望月 鏡翠
2026-01-15 17:19:11
891文字
Public 日課
 

#1961 星は西に流れた

#毎日最低800文字のSSを書く/チェス盤戦争


 欲するのは人の本能だ。あるいは生物の基本構造だ。個として生きたい。種として増えたい。生き残りたい。どんなに下等な生物でもその欲求を持っていて、それを叶えるために食い、増え、侵す。そのために果てることすらある。
 種としての願望を叶えるために、個としての生存欲求を捨てる。それは一見非合理だが、彼らの営みは効率的でシステム的だ。虫や魚や植物が持つそうした生きて増え、残るための営みは、ある種の美しさすら備えているように思える。
 人は、その美しさを捨ててしまった。
 個々の存在が大きくなり、その願いは多様化して大きくなり過ぎ、種としての願望を蝕み始めた。営みは複雑に枝分かれし、広がり増えていった。
 人は本能を忘れたが、広がり侵すという一点に関してのみ誠実であり続けたのかもしれない。そうして世界に満ちた人間は、それぞれの営みをはじめ、彼ら自身の国を築きはじめた。
 幾千の川と幾千の山、地の果てまで続く平野を越えたその先には、こことは違う営みと命がある。
 言葉すら越えて届くそのさきに、一つの物語があった。
 それは、とある戦いの話だ。
 それは、とある願いのは話だ。
 それは、とある絶望の話だ。
 この世の理に収まっている限り叶わぬ、尋常ならざる祈りであっても人の領分を外れた奇跡も、あらゆるものが叶う。
 そのために必要なものは、勝利。それに参加する対価は、死後の暗闇。
 白と黒の陣営に分かれ、命を駒とし争う盤上のゲーム。
 それは生物としての本能を忘れて生きることを複雑にした人間が必要とした、新たなシステムだったのかもしれない。
 勝者には願いを、敗者には彼らの願いに見合うだけの業と苦しみを。
 子供が寝しなに聞いた英雄譚に憧れるように、オドもその物語に憧れた。
 やがて故郷を出て、駆け出した。無限の草原も約束された地位もその命に十分とはいえなかった。
 それが彼の本能だったのだろう。
 越えた山も川も、千には届かなかったように思う。それでもオドは見知らぬ土地に至った。
 馬に乗って旅をする異国の男が最初に出会ったのは、武器を携えた野盗だった。