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みゃ
2026-01-12 17:43:20
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創作小説
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“あなたを見つめる”
バスは山道を登っていく。窓の外、街は少しずつ遠ざかり、並ぶ建物の屋根が見え始めた。その向こうには海がある。水平線から入道雲がもくもくと湧き上がって、夏の強い日差しに輝いていた。
咲希は車窓をじっと見ていた。普段と違う視点で見える景色はもちろん、木陰を通るときに反射して一瞬だけ見える春輝の顔もこっそり見ていた。
二人は幼馴染だ。年齢は三つ違い、咲希は小学三年生、春輝は小学六年生。二人の母親同士は仲が良く、お互いの家を行き来する仲だ。それに連れられていく子供同士も当然のように仲良くなった。
そんな二人が目指すのは山の中腹にある花公園。四季折々の花畑が広がる場所だ。夏のこの時期はヒマワリ畑になっている。
バスの車内は冷房が効いていてひんやりとしている。夏の空気から隔絶された車内は満席ではないものの、それなりに乗客がいた。
二人の前の席から、まだ舌足らずの声が「ママ」と呼ぶのが聞こえてくる。
「おうちどこ?」
「そうねえ、ここからは見えないかな。ばあばのおうちなら見えるかも」
「どこ!?」
母親は「しーっ!」と小さく言うと、後ろの席の子供二人を見て小さく頭を下げた。気にしないでというように咲希はニコニコと笑って頭を振る。そっと隣を盗み見れば春輝も同じように笑っていた。
誰も停車ボタンを押すことがないまま、バスはのんびりと山道を登っていく。何度目かのカーブの後、目指す先の花公園がアナウンスされた。
次だ! 咲希はわくわくしながらボタンに手を伸ばす。しかしその手はそっと掴まれた。びっくりして春輝の顔を見ると、彼は視線だけ動かして前の座席を示した。
前に座る子どもの小さな手がめいっぱい伸びている。ピンと伸びた小さなか細い指が、力いっぱいボタンを押した。ピンポン、と音がする。次、止まります。
「おした!」
「ありがとうね」
親子の笑い合う声が聞こえた。車内はどこか和やかな空気になる。
同じように微笑ましく思いながらも、咲希は先ほど掴まれた手をもう片手でこっそり握りしめた。そして顔を見られないように、再び窓の外へと顔を向ける。頬がとても熱い。
前は二人で一緒に遊んでいて楽しいばかりだったのに、最近は違う感情も芽生え始めている。どきときして振り回されてしまうような、その感情が何なのか咲希だって知っている。
アニメでも漫画でも歌でもテーマになる、その感情の名前は恋心。
気を付けないときっと見透かされてしまう。春輝は周囲をよく見ていて、いつでも気がけてくれて、察しが良い人だ。対して咲希は、ババ抜きなんてしようものならすぐに負けてしまうくらい分かりやすい。
だから慎重に、今まで通りを意識して振舞わなくてはいけない。
だってきっと、春輝にとって咲希は妹みたいな存在だ。少し前の咲希にとって春輝が兄のような存在だったのと同じように、家族に似た存在だろう。妹分から想われても、きっと困ってしまうに違いない。
バスが減速し、停車した。前方のドアが開く。
「降りるよー」
「よー!」
二人の前の席に座っていた親子が立ち上がる。
「僕らも行こうか」
「うん!」
咲希は頷いてみせる。幼い頃からそうであったように、できるだけ元気に明るく。
車外へと出ると、暑い空気と蝉の大合唱が二人を出迎えた。
強い日差しはバス停の屋根に遮られているが、そこから一歩出れば肌を刺すような強い日差しが降り注ぐだろう。アスファルトの照り返しがまぶしい。
春輝はリュックから折り畳みの日傘を取り出して咲希に差し掛ける。
「お母さんが咲希と出掛けるならって貸してくれた」
「わー。ありがとうって春輝のお母さんに伝えておいて」
「うん」
咲希は一度日傘を見上げ小さく首を傾げた。
「でも、ちょっと狭い? 二人で入れる?」
「
……
僕もはいるの?」
「え? 入らないの? 暑いよ?」
妹分は他意のない、きょとんとした顔で見上げてくる。
どうしようかな、と春輝は少し困った。日傘の影に入れるのはもちろん助かるが、いわゆる相合傘になってしまう。咲希は気付いていないのだろうか。
この頃はクラス内でも誰が誰を好きだとか、そんな話が囁かれがちだ。春輝はそれがどうしても苦手だった。
春輝にとって、この感情は、内に秘めておきたいものなのだ。
「じゃあ、入るよ。狭いかもだけど」
咲希は「うん!」はにかんだ顔で頷いた。そして二人身を寄せ合ってバス停を後にする。
妹分が今までとどこか違うのに春輝は何となく気づいていた。けれど触れてはならないことだとも分かっている。これからのことを思えばなおさらだ。
それに三年生くらいの頃を思い返してみると、恋というよりも友情に憧れが混ざったようなあやふやな感情を持て余していたような気もするのだ。もしかしたら、咲希だってそうなのかもしれない。
蝉時雨が降り注ぐ中、二人だけの日陰の下を歩く。
「宿題どう?」
「あと一行日記だけだよ」
「えっ!? 8月、あと半分あるよ?」
「そんなこと言って、去年バタバタしたのは誰だったー?」
う、と咲希が顔をしかめて決まり悪そうに黙り込む。
春輝が母から伝え聞いた話によると、去年の咲希は最後の一週間にドリルを詰め込んだそうな。そのうえ、夏休み前からキットを買って準備していたはずの自由研究までも駆け込みで完成させたらしい。そうしてなんとか始業式に間に合わせたものの、式が終わって家へ帰った途端に寝込んだという。
その話を聞いた春輝は「咲希らしい」と笑ってしまった。もちろん本人には内緒だ。怒られたところで微笑ましいばかりで怖くない。とはいえ、わざわざ機嫌をそこねるような真似はしたくない。
「計画的にしておかないと、去年みたいになるからね」
咲希は口を尖らせて「分かってるよー」と言う。その様子に春輝は小さく笑みをこぼした。
咲希は感情表現が豊かだ。幼い頃からずっと素直で、いるだけで場が明るくなる存在だった。引っ込み思案の春輝にとっては眩しいばかりだ。それこそ
――
「わ! ヒマワリたくさん咲いてる!」
そう声を上げた咲希にぴったりの、黄色い花が一面に咲いていた。
ヒマワリでできた迷路の途中に小さなガゼボがあった。四方を背の高いヒマワリで囲まれたそこは秘密基地のようだ。
白い丸い形の屋根の下、真っ白なベンチに二人は肩を寄せ合うようにして座る。
「大きいヒマワリ、ちょっと怖いね」
ひそめた声で春輝は言った。まるで花々に聞かれたら困ると思っているかのような小さな声だった。咲希も「ね!」と、くすくす笑いながら頷く。
自分たちよりも背の高いヒマワリは、花はもちろん葉も大きい。茎も太くてがっしりしている。枯れてうなだれているのなんてお化けのようで、暗いところで見たら悲鳴を上げてしまうに違いない。
二人はただ風景を眺めた。
花の壁の向こう側から、蝉の鳴き声と子どものはしゃぐ声が聞こえてくる。空の青は色濃くて、降り注ぐ日差しも夏真っ盛りの強さだ。それなのに、吹いた風の温度は夏の最盛期よりも下がっている。少しずつ秋が近づいているのだろう。
ほっそりとしたトンボが音もなく横切るのを、咲希は目で追った。
「咲希」
呼びかけに春輝の方を向く。
「渡したいものがあるんだ」
「えっ、なに? どうしたの?」
突然の言葉に咲希は目を瞬かせる。春輝はリュックの中から小さな袋を取り出した。淡い黄色地を白い水玉が飾る柔らかな不織布の袋。袋の口には濃いオレンジ色をしたサテンのリボンが可愛らしく結ばれている。
「開けていい?」
「うん」
リボンをそっとほどくと、出てきたのはヒマワリの花を持った真っ白なウサギのぬいぐるみだった。くりくりとした黒い瞳が咲希を見上げる。
「かわいい!」
「なんか、似てるなって」
「そう?」
こんなに可愛く見えているのだろうか。それなら嬉しいな、と咲希は思わずにこにこ笑う。
「ありがとう! でも、なんで急に?」
「うん
――
」
春輝は表情を曇らせ、小さく口を開き、閉じ、を何度か繰り返した。その様子にどうしようもなく不安な気持ちになりながら、咲希はただ言葉を待った。
「
――
引っ越すことになったんだ」
蝉の声が遠のいた。風が吹いてヒマワリの花畑がさざめく。
「いつ
……
?」
指先が冷えていくのを感じながら咲希は問いかける。
「来週。
……
ごめん、言い出せなくて」
夏休みに入ってから何度か一緒に宿題をした。そのとき、そんな素振りは全然無かったように咲希は思う。
「咲希のお母さんは知ってたと思うけど、どうしても僕から言いたくて。でも、言い出せなかった」
ごめんね、と春輝は繰り返した。咲希の鼻の頭がツンとする。
「遠いの? 引っ越したら、全然会えなくなっちゃうの?」
「
……
うん。遊びに来れる距離じゃないんだ」
その言葉に、一気に瞳が潤むのが分かった。まばたきの合間に涙がこぼれおちる。
泣いてはいけない。兄のような人が言い出せなかったのは、きっと彼も寂しいからなのだ。そう分かっていて、だからこそ困らせたくないと思っていても、溢れた涙は止められなかった。
俯くと、春輝がそっと背を撫でてくれる。その優しさが嬉しかった。だが同時にこうして慰めてことはもうないんだと思ってしまい、余計に悲しみが襲ってきた。
行かないでなんて嘘でも言えない。ならばせめて、
「似てると思うなら、この子を連れていってよ
……
」
咲希は泣きじゃくりながら受け取ったばかりのうさぎのぬいぐるみを春輝に押し付けた。
このぬいぐるみを、これからの日々の側に置いてほしかった。幼馴染と過ごした時間を、ずっと忘れずにいてほしかった。
咲希は涙で濡れた顔を上げる。眉尻を下げ、かすかに瞳を潤ませた春輝がそこにいた。咲希にとって大事な、ずっと忘れたくない人。
「ねえ、あとで雑貨屋さん一緒に行こう? わたし、春輝に似てるって思うぬいぐるみ、買うから。わたし、その子と一緒にいるから」
「
……
分かった」
春輝はうさぎのぬいぐるみを受け取る。そして大事なもののようにそっと撫でた。
咲希はその様子を見ながら何度か深呼吸する。
蝉の鳴き声が戻ってくる。二匹のトンボが翅をきらめかせて青空へと溶けていく。
「いつか、会いに来るよ」
「わたしが会いに行くかもしれないよ」
二人は顔を見合わせて、充血した目で笑った。
***
まぶたを透かしてくる光に春輝は目を覚ました。
懐かしい夢を見ていた気がする。
厚手のカーテンをものともしない強すぎる光が、夢の名残を溶かしていく。あれから十年近く経って、夏は随分と暑くなった気がする。
――
あのヒマワリ畑は、今もあるのかな。
あとで調べてみようと春輝が思っていると、隣で「うー」とも「んー」ともつかない声が聞こえた。起きようか起きるまいか葛藤しているうめき声だ。
起きてしまえば子供の頃から変わらず明るく元気なのに、朝はとことん弱い。幼かった頃は朝から晩まで元気だった印象があるのだが、成長期はとうに過ぎたのだ。落ち着くのも当然なのかもしれない。
春輝は小さく笑って、いたずらに頬をつついてみる。
うにゃうにゃと不明瞭な声がした。そしてうっすらと目蓋が開く。
「おはよう」
「おはよ
……
。むかしのね、ゆめを見たよ」
寝起きの幼げな声が言う。
「ひまわりのね、夢」
春輝はあまりの偶然に、わずかに目を見張った。
「俺も同じ夢を見たかも」
「そっか」
咲希は驚くでもなくふにゃりと笑う。窓の向こうから、かすかに蝉の鳴き声が聞こえて来た。
「夏だもんね」
あっけらかんとしたその言葉に春輝は目元を緩ませる。あどけないような素直さが今も変わっていないのが何よりも嬉しい。
「そうかもしれないね」
「そうだよ」
二人はそう微笑み合う。
ベッドの飾り棚には、二つのぬいぐるみが並んでいた。ヒマワリを持った白いウサギのぬいぐるみと、優しい顔をしたゴールデンレトリバーのぬいぐるみ。
再会した二人と二つのぬいぐるみは、もう二度と、分かたれることはないだろう。
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