インターホンの無機質な音がひとり暮らしの静かな部屋にに響く。モニターではなく時計を確認し、この時間なら一之倉か。と当たりをつける。ドアを開けると案の定、そこには酒に寄った一之倉が座り込んでいた。松本を確認した一之倉は片腕を上げる。それを引っ張る松本の力を借りて立ち上がるとそのまま正面から抱きついた。
「まただいぶ飲んだのか?」
「ん?そんなことないけど…」
見た目よりもはっきりと話す一之倉にとりあえず安心したものの、巻きついている一之倉が顔を上げると身長差から自然と上目遣いになる。その猫のような瞳に捉えられ、ドクンドクンと心臓が大きく波を打ち始める。このままだと鋭い一之倉にバレかねないと、そっと胸元から剥がし部屋の中へと促した。
自分の家のように堂々と前を歩く一之倉の背中を見つめ、どうせここに来た理由はいつもと同じだろう。と内心ため息をついた。わかっているのに受け入れてしまうのは惚れた弱みだろうか。
「水もらうよー」
松本が返事するよりも先に冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを手に取りソファに座る。
「で、今日は?」
一之倉の隣に腰を下ろし、答えのわかっている問を投げかける。
「彼女と別れた」
「だと思った」
そう。一之倉は彼女に振られるたびに松本のもとへやって来るのだ。
かれこれもうこれで5回目になる。
◇◇◇
高校の頃は朝も昼も夜もバスケに明け暮れていたうえ寮生活。休みもほとんどなく、お互い恋愛など遠い世界の話だった。松本にすれば一之倉は3年間を共に過ごした仲間で親友だった。それは卒業したところで何も変わらないと思っていた。だけど卒業するとすぐに一之倉に彼女ができた。
「彼女ができたって本当か?」
「誰から聞いたの?深津?」
「…好き、なのか?」
「可愛いよ。告白してくれたから付き合い始めた」
「一之倉は好きでもないやつと付き合うのか?」
「ちょっと待って!それは違うし、それに何で松本がそんなに怒ってんの?」
「怒ってねぇよ」
「怒ってるでしょ!……人の気も知らないで」
「あ?どういうことだよ?」
「もういい。じゃあね」
そんな喧嘩みたいなやり取りのせいで、一之倉から松本への連絡は途絶えた。松本は何度か連絡したけれど返事が返ってくることはなく、胸にモヤモヤした気持ちを抱えたまま時間だけが過ぎていった。
半年ほど経ち、一之倉から連絡があった。彼女と別れたから話を聞いてほしいと。お互いの家の中間地点にあるファミレスを選んで食事をしながら話をした。一之倉の彼女…元彼女の話はものの数分で終わった。振られたと言ったわりには元気そうで安心した。
それこから久しぶりに会ったふたりの会話は終わることがなく、結局ドリンクバーひとつで日付が変わるまで粘ったのだ。
「今日はありがとう」
「おう。気をつけて帰れよ」
「うん。またね」
一之倉の“またね”は松本の胸のあたりを温かくした。
そこで気付いたのだ。
あぁ、一之倉のことが好きなのだと。
気づくと全てが腑に落ちた。
彼女ができたことにモヤモヤしたのも、別れたと聞いて嬉しいと思ったことも。
その背を追いかけて抱きしめて伝えれば一之倉は受け入れてくれるだろうか?
いや、男同士なのだ。そんなことをすれば何を考えてるんだ気持ち悪いと、拒絶されるに決まっている。そうなれば親友という関係すら失ってしまう。
松本は伸ばしかけた手をぎゅっと握り、静かに帰路についた。
それからは時間があれば食事へ行ったり、お互いの家を行き来するようになった。松本は一之倉とふたりでいると溢れだしそうになる恋情をひたすら隠し通した。そんな折、また一之倉に彼女ができた。
「よかったな」
笑顔を作ると心が軋む音がした。
それでも奪うことなどできなくて、また距離は遠くなった。
そして2度目は二十歳を過ぎた頃。呼び出された安い居酒屋で「また振られた」と言いながら笑う一之倉の心はそこまで傷を負ったようには見えなかった。
そこで松本の中に生まれたのは、一之倉は彼女に対して本気ではなかったのでは?という疑問だった。もしそうならなぜその選択をしたのだろうか。松本は、自分も告白されたことがあるが、好きでもない女の子と付き合うなど考えたこともなく、丁重に断っていた。
いくら考えても見出だせず「彼女のこと、本当に好きだったのか?」と訊ねてみた。すると顎に手を当て、しばらくうーん…と考えたあと「わかんない」と漏らした。
何だそれは?ならオレでもいいじゃねぇか。
喉まで出かかった言葉をアルコールと一緒に流し込み、一息ついて「そうか」と枝豆を摘まんだ。
その後も一之倉に彼女ができたと聞いては傷つき落ち込んで、一之倉には悪いが振られたと聞いて嬉しくなることを繰り返したが、気持ちを伝えることはなかった。
◇◇◇
「なぁ、今回はお前から別れたのか?」
「え?あ、うん」
いつもなら振られたという一之倉が今日は別れたと言ったことに引っかかりを覚えた。
「ならなぜオレのところに来た?」
今までは少なくとも振られたことに対しての傷心を癒すためだったはずだ。だから自分から振った以上、そうではないと思った。松本は向き合うように座り直し、双眸で真っ直ぐ一之倉を捉えた。
「もう自分の気持ちに嘘はつけなくて」
下がった眉をさらにさげ、困ったように笑った。
「どういう意味だ?」
「……好きな人がいるんだ」
「あ?」
松本の心にズキズキと痛みを与えた言葉は、その端正な顔さえも歪ませた。それでも一之倉は意を決したように松本が膝の上で握っている拳に手を添えた。
「気のせいだと思いたかった。こんなのおかしいって何度も自分に言い聞かせた。女の子が好きだったはずなのに…って」
我慢強く、どんな時でも顔に感情をほとんど出さない一之倉の添えられた手が、言葉を紡ぐ声が、微かに震えている。
「……それって」
察するに、異性ではなく同性を好きになってしまったということ。この状況で誰だなんて聞くほど野暮じゃない。胸の痛みはいつしか治まり口元が緩む。
「ごめんね。オレ……まつ「待て!」
握った拳を広げ顔の前にかざした。
「一之倉」と名を口にしてかざした手を伸ばし頬に添える。
「なっ…なに!?」
「オレ、一之倉のことが好きなんだ。だからオレと付き合ってほしい」
「…………」
小ぶりの口は、はいともいいえとも発することがなく半開きになっている。
「口、開いてるぞ」
ははっと笑いながら距離を詰めた松本は、小さく可愛い口を自分の唇で塞いだ。
「なん、で?」
「何がだ?」
「…キス」
「可愛かったから」
当たり前のように答える松本が触れた部分に指を当てる。
「いつ、から?」
「気づいたのは、一之倉が初めての彼女と別れたあと」
「……うそ」
「本当だ」
「でもっ」
まだ信じられないと言わんばかりに逆接の助詞を口にする一之倉に「どうしたら信じてくれるんだ?」と困ったように眉を下げる。
「え、いや、ごめん!まさか松本がオレを好きだなんて思ってなかったから…」
「隠してたからな」
「……何でだよ」
「一之倉を困らせたくなかった。彼女に振られたらいつもオレのところに来てくれたから、それでよかったんだ」
「松本…」
「それで答えは?」と問う口元は綺麗な弧を描いていた。
「……ありがとう。オレも好き」
何年も前から抱えていた気持ちを素直に告げた一之倉は松本の腕の中へと引き寄せられた。
「もう一度、キスしていいか?」
「いいよ」
キスより先も。と言った一之倉の身体はみるみる温度を上げていった。
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