ちょっと付き合ってくれないかと長期遠征から戻った翌々日の日を空けておくようにと主君である皇帝陛下から仰せつかった為ハーキュリーズはその通りにして、翌日はただ兵舎の自室で深い眠りについていた。
起き抜けにぱちりと目を開けば夜を通り越して夜明けを迎えようとしている事が窓の外から窺い知れる。
「あれ、今日っていつだ…?戻ってきたのって昨日…?あれ一昨日…?」
寝乱れた髪の毛を手櫛でかきあげつつ時計を見るが朝方の時間を指している事しか分からない。
ただ食欲よりも睡眠欲に勝てずに眠りを要した事だけはハーキュリーズ自身が1番分かっている、この寝覚めは自分は丸1日睡眠に費やしたに違いないと。
そういえば主君である皇帝陛下があえて1日開けて翌々日を指定したのもその辺の機敏をよんでの事かとハーキュリーズは改めて感心する。
力強く豪胆なあの人はそれでいて仲間や帝国に仕える文官や兵士たちにまでも慈愛の心を持つ事を忘れない。
そんな優しい人が自分を名指しして付き合って欲しいというのだ、早いうちに準備して御前に参上すべきだろう。
乱れた顔と髪を整える為にもハーキュリーズは寝台から立ち上がり、兵舎の水場に向かった。
冷たい水で顔を洗い完全に覚醒し、寝癖のついた髪を整え洗い替えした気に入りのバンダナを頭に巻き、ある程度の準備は整えた。
陛下は行き先は帝都内の商店街にある店だから非番と思って来てくれたら良い、と言っていたが一応護衛の意味合いもあるだろうと軽装に剣を佩く。
「ま、あの人に護衛がいるかと言われると疑問だけどな…。」
ハーキュリーズはそう独りごちて溜息をつくが、自分で言った事に対して落ち込みそうになる。
お互い帝国に仕える兵として存在していた時に唯一得物での勝負でハーキュリーズが負けを喫したのは彼だけ。
彼に勝てなくともせめて追いつければ、と甘い考えをハーキュリーズが抱いた矢先の皇帝継承。
小さい頃に出会った彼が帝国に仕える為に兵になるという事を聞き、ハーキュリーズも彼を目指して同じ道を選んだがその時は夢にも思わなかった状況に今も悩みは尽きていない。
何なら誰よりも近い場所で、彼の隣で戦える今だからこそ増える悩みすらある。
果たして自分は子供の頃からの希望を叶えられているのかと。
あの人と並び立って帝国の為の力になる事を。
自室から出て皇帝が住まいとする王宮へと向かう道すがらもう見慣れた長身で遠征中も共になることが多いウルバンと出会った。
彼にも遠征後の長期休暇を与えられている事もあり、普段の装備では無く楽な服装だ。
「おはようハーキュリーズ。疲れは取れたか?昨日は顔を見なかったように思うが。」
「あ、やっぱそうかあ。」
「?」
「一昨日寝た後一度も起きなかったわ。」
そう言ってハーキュリーズが肩をすくめるとウルバンは苦笑いをする。
「まあ仕方ないだろう、今回の遠征は少々無茶をしたと私も思うし。」
「ウルバンは昨日もいつも通りだったのか?」
その疑問に対してウルバンの苦笑いに苦い物が足されたような表情に変わる。これは妹の面倒なアレに付き合わされたいつもの事だと思われるのでハーキュリーズはこれ以上の追求は止めておくことにした。
ウルバンのおかげで丸一日睡眠欲解消に使っていた事が判明したからか今度は食欲の方でハーキュリーズの空腹感による腹の虫はぐうと反応する。
「流石に腹減ったな…陛下と落ち合う前に何か食ってくかな~?」
「いや、そのまま陛下とお会いになった方が良い。今のお前には丁度いい用事だと思う。」
「んん?陛下の今日の行き先知ってんのか?」
「元々マグダレーナが薦めた店だからな、私も付き合わされた事があるがまあ...私には不向きだった気がする。」
そう言ってウルバンは苦い顔をする。妹の我儘に振り回されたか、行った先がウルバンに絶望的に合わなかったかはたまた...と考え出した所でハーキュリーズの先程感じ出した空腹感が急速に増加してきたのでこれは自分のためにもさっさと陛下と合流すべきだろう。
「楽しんでくるといい、陛下もお疲れのようだしお前が一緒なら気分転換にもなるだろう。」
「そうかあ?あの人はお1人でもどうにかなるだろ。」
「ふむ、まあ本人には分からない事もあるという事か。」
訳の分からないことを言い出したウルバンをその場に残して陛下との待ち合わせ場所に急ぐことにした。
玉座の間へと続く長い階段のその麓に約束を交わしたその人はいた。
豊かな銀の色の髪はいつも通りだが服装は城下の町民達とも変わらない衣装だ。
そういえば幼い頃のハーキュリーズらを世話してくれていた時もこんな感じの服を着ていたかもしれない。
姿を見かけた時は何か考え事をしていた風のその人が、ハーキュリーズが近づいていくとふと顔を上げて応えてくれる。
「おはようハーキュリーズ。今日は良い天気で良かった。昨日は全く顔を見なかったが良く休めたか?」
「おはようございます陛下。寝過ぎて今日が何日か忘れそうになりましたよ。」
「そんなにか!まあ無理をさせた自覚はあるからな…。」
陛下はその凛々しい眉を下げて落ち込んでしまうがそんな事は気にしてくれなくていいのにとハーキュリーズは思う。陛下の念願を叶える事が帝国に仕える自分達の願いでもあるのだから。
ただハーキュリーズ個人としてはこの人がただ幸せであってくれたらそれで良い、と思う気持ちもある。
その為なら何処まででも着いていくつもりで日々努力しているのだ。
出来れば笑っている顔が見たいと落ち込んだ皇帝陛下に声を掛ける。
「お陰様で今日は元気ですよ。何処へでも着いて行きますから。」
「何処へでも?」
「え、や、まあ…モンスター退治でも行こうと思えば行けますよ?」
「ふふ、そんな無理は言わないさ。今日は休養日だ。ちょっと気になる店があるから一緒に行ってくれたらありがたいなと…お前くらいしか頼みにくい所もあって。」
多分ウルバンがマグダレーナに付き合わされたという店の事だろう。
しかし自分くらいにしか頼みにくいというような場所は一体どこなのだろうとハーキュリーズは首を捻る。そんな事を考えていると思い出したような空腹感と腹の鳴る音が聞こえて陛下は目を丸くした。
「ああそうか、昨日は何も食べてないのか。じゃあ丁度いいかもしれないな。並ぶかもしれないと聞くし早めに行こう!」
空腹感を抑えるために腹部に当てていたハーキュリーズの手を取り、陛下は小走りで城下に向かいだす。
「え、わ、ちょちょっと!」
「甘い物は嫌いじゃないよな?昔一緒に焼き菓子も食べていたのだし。」
「えぇ??」
城下の住宅街の広場で保護者たちから差し入れられた菓子類を陛下と一緒に食べていたような記憶は確かにある。ただそれは子供の頃の話だ。陛下だって10代半ばくらいの事だ。
ただ成人した今も別に特に嫌いということは無い。何なら憧れの人と一緒に食べた思い出で美化されている所もあって自分から選んで食べる事もままあるくらいである。
「ひとりで行くには色々難しいと思って…でもハーキュリーズと行くなら色々楽しいだろうとマグダレーナに言われて…一応護衛も付けろと言われてたのもあるし…。」
走りながらも話す内容に淀みがないのは陛下の体幹がしっかりしてるからなんだろうかと、一方的に手を引かれるハーキュリーズは着いて行くので精一杯だった。
最後まで手を引かれながら皇帝陛下とハーキュリーズがたどり着いたのは飲食店が並ぶ界隈の一番奥まった場所にあるこじんまりとした店だった。
店先には数人の女性が並んでいるように見える。看板には可愛らしい盛り付けのケーキの絵が見える。
なんというか自分がいるにはとても不都合な店なのではないだろうかと疑問と焦りが生まれてきた。
妹に強引に連れてこられたウルバンも自分には合っていなかったという様な事を零していたがこういう事だったのかと今更後悔する。
列の最後尾に並んでやっと一息着いている皇帝陛下に純粋な疑問をぶつけてみる事にした。
「あの…俺で良かったんですか?」
「ん?」
「こういう所に来るなら異性とか…。」
恋人とかの方がいいんじゃないですか?と言いかけてハーキュリーズは口籠る。
そんな存在がこの方にいるかもしれないと思う事すら不敬だろうと。
いや不敬がどうとかではないのかもしれない、ただ憧れの存在にそんな虫がくっ付いているかもしれないなど想像もしたくない。なんならその虫に嫉妬すら覚えている。
自分で聞いておきながら自分の中で腹が立ってきてしまった。
そんな苛立ちを鎮めるかのようにバンダナを巻いていても収まりの付かない髪の毛の上にぽんと力強い手が載せられる。
「私が一緒に居て楽しいと思う相手を誘ったつもりなんだが?」
そのまま大して指通りの良くない髪を撫で付けられた。
そんな子供相手にするような事を他の誰かがしようものならハーキュリーズはすぐに振り払っていただろう。でもこの手は昔から大好きだった手のひらだ。なんなら自分から撫でて欲しいと望んでいたくらいに。
追いかけて自分も帝国に仕える立場となり、成人して、今では身分の差もある。
そんな手の届かない人からの突然の供給にハーキュリーズの身体は固まってしまった。
それを見て皇帝陛下はあの子供の頃と同じ笑顔を見せる。
きっとそういう事なのだ、子供の頃から慣れ親しんでいる自分が気楽で居られる存在なのだろう。
それでいい。それでもいい。この人の隣とは言わない、後ろでも良いから着いていく事を許して貰えたら。
無事店内に入り、席に着いたはいいけれどメニューの内容を見せられてもハーキュリーズには良く分からなかった。
すいません適当にお願いします、と陛下にメニューを渡して丸投げしてしまうと仕方が無いなと陛下は嬉しそうにそれを受け取った。
「腹は減っているんだよなハーキュリーズ?」
「昨日丸一日何も食べてないですし、朝も特に…流石に水分は取りましたけど。ウルバンもそのまま行けと言ってたので。」
「ウルバンは良い仕事をしてくれた。…実は食べたいと思うものが2つあるんだがそれでもいいか?」
「お好きなのでどうぞ。なんなら俺の方が食べられるんじゃないですか?残ったら食べますよ。」
「言ったな?それならお前の分は追加で色々乗せてもらおう、ジャムや果物を追加も出来るらしいぞ美味しそうだ。」
下手を打ったような気もしたが陛下が楽しそうならそれで良い。時期を見計らって注文を取りに来た給仕に希望を伝えてメニューを返す。
やたら追加の注文分が多かった気もするがこの空腹感があればどうにかなるだろう。
陛下を煽った事をちょっと後悔する量だった。と言うよりこれはなんなんだろう。
ハーキュリーズは思わず大きな皿を両手で持ち上げて自分の目の高さまで運んでみた。とにかく大きいパンケーキだった。乳から作られたらしいクリームが添えられ色とりどりの果物やソースで彩られている。
「帝国の領土が拡がる毎に様々な地域からの物が流通されるようになり、パンケーキの上にそれらが載せられ内容も多岐に渡るようになった。という話をマグダレーナから聞いてな。面白そうだと思って。」
「なるほど。」
この見ているだけで胃もたれしそうな粉物とクリームと果物とジャムとソースの山は元帝国を象徴しているようなものという事か。あまりに雑多だが場内の酒場や訓練所に行けばこんなものかもしれない。
何なら皇帝陛下の率いる親衛隊だって。
「ハーキュリーズを例えるならどれだろうな…色合いからしたらこの赤や紫の果物たちが近いような気がする。」
ハーキュリーズの考えを読んだのかと思う近い話題を陛下が出してこられる。
確かに髪や瞳の色に似ているし、味も酸味がある物が多いので言われてみればそうなのかもしれない。
眺めているうちに食欲が刺激され、既に限界を越えていた空腹感を満たす為にハーキュリーズはテーブルに置かれたカトラリーを手に取り目の前の山に挑む事にした。
丸1日何も食べていない身体が驚かないかとも思ったがケーキの生地は柔らかく、クリームの甘さもくどいものではなく全てを調和してくれている。
「じゃあ陛下は土台のケーキ部分ですかね?」
多数の領土を制圧した磐石のバレンヌ帝国の皇帝をあらわすのであればそれで間違いないのだろう。だがハーキュリーズから見ればもっと近いものがある気がする。そう、この真っ白でふわふわと柔らかくて味わうと甘い所なんかどうだろう。
自分と評された果物と一緒に口に入れると酸味もちょうど良くなり良い塩梅になる。
色合いも、見た目も、そっくり。じゃあ味はどうなんだろうと。
「ハーキュリーズ?」
思考が若干どころかかなり不穏になってきた所で低く澄んだ声で自分の名前を呼ばれてハーキュリーズは我に返る。
「どうかしたのか?まだ疲れが取れていないのか?」
テーブル越しのその人が尋ねるように首を傾げると豊かな銀の髪も同時に揺れる。
幼い頃は当たり前に近くで見られたその髪の柔らかさを今になって直に触れて知りたくなってしまったなんて。
「な、んでもありません…。」
誤魔化すようにパンケーキを大きめに切り、盛られたクリームとジャムを多めに載せたそれを気持ちを誤魔化すように大口を開けて口に入れた。
その味はその見た目通り柔らかくて、甘くて、ただ少し酸っぱくて。
自分が味わっていいのはこの味だけだと、尊いこの人の事を深く知りたいなどと思ってはいけないのだ。
あれだけの大きさの物は結局全て2人で平らげてしまった。ハーキュリーズは空腹を持て余していたのもあったが、陛下も結構な食べっぷりで欠片1つ残されることは無かった。
「注文したものが来た時には驚いたが、とても美味しかったな。女性客が多かったが皆完食していたようだし、そういえばマグダレーナも見た目に反して問題無く食べられますと言っていた。」
少し前を歩く皇帝陛下の足取りは軽やかで、声もご機嫌の様子だ。
「お前と一緒に来られたのも、嬉しかった。ありがとう。」
くるりと振り返りハーキュリーズと向かい合うその表情は普段戦う場では見ることの出来ないふんわりと柔らかな笑顔で、食べ過ぎて焼けた胸が更に苦しく感じる。
「オレもあれだけ腹減ってたってのに今は苦しいくらいですよ。ていうかせめて自分の分は支払うんで受け取ってください。」
なんなら自分が全額支払おうと考えていたのに、この男の中でも特に出来る男である皇帝陛下は気が付かぬうちに会計を済ませてしまっておられたのでハーキュリーズは手も足も出なかった。
主君に奢っていただいてしまうなど…とハーキュリーズがしかめ面をしている陛下からはところころと笑いが零れた。
「私の方が年上で上司で更には付き合わせてしまったんだからな。気にする事はない。」
この人のこういう所に勝てるのはいつになるやらと、自分の未熟さにも気が付かされ甘さも酸っぱさも味合わされる。
自分の現状をあのパンケーキの山が表現して再確認させてくれていたのかもしれないとハーキュリーズは苦しい胸を押さえつつ、皇帝陛下と城への帰路に着いた。
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