やまだ
2026-01-15 20:20:14
2027文字
Public 原神
 

No title

ハートフルぎきょ〜だいの話

 にこっとディルックへ笑いかける男の左腕が、半ばまで肉の赤を晒した状態で肩からぶら下がり、凍りついている。
「ようやくのご到着か、旦那。遅かったな」
……言いたいことはそれだけか」
 もともと岩山の隙間に隠れるように存在する遺跡だ。
 日の光など届こうはずがなく、まして今は深更の闇夜が世界を塗りつぶしている。それでも周囲の気温は、そういった常識をもつディルックをしてぞっとさせるほど低かった。同じように死体が並ぶ場所でもモンドの地下墓所のほうがまだ温かみがある。
 その冷気と、アビス教団の死体の群れの中心で、ガイアはにこにこ笑いながら少し血を吐いた。
「うん? ほかに何か言うべきことがあるか? おまえが来たんだ。もう俺にここでの用事なんてひとつもない」
「喋るな」
「言いたいことがあるかって訊いてきたのはおまえだろ」
 ぺちゃくちゃうるさいのを無視してガイアの前に膝をつき、左腕には触れぬよう冷えた体を手早く検めてみる。グローブがぐっしょりと濡れた脇腹にたどり着いた瞬間、ディルックは反射的に舌打ちしたし、ガイアはほんの僅かに眉をひそめた。
 腹の傷を止血する余裕もないくせに、なぜこの男はいつまでもへらへら笑っているのだ。アビス教団の連中の首を持ち帰るならともかく、こんな酒臭い男の死体を担いでモンドへ帰るのはごめんだった。
「焼くぞ」
……いやいや、いやいや旦那、ちょっと待て」
「待っていたら死ぬ。傷痕が気になるなら教会で消してもらえばいい」
「いや……あっつ! おい、本気で焼きやがったなおまえ! 待てって、肩の氷が溶けるんだよ!」
 最後まできちんと耳を傾けたディルックが手を離すと、細く立ちのぼる煙の向こうでガイアがきりきりと眉を吊り上げていた。さっきまでよりも随分ましな顔をしている。
「そういうことは先に言え」
「ああはいはい。俺が悪かった、言おうとしたんだよ」
 はああ、とこれ見よがしな溜め息をついたガイアの右脇から腕を差しこんで立ちあがらせる。ぎくしゃくして冷たい体はとても生者のものとは思えなかった。
「うちに来るなら医者を貸してやるが」
「ほう、旦那様はお優しい。俺はてっきり、外に出たら野晒しで放置されるものだと思ってたぜ」
「そうして欲しいなら君の望むようにしてやる」
「冗談だろうが。まったく、つまらんやつだな」
 きっと今この男は、よく動く舌に全身の血と熱を使っている。こんな状態であっても、ガイアはそうまでしてディルックに弱味を見せたくないのだ。
 霜の降りた石畳を出口に向かってゆっくり進むうち、さすがにガイアの口数も徐々に少なくなる。
 ガイアが黙るたび、俯くたびにディルックは彼の体を支える手に力を込めた。痛い、苦しい、とその都度文句を言いながら上がる顔を覗きこんでから前を向く。
 こんなところで死なれては寝覚めが悪い。
「おまえも大概バカな男だよ、ディルック」
 ぬるい外気が頬を撫でるほどの距離まで歩ききったころ、ディルックの肩にもたれるガイアが囁くように笑った。
「こんなろくでもない男のために立派な服を汚して、肩まで貸して。おひとよしも大概にしておけよ? ああそれとも、こうやって懐柔して俺の口を割ろうって魂胆か? 生憎だが」
「ガイア・ラグヴィンド。少し黙れ」
 軽薄な声を押し潰すように遮ると、ガイアはなぜかぎょっと目を剥いた。阿呆のような面をしてまっすぐにディルックを窺おうとする。その理由を探るよりも利用するほうが楽だったので、ディルックは遠慮なくガイアの額に額を叩きつけた。
 睨み据える隻眼にはディルックではその価値を推し量ることもできない星がひそんでいる。
「僕がバカなら君はなんだ。大バカか? ひとりのこのこやって来て、それでこんな無様な怪我をしてへたりこんでるんじゃ話にならない。もし僕が来なかったらどうしていた? あそこで座ったまま死ぬつもりだったのか? ちっぽけな達成感と罪悪感を抱えて? バカバカしい!」
 ガイアはまだ呆けていて、ディルックの声が届いたかも怪しい。ふん、と鼻を鳴らしてディルックは再び前を向き、この瀬死の男へ無慈悲に朝日を浴びせてやるために足を動かした。こんなところで死ぬなんて許さない。
……ディルック」
「なんだ。もう歩けないなんて甘ったれたことは言うなよ」
「いや……その、なんというか、一応確認なんだが。俺のフルネームを教えてくれないか。ちょっと混乱してるみたいだ」
 ちらりと横目に見やったガイアは途方に暮れたような顔をしていた。頭でも打ったのか、それとも失血で朦朧としはじめたのか、なんとも口調が曖昧だ。
「ガイア・アルベリヒ。……君、怪我以外にもどこかおかしくなってるんじゃないか?医者によく診てもらえ」
「あー……そうだな。そうするよ」
 おとなしくそう言って苦笑するガイアの姿に、なぜかかつての義弟が重なって見えた。