松本の引退宣言は突然だった。Bリーグのチャンピオンシップ準決勝で松本が所属するチームの敗退が決まり、勝利チームのインタビューが始まろうという時に、松本にマイクが渡されたのだ。
松本に引導を渡したのが深津ヘッドコーチ率いるチームだったことは、もはや運命としか言いようがない。あの二人には、絆とか信頼とかそういう言葉では説明のつかない、何かがある。そこには一之倉でも立ち入れなかった。
「できればチームを優勝させて引退したいと思っていましたが、あとは深津に託します」
そう言って笑顔でマイクを深津に返した松本と対照的に、深津はボロボロに泣いていた。
松本が確保してくれた一階ど真ん中の席で、一之倉はそれを見ていた。
一之倉がコインパーキングに入れていた車をアリーナの車寄せに回してきたとき、松本は案外身軽な様子で待っていた。チームカラーに合わせて買った青いコンパクトカーの後部座席にバッグを放り込んでから、松本が助手席のドアを開ける。
「お疲れ。荷物これだけ?」
「ああ、ここで負けるつもりなんてなかったから、花束もなにも用意してないって」
「なるほどね」
松本がシートベルトを締めるのを待って、アクセルを踏む。試合終了からずいぶん時間が経っているから、会場周辺にはもう人影もまばらだった。ライトアップされたアリーナと、これから走ろうとする湾岸道路とが、煌々と光っている。
もうすっかり見慣れた道に車を走らせながら、一之倉はまっすぐ前を向いたまま口を開いた。
「これからどうする?」
「ああ、メシ食って帰ろうか」
「そうじゃなくて」
「わかってるよ」
ちらりと横目でうかがった松本の顔には、うっすら笑みが浮かんでいた。橙色の街灯が落とす影のせいか、さっきまでコートを走り回っていた人間と同一人物とは思えないくらい老けこんで見える。
「無職だ。どうしようかな」
途方に暮れたような声は、エンジン音にかき消されそうなほど小さかった。今日、車で来たのは失敗だったかもしれない。こんなときに手も握ってやれないなんて。
手を握る代わりに、一之倉はエンジン音に負けないくらい声のボリュームを上げた。
「やりたいことぜんぶやって、行きたいところぜんぶ行けよ」
それから、アクセルをぐんと踏み込んだ。街乗りしか知らないコンパクトカーが、驚いたようにスピードを上げる。松本がすうっと息を吸い込む音がした。
「……アメリカの大学に行きたい。ちゃんとコーチングを学びたい」
「オッケー。沢北に訊いてみるか。あいつが行ってた大学、コーチング専門のコースもあるって言ってたはず」
間髪入れず答えた一之倉に、松本がふっと笑う。
「止めないのか? ようやく現役引退して落ち着くかと思ったのに、今さらアメリカだなんて」
「ほんとうに行きたいなら、松本は誰が止めたって行くでしょ」
「そうか?……そうかもな」
二人を乗せた青い車は、日曜夜の湾岸高速を軽快に走る。びゅんびゅん風を切る音に混じって、松本がちいさく鼻をすすりあげた。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.