史加
2026-01-13 13:32:31
5638文字
Public 原神(鍾タル)
 

いつかこの執愛を貫く刃となれ

鍾タル/往生際の悪いタルタリヤと愛が重い鍾離の話


※ワードパレット11 「からっぽ」「密やか」「離せない」お借りしました
※事後





 タルタリヤにとって大切なものといえばまずは家族、そして戦いだ。あとは女皇への忠誠だとか、ファデュイ執行官としての任務だとか、そういったものが続くけれど、ほかの人間と比べて身軽に生きているほうだという自覚はある。普通のひとのように隣人を愛し慮るだけの人情や、世話になった人間への義理などといったものに捕われて、足を重くすることがめったにないからだ。
 そんな自分の生き方に不満も覚えていない。愛する家族がいて、己を磨きたいという飽くなき欲求がある。それで十分だろう。むしろ世界征服という果てのない野望を叶えるのに、あれもこれもと目移りしている余裕なんてない。そんな暇があるのなら強者と戦い、あらゆる技を試し、獲得し、数多の経験を己の血肉として兵器たるこの身をもっともっと磨かなければ。その一心で生きてきたタルタリヤにとって、色恋などというものは当然無縁のものであり、それと向き合うどころかほんの一瞬でも考えることすらありえないと、そう思っていた。
 否、今だって多分、勘違いをしているだけなのだろう。手持ち無沙汰を紛らわせようとひとの手に好き勝手触れながらタルタリヤはそう思う。
 すらりと長い指の表面を覆う皮膚はところどころが硬く、武器を握り慣れている痕跡をそこかしこに宿している。手のひらも厚く、タルタリヤのものよりもひと回り大きくて、武器の柄を握り込むのに適したかたちをしていると言えるだろう。
 幾度となくこの手に槍を握り戦場に立った目の前の武神の強さはいかほどのものだろうかと考えるだけで心臓が高鳴り、全身を巡る血が熱を運ぶ。今が真夜中でなければ。綺麗に整えられたシーツの上に寝転がり、手触りの良い掛布に包まれていなければ。腰に鈍い痛みと特有の重だるさが残っている状態でなければ。タルタリヤは両の手に水形剣を形作り、目の前の男に斬りかかっているところだ。
「なあ、先生。明日」
「手合わせはしないぞ」
「まだ何も言ってないじゃないか」
「そうギラギラとした目で熱心に俺の手を握っておいて、まさかただ食事に誘うつもりだとは言うまい」
「それはそうだけど」
 見透かされるのも、すげなく断られるのもいつも通りだった。鍾離という男は無用な争いを好まないのか、それとも別の考えがあるかはわからないが、タルタリヤが何度手合わせを願っても応じたことがない。食事の誘いには頷き、こうして一夜の戯れにも興じるくせに、ずるい男である。
 タルタリヤとともに美味しいものを食べて、性的快楽を分かち合い、やわらかな眠りを堪能する。確かにそれは人間の三大欲求で、凡人を名乗る彼がそれらを楽しむことになんら不自然はないのだけれど、かといって人間の欲望とは底無しでその三つに限るものではない。もっと無駄な欲を抱いた方が凡人らしいんじゃないかと言って煽ったこともあるのだが、残念ながら手応えはなかった。
 武人らしい勇ましさのある手に触れ、握り、かたちを確かめて、やっぱり戦いたいなとタルタリヤは思う。鍾離とともに食事をする時間だって楽しいし、気持ちの良いことをするのも悪くない。だけどやはり戦いたい。戦って、強くなりたい。勝てればそれが一番だが、勝てなかったとしてもこの男との戦いは確実にタルタリヤという兵器の糧になる。人間が本能的には必要としないはずの闘争への欲を、人間の三大欲求とほぼ同列のところに持ち合わせているので、圧倒的強者である鍾離を前に戦うことが出来ないのはどうしたって惜しいことであり、焦がれるような想いを抱かずにはいられなかった。
 どうしたらその気になってくれるのだろうか。もう一度渦の魔神のような、この地に封印されている脅威を目覚めさせたら槍先をこちらへと向けてくれるだろうか。それともほかの仙人に喧嘩を売ればいいだろうか。
 そこまで考えたところで、やっぱり勘違いだな、とタルタリヤは内心呟く。鍾離のことは嫌いじゃない。けれど気を抜くと頭の中を占めるのは、どうすれば彼と戦えるのかということばかりだ。こんなものが恋であるはずがないだろう。
 鍾離の手を触っていた手がぴたりと止まる。黄金がタルタリヤをじっと見つめてきて、それからどこかうれしそうに笑った。隙だらけの表情だ。けれど今この瞬間首を掻き切ろうとしたところで、この男はそう簡単にタルタリヤの熱烈な奇襲に応えてなどくれない。
……ムカつくなぁ」
 ぽつりと呟いて、鍾離の頬を指で摘む。けれど鍾離はまったく痛がる素振りを見せず、愛おしげにタルタリヤを見つめるばかりだった。そういうところが気に食わなくて、心臓の裏側がなんだかむずむずとする。もうこうなったらいっそ今この場で空鯨を喚び、大暴れしてやろうか。そう思うも、鍾離の両腕がタルタリヤの背に回り抱き込まれてしまったので、癇癪を起こすことすら許されなくなってしまった。
「暴れないでくれ。近隣の迷惑になる」
「あんたならいくらでも防げるだろ」
「お前は俺を買い被りすぎだ。確かに今ここでお前が暴れたとしても周りの人間に傷一つつけさせないことは出来るが、一切騒ぎになることなく穏便に済ませるのはさすがに無理がある」
「そういうところが腹立つって言ってるんだけど」
「凡人として生きていく上で近所付き合いは大事だからな。あまり噂になるようなことは避けたほうがいいんだ」
「なら、今度は隣の家まで聞こえるくらい大きい声で喘いであげるよ。たすけて、やめてって叫んで、良からぬ噂が広がるようにね」
「却下だ。お前の愛らしい声を他人には聞かせたくない。それに今でも十分声が大きいぞ。仙術で誤魔化しているから周りには聞こえていないと思うが」
 ああ言えばこう言うし、とんでもないことをさらりとのたまう鍾離に、タルタリヤは閉口するほかなかった。元より口で勝てる相手ではないのはわかっているが、とんだ反撃を食らった気分だ。じわじわと頬が熱くなり、返す言葉が見つからずどうしていいのかわからなくなる。
 背に回る鍾離の腕に力が込められる。心の奥底から込み上げてくる言い表しようのない感情に名前を与えることをなるべく避けたくて、それを発散するために暴れてしまいたいのに、盤石が許してくれない。きっと鍾離はタルタリヤの心のうちがわを見透かした上でそうしている。ずるい、とかろうじてかたちにした三文字はもう防波堤にすらなってくれやしなくて、引き締めた唇が震えてしまいそうになる。
 家族は兵器の中に存在する人間の心を留め置く重石。女皇への忠誠は磨いた刃の芯として存在するもの。飽くなき闘争への欲求はこの身体を戦場へと突き動かす原動力。
 それだけあればいい。心の奥のやわいところなんてからっぽにしておかないといけない。家族ですらけっこう、否、かなり重たくて、認めたくはないがタルタリヤの弱点と呼べるものであるのだ。戦士として強くなりたいのにこれ以上弱みを増やしてどうするというのだろう。克服しなければならないものがごまんとあるのに、どうして自らわざわざ物理的に殴れる訳でもない面倒な壁を増やす必要があるのだろう。
「公子殿」
 甘くささやく声は決してタルタリヤの「名」を呼ぶことはなく、記号として与えられた呼称で己のことを指しているというのに。
 どうして胸の奥に密やかに存在する、たったひとりの青年としての心にまで届いて、そこに満ちる想いを揺らすのだろう。
 先ほどまで好き勝手触れていた大きな手がタルタリヤの頬に触れて、そっと目元を拭ってくる。泣いてなどいないのに涙をすくうような指の動きだった。
「俺を倒したいか」
 問われて、頷く。当然だ。六千年という歳月を生きた武神モラクス。世界を征服する上でタルタリヤが克服すべき強敵に違いない。
「では、お前が強敵と認める俺は、どんな存在だ」
……どんな、って」
 尋ねられて、タルタリヤは考える。
 頭の中にまず浮かんだのは、モラを持ち歩く習慣がないことだ。店先で手にする価値があると判断したものは値札を見ずに買うと言い、往生堂やタルタリヤにツケるという常識外れなことをする。それから、ありとあらゆる物事に精通していて、自分の知る知識を相手と共有することを好んでおり、澱みのない声で蘊蓄を語る。こだわりが強く頑固な側面を持ち合わせている一方で、その舌に合う美食を堪能するときに綻ぶ顔は美しい。璃月港を歩くとき、望舒旅館や翹英荘へ出向くとき、通り過ぎる人々や流れゆく景色を見つめるひとみにはいつだって慈愛の色が滲んでおり、誰よりもこの国とこの国に生きる人々を愛している。
 決して身軽とは言えないほどに多くを抱えながらも、その重みに屈することも折れることもなく、今日も凛然と大地を踏み締めてこの世に存在している。そんな強者だ。
「前へと進み続けるには身軽さも必要だろう。だが、自らの心に芽生えた感情を、人間である以上切り離せない欲求を抱えたまま、譲れない意志を貫くことからしか得られない強さもある」
……
「凡人である俺から向けられる好意も、お前の裡にある感情も、きちんと噛み砕いて飲み込めばお前の糧になるはずだ」
 情事のあとの会話が説教だなんてなんとつまらないことだろうか。けれど鍾離にそうさせたのはタルタリヤだ。言っている意味だって理解出来ない訳ではない。むしろ心臓を貫かれたような衝撃に襲われて、なんの言葉も紡ぎ出せずにいる。
 ――本当はわかっている。勘違いということにして、逃げようとしていただけだ。だってこんな想いを抱えたまま進むなど、自ら死ににいくことのように思えたから。
 タルタリヤは戦士として生き延びなければならない。そう簡単に死んでしまうわけにはいかない。だから戦士として、兵器として、たとえば恐怖心のように、己を死に至らしめる可能性のあるものは切り捨てなければならない。
 恋なんて特に邪魔なもののひとつだ。だって誰が愛するひとに切っ先を向けられるというのだろう。たとえ忠誠を誓う神が命じたとしても、タルタリヤは家族に刃を向けることだけは出来ない。だから誰にも恋なんてしたくなかった。向けられる愛を喜んで受け取るような真似は、したくなかった。
 塞ぎ込むタルタリヤの頭を鍾離がゆっくりと撫でてくる。やめてくれ、と思うことすら出来なかった。だって本当はその手の大きさも温かさも、くるしいくらいに好きなのだから。
「お前はひたむきで、純粋だ」
……
「この世にはお前の想像もつかないような、おぞましい感情がいくつもある。人の手には負えないくらい醜い感情も、化物じみた狂気もだ。それらに呑まれてしまっては真の強さを得ることなど出来ない。だからお前はそのままでいい」
 頭を撫でていた手が離れて、再びタルタリヤの頬に触れる。熱を帯びる黄金と視線が絡まった。甘ったるい色をしているが、そのひとみの奥には並々ならぬ感情がどろりと滞留していて、タルタリヤの心臓を軋ませる。
……それは、励ましてるつもり?」
 痛みを誤魔化すようになんとか口を開くと、鍾離は笑った。
「ハハッ、どうだろうな。だが少なくとも、これを励ましと受け取る時点でお前が狂人となることはないだろう」
「ちょっと。俺のことを馬鹿にしてないか?」
「そんなつもりはないぞ。ただ……
……ただ?」
 不自然に言葉を切った鍾離のひとみを覗き込む。瞬間、ぞくりと背筋が粟立った。
 うっそりと微笑んだ男がタルタリヤの耳朶に唇を寄せて、ささやく。
「誑かされている、と思えるようにはなったほうがいい。悪い大人に引っかからないためにな」
 それは、宣戦布告に違いなかった。
 タルタリヤへと向ける感情を認め、背負う覚悟を決めた上で、傲慢にもタルタリヤに同じ感情を認めさせようと手をこまねく、狡猾な男の欲にまみれた言葉だった。
 重苦しいほどの慕情をのせた目がタルタリヤを見つめている。何よりも雄弁にタルタリヤを愛しているのだと訴えてくる。それがやはり、あまりにも、ずるい。
……まったくだ。俺を一番にはしてくれないくせに俺を手に入れようだなんて、先生はいつからそんなに悪いひとになってしまったんだい」
「お前だってそうだろう?」
 ぎらぎらと輝く黄金は、青年が心の重石と神を天秤にかけたとき、どちらに傾くのかを見透かしている。
 やはり勝てない相手だと、タルタリヤは深く息を吐き出した。同時に胸の奥で火種がごうと音を上げて燃え盛るのを感じた。
 確かに誑かされたのだろう。焚き付けられたと言ってもいい。だが、それなら覚悟をしてもらわなければ。
……ああ。悪くないね。いいよ、先生。そこまで先生が言うんだ、見せてやろうじゃないか。その代わり、ここぞってときに怖気付いて逃げ出したりなんてしないでくれよ?」
 この恋を糧に出来るというのなら、タルタリヤは挑むだけだ。挑み、強くなって、目の前の強敵を克服せんといつか立ちはだかり、そうして越えてみせればいい。
 そのときに鍾離がどうなっても知るものか。殺しはしないが、せいぜい痛い目に遭えばいい。悪い大人に優しくしてやる必要なんてないだろう。
 目を逸らそうとしたことを、タルタリヤは恥じた。愛するひとに刃など向けられないと臆病風に吹かれたのが情けなくてしかたなかった。
 目の前の本人が美しく研ぎ澄まされた刃の切っ先を向けられることを望んでいる。ならば応えてやることも含めて強くならなければ、対等とは言えない。
 自ら鍾離の唇に噛み付くようなキスをすると、ふっと黄金が満足げに緩められる。
 悔しいが、タルタリヤは鍾離がそうして自分の行動に対し、うれしそうな顔をするところを見るのがたまらなくすきだった。