 原神
 

No title

ぎきょ〜だい いらないものの話

 ディルックは不要と断じた物はすぐに手放すようにしている。ぐずぐずといつまでも持っていても何にもならないからだ。いつか両腕で抱えこんだもののせいで身動きがとれず、泥海に足をとられる日が来るかもしれない。身軽でいるに越したことはないのだった。
 ソーサーの縁が知ければカップごと捨てる。
 父の生前、家族でよく出かけた別邸は土地ごと売り払った。
 夢と念が腐敗臭をまとう風に穢された日、あれほど望み求めていた神の日も、くだらない肩書きとともに捨てた。
 かつて周囲からたびたび双子のようだとからかわれていたおとうとすら、ディルックは、捨てたのだ。
 ……そのはずだ。
「よう、ディルックの旦那。おまえが下町をぶらつくとは珍しい」
 にこにこ人懐っこく笑う男の眼が、ちらっとディルックの腰を確認したのを見逃さなかった。かつて所持していた頃と変わらず、ディルックは手元に「戻ってきた」神の目をベルトに通して持ち歩いている。
 見る前からそこに神の目があることを知っているような仕草にじりりと腹の底が燻った。過去に捨てたはずのものと同じ姿形をした現在が、他人ぶりながらディルックを窺っている。
 モンド城下町の煩雑とした人混みよりも、目の前に立つ男の視線ひとつのほうが不快だった。
「店の準備があったからな。……それと、部屋に置く花瓶を探しに」
 おや、と男の目がまるくなる。
「花瓶? 花瓶なら俺がこの前買ってやったじゃないか。でかくて見映えのするやつを」
……ガイアさん。君は僕の家をいったいなんだと? 見世物小屋じゃあるまいし、あんなもの置いておけるわけがないだろう」
「あんなもの、ときたか。これでもそれなりに時間をかけて選んだんだぜ?」
 両手のひらを肩の高さに並べてため息をつく仕草が空々しい。重々しく瞼を下ろし半目になるディルックに対して、ガイアはどこまでも軽佻浮薄だ。
「俺からの贈り物はお気に召さなかったか? その割には……
「その割にはなんだ。ひざまずいて感謝の言葉のひとつも述べてみろと? 君に?」
 神の目は捨てたはずだった。宿願を果たすまではモンドに戻らないと決めた日に、屋敷へ置き去りにして旅に出た。
 家人が保管するかもしれないとは思っていた。だがそれならばディルックが命じない限り視界に現れることはないのだから、意図とそう乖離してはいない。
 まさかにもこの男に、ディルックが決別したはずのかつてのおとうとに、手放した神の目を与えられるとは考えていなかった。いったいガイアはどんな顔をしてディルックの神の目を数年も隠し持っていたのだ。
「別にいいさ。おまえのつむじなんて見てもつまらんし、そんな性格じゃないことぐらいとっくに知ってるしな」
 しらっとした顔でかぶりを振るガイアについ眉間が険しくなる。昔は決してなかったことだが、今の彼と話をするとディルックはどうしても気分がささくれ立つのを止められなかった。共に過ごした過去があまりにもあたたかだったからかもしれない。
 ディルックの胸中など知らず、ガイアは目を細めて片類で笑う。
「似合ってるじゃないか。やっぱりディルック、おまえはそうでなきゃ」
 見ていられなくて目を逸らした。
 ディルックは捨てたのだ。不要なものはすべて捨てた。持ち歩けば肝心なときに身動きが取れなくなる。
 だから両手は空のはずなのに、うんざりするほど体が重かった。すでに理由を自覚しているから気分まで重くなる。
 ふん、と鼻を鳴らし、意志の力でディルックは無理矢理ブーツの爪先を城門へ向けた。
……買い物をする気分じゃなくなった。失礼する」
「これはこれは。俺こそ貴重な時間を使わせて失礼したな。旦那様」
 わざとらしい声を聞き捨てるふりをして、どうにか歩くまねをする。右足と左足を交互に動かすたび、腰に下げた神の目がコートの金具と触れあって澄んだ軽やかな音を立てた。
 捨てられなかったものが可視化されたことで、認めさるをえなくなってしまった。目を逸らしたところで現実は変わらず、どうしようもなくここにある。
 きっとあの悪趣味な花瓶も捨てられないだろう。
 ぐずぐずと、いつまでも、ディルックはおとうとと過ごした時間を切り捨てられずにいる。