有栖川
2026-01-12 18:36:03
24511文字
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2月kiisオメガバ本サンプル

「運命にだってしてみせて」
B6/148p(※予定)/R-18
このサンプルは全年齢パートのみですが、本そのものはR-18になります。
他人のフェロモンがわからないため自分を大したことないオメガだと思い込んでる41が、
ひょんなことからアルファのkisとパートナー契約を結ぶことになって徐々に絆されていったり、
kisの思惑が明らかになったりする話。nsの友情出演多め。

後日pixivでR-18パートを追加してpixivに投稿予定で、その中には♡喘ぎや濁点喘ぎも含まれます。
途中ちょっと不穏が挟まりますが両想いウルトラハッピーエンドです。

※サンプルでは読みやすいように改行多めですが、本では割と詰まり気味のレイアウトです

01




 俺は感じたことがないけど、オメガってのは、どうも本当は生きづらいものらしい。



 生まれた時から、あんまりバース性というものを気にせず生きてきた。小学生までは、漠然と自分がベータだからだろうと思っていたけど……中学で受けた一斉バース性検診の結果はオメガ。母さんが呆然として医者の話を聞いている横で、俺はひとり、そうなんだ? と首を傾げていた。
 だって世間の言うオメガの生きづらさみたいなものを、一度も感じたことがない。
 まず身体が弱いとか小さいってこともそんなにないと思ってるし(日本人平均的にはね!)、おまけに他人のフェロモンが殆ど分からない。流石に誇示するようにひけらかされるフェロモンには気がつくけど、なんか鬱陶しいなあと思うぐらいで、鼻つまんだら終わりだし。一応チョーカーつけてるけど、あんま必要に感じたコトないし。ヒートも、あるにはあるけど、大して強いものじゃなかった。健全な男子高校生が持つ性欲がいささか増幅するかも程度のもので、その時期は毎日シコっちゃうんだよな……ぐらいの変化だったのだ(どうでもいいけど俺は元々性欲が凄く強い方ではない)。
 そしてその話を、俺はあんまりよそさまにはしないようにして過ごしている。なんでかっていうと、中学の頃ちょっとだけ仲良かったオメガの同級生に、「潔くんはいいなぁ」と言われて、その時の顔が今でも忘れられないから。

 あいつは多分、あの時、本当は泣きたかったんだと思う。

 宮前はすごくオメガ性が強いやつで、いつもつらそうにしていて、中三でヤンキーのアルファの先輩に噛まれてどこかに消えてしまった。今あいつがどこで何をしているのか俺は知らない。きっともう、二度と会うこともないんだろうなと、漠然とそう思う。でも俺は宮前の「いいなぁ」という声を忘れることが出来ないのだ。それは症状の軽いオメガに生まれた俺の、ある種の負い目みたいなものだった。

 でも、症状が軽いなら軽いで、出来る事もある。アルファに混ぜられてもほぼ影響を受けない、コンディションに変化がないという俺の体質は、アルファまみれの中戦っていくことになるアスリートの世界では有利に働いた。一難高校に進学したあとも体質で困ったことはない。ちょっとその……部の方針と合わなかったのと、第二性差別はなきにしもあらずだったので、レギュラー落ちしたりなんだりはあったけど……。かといってオメガだからと苛められることもなければ、無体を働かれることもなかった。その状況は青い監獄ブルーロックに入っても特に変わらず、俺は軽い抑制剤だけ服用して、フツーにアルファの連中(青い監獄ブルーロックのヤツらってマジでアルファ多い!)に混じってサッカーを続けている。

「潔のオメガ性? ……あ〜、ま、流石に感じないわけじゃないケド。潔は潔じゃん? 〝かいぶつ〟に、アルファとかオメガとかベータって関係ないしね」

 あるとき抑制剤を飲んでいる俺を見かけて、蜂楽はそう言った。

「ヒトの顔見るなりフェロモンがどうこう言い寄ってくるクズ共より鼻が利かねぇお前の方が遙かにマシだ。お前はそのまま一生サッカーのことだけ話してろ」

 練習後、何考えてボール蹴ってるのか気になって聞きに行ったときの凛は、俺の顔をじろじろと見おろしながらそう言った。

「めんどくさいよね、第二性。ココは強アルファ性のヤツらが多いから……ときどき俺でも辟易するときある。だからまぁ……潔は良かったんじゃない? ニブいぐらいの方が楽だよマジ、理解ってもいーことない、ていうかこんだけアルファ集めといて全員相部屋って絵心は男子高校生の性欲なんだと思ってんの?」
「はは……性欲ないんじゃねーのあのメガネ。まぁ一応それ用の部屋もあるっぽいけどな。……でもココに生き残ってるオメガが潔だけで良かったって思う時はたまにあるよ。潔には間違っても手ぇ出そうって気にならねーし」
「なんか食指動かないよね。潔全然オメガって感じそもそもしないし」
「そーだな。言い方悪いけど本当にそーゆー感じ……お前に手出そうとするヤツがもし今後現れたとしたら、ソイツは多分マジで潔に惚れてるか、もしくは超性格終わってるヤバアルファかのどっちかだと思うぜ」

 食堂でなんとなくそういう話になって好き放題言ってきたのは凪と玲王だ。
 なんかやけに含みのある言い方だった気がするけど、まぁ俺も別に襲われたいわけじゃないので、強アルファらしいって話の二人に「たぶん青い監獄ブルーロックの連中はお前に手出さないと思うよ」と言われたのにはちょっと安心した。みんなとはライバルとして競い合っているわけで、捕食者アルファ被捕食者オメガとしてみっともない寸劇を演じたいワケではビタイチないし。
 実際、青い監獄ブルーロックのプログラムを忙しくこなしていく日々の中で、そーゆー擦った揉んだが発生することは一度もなく、そのまま新英雄大戦ネオ・エゴイストリーグもU-20W杯も終わった。ただ気付けば、青い監獄ブルーロックに生き残った連中の中で、オメガは俺ただひとりになっていた。ベータは三割ぐらい。そのことをほんのちょっとだけ寂しく思ったりもしつつ、でもまぁ究極的にはどーでもいいことだったのですぐに忘れて、俺は卒業を待ってからオファーを貰っていたバスタード・ミュンヘンに飛び立った。
 そしてそこで忘れかけていた己の第二性にまつわる面倒ごとを思い出させられたのである。



——え、パートナー登録が必要、……なんですか」
「そうなのよ。スタジアムにはお客さんもたくさん入れるでしょう? 興行側の責務として国の法律で定められているの。よって欧州ではパートナーのいないオメガ選手を出場させることはできないわ」

 念願叶ってやって来たバスタード・ミュンヘンのオフィス。そこで書類を提出してさあ終わりと思っていたところに降りかかった第一にして最大のアクシデントに、俺は完全に不意を突かれて固まっていた。エッ、パートナーって、……パートナーっすか!? そんなの今までいたことないですけど、……あっでもなんか聞いたことあるな〜、欧米ではその手のヤツが日本より活発で、みんななんとなく高校ぐらいまでにはパートナー決めちゃう傾向にあるって。尤も日本と違ってその後もカジュアルにパートナーを乗り換え続けるらしいんだけど(噛んでさえいなければどんどん変えられるしね)。

「おばちゃん個人は、人前に出る仕事でなければ、本来そう強制されるべきものではないと思うんだけどねぇ。万が一スタジアムで〝大事故〟が起きて、選手たち全員が狂乱したとなったら、社会的にも取り返しの付かないことになっちゃうでしょ。だから本所属になる前に、パートナーを決めて登録してちょうだいね。クラブの方でリストも用意してるから、もしその中で気になる人がいればもう一回ここまで来てくれる?」
「リスト」
「そう、性格が穏やかで、お仕事として誠実にケアパートナーを引き受けてくれるアルファの志望登録者リストよ。一部に選手も含まれるけど、大体は協力関連会社の人が多いかしら」
「はぁ……そういうものもあるんですか」
「あるのよ〜。返事は、急かして悪いけど一週間以内でお願いするわね。それじゃあ、良い出逢いがありますよう」

 じゃあ、登録メールアドレスにリストを送っておくから。そう言って、事務のおばちゃんがドンと俺を送り出す。俺は途方に暮れて幽鬼のようにふらふらと人気のないクラブハウスを彷徨った。今日は全チームオフ日で建物には最低限の事務員さんしかほぼいないのである。

「はぁ……まいったなぁ……

 そして辿り着いた先のラウンジにひとり腰を降ろし、為す術なく天を仰いだ。
 潔世一、十八歳(なったばかり)。自慢じゃないが、今までの人生に恋人がいたことは一度もない。
 いたところで、突然ドイツに行くから着いてきてくれと頼めるような性格でもなかったと思う。そういう意味では、コッチに来て初めて相方を探すって状況の方が、恋人の他にケアパートナーも作りましょうって話になるよりは拗れなくて良かった。それだけはちょっと救いかもな〜と乾いた笑いを漏らし、それから、いやいや……と首を振る。
 正直、つがいだのパートナーだの、マジでめんどくさそうだしよくわからないから、考えずにここまで生きてきちゃったんだよな……
 バレンタインチョコ堂々の0個という記録を持つ俺は、当然非モテである。まぁ青い監獄ブルーロックで有名になったあと、高三のバレンタインは、ほぼ高校通ってないなりに壮絶なことになってたらしいんだけど。それって俺個人じゃなくて知名度に対するチョコだよね……と思ってイマイチ喜ぶ気にはなれなかった。よって俺の自認は今もって0個のままだ。母親からのチョコレートを数えるのはプライドが許さなかった、そんなさもしい男子高校生に、すこし毛が生えただけの存在である。

 そんな俺にとって今回の話は寝耳に水であると同時に、でもまぁクラブ側の言うことを理不尽だと駄々こねる気にもなれない自分もいた。クラブの言わんとすることはわかるのだ。
 だってもし、オメガが試合中に発情し、周りを一斉におかしくさせてしまったら?
 オメガひとりの暴走が、一瞬で数多のアルファを巻き添えにして地獄を生む。事と次第によってはベータまで影響されるっていう(自分たちにない〝フェロモン〟って機能を間近で浴びすぎると神経系がやられて一時的に昏睡状態に陥ったりするらしい)。俺は自分のヒートは大したことないし、正直ケアパートナーなんて要らないんじゃないかって思ってるけど、クラブからしたらなんの保証にもならないだろう。これまではたまたま大丈夫だったかもしれない。——でもこれからは?
 そう問われたらお手上げだ。

……一週間かぁ」

 俺はかぶりを振り、半ば諦めるようにスマホを取り出すと送付されてきたばかりのリストを開いた。
 面倒くさいしかなりイヤだけど、サッカーを続けていくためなら仕方が無い。結局、潔世一っていう生き物が辿り着く終着点はそこなのである。サッカーのためなら他のあらゆる全てを犠牲に出来る。そうやって俺は生きてきたし、特にためらいもなく、ひとりでミュンヘンの地にやって来た。初めての一人暮らし(寮だけどね)に対する緊張やドキドキはあっても親元を離れる恐怖はなかったし、そもそも俺は、一難高校サッカー部を捨て、他者を蹴落とし、青い監獄ブルーロックを這い上がってきたサッカー狂いなのだ。第二性だって必要とあらばその犠牲にする。……何もかもそれだけのことでしかない。もっと強くなり、いつかノアもぶっ倒すという目標の前に……迷っている暇なんかないのだ。
 とはいえできるだけいいヒトとパートナーになりたい。できればオメガだからって理由でお姫様や蝶や花のように扱ってくるヤツじゃなくて、フランクな友人として付き合える相手だとなおよしだ。

(う〜ん、写真の笑顔を見ている限り、みんないい人っぽいんだけど、そもそも日本人とだと元の価値観違ったりしそうだしなぁ。何人か面会して話した感じで決めてくしかないか……

 電子リストをパラパラめくりながら俺は考え込む。これは長丁場になりそうだ。よほど見知った相手とかでも無い限り、ひとりとかふたり会っただけで軽々に決めてしまうのは憚られた。何せ、ヘタすると一生ごとになりかねない話だ。どんな相手であれ——男であれ女であれ——曲がりなりにもパートナーとして付き合うのだから、出来れば俺も好きになれる人じゃないと相手に失礼だ。
 或いはお互いサッパリ仕事だからと割り切れるような相手が一番楽なんだけど、そんなヤツそうそう都合良くいるわけが……

……え?」

 と、リストをめくる手が、そこではたと止まった。
 証明写真と簡単なプロフィールで埋められたリストの、ありふれた笑顔たちの海に紛れて、たった一枚、どこか斜に構えたような——無機質な表情が、どうしても目に留まってそれきり指が動かなくなってしまったのだ。写真の中の誰かは、その飛び抜けて美しい華のある顔面の上に、いかにも作り物めいて張り付いた笑みを浮かべ、おし着せられた猫のように佇んでいた。そして俺はその顔面にいやというほど覚えがあった。ただし……こんな虚めいた微笑みでは無く、人を食ってバカにしたような嘲笑の方で。

 ——ミヒャエル・カイザー。アルファ。満二十歳。バスタード・ミュンヘントップに所属。

 見慣れた情報が並んでいる文面にドッと心臓が跳ね上がるのを感じる。エッ、嘘だろおい、アイツがパートナー志望者リストに登録されてる!? なんで!? あんな……他人は全部邪魔者でクソゴミだと思ってそうな性格極悪ヤバ男が!?

「つーかあいつアルファだったのかよ。いやそう言われてみればめちゃくちゃアルファっぽい挙動してたような気がしないでもないけど……

 サッカーにおいては俺と同じ秀才型の思考をしている、と言っても、サッカーを始めてたったの三年で新世界11傑に選ばれたというその実績は他の追随を許さないものがある。とんでもない努力型ってだけで、カイザーもじゅうぶん、超優秀な人間だ。それにあいつはいつだって傲岸不遜で、何より性格が終わっていた。潔世一の人生においてミヒャエル・カイザーほど性格がねじ曲がっている人間はそうそう見たことがない。コレは俺の持論だけど、アルファってのは大なり小なりみんな性格が変なのである。
 ソレ言うと青い監獄ブルーロックのアルファ連中は何故か口を揃えて「お前にだけは言われたくない」とか言ってきたもんだけど。……なんて益体のない思考に現を抜かしていると、不意に、——やや力強い手のひらに背を叩かれる。

「何やってんだ、よ〜いち?」
「ギャーーーーーーッ!」

 それは紛れもなく、そして酷く間の悪いことに、まさに今想いを馳せていた性格極悪クソ派手アルファ男の手だった。

「ハ? 何幽霊でも見たようなツラしてやがるてめぇ、顔合わせは一昨日しただろーが」

 ヘタに顔を寄せていたために耳元で絶叫を流し込まれたカイザーが、ものすごく虫の居所が悪そうな顔になってチッと舌打ちをする。いやわかる、わかるよ、今回ばかりは俺が悪いよ。一昨日のクラブ見学の時に久方ぶりの再会と潰し合いの意志も確かめ合ったし、今日はオフ日だけど希望する選手には施設をあけているから、意外に真面目なお前がいるのも別におかしいことじゃない。ただちょっとタイミングが最悪すぎただけだ。

……ん? 何見てんだ世一ィ、……は、俺の写真? いやこれは——パートナー志望者リストか?」

 そして頭の回転が速く素行の悪いミヒャエルくんは、俺のスマホの画面を無遠慮に覗き込んで、物事の全ての事態を理解したようにもう一度舌打ちをした。「お前野良オメガかよ世一ぃ……」そのうえ心底かったるそうに首を振り、今度は有無を言わせぬ語調と手つきで——俺の肩に手のひらを落としてくる。

「そいつはこんないつ人が来てもおかしくねぇ場所で眺めとくようなもんじゃねえよ。事務局での用はもう済んだんだろ? 車出してやる、いったんうちに来い」

 名前の通り皇帝然とした調子でヤツがキッパリと言い切った。俺はその口ぶりに、けれどその時どうしても反論する言葉が見つからず、すこし間を開けてからちいさく頷く。確かに、あまりおおっぴらに知られたい話じゃない。そして寮の自室で見ていても解決する話じゃないし、カイザーの家は寮じゃ無くて戸建てだ。ソレも恐らくセキュリティーガッチガチの……そう考えると、すこし魅力的な提案でもあった。
 何しろ俺はこいつのことを信用していたのだ。すくなくともサッカーに魂を捧げたという意味では自分と同じ生き物で、話が通じるのだと——特に根拠もないくせに。



◇ ◇ ◇



 カイザーの車(ピッカピカの赤いアウディだった。なんかクラブがスポンサー契約してる関係でトップ昇格のときに一台押しつけられたそうだ)で市街地をかっ飛ばすこと十五分ほど。閑静な住宅街の片隅にある綺麗な家のリビングに通された俺は、手持ちぶさたにテーブルの上で手を組みながら、ぶらぶらと足を揺らしていた。家主は「あり合わせしかないが」と言いながら飲み物を用意しにキッチンに消えている。カイザーにも来客をもてなそうという精神があったことに俺は僅かな感動を覚えていた。そして俺のことを一応客だと思っているらしい律儀さにも……

「あんまり待たせるのもと思ってインスタントにしたが、いいよな? クッソ有り難く飲めよ」

 しばらくして戻って来たカイザーに片割れのマグを差し出され、こくりと頷いて受け取る。インスタントの割に結構いい匂いするなぁと思いながら口を付けたマグカップは、まるで新品同然に白く、小ぎれいだ。

「で? 第二バース性後進国の日本からきたおまぬけの世一くんは、パートナー必須のルールも知らず、あそこで途方に暮れてたってワケね」

 そんな俺が借りてきた猫みたいにちびちびとコーヒーを啜っていると、ヤツはいきなりそうぶちかましてきやがり、俺は一瞬でコーヒーへのお礼の気持ちを失ってカチンと顔を上げた。

「ハァ? それはまぁ事実、……だけどそんな言いぐさはねーだろ! 俺本当に困ってるんだからな、お前についてきたのもバレちゃったし他よりかは話聞きやすそうかなって思ったからで……!」
「まぁ実際一番マシな判断だと思うぞ、パートナーなしで渡独してきたとかゴシップ野郎にバレたらどんな噂を立てられるかわからねぇからな。その点俺はゴシップにうんざりしているので言いふらす危険もない」
「ホントかよ」
「あることないこと書き立てられることについての嫌気は世一の数百倍知っているつもりだ」

 大仰に肩を竦めて腕を広げ、カイザーがぼやく。まぁ……それはそうだろうな。コイツは実績も華々しいが何より容姿が華々しい。パッと見だと超遊んでそうなヤツだ。実際は遊ぶ時間があれば練習に費やすウルトラストイック男なのに……とはいつぞや聞かされたネスの談、なんだけど。
 ……マシな方の人間なんだよな、そーゆー意味では、コイツ。俺のことを対等なライバルとして扱ってくれそうだし、お互い性格が終わってるの理解りあってるし、今更何がバレたところで失うものもないし。
 ただ、それを口に出す前に、俺には確かめておきたいことがあって。

「つか……なんで登録してんだよお前。パートナーとか要らなさそうなタイプだと思ってたのに」

 ていうかコイツの意図が読めないからなんか気持ち悪いんだよな〜と思って唇を尖らせると、カイザーは茶渋のついたマグでコーヒーを啜りながら美しい顔を僅かにすがめた。
 そもそも——ムカつくことに、オメガと違ってアルファにはパートナーの登録義務がない。
 理論上、オメガの発情に引っ張られなければ、アルファが人前で暴走するようなことは有り得ないからだ。だからアルファにはパートナーがなくても事故は起こらない。むしろケアパートナーを持つと複数のオメガやベータと遊び回るようなのがしづらくなるため、忌避するアルファも多い……らしい。

「もちろん、俺にはパートナーなんぞクソ不要だし、登録の義務もない。だがクソ無駄な時間を費やすのも嫌で練習ばかりしていたところ、近頃とみに周囲の目線がクソ鬱陶しくて仕方なくてな……

 なのだが、カイザーはそこらへんの事情はわりと引き締めて生きていたらしく、いかにも鬱陶しそうに舌打ち(今日三度目だ)をするとやれやれと首を振る。

「遊んでないなら、そろそろ身を固めろ——それもトップに昇格したからには申し分のないパートナーのひとりでもいないと、という名目でどいつもこいつも自分やご子息ご息女を売り込んでくるワケだ。クソかったりぃ。コネ目当ての人間を押しつけられるよりは同じサッカーに魂を売り渡したオメガとドライな関係を結んだ方が些かはマシ、そう考えてちょうど先日リストに登録した」
「あぁ、あのリストなら、パートナー申請してくる相手もバスタードの所属選手に限られるから……
「そーゆーコト。まさか最初にリストを渡されるのが世一くんだとは思いもしなかったがな」

 そしてすがめていた片目を元に戻すと、最後に値踏みをするような視線を向けて——真っ直ぐに俺を見た。
 その時のカイザーの目線は、なんというか、筆舌に尽くしがたいものがあった。もちろん俺のことを値踏みするような不躾さが最初にあるんだけど、それだけで括ってしまうには、その眼差しはあまりに粘っこく、べたついていて、まるで俺を絶対に逃がすまいとしているかのような不気味さがあった。
 コイツもしかしてまだ、クソお疲れ様のこと根に持ってんのかな?
 それで俺のことを都合良く跪かせることのできる、テイのいい復讐の機会として見てないか? ……そんな危機感さえほんの僅か脳裏に過る、悪辣な狩人の視線。
 でも俺がそのささいな違和感を疑問の俎上へとあげる前に、不可思議な視線はふっとどこかへ逸らされてしまって——最後に、いつもの人を小馬鹿にしたような態度に成り代わって、ヤツの手のひらがすっと俺の頬へと伸ばされていく。

「で、だ。悩んでしょーもないクソ掴まされるぐらいだったら俺がなってやろーか、世一」

 そうして告げられた声音は、たちの悪い冗談と一笑に付すには、あまりに真面目で……ストレートなものだった。

「クソかったるい面談など繰り返すまでもなく、互いの性格の終わってる点はいやというほど理解りあっているはずだ。そしてサッカーに懸ける狂気においても互いに承知している。『私とサッカーどっちが大事なの』なんて馬鹿げた質問は——俺たちのあいだには絶対出てこない」

 それはすくなくとも、ヤツは本心でこれを告げているのだと嫌でも理解る——ストレートな物言いで。
 もしこれを完全な演技ででっち上げているのだとしたら、コイツは大層な役者だと認めざるを得ないだろう。そのぐらい切々とした真剣な声音だった。コイツがサッカーで俺に敗北したことを認めた、あの時のように。
 どうやらカイザーがオメガの皆さんに言い寄られまくって辟易しているというのはかなりガチの、それも切羽詰まった話らしい。でなけりゃコイツだってむざむざと俺にこんな話持ちかけたりはしないだろう。何しろ俺たちの間には新英雄大戦ネオ・エゴイストリーグという最大のわだかまりがある。けど同時に、そこのプライド的な部分さえ取っ払ってしまえれば、互いに一番都合のいい相手だと言えるのもまた事実。

「一応確認しておくけど……それって別に、ここからお互いをよく知って睦まじくやっていきましょうみたいなお見合い的な話じゃなくて、ビジネスライク的な契約を結ぼうってコトで合ってる?」

 だって俺たちの間には、むずがゆい我慢も譲歩も気後れも何もかも存在しない。
 俺たちはボールに魂を捧げた宿敵ライバルであり、それ以上でも以下でもないのだから。
 恋も愛も必要ないかわりに、後出しジャンケンで拗れるような心配も無い。はじめから遠慮無く言いたいことを言い合える関係だ。

「ああ。お互い同じ目的に向けて利用し合おうって話だよ、世一くん。その上で、心配せずともケアパートナーとして最低限の責務は果たす。そのくらいは出来る……と思うし、対照に、必要以上の踏み込みはしない。お前へ一方的に付きまとうストーカーなんかには死んでもクソならねぇから安心しろ」
「それで言うなら、俺ちゃんとしたヒートはこないからさ、お前こそ心配は要らないよ。そーゆー関係にならなきゃいけないって気負う必要すらない、ただ対外的に、俺たちはパートナー登録をした相方ですって認めてくれればそれでいーんだから」

 湿っぽい話は俺たちの間には相応しくない。カイザーの売り言葉に、俺も買い言葉で続いていく。するとカイザーが一瞬だけ驚いたような顔をして「ヒートがない?」と目を見開いていたが、それに関しては言葉の通りなので、カイザーに余計な手間かけない分俺としては気楽なぐらいだ。
 やっぱそのね、好き合ってもいない相手にセッ……クスを頼むのって、気まずいからね。
 そもそも恋人のいない俺としては、夢見がちなお子ちゃまだって謗られようとも、そーゆーのはこう……好きになったヒトとしたいみたいな漠然とした想いもありましてですね……。とにかくカイザーにそーゆー覚悟を決めさせずに済む分、向こうにとっても損のない話じゃないかと、そー思うワケだ。もちろん俺にとっても渡りに船って感じ。
 ただ一個だけ、気になることは一応あって。

「それより……マトモなヒートすら来ない俺って、オメガとしてはその〜、ちょっとアレなのかな? って気もするんだけど。……その点は、お前に言い寄ってきてるみなさんを納得させるには十分なの? そこだけ心配かな、俺としては」

 その点を念のため……とおずおず訊ねると、カイザーは虚を衝かれたようにぱちくりと目を見開き、それからハァ、と何故かホッとしたみたいに(俺にはそう見えた。でも気のせいだったかもしれない)首を横へ振る。

「日本サッカー界の新進気鋭、あの世界を熱狂させた青い監獄ブルーロックの申し子。お前はな世一、家柄か持参金ぐらいしか誇れるもののない連中なんぞより遙かにネームバリューのある存在なんだ。正式なつがいではないケアパートナーと言えど、お前が相手なら言い寄ってくる連中もそうそう口を挟めない。そもそもの話、潔世一は格が違う・・・・。それが理解らずやっかむ連中もいるだろうが……ヤツらはそうした時点で『自分は三流です』と白状しているようなモンだ」

 そしてカイザーは何故かものすごく確からしい口ぶりで、ハッキリと、そう言い切ったのだった。

「え……そうなの? なんかあんまりピンとこねぇけど……
「だろうな、お子ちゃま世一くんじゃあなぁ」
「はぁ〜〜〜〜〜〜!?」
「この程度で吠えるんじゃねぇ犬かよ。……だがまぁ、とにかく〝申し分ない〟という点だけ理解してればそれでいい」

 キャンと吠える俺をどうどうとテキト〜にいなし、カイザーが唇をすぼめてうそぶく。「俺はお前を理由に言い寄ってくるクソ共を一掃し、お前も俺を理由にあらゆる不都合をはね除ける。クソ利害の一致だ。違いないだろう?」そしてヤツは手を差し伸べてくる。コーヒーマグを机に置いたばかりで、僅かに熱の残る薔薇と王冠に象られた左手を。

——、」

 Shall We Danceお手をどうぞ?の一言も無いその指先は、正しく、共犯者を誘うための手つきだと、何故だかその時俺はそう思った。
 この手を取れば俺はコイツと同じ罪人になる。そんな錯覚さえ覚えさせるその美しく男らしい指先に、けれど俺はぶんぶんと首を振ってばかげた空想を振り払うと、息を呑み——意を決して顔を上げる。

「分かった。その代わり条件がある」

 そうして差し出された手のひらに自分の左手の……ひとさし指だけを掛けておもむろに唇を開くと、カイザーは鷹揚に肩を竦めて「なんだ、言ってみろ」と小首を傾げた。

「まずこれは前提の再確認なんだけど、あくまでこれは〝ケアパートナー〟の契約に留めたもので、つがいにはならない。俺たちがお互いに都合が悪くなったと思えば解消出来るものとする」
……もちろんだ。他には?」
「パートナーになる以上、多少のしがらみは横に置いておいて、必要な限りは協力し合おう。俺もお前が困ってたらなるべく助けるようにする」
————

 カイザーがそこで息を呑む。すこしだけ考え込むような素振りを見せ、今度は息を吐いて、それから、今度こそ正しく値踏みをするように俺を眺め見て——最後に、ふるりと顔を振って洒落くせぇ微笑みを唇の端に乗せる。

「ハ、世一くんの分際でクッソ生意気」

 人を食ったようなその笑みは、けれど、拒絶の意ではない——と、なんとなくすぐ理解った。

「は〜あ、一体お前に俺の何を助けられるって言うんだよ? ドイツ語は赤ん坊並、暮らしもよくわからない、クラブではぺーぺーの新入りのクセに? せいぜいお前が泣きついてきて俺が優しく宥めてやるのがオチだろ世一ぃ」
「はぁ〜!? 完全に言い返せないのが悔しいけど泣きつくのは有り得ねーし、つか俺だって助けるぐらい出来るし! ……お前が風邪引いたら看病してやるとか、他にも……
「他には? なんだよ、シュートでも譲ってくれんのか」
「それはクソ無理。絶対ない。ゴールは俺が決める。……まず俺はトップに昇格してお前と同じチームになるトコからだけど」
「は〜、やれやれ、先が思いやられるな。だがまぁ——先の条件ふたつに関しては、そんなコトでいいなら願ったり叶ったり、だ」

 まるでピッチの上でボールを遣り取りしているときみたいに理解りあって、俺たちは改めて手を取り合う。「二度目の悪魔の契約だな、世一?」カイザーが呟く。まだ覚えてんのかよソレ、お前って結構根に持つタイプ? ……そう尋ねるとカイザーがせせら笑う。「何しろあそこまでコケにされたのははじめてだったもんでな」。

「借りの半分ほどはU-20W杯で返したつもりだが——残り半分は、この契約の中で返させてもらうことにしよう」

 がしりと握り締めた左手は規則正しく脈打って、カイザーの命の鼓動を俺へ確かに伝えてきている。その音に、俺はただ、あ、コイツも生きてるんだなぁとか、アルファもアルファで大変なんだろーなとか、そーゆーコトを思う。
 自分で言うのもなんだけど、俺を相手に選ぶぐらいだし。コイツも顔に出してないだけで、わりかし、本当に限界だったんだろうな——

「クソよろしくお願いするぞ、ハニー♡」

 ——前言撤回。コイツまだ結構余裕あるわ。お前俺がトップ上がったら覚えてろよマジで。その舐めたクチ利く唇を縫い付けてやるからな俺のプレーで。エッ、てか今もしかしてわざわざ日本語で言わなかった? イヤホン通ってなかった気がするんだけど?

「誰がハニーだクソダーリン。……てか何、今のちょっとイントネーション変な日本語は?」

 パシン、と握手の手をはね除けてから遅れてやってきた衝撃に唇を尖らせる。するとヤツは素晴らしくいい笑顔(つまり胡散臭い作り笑いってコト)を浮かべたまま、「チョットダケ。世一をクソ跪かせたくてここ一年ほど勉強してマス」などとすっとぼけた調子で抜かしてきやがる。

「む、無駄な努力を惜しまねぇヤツ……! お前それはもはや新手のアイラブユーだろ……

 思わず、シラフで転がり出る罵倒の言葉。その言葉にカイザーはニコニコ笑ったまま「クソキモ」とか吐いている。親しき仲にも礼儀ありを最大限拡大解釈した感じの気安い応酬だ。早くもちょっとばかり不安になってきた。俺本当にコイツをケアパートナーにしちゃって良かったのかな?

「俺は執念深いんだよ世一くん。今日はあと追加でそれも覚えて帰りな、寮までは送ってやる」

 なんて一抹の不安が脳裏を過るが——男に二言はない。それにカイザー以上に気楽な相手が見つかるとは思えないのもまた事実なのだ。

「あ……そ。じゃあそこはお言葉に甘えるわ、サンキューな」

 そういうわけで、俺はその日、悪魔の——或いはミヒャエル天使の手を取った。
 その気安い決断が、のちのち俺の人生そのものを変えてしまうことになるなんて夢にも思わないまま。
 この不遜で鼻持ちならないけど努力家で生真面目な皇帝サマがアルファの中のアルファだというコトすら知らないまま、運命を変えるような選択を——この手で自ら選び取ってしまっていたのだ。





02



 契約を結んだ次の日には、俺とカイザーはふたりして事務局に出向き、パートナー登録を済ませ、晴れて公然のケアパートナー同士ということになった。別に喧伝していたわけじゃないけど噂は瞬く間に広がって、一日でバスタード・ミュンヘン所属の選手たちは全員知るところとなり、三日後ぐらいにはSNSにも情報が流出していた。人の口に戸が立てられなさ過ぎるだろ現代。とはいえ別に隠すようなコトでもないし、俺はともかくカイザーの目的を考えれば広く知れ渡って不都合なこともないので、なるようにさせていたら四日後ぐらいに友人たちから鬼のような心配メッセが届いた。カイザーって送り狼かなんかだと思われてんの?

『ね〜、ホント大丈夫!? 潔弱みとか握られてない!? 俺心配だよ〜、皇帝さんなんかねちっこそうだし! マジで困ったらすぐ言って? 俺は潔の相棒だからね!』

 蜂楽からはサラッとした感じでそんなメッセージが送られてきた。なんか蛇が蜂に刺される謎のスタンプついてたんだけど、もしかしてカイザーって蛇だと思われてんの? 送り狼のうえに蛇なの? 最悪の生命体じゃん。相手したくなさすぎるだろ。

『さっそく超性格終わってるヤバアルファに目つけられてんじゃん。マジでめんどくさいコトなってんね……潔。ウケる』

 凪からはやる気のない宇宙人のスタンプと一緒にそう送られてきた。ウケてんじゃねーよ。確かにカイザーは性格超終わってるけど。一応合意の上での合理的判断だからコレ。そんなウケられるほど面白い事態にはなってないから、別に。

『ぬりぃコトしてんじゃねーよ』

 おまけに滅多にメッセこない凛からすらなんか送られてきた。ところで最近知ったんだけど青い監獄ブルーロックのメンツで凛のアドレス教えてもらえたのって結局俺ひとりだったらしい。なんか話の流れでぽろっと言ったらみんなビビってたから。え……!? じゃあ凛はその状況でこのメッセどういう心境で送ってきてるの? もしかして一丁前に心配とかされてる? 俺がカイザーのせいでぬるくなるって? んなわけねーだろっ、たかがカイザー如きのせいでぇ!? ソレは最早宣戦布告だろ、甘く見られたもんだな俺も!
 まぁとにかくその他にもマジで心配してくれてるっぽい國神とか、どう読んでも面白がっておちょくってるとしか思えない千切とか、その他大勢の皆さんからも滝のようにメッセージが送られてきた。なんとネスからすら送られてきた。ネスとは色々あってU-20W杯のタイミングで交換してたのだ——ちなみに本文にはただ一言こう書いてあった。『カイザーを不幸にしたら殺す』——アレクシス・ネスってやっぱ本物だと思う。こんないい友達そう出来ないからカイザーは生涯にわたってネスを大事にした方がいい、いや割とマジで。

「ところで潔世一。もしカイザーに脅されていたら速やかに申し出ろ。絵心の旧知としては、同チームに預かったガキがろくでもない目に遭わされてしまうと流石に申し訳が立たん。……まぁそのツラ見てる限り心配は要らなさそうだが」

 そして鬼のようなメッセ地獄の挙げ句の果て、七日後ぐらいに、クラブハウスでたまたますれ違ったノアにすらそれとなく忠告されたところでオチがついて、それ以降は——別に俺が不本意な関係に陥ってるわけじゃないっぽいってことにみんな気付いたらしく、とりあえず身近なところからのお達しは落ち着いた。


「はぁ……なるほどなるほど。4番のこのパスはそーゆー意図か、腑に落ちた」
「あくまで俺の推測だがな。他に聞きたいことは?」
「ん、大丈夫。サンキューな、カイザー」
「どういたしまして。世一くんは相変わらず察しが悪いのねぇ」
「お前は相変わらず一言多いんだよ」

 で、今は、契約を結んでからだいたい二ヶ月が経ったぐらいって感じ。今日は金曜日なので、練習のあとカイザーの家に寄って、一緒に試合の研究とかをしてもらっている。悔しいけど俺よりコイツの方がまだ視野が広い時があって、振り返りとかするときは助言があると助かるんだよね。そういう理由もあり、気がつけば週末はカイザーの家に寄って泊まり込むのが恒例化していた。とはいえ別に何かが起こるってコトもなく、普通に友達の家でお泊まり会開いてるとかそんな感じだ。
 そう。ケアパートナーになったからといって、俺たちの間に特段変わったことは起こらなかった。
 周囲にビジネスパートナーだと悟られすぎても面倒だってコトで、週に三回ほど——平日二回ぐらいカイザーが俺の寮部屋に遊びに来て、週末は俺がカイザーんちに遊びに行く——泊まり合うみたいな変化はあったけど。集まってやってるコトと言えばひたすらサッカーの話をするに尽きる感じなので、チームのみんなが順調に誤解し始めているような湿っぽい展開にはビタイチなっていない。お互い遠慮の無さが一段上がった感じで、暴言スレスレの軽口を叩きあう頻度は増えた気もするけど……気安い信頼関係の表れって感じで、意外とそれを不快には思ってない自分もいる。

……喉乾いたな。世一、なんか飲むか」
「ん〜? この前やってもらったから今度は俺やるよ。カイザーはコーヒー?」
「いや、世一にキッチン荒らされたくねぇから俺がやる。世一はいつも通りココアだろ?」
「いやマジでホンット一言多くねぇかお前!? ……いつも通りココアだけど!」

 しかし俺はこのぐらいの感じも小気味よい(と思える程度にはカイザーの実力を認めてるし、ハナからコイツにデリカシーを期待してない)からいいとして、こんな口さがないんじゃコイツそもそも俺以外とケアパートナーなんて続かなかっただろうな……
 他人事みたいにそんなことを思い、キッチンに消えて行ったモフモフ金髪男の背中をぼーっと見る。口さえもーちょい良ければ気を遣って飲み物入れてくれる意外に気のいいヤツなのに勿体ねぇ……。まぁ俺にキッチン荒らされたくない、ってのは本当ではあるんだろうけどさ。

 ミヒャエル・カイザーっていう男は、潔癖症ってほどではないけど、自分の領域を侵犯されることをひどく嫌うのだ——というのが、この二ヶ月ぐらいで理解ってきたコトのひとつだ。
 掃除する時間が取れない期間は、どれだけ自室が汚れてても生きてけるけど……懐に入られるのは極端に嫌がる。マジで懐かない猫って感じの生態だ。自分が汚すのはいいけど他人に汚されるのは我慢ならない、あとついでに親しくない他人に触られる時点でまぁまぁダメって感じ。なので俺とかネスとかには、これでいてかなり心を開いている……っぽい。
 初対面のとき、俺の手を勝手に握ってきた挙げ句ネスにハンカチ取らせてたのも、思えばそーゆーコトなんだろうな。冷静に思い出すと普通に今でもムカつく対応ってコトに変わりはないけど、論理ロジックは見えてきたのでちょっとだけ納得した。ミヒャカイ行動学5級取得って感じ。……かなり要らない単位だな。

 ってか、そんな状況で俺以外の誰かとパートナーマッチングしたらどうするつもりだったんだよお前?
 俺にはやらなくていいけど普通のオメガならそーゆーケアも必要になるだろうし、その〜……触られるのも無理な相手とセッ……クスってどうなの? 逆に仕事として割り切れちゃうモンなの? 踏み込むのもなんかなと思ってまだ聞けていない疑問である。

「ほらよ」

 な〜んてしょうもないことを考え込んでると、カイザーがマグをふたつ持って戻ってきて、俺の前にほかほかと湯気を立てるミルクココアを置いてくれた。サンキューとお礼を言って、カイザーお手製のココアに口を付ける。粉ココアだけど、お湯の代わりにミルクで作ってるから、味はなかなかのものだと思う。ドイツの人ってチョコ好きだから、ココアも美味しいんだよな〜。

「ん〜、ダンケ! やっぱ牛乳たっぷりが最高だわ、お前毎週ココア作りの腕上がってんな〜」

 そんで美味しいココアにほわほわしながら笑顔でそう言うと、カイザーは並々入ったコーヒーのマグを傾けながらフン……と鼻を鳴らし、気障ったらしい顔を作るとドヤった。

「当然だ、この俺手ずから飲ませてやってるのに不味いなんぞと抜かされるのだけはクソ有り得ねぇからな。実はな世一、使うミルクもお前の反応見ながらメーカー変えてみてたんだが、二ヶ月にわたる実地検証の結果アジアンスーパーで売ってるヤツが一番反応が良かったので最近はそれに固定してる」
「嘘……俺の想像より遙かに手間掛かってる……

 一瞬何ドヤってんだコイツと思ったけど、飛び出てきた意外な事実にそのまま頷かされてしまう。いや……そりゃドヤるわ。俺でもドヤる。「お前自分は一滴も牛乳飲まないクセに……」と思わず呟くと、カイザーは再び鼻で笑って、「大事なケアパートナーのためだからなァ?」と目を細めた。いやそれは完全に悪役の反応なんだよね。ぜって〜口先だけのセリフだよそれは、思うに100%ひゃく自分の興味好奇心のためにやってるよ。どーせ俺の反応見て面白がってんだろ。

「はいはい、ありがとありがと」

 まぁこれ以上コイツの悪趣味に付き合うほど暇じゃないので、ひらひらと手を振っていなし、話題を研究討論に戻してく。「でさぁ、コッチの試合の方なんだけど……」と別の録画データを再生し始めると、カイザーもいつまでもこっちをおちょくってきたりはせず、スンとして検討モードに移り、真面目に頭を回し始めた。
 実を言うと、この、スンってなってぐるぐると脳味噌を回転させているときのコイツの顔はわりと好きだ。
 アルファとかベータとかオメガとか関係なく、好ましいと思える——数少ないミヒャエル・カイザーの美点その3ぐらいだと思う(ちなみにその2は鍛えあげられた均整の取れた太ももで、その1はサッカーにはマジでひたむきで努力家なところ)。

「ここの動きで、7番はさぁ——
「それなら、コイツの過去の試合のデータから鑑みて俺の考えでは——
「あそっか、その読み方は確かに。ってことはさ、この……前半十二分での動きも——
「だろうな、そんでココが前半最後の攻防に繋がって——

 サッカーの話に戻ると、ちょっとした軽口や不和は全部どこかに飛んでいってしまって、俺たちは何度でも夢中になって互いの意見を交わし合った。この二ヶ月というもの、大体いつもそんな感じ。夜通し検討して、語り合って、喋り疲れたら眠りに就く。その繰り返し。別に友達は他にもたくさんいるけど、こんなにサッカーに対して熱量高くて近くにいるやつって冗談抜きでカイザーが初めてだから、マジで楽しい。向こうがどう思ってるかはわかんないけどね、コイツそもそも友達いなすぎ男だし。
 まぁでもなんだっていいんだ。とにかくカイザーとの時間は心地が良い。考えが近いから喋っててストレスがない。打てば響くように欲しい返事が戻ってくる。もちろん過度なお姫様扱いだって有り得ない。
 俺たちは戦友で、チームメイトで、同時に、悪友みたいなものだった。出逢った頃には想像もつかなかった関係だけど、でも、延長線として有り得ない未来ではなかったというか……こんな親友・・が増えるんだったら、ドイツに来て良かったなぁと、そう思う自分も……最近はいたりする。

……はくしゅっ」

 とか柄でもないことを考えていたせいか、肌寒い季節でもないのになんかムズッときた衝動をいなしきれず、俺は咄嗟に顔を手で押さえた。すると隣でコーヒーの残りを啜っていたカイザーが、ハァ……と肩を竦めて大仰に首を振ると、そろり、と自分が羽織っていた薄手のカーディガンを脱ぎ始める。

「おいおい世一、冷房で風邪とかガキすぎて監督に言い訳立たねーだろ。これ貸してやるから羽織ってろ」

 そうしてカイザーは溜息と共に、俺の背にそっとカーディガンを羽織らせた。冷房除けのカーディガンはしなやかな生地の心地に反して生ぬるい温もりを保っている。直前まで羽織っていた持ち主の体温であろうことは考えるまでもなく明らかだった。カイザーは基礎体温がやたらと高く、そのせいかカイザー宅の冷房は設定温度が低めなのだが、代わりにカーディガンを羽織るという本末転倒な暮らしを送っている……と知ったのはコイツの家に泊まり込むようになってからのことだ。

「あ、うん。サンキュな、……けどお前は? 寒くないの?」

 ありがたく受け取りつつも、一応訊ねる。いつも羽織ってるのにはそれなりに意味があろうというのが俺の見解だったから。でもカイザーはふるりと首を振ると、当たり前みたいな顔して——そう、ホントに、当てつけがましさもドヤりも一切無い、ごく普通の顔だった——こう頷くばかりだ。

「世一が隣にいるから平気」
「ふーん」

 なので続くコッチの答えも自然とそーゆー感じになって、俺はテキトーに頷き返すとそんなもんか、と納得した。
 そーいや、アルファとオメガって精神が落ち着いてる状態なら一緒にいるだけで互いの肉体機能を安定させる効能があるって話も聞いたコトあるしな。義理でもケアパートナーなワケで、何らかプラスに働く効果でも出てるのかもしれない。マイナスイオン的な。よくわかんないけど。そうだったらまぁラッキーな話だよな〜、友達と一緒に遊んでるだけで世間体も気にせず良くなってお互い体調が安定するんならこんなに楽な話もないし。
 この調子なら、もうちょいで来るはずのヒートも、いつも通りなんてことないまま終わりそうかな。

「じゃーもーちょっと近寄って体温分けてやるよ、しょーがないから」

 俺が楽天的にそんなことを思い描いてソファの間の距離を詰めると、カイザーは「お子ちゃま体温」とか鼻で笑って、バカにするみたいに肩口をポンポンと握り込んだ。おい子供扱いやめろって!
 ったく……コイツちょっと見直したと思ったタイミングですーぐ自分の株下げてくるとこない? マジで損してるだろと思うの、もしかして俺だけなの?



◇ ◇ ◇



「つーワケでアイツ勿体ねぇなぁって思うんだよね。黙ってればもっと世間の覚えもよくなるのに……いやマスコミ相手にはまあまあ黙ってるからあんだけ顔ファンが付いてるのかなぁ……?」
「何言ってんですかクソ世一? お前の言うコト意味不明すぎて一ミリも頭に入ってきません。というか僕はカイザーに迷惑掛けてないかどうかを聞こうと思っていたのであってお前のいちゃつき妄想を聞きたいワケじゃないんですよ。これ以上はお前を殺す必要アリと判断しちゃいそう」
「物騒すぎねぇ!? てかいちゃつき妄想って何だよっ!」

 気持ちいい夏の陽射しから抜け出すようにして訪れた、雰囲気のいい喫茶店。
 その奥まった場所にある半個室の席でココアフロートのグラスを握り締めながら思わず声尻を荒げると、対面に座っているネスは「でけぇ声出してんじゃねーですよ」と唇を尖らせた。続けざまにあからさまな溜息と眉間への皺寄せ。いやなんで俺がネスに説教されなきゃいけないんだよ、因果関係が逆だろーが! お前がいつでも俺への殺意に前向きすぎるから俺も抗議の声を上げざるを得ないわけ!

「はぁ、てかさぁ……そんなに近況が知りたいなら俺よりカイザーから聞けよ。その方が頭に入ってくるだろ、多分」

 それで俺の方もいささかムスッとして頬を膨らませると、ネスはふるりと首を横へ振った。

「無理ですね〜、もしカイザーの口から世一を慈しむようなセリフが出てきたら僕自害しちゃいかねないので。その点世一が何を抜かしていても、そう、妄想ですから」
「こ、コイツ……マジで俺の話を全部嘘八百だと思ってやがる……

 人がせっかく練習後にカフェに付き合ってやってるっていうのになんて野郎だよマジで。
 まぁネスって店選びのセンスいいから趣味のいい喫茶店知りたい〜ってのが着いてきた理由の半分ぐらいで、ソッチについては達成出来てるからいいっちゃいいんだけどさぁ。いいんだけど普通にお前の将来が心配だよ。お前カイザーに俺みたいなお義理のケアパートナーじゃなくてマジの想い人が出来たらいよいよ犯罪者になっちゃわない? 流石に知り合いに前科つくところは見たくない潔世一である。

「相変わらずカイザーに心酔してんな〜、お前。飼い犬はやめて対等な友達になったんだろ?」

 とはいえまぁ、そこまで口に出してやるほどの情けもないので、俺はズルズルとココアを啜りながら、テキト〜に話をまとめようと舵取りを変える。
 するとネスは「そーですけど、それとこれとは別なんですクソ世一」とハッキリ言い切り、改めて俺の方を見たのだった。

「だいたいですねぇ、これでも僕はカイザー離れをしてるつもりなんです。今の内容を新英雄大戦ネオ・エゴイストリーグ序盤の僕に聞かせたらお前は自慢罪で一発レッドカード後に死刑執行されて今頃墓の下ですよ」
「既に犯罪者の素養があったか……
「ふん。手なんか汚さなくたってあの頃の世一ならサッカーでボコれますし。……それはそれとして思ったより面倒な方に拗れてますねー、はぁ……

 人が心配してやってるなんて思ってもみない口ぶりでネスが黄昏れる。ぼやきは、なんというか、喉の奥にモノを詰まらせたみたいな調子だ。
 その様子にはたと思い、俺は首を傾げる。

「そんな奥歯に詰まらせたみたいな溜息吐いてんなよ。お前が俺をわざわざクラブの外で呼び出したってことは、なんか本当は言いたいコトがあるんだろ? あんまりはぐらかしてると俺帰っちゃうけど。今日はカイザーにドイツ語の勉強見てもらう予定だし」

 で、先を促すようにしてカマを掛けると……これが大正解だったみたいで、ネスはバケモノでも見るみたいな目をしてヒュッと喉の奥を鳴らして——この顔されるの二回目だな。一回目はもちろん、コイツの大切な皇帝サマをクソ跪かせてやったあのフランス戦の後である——きゅっと目を細めてふるふると頭を振るい、それから、ものすごく苦虫を噛み潰したみたいな顔付きになって、ゆっくりと口を開く。

…………キミ最近、カイザーの匂いがすっごいんですよ」

 よたよたと目を泳がせながらネスが言った。
 だけど、躊躇いながらもそれでも口にしたあたり、ソレが今日の呼び出しの本題——であろうことはどうしようもなく明白だった。

「え? 匂いって……もしかして香水とか移った? 俺今薔薇臭いってコト!? あーでも今日のシャツあいつに借りたヤツだったわ、そのせいか……?」
「あ〜クソ世一それは言わないでよろしい、僕はカイザーのワードローブをおおよそ把握しているのでソレがお前の私物じゃねーのはとっくに気付いて見ない振りしてんです! ってか僕じゃなくてもみんなお前がカイザーの服着せられてるのは理解ってます」
「エッ、なんで」
アルファのフェロモンが付着しているから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ですけど。あのねぇ世一、バース性にまつわるフェロモンっていうのは、特定の条件下では香水なんかよりよっぽど強いモノなんですよ」

 それこそ、通りすがった誰もがギョッとして振り向きかねないぐらいの——。何が何だか分からず困り果てる俺をよそに、ネスの言葉は淡々と続いていく。「体臭と同じで、自然に漏れ出る分はもちろんありますけど。〝ケア〟のためだろうとパートナー相手に向けるモノとなればそれはもう……」そしてヤツは言いよどんだ果てにそこで一度口を噤むと、何か考え込むように間を置いて……喉を鳴らし、やがて生唾を飲み込んで、もう一度唇を開く。

——とにかく。キミは特別鼻が利かないみたいなので親切に忠告しておいてあげます。いくらクソお間抜けにぶちん世一だろうと、その調子では確実に影響が出ますよ」

 シンプルに免疫系が狂うとか、バース性の欲求の方に悪影響を及ぼすとか、そーゆー感じで、です。
 ネスは有無を言わさず、言い含めるようにして、さっきまでの有耶無耶な感じの喋りと対照に今度はハッキリとそう告げた。

「え〜……?」

 俺はその忠告に、けれどあんまり現実味を感じられず、やっぱりわけも分からない状態でこてんと小首を傾げることしか出来なかった。

「特に感じないけどなぁ。もうすぐ渡独してきて初めてのヒート予定だけど、日本にいる時より調子いいぐらいだし」
「は!? ヒート!?」

 のだが、俺があっけらかんと当たり前みたいにそう抜かした瞬間、それまで泳ぎまくっていたネスの視線が一瞬でギュンと戻って来て、俺の顔を真っ直ぐに睨み付けてきたうえがばっと両腕伸ばして肩まで掴み掛かってくるではないか。
 俺は危うくココアを吹きこぼしてうえっとなる寸前で、「何すんだよ!?」と極力小さく、しかしハッキリと叫んでやらなければいけなかった。ちなみにネスは一切俺の叫びを聞かずに完璧に無視した。

「いやマジで何!? そんな動転するようなコトかよ!? 今までだって……
今は話が別です・・・・・・・! お前それ、クラブに届け出しました!? 一週間は出てこられなくなるでしょーが!?」
「してないって、だって俺普通に練習できるもん! 俺が諸々軽い方のオメガなのはお前も青い監獄ブルーロックの頃に知ってんだろーが、ヒートなんて薬飲んでりゃ別に……ましてや今は安定剤になるカイザーもいるんだし」

 まぁいつも通り、普通にシコってシャワー浴びて汗流したら寝て終わりって感じだろう。普通のオメガと違ってそんな大げさな話にはならない。
 俺は小声でネスにそう耳打ちするけど、ネスの顔色は、それを聞いてより一層悪くなっていく一方だった。「迂闊でした、ホント、そこまでとは思ってなかった」ネスはそれっきりを呟くと、あとはぱくぱくと声にならない言葉を漏らし続ける。俺は餌を上手く食べられない金魚みたいになってしまったネスをぼんやりと見続けている。

 いや………………
 何が何で何……

 ネスは何を言いたいんだ? マジでわかんねぇ。まぁなんかそのカイザーの体臭? を感じさせちゃってたのは悪いけど。ネスのバース性は知らないけど特別鼻いいんだなぁ、不憫な……と思うぐらいで、コイツがなんでこんな血相変えてるのか理解出来ない。
 だって仮に俺がちょっと寝込んだところで、俺とカイザーはビジネスパートナーなわけで。アイツは俺を置いて練習に行けばいい、それだけの話じゃん。
 だけどネスは、きょとんとしている俺を震える顔で見つめあげて、最後に、振り絞るみたいにして、……ちいさくこう告げるのだ。

——いいですか世一。キミの隣にいるアルファがただのアルファだとは思わないことです」

 アレクシス・ネスが、ひどく唇を強張らせてそう言った。

「彼はアルファの中のアルファ。いわばアルファの皇帝です。その気になればそこら中のオメガ全部を意のままに出来るぐらいなんです」
「えぇ……マジで? 普通じゃね? お前がカイザーのこと持ち上げちゃう性格なのは知ってるけど——
「おバカ。僕だってこんなくだらねー嘘吐かねーですよ」

 チッ、と吐き捨てるようにして、ネスが呟く。まるで呪文を唱えるように、魔法か呪いかそのどっちかを俺に向けるみたいにして、気付けば酷く真剣な目をしてネスは俺を見てきている。

「僕はカイザーの従者をやめました。彼と対等な関係を築き、自らの意志で魔法を掛け続けることを選んだ。だからこそ僕は今日ここでキミに忠告することを選んだんです、世一」

 ネスの言葉は張り詰めていて、触れるたび、肌がピリピリと粟立つような感じがした。確かなのは、コイツがめちゃくちゃマジだってこと。「お前に塩を送るようなのはまっっっっっっったく本意じゃないんですけど!」そしてネスは腹立たしげに鼻を鳴らすと、最後にもう一度指を立てて真っ直ぐ俺の目を指し示して、突き刺すようにぐいとこちらへ肉薄させる。

「カイザーはただの友達に自分の服を着せたりしません! 僕だって拒否られてんですよバーカ! あとは自分で考えなさい!」

 そうして飛び出してきた真剣な、けど完全に捨て台詞っぽいソレに、俺はピリついた空気をモロに頬へ受けたまま曖昧に頷くハメになった。
 なんかネスは真剣に危惧してるっぽいけど、俺はどーしても真面目に取り合う気持ちになれなかったのだ。
 だって相手はあのミヒャエル・カイザーだぜ。
 まっさかぁ、……そんなコトあるかよ? ただのズレてる友達一年生ってだけだろ、俺たち一生サッカーの話しかしてないのに?



◇ ◇ ◇



 ネスに呼び出されたのは金曜日の夜だったから、なんかものすごく微妙な空気になった喫茶店で解散したあと、俺はその足でカイザーの自宅に向かっていつも通りドイツ語の勉強を見てもらった。勉強は……いつもよりちょっと身が入らなかった。ネスに言われたことを全部信じてるワケじゃ無いけど、アイツが嫌がらせや虚言でわざわざ俺を呼び出す性格じゃないことも分かっている。判断は宙ぶらりんになって、俺は簡単なドイツ語の会話文テストを三回間違え、カイザーは肩を竦めると「今週はここまでだな。飯作ってくるからリビングで待ってろ」と言って、それで勉強会は切り上げになった。

…………

 リビングでお気に入りのクッション(寮の自室から持ち込んだ伊勢エビ型)を抱えながら、溜息にもならない吐息をこぼす。それから借りっぱなし着っぱなしのカイザーのTシャツになんとなく鼻を近づけて、くんくんと匂いを嗅いでみる。俺の汗の匂いに混じって僅かに薔薇の香水の匂いがする、……ような気がした。でもそれだけだ。あのこれ見よがしに誇示しまくってくるような胡散臭いアルファどものフェロモンは感じられない。

「う〜ん、やっぱ普通じゃないか? 鼻につくヤツってマジで不愉快な感じだもん、下品で嗅ぐに堪えないっていうか」

 ぶつぶつ言いながら、隣から人間湯たんぽが消えたせいですこし肌寒くなってきた肌を覆うように、カイザーが常備してくれているブランケットを被った。肌触りのいいブランケット。座り心地のいいふかふかのソファ。モノトーンで綺麗にまとめられた調度品たちに包まれたミヒャエル・カイザーの自宅リビング。ブランケットにくるまれながらそれらを眺め見て、この空間にも随分慣れてきたなというか、庭ってぐらい馴染んできたなぁとぼんやりそう思う。
 なんだかんだ、ドイツでの第二の我が家って感じだよな、もう。
 なにしろここに、二ヶ月のあいだ毎週、通ってるワケで。そろそろエプロン付けて台所に立ってるカイザーの後ろ姿もなんとなく見慣れてきたような頃である。

「ん……

 そんなことを頭の中に思い描くと、何故かゆったりとした眠気が襲ってきて、俺は抗い切れず、冷え冷えとした部屋の真ん中で静かに目を瞑った。するとまぶたの裏に、不意に——カイザーと二度目の契約を結んだ時の光景が微かに蘇っていく。
 ……あの時こうして、良かったんだと思う。
 夢想を眺め、ぼんやりと、これまでの日々を回想する。あいつのココアの腕はなかなかのもんだ。それに料理もまぁ美味しい。サッカーの話は白熱するし、それに押しつけがましさがないから、アルファ相手でも安心出来るっていうか…………

——ぁ、」

 と、そこまで考えた、その時だった。

(あ、やばい、これ、)

 ぶわり、と膨れ上がっていく何かの感覚に身の毛をよだたせ、俺はびくりと肩を震わせ固まった。
 それは一瞬の異変だった。あまりのことに、ハッとして——目を見開く。それまでのたゆたうような安心感と眠気が一瞬で吹き飛んで、ぶわりと、額から脂汗が滲み出てくる。
 身体が引鉄を引かれたように熱を帯びる、いつもと違う感覚・・・・・・・・
 頭が浮ついてピンク色のもやが掛かって、ままならない情動に肉体が支配され精神もそれに引き摺られていく。

(ヒートだ、——なんで今!?)

 はくはくと荒い息を吐きながら、両手で縋るようにして口を押さえた。


(以下略)