紫よか
2026-01-13 10:29:44
1832文字
Public FE蒼炎暁
 

触れたい心

セネリオ×ラティ 両片想い

 触れようと思えば、触れられる距離にいる。
 けれど、彼はそれをしないし、彼女も同じだった。
 セネリオは地図の端に目を落としながら、羽ペンを持つ手を止めていた。集中が途切れかけていることに、彼自身気づいている。

「セネリオ? ……どうしたの?」
……いえ、何も」

 こぽこぽとやわらかな音がする。セネリオの目の前で少女がカップに茶を注いでいるのだ。琥珀色のそれは、ふくよかな甘い香りを彼の鼻腔にまで届けていた。

「何でも無いなら良いけれど……。はい、どうぞ」
「どうも」
「他に手伝えることは無い?」
「今はありません」
「今は?」
……はい」

 少女……ラティは首をかしげながら椅子に座った。セネリオは、自分でも変なことを言ったとラティと同じように胸の内で心をかしげる。手伝ってもらうことが無いならば、出て行かせれば良いのに。どうして彼女を目の前に座らせておくのか。

 ──カップの中の琥珀色は美味しい。

 ラティが彼を手伝うようになってから、彼女は文字を学び、ある程度の軍略を学び、そして、茶の淹れ方を学んだ。どうしてここまでするのかとセネリオはラティに問いかけたことがある。するとラティは「アイクのためよ」と即答した後に、目をそらして「あなたのためでもあるわ」と呟いた。その時の微妙な空気を、セネリオは忘れられない。
 
 ──また手が止まっていた。

 今夜は頭が回らない日かもしれないが、だからといって休むわけにはいかない。この軍の重要な部分を担っている軍師である自分は、ティアマトやライがいるとはいえ簡単に休むわけにはいかないのだ。でも、何だかなかなか上手くいかない。セネリオは頭を抱えたい気持ちをぐっと飲み込んだ。

……セネリオ。私、邪魔かしら?」
……あ。何ですか?」
「もう。聞いていなかったの?」
「もう一度お願いします」
「ええ。……私、邪魔かしら? 出て行った方が良い?」
「それは、どうして」
「どうしてって……さっきからぼーっとしているから」
……

 黙り込んでしまったセネリオを見て、ラティはまた首を今度は逆方向にかしげる。机を挟んで、触れられるようで触れられない距離。わずかな距離のはずなのに、それは、ふたりの心の距離も示しているようであった。

……私ね、あなたがペンを紙に滑らせるときの音、好き」
「何ですか、いきなり」
「関係ない話をすれば、頭も覚醒してくると思って。……だからね、あなたはとても難しいことをしているけれど、私はあなたがお仕事をしている時の姿が好きよ」

 机に頬杖をついて、ラティはうっとりとした顔で微笑む。何と返そうか、セネリオは迷ってしまった。この少女は、たまに……いや、よく彼を困らせる。無自覚に。だから遠ざけておいた方が楽なはずだと分かっているのに、彼は彼女を自身のそばに置いてしまうのだ。

……僕は」
「なあに?」
「僕は……あなたの淹れるお茶が……嫌いではありません」
「まあ」
「僕の好きな味なんて、とっくに分かっているのでしょうね、あなたは」
「ふふっ、研究したの」
「はあ、研究」
「そうよ」
「ラティ……僕はあなたのことを、まだよく知らないのに。あなたは僕のことを知っていくのですね」

 その言葉に、ラティはまたもその鮮やかな色の瞳で微笑んだ。

「知ろうとしてほしいわ、セネリオ」
……
「ちょっとだけでいいの」
「あなたはアイクとミストが好きです」
「あら、知ってるじゃない」

 いたずらっぽく笑うラティに、セネリオはため息を吐いた。自分は、彼女のすぐ分かる部分しか知らないのだろう。もっと知りたいのに。
 そう思うと、彼はやはりよくわからない気持ちになった。もやもや、と言うのだろう。そんな気持ちは不快でしかなかった。だから──。

……え、な、何? セネリオ」

 彼はラティの右手───利き手に、ペンを持っていない手でそっと触れた。

「もう一杯、その手で淹れてください。それで今夜の仕事は終わりです」
「あ、そ、そう。分かったわ」
……何ですか、その反応は」
「だって、……びっくりしたから」
「でしょうね」
「なあに? 本当にもう……お湯、沸かし直してくるわね」

 天幕から出て行く彼女の後ろ姿を見ながら、自らの行動と心を振り返り、セネリオはラティの手に触れた手を握り、ひとり呟いた。

「本当に、どうかしている……