また明日、また来年、また未来

/ ブツメツフツマ
/ 耀と千芭ちゃん

 (……ギリギリ、間に合うか?)
 電車がホームに滑り込み、扉が開いた。
 公共の場で、しかも真っ昼間、ドッ祓いの用でもないのに走り出すわけにもいかない。出来うる限り歩幅を広げながら歩く。
 ちらりと見たホームの時計では、予想していた時間よりも五分ほどオーバーしている。あらかじめ最短距離で辿り着くようにしていた階段に差し掛かり、逸る気持ちを抑えながら一段ずつ下っていった。

 クリスマス・イヴ。
 久方耀は逢禍学園(の跡地)に程近い駅の中を足早に歩いていた。長らく使われ続けてきた駅は、ついに近々改装工事が入るらしい。
 しかし、前だけを見据えて真っすぐに進む耀の姿は、母校の校舎が壊れた昨年も、三年生となった今も変わらなかった。否、あるいはずっと昔から、一度も変わったことなどなかったかもしれない。
 変わらない。
 祓魔師を志すことが決まった幼い日からも、妹が産まれ兄になったあの日からも、逢禍学園のエリー党に入学した日からも、相罠の契約を結んだ日からも、青空のもとで校歌を歌い上げた日からも、ずっと。
 久方耀は変わらず、久方耀のままだった。

 改札を出るとそこは小さな広場になっていた。
 吐く息がすぐに白く染まって空に上がっていく。耀はそれを視界の端に認めながら、急いで広場の端から端まで視線を滑らせた。
 そして、時計台の下にその人を見つけた。
「千芭さん!」
 大声を出したつもりはなかったが、耀の声はいつも通りよく通り、よく響いた。そしてその声は周囲の人々の動きを多少なりとも止めながら、目的の少女にもはっきりと届く。
 名を呼ばれた彼女ははっとしたように顔を上げ、それから耀の姿を見つけた。
 耀は彼女――美納千芭の元へと、ぱたぱたと走り寄る。
「お疲れさまです、耀先輩」
「ありがとう。ごめん、待たせただろ」
「いえ、そんなことは……! 私も、さっき着いたばかりです」
 そうは言うものの、その鼻先は少し赤い。今は待ち合わせ時間の十分前だから、きっと今から遡って五分前には、彼女はすでにここに立っていただろう。エリー党の生徒と待ち合わせる際にはよく起こる事態だ。
 屋内で待っていてもらえばよかったかもしれない。耀は内心反省しつつも、気を遣わせないようにとそれは黙っておくことにした。
「ここで話すのもなんだし、移動しようか。千芭さんはもうご飯は済ませた?」
「あ、いえ、まだです。先輩もまだでしょうか?」
「ああ。だからちょうどよかった、近くの店に入ろうか」
「この辺りだと……以前、花曇さんから話題になっていると聞いたカフェがありますね」
「花ちゃんが? 千芭さんは行ったことがある?」
「いえ、まだなんです。ずっと気になってはいたのですが……
「そっか、ならそこにしよう。俺も今気になったし」
 場所を調べますね、とスマホに手を伸ばした千芭を待つ間、改めて耀は彼女に視線を向けた。
 彼女は淡い黒髪をさらりと伸ばし、今日に限ってはそれを緩くハーフアップにしている。結わえられた大きめの青いリボンが髪に合わせて揺れていて、冬らしいグレーのトレンチコートによく似合っていた。
 そんな彼女の姿を、耀は、まるで妹を見守るかのような眼差しで、微笑ましげに見下ろしていた。
 美納千芭は久方耀の相罠である。
 様々な騒動が重なった昨年、耀が持ちかけた契約だった。彼女に差し出した「君を守る」という誓いは、今もまだ耀の中に生き続け、そしてずっと続くのだろうとわかっていた。
 真面目で、努力家で、まっすぐ。
 エリー党らしいの美徳を体現する彼女のことを、耀はいたく気に入っている。

 持ち前の生真面目さからきちんとメモを取っていたらしく、正確な店名をものの数分で見つけた千芭は、そのまま店への道筋を案内してくれた。
 駅からいくらか歩き、細い脇道に入る。住宅街のように見えた道沿い、件のカフェはひっそりと佇んでいた。
 店内は落ち着いた雰囲気で、これがかえってレトロな内装として評判になるのだろうと察せられた。実際、人入りは悪くなく、学生と思わしき客がいくらか店に入っている。
 確かに花曇がSNSで見つけてきそうな店だ、と、耀は席につきながら思った。
 久方花曇は耀の妹であり、千芭の友人であり、二人の寮違いの後輩にあたる。本来であれば今日は三人で出掛ける予定だったのだが、花曇に急遽ヤサ愚連の方で用事が入ってしまった。そのため、こうして耀と千芭の二人での外出となったのだった。
「えっと……ケーキセットがオススメみたいですね」
 千芭はテーブルに広げられたメニューを見つめ、ゆっくりと捲っていく。店内の隅、窓に面した二人席。彼女の向かいに座った耀は、千芭のその真剣な眼差しを正面からじっと見守っていた。
「ショートケーキが美味しかった、と花曇さんが教えてくれました」
「はは。あの子、ケーキって言えばショートケーキだから」
「はっ……。確かに、いつも選んでる気がします……!」
 こくこくと頷く彼女の脳裏には、きっと妹の笑顔が浮かんでいるのだろう。ここにはいない共通の知人のことを想いながら、耀もようやくメニューに視線を落とした。
「千芭さんは何にする?」
「そうですね……では、今回は花曇さんのおすすめ通り、ショートケーキをいただこうかなと」
「じゃあ、俺はチーズケーキにしようかな」
 耀はそのままよく通る呼びかけで店員を呼び止め、簡単に注文を済ませた。
 それからしばらく、取り留めのない会話が続く。会う機会は少ないわけではないし、スマートフォンを使ったコミュニケーションであれば、頻度はかなり多い方だろう。それでも話題は不思議と尽きない。
 話すべきことは少なくても、話したいことはたくさんある。最近立ち寄った店のことも、近頃の勉強のことも、世間で耳にするニュースのことも。
 いつだって真剣に耳を傾け、誠実に考え、言葉を探して返してくれる。千芭とのそのコミュニケーションが、耀には好ましかった。
「千芭さんと話すのは楽しいね」
 思ったままを口にすると、千芭はひととき、息を止めた。目をぱちくりと瞬かせ、そしてじわじわと頬に赤みが差していく。
「そ、そうでしょうか……!? ありがとうございます……私の方こそ、先輩とお話しするのはとても為になりますし、楽しいです」
 きらきらと輝く瞳に見据えられ、耀は僅かに面映ゆさを感じた。しかしそれと同時に、やはり千芭の生真面目さを微笑ましく思う気持ちも強い。
「俺の話くらいで為になるなら、何よりだ」
「はい。いつも、耀先輩からは知らないことを教えていただいてばかりです」
……知らないこと、か」
 言葉にはしなかったが、それが七億不思議という超常のものを指しているのだろうことは、耀にも察せられた。あるいは、もしかすればそれ以外の事も内包しているのかもしれなかったが、耀の気付くところではない。
 これまで過ごしてきた生活の裏側。存在しないとされているオカルティックな現象。それを『ドッ祓う』ための特待生という存在。
 そして、その手伝いとして、身体を賭ける相罠という制度。
 一連の事件がなければ、彼女はそういった世界を知らずに生きてゆけただろう。仮に薄ぼんやりと知覚できていたとして、その正体に手を伸ばすことなどなかっただろう。
 いや、一連の事件があったとしても。耀が彼女の手を掴まなければ、きっと彼女は知らないままでいられたのだ。
……千芭さんは、知らないことを知るのは楽しい?」
「もちろんです」
 彼女は間髪入れず、当然のように頷いた。
「私はまだまだ未熟です。ですから、少しでも何かを身につけられるなら、それは必要なことだと思いますし……そうやって成長していくのは、楽しいことだと思います」
 真っ直ぐな眼差しだった。
 耀が彼女の手を掴まなければ、彼女は不可解な世界を知らずにいられた、危険な目に遭わなくて済んだ。
 それでも、耀は、一度たりとも後悔をしたことはない。後悔をするような誤った選択をしたことはない。 
 そしてそれは、千芭もきっと同じだった。
「俺も、そう思うよ」
 耀の答えに、千芭は微笑みを浮かべて応えた。

 注文からしばらくすると、ケーキがテーブルに運ばれてきた。
 メニューやSNSで目にしていた写真通り、綺麗な盛り付けがされている。テーブルに置かれるなり、千芭はきらりと目を輝かせ、「わあ……!」と小さく感嘆の声を漏らした。
「美味しそうだね」
「はい、とても! ……あ、そうだ。写真を撮っておかないと……
 その喜びようからして今にもフォークに手を伸ばしそうに見えたものの、千芭は至って冷静に、鞄にしまっていたスマートフォンを取り出した。耀もそれに倣うように、ポケットからあまり使うことのないスマートフォンを出す。
「写真は花ちゃんに?」
「はい。おすすめしてもらったので、来たことを報告しておこうと……!」
 いそいそと角度を調整しながら、千芭は真剣な面持ちでケーキをうまく撮ろうと奮闘している。
 それを真正面から、そしてカメラ越しに見守りながら、耀はそのままシャッターのボタンを押した。全意識がケーキとカメラに向いている千芭は、まさかその姿を撮られているとは思ってもみないだろう。
 耀は今しがた撮影に成功した静止画を数秒眺め、そして満足そうにスマートフォンをしまった。あとで花ちゃんに送ってあげよう。千芭から送られてくる写真と、その様子を写した一枚。十分、一緒にいる空気を味わえることだろう。
 そのうち、何度もチャレンジしていた千芭もようやく納得のいく一枚が撮れたのか、満足そうにケーキに向き直る。どう食べようかとふたたび皿の回転を微調整させる真面目な表情に、耀も思わず頬を緩めた。
「では、いただきます」
「いただきます」
 ほとんど同時に手を合わせ、ほとんど同時にケーキをフォークを切り分けた。千芭が切り分けた分よりもいくらか大きな一欠片を口に放り込み、耀は咀嚼する。
 耀は、あまり甘いものを食べない。それは好き嫌いではなく、ただ自ら好んで食べる機会が少ないだけのこと。自他共に認める大食漢である耀にとって、ケーキはいくら食べても足りないものだった。
 何度か噛み締める。柔らかな舌触りから受ける印象通りに角のない味わいが優しく、強すぎないチーズの風味が甘みや酸味とよくマッチしている。溶けていくようでいてきちんと質量があり、ケーキに詰まったコクが深く感じられた。
「うん、美味しい。評判通りだね」
……! はい、とっても美味しいです!」
 顔を上げれば、目をきらきらと瞬かせた千芭がフォークを片手にこくこくと頷いていた。もう飲み込んでいるだろうに、口元に手を当てる仕草は行儀の良さのあらわれだろう。
 耀は千芭のぱあっと明るい表情を見て、それまでよりもケーキを美味しく感じるような気がした。美味しそうに食事をする人は好きだ。
「千芭さん、こっちも食べる?」
 思わず皿ごとそっと差し出せば、千芭は案の定「そんな」と一度断ろうとする素振りを見せた。もちろん織り込み済みだ。耀は少しも退がることなく、「美味しいから食べて欲しいんだ」と続ける。
 それが、千芭にはよく効く言葉だと、とうに知っている。うぐぐと少し悩んだように見えた千芭だったが、そのうち自分の中で折り合いをつけたようで、ひとつ頷いた。
「では、ありがたくいただきます。先輩もこちらをどうぞ。交換ということで……
 お返しに、とそっと差し出されたショートケーキの切り口は非常に綺麗で、それすらも彼女らしかった。

 耀と千芭はよく共に食事をする。
 食の好みが合うというよりは、「いろいろなものを食べてみたい」という探究心や好奇心といったものの波長が合うのかもしれない。耀にとっては、量を気にする千芭の代わりに注文し、その半分(あるいは半分以下)を分けるというのがもはや日常になっていた。
 相罠制度の一つの特徴に、それを結べば特待生ではない一般生徒も夜間の外出が可能になる、というものがある。七億不思議のいる夜道を歩く危険性は計り知れないが、祓魔師のたまごである特待生がそばにいるのならまた話は別である。
 いつになく緊張した面持ちの千芭を、初めて中華屋に連れて行った夜のことを、耀はいまだに覚えていた。あの日も、千芭は目を輝かせていた。その夜のためにカロリー計算も努力をしたのだろう、それも含めて、千芭は嬉しそうに笑っていたのだ。
 いつだってそうあってほしい、と、耀はよく思う。大切な人に笑っていてほしいという願いは、ごくありふれた市井に蔓延する祈りだろう。でも、それを心から祈ることだってある。
 耀にとって、千芭は、かけがえのない大切な女の子なのだった。

 ひととおりケーキを堪能し、耀と千芭は店を出た。日は少しだけ傾いていたが、日没まではまだ時間がある。
「イルミネーションの点灯はもう少し後だな」
 そう、今日はもともと、クリスマスのイルミネーションが目的だった。それも花曇が言い出したことだったのだが、当の本人は残念ながらここにはいない。せめて二人で行って写真でも撮ろうか、というのが、耀と千芭の結論だった。
「ええと……はい、およそ三時間ほどありますね」
 ちらりと時計を確認して、千芭は耀をそっと見上げた。どうしましょう、と言外に尋ねるその視線を受け、耀は少しばかり首を傾げる。
「そうだな……ひとまず近くまで移動しようか。ショッピングモールのそばだったよな?」
「はい。ショッピングモールまでは……駅からバスで十分ほどだったと思います」
「ありがとう。じゃあ、そこまで行こうか。そこで買い物してもいいし、買い食いしてもいいし……うん、タイミングが合えば映画を観るのもいいな」
「映画ですか?」
「うん。ちょうど、面白そうな映画がやっててね」
「そうなんですか。……先輩が面白そうと仰る映画、かなり気になります」
 ごく真剣な眼差しで見上げてくる千芭に、耀は思わず小さく笑った。
「なら、もし時間帯が良くて、席が空いてたらそのまま観ようか。混んでたら、それはそれでまた来よう」
「はい、ぜひ!」
 細い住宅街を抜け、駅に向かって来た道を遡るように歩いていく。
 ドッ祓いの時に離れないようにと何度も言い含めた影響だろう、千芭は普段から、いくらか耀に近づくようにして歩くようになった。肩が触れ合うか触れ合わないか、そんな境目の距離感。
 耀が隣を見やれば、その横顔はいつもそこにあった。真っ直ぐに前を見据えて、時折こちらを見上げて、そして嬉しそうに笑ってみせる。
 いつまでも。いつまでも、そうあってほしいと、祈る。そうあるように、自らが守り抜くことを誓う。それらは耀にとってどこまでも同義だった。
……千芭さん、寒くない?」
「いえ、大丈夫です。カイロも準備してきたので」
「そっか、なら良かった。もしかしたら雪が降るかもしれないって予報にあったから」
「夕方ごろからですよね。もしイルミネーションと同時に雪が降ったら、すごく綺麗に見えそうです」
 空を見る。上空はまだ晴天で、雪を運ぶような雲は見当たらない。
 晴天が遠い日々があった。雨ばかりが続いた日々だった。そんな日のことを思えば、雲がかかるようにと考えるのは少しばかり裏切りのような気もしたが、それだけ、あの日々が過去になったということだろう。
 全ては過去になって、こうして続いていく。
「晴れに見るイルミネーションも、雪に見るイルミネーションも、多分綺麗なんだろうな」
 思えば、クリスマスにイルミネーションを観に出かけるなど、これまでしたことがなかった。なにせ日没後は祓魔師としての仕事が優先で、ツリーなど見ている暇はなかったからだ。
 そんな日々も、きっと過去になっていくのだろう。
「よかったら、来年も行こうよ、千芭さん」
 全部過去にして、それでも進んでいきたい。
 隣の少女は一瞬の間を置いて、それから嬉しそうに微笑んで、頷いた。それが、未来への何よりの約束だった。


―――

お借りした方
美納千芭ちゃん(@al_kikaku_2 さん)