2026-01-14 20:32:46
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空で踊る風

Re:valeの千さん、お誕生日おめでとうございます。
貴方に、青春をともに過ごした旧友とのひとときを。

とりとめもなく、万理と千の現在位置確認。
自分ごと、他人ごと。変わっていくこと。

・展開上、ドラコレ後となっていますが、時間軸は第5部~第6部あたりを想定しています。
・ラビチャ「大神万理 [サプライズパーティー]」のカード絵を踏まえた部分があります。(未読でも問題なし)

……風が出てきたな」
 淡い色のカーテンが半開きになった窓の外、暗く切り取られた空を眺めやりながら、大神万理は小さく呟いた。
 窓には寒風が吹きつけるが、部屋の中は暖かく、居心地良く整えられていた。白を基調に、インテリアグリーンの配されたリビング。シンプルでいて、やけに座り心地の良いソファ。そういえばこの部屋の主は、万理の部屋に入り浸っていた昔にも、しばしばソファを定位置にしていた。
 ――昔にも。本当に、ひどく昔のことに感じられる。実際、いま振り返れば歴然として「昔」だろう。十年一昔とはよく言ったものだ。
 過ぎ去った昔は、今に繋がっている。先へと繋がっていく。
 過去から、未来へと。

 ×     ×     ×

 テーブルに置いたスマートフォンが震えた。バイブレーションの振動が思いがけず響き、慌てて手に取る。通知を確認し、ラビチャの返事を作っていると、キッチンに居た千がやってきて横に立った。
「緊急?」
「いや。壮五くんから、帰寮の報告」
「へえ、真面目だ。今日の行動は、なかなかアクロバティックだったけど」
 音楽方面の相談ごとのため、千のマンションを訪れていた壮五からの連絡を受けて、万理が迎えに来たのは小一時間ほど前のこと。
 玄関口で、きっちりと荷物をまとめて手に持った壮五に、千ともどもに言われたのだった。
『恐れ入ります、僕はお先に失礼いたしますので、おふたりで水入らずのお時間をお過ごし下さい。事務所と社長にはお伝え済みですから、万理さんもどうかごゆっくり。こちら、差し入れです!』
 ひと息に言って、手にした荷物のひとつを万理に押しつけた後、ぺこりと頭を下げて去っていった。中には軽食、菓子とつまみの類、ワインのボトルと焼酎の四合瓶、ついでに王様プリンも入っていたあたり、環とともにあらかじめ計画していたらしい。普段はなかなかゆっくりと話す機会の作れない二人に、きっかけと時間をプレゼントしてあげたい、と。
「いい子だろ。千さんにもよろしくお伝えください、だってさ」
「そうね。真面目で、いい子だ。ワインもいいセンスしてる」
 緩慢に笑って、またキッチンへと戻る背中に声をかける。
「なんかずっと立ちっぱなしだけど、お構いなく。天気が荒れそうだし、長居はしないんで」
「別に、普通にご飯を作ってるだけだよ。モモを呼んだから、夕飯は一緒に食べていって」
「百くんを? 忙しいだろうに、無理させてないか」
 年の瀬も迫り、業界に身を置く者には今が一番忙しい時期だ。マルチに活動する百のようなアイドルは殊に引っ張りだこで、寸暇もないだろう。
「外ロケが強風の影響でバラシになったって。そのまま座組の飲みに行きたそうだったけど、万が来てるって教えたら、飛んで行きます! だってさ。風に乗ってでも来るのかな」
 僕だけなら来なかったよ、あいつ。と言う声にほんの少しだけ拗ねた響きがあって、こっそりと笑いを噛み殺す。本気で拗ねているというよりは、うっかりと漏れ出たぼやきのようだった。
「そういうわけだから、もう少し居たら。先に飲んでいてもいいし」
「あー、じゃあ、とりあえず店開きしておくか」
 壮五からの差し入れの数々を取り出し、テーブルの上へと並べる。焼酎の銘柄は、いつだったかIDOLiSH7の年長組と居酒屋に行ったときに飲んだものだった。万理が気に入ったのを覚えていてくれたのだろう。大和あたりがアドバイスをしたのかもしれない。本当に、いい子だ。いい子たちだ。
 じんわりとした嬉しさに頬を緩めつつ、テーブルに置かれた大判の雑誌を片付けようと手に取る。ファッション誌、あるいは音楽雑誌かと思いきや、料理メインの生活情報雑誌だった。冬らしく暖色でまとめられた表紙には『おうちでつくる肉おせち特集』と大きな文字が躍っている。
 肉を食べない人間が、肉料理を特集した雑誌を買う。誰のため、何のためだか。
「丸わかりすぎるんだよなあ……
「何か言った?」
「ん。いや、何でも。運ぶの、手伝おうか。なんなら料理も」
 木製のトレイを手にテーブルへと近づいた千が耳聡く聞き咎めたのを、適当に受け流す。
「いいよ、座ってて。ついでにこれも並べといて」
 かたり、と小さな音を立てて、ガラスの器がテーブルへと置かれた。緑色の粒々が入ったディップソースらしきものが盛られている。
「ブロッコリーのバーニャカウダソース。ディップにも使える。壮五くんの差し入れにクラッカーがあっただろ」
「へえ、美味そう。手作り?」
「冷凍で作り置きしてる。野菜にも肉にも合って便利なんだ。あと、これはお通しね」
 テーブルに、今度は陶器の小鉢が置かれた。美しい半月切りの白い漬物に、青々とした茎と葉が、寄せかけるように添えてある。
「かぶの麹漬けか。茎と葉の彩りがいいな」
「惜しい。甘酒漬け。手軽なのと、モモは甘い浅漬けが好きだから。茎と葉は使いたくなるんだよね。昔は本当に端まで全部使い切ってたし」
――昔?」
「モモとふたりで暮らし始めた頃。食材はなんだって貴重だった」
 十年一昔、までは行かない五年の昔。百が外に出てアルバイトを、千が中にいて家事全般を、分担してやりくりし生活していたという、彼らの始まりの頃。彼らの昔。
 箸を手渡されて、かぶをひと切れ口に運ぶ。ぱりっとした歯ごたえと、舌に触れるやさしい麹の味わいが心地良い。
「これも自家製?」
「うん。甘酒は市販のを使ってるけど」
 頷く千を見て、しみじみとため息をつく。
「お前、本当に料理が上手くなったよな」
 かつては、あんな不格好なケーキを作っていたというのに。
 以前の秋クールドラマを思い出していた。千は、環の兄にして旅館の厨房を担う役柄で、MEZZO"のマネージャーとして撮影の様子を見学した折りには、アドリブで料理の小技を組み込んだ演技にひそかに感嘆したものだが、あれも日常的に料理をする人間だからこそ出来たことだった。
 トレイを引っ込めながら、千が小さく肩を竦める。
「必要に迫られたからね。少ない食費と限られた食材で、どれだけモモに栄養を摂らせるか。あの頃のモモ、あばら骨が浮き出るくらい痩せちゃって、それこそ風に飛ばされるんじゃないかって、……
 そこで万理の顔を見て、いちど言葉を切り、軽い口調にして言った。
「衣装合わせのたびにサイズダウンしているのを知った凛太郎が、珍しく食事に連れ出したのは面白かったな。しっかり領収書を切らせてたけど。サイズ直しよりは安くつくと思ったんだろ。そういうとこだよ、あいつ」
 軽口から悪口へのカジュアルな移行に、うっかり笑ってしまう。
「設立したばかりで、岡崎事務所さんも大変だったんだろう。事務方としては、数字の苦労はわかるよ」
「この場合、事務所じゃなくて凛太郎の財布の紐の問題じゃないか。そんなわけで、どんな食材も美味しく無駄なくモモに食べて貰うように工夫していたら、いつのまにか料理の腕前が上がっていたんだよね。内助の功ってやつ?」
「その言い回しでいいのか……
「いいでしょ。夫からの内助ってのが今の時代らしくて」
「はいはい」
 片割れ不在の夫婦漫才。本当に、なんでこのふたり、この路線を選んだんだろう。その疑問を口には出さぬまま、壮五からのワインのボトルを取り上げてテーブルに置いた。優美なブルゴーニュワインのボトル。これもきっと、千の好みを考慮したものだ。
 と、ボトルを見た千が、思いついたように言った。
「そうだ。万に手伝って貰うこと、あった」

 ×     ×     ×

 指し示されたのは、キッチンボードの上置き棚だった。前面は光沢のある白い開き戸で、小さなストッパーがついている。
「あの中に予備のワイングラスがあるはずだから、出してくれる?」
「いいけど……なんで?」
「うち、普段は食器もグラスも二個ずつしか出していないんだ。せっかくだから三人揃いのグラスで乾杯しようよ」
「いや、そこじゃなくて」
 戸棚の位置は、千の手も普通に届く高さに見える。あえて万理に頼む理由が分からない。そう口にすると、千は僅かに片眉を上げた。
「届くには届くけれど、あの扉、ストッパーのロックが固くて。指の長さもあるから、万のほうが楽に届くし、開けられるでしょ」
「指の長さって。俺と千で、そんな違わないだろ」
「いや、確実に万のほうが長いよ。ギター弾きの指だ。面倒なコードチェンジも悠々としていて、いつも少しだけ羨ましかった」
……そうか。言われてみれば、タイピングには役立ってるかも。ShiftキーとAltキーの同時押しとか得意だし」
 あえての軽い口調で、それとなく話を動かすと、千はふっと目もとを和ませ、口の端を緩めた。ほわりと力の抜けた、自然な笑み。かつては万理ただひとりだけに、ごく稀に向けられていた、柔らかな表情。
「今度おかりんとタイピング勝負してみてよ。本気モードのおかりんのキーボード捌き、凄いから。スマホの文字入力はモモが速いけど」
「フリック入力は若い子ほど得意なんじゃないか。うちだと環くんとか」
「ああ、なんかすごく自然に使いこなすよね。撮影の時、素早く絵文字を出すコツを教えて貰った」
 いまは相方に、マネージャーに。ライバル事務所の後輩にも、惜しみなく向けられる。
 ふう、と呼吸をひとつして、会話に区切りをつけた。軽く袖を捲り、戸棚の前に立って手を伸ばす。
 己の指先を見上げる。千の記憶の中で、ギターを奏でる長い指。万理の記憶の中で、彼だけに向けられていたゆるやかな笑み。
 ――十年一昔だ。料理も、タイピングも、互い知らぬところで上達した。
「よっ、と……
 ストッパーに指をかける。確かにひどく固い。じりじりとは動くが、溝に擦られて先に指の皮が剥けそうだった。
 人さし指から親指に替えて、ぐっと押し込むように力を入れる。と、鈍い音とともにストッパーがぐるりと回転し、押さえを失った前開きの扉が勢いよく開いた。
 棚の内側で崩れ、扉に押しつけられていたのか。重たそうな布張りの化粧箱が飛び出した。
「あぶな……!」
 隣に立つ千を、咄嗟に肘で押しやる。が、逆に肘を掴まれてぐいと引っ張られた。バランスを崩し、もろともに床へと倒れ込む。
 もつれるように転がったふたりのすぐ横を掠めて、重い塊のような箱が床へと落下した。カシャン、とやけに透きとおった音が響く。
 そして部屋は、しんと静まり返った。
…………あ」
……千、大丈夫か」
 引きずり倒され、千の身体に被さった態勢のまま、そっと聞いた。長い髪が乱れて顔にかかり、表情がよく見えない。
「千?」
 再び声をかけると、千がうっそりと身を起こし、髪をかき上げた。瞳は静かにけぶるようでいて、湛えた光は強く貫くように万理を見つめる。
「大丈夫。僕は、大丈夫。万は?」
「俺も、大丈夫だよ。……俺は、大丈夫。千は?」
「うん。僕も大丈夫……
 二人でかわるがわる、何度も何度も、繰り返した。
 千も、万理も、大丈夫だ。大丈夫だったのだ、と。
……悪い。グラス、割れたかも」
 床で潰れている箱に伸ばした手を、千が止めた。
「あとで見ておく。そのまま置いといて。乾杯のグラスは不揃いになってしまうけれど」
「いいんじゃないか。俺は、壮五くんの焼酎をいただくから。ロックグラスでも貸してくれれば」
 千が、揃いのグラスで乾杯を、と言ってくれたことは嬉しかった。だが、三人三様のグラス――あるいは、二人のグラスと一人のグラス。それで、いいのだと思う。
 インターホンのチャイムが鳴った。オートロックからのドアホンの呼び出しだろう。
 千が顔を上げ、ドアホンモニタへと目をやりながら、なにかぶつぶつと言っている。
「いつも通りに入ってきていいのに。万が居るからって、あいつ……
「おい、千。百くんだろ。早く開けてやれよ」
 促すと千はなぜか小さく舌打ちをし、立ち上がった。
「戸棚の扉、閉めといて」
「ああ、わかった」
 モニタへと向かう千を横目に、開き戸を閉めてストッパーを掛け直す。一度強引に開けたおかげか、金具はすんなりと掛かった。
 背後で、千がモニタ越しに百とやりとりをしているらしい声が聞こえた。さっさと入ってくればいいのに、そのための合鍵でしょ、は? 来客中だから? 万は客じゃないだろ、身内みたいなものだし、何、誰の身内かって? 決まってるだろ。
 ――Re:valeだよ。
 ふっと息を吐いて、しのび笑いを漏らす。
 過ぎ去った昔は、無くなりはしない。ただ「昔」となって在り続け、今へと、先へと繋がっていく。
 過去から、未来へと。

 リビングへと戻り、半開きのままのカーテンを閉めようと手を伸ばしたとき、みしりと窓ガラスが鳴ったような気がして動きを止めた。薄緑色のカーテンが、微かに揺れている。
 と、玄関から、賑やかな声が聞こえた。
「おじゃましまーす! ユキ、おつかれさま! バンさんは? リビング? ねえ、今日みたいな場合、バンさんにはおはようございますかな……?」
「業界人のお約束を気にするところ? だから身内だろって」
 ぱっと陽が射すように明るく元気な百の声と、いくぶん不機嫌そうに曇った千の声。
 カーテンの揺らめく窓を見やる。気密性の高いマンションだ。百が扉を開いたことで、室内に空気が流れ込み、気圧の変化で軋んだのだろう。
 まるで、風を連れてきたみたいだ。そう思いながら、窓の外、空を見上げる。
 冬の風が、千切れた雲を巻き込んで、強く吹き上げていく。
 降り出しそうな空を駆け昇り、銀青色の先へ。不敵に、自由に、伸び伸びと。踊るように。

 それがRe:valeだと、万理は知っている。


〈Fin〉