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黒竹
2026-01-11 22:28:48
13918文字
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魔法少女ノ魔女裁判
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ステップと君の温度
【シェリハン】クリア後。みんなでお茶会楽しいね。
チャットツールのグループの、名前の後ろについた数字は12。それは減りも増えもせず、会話の履歴だけが長くなっていた。書き込みの回数は人それぞれだが、少なくともまったく発言のない子はいない。
『ごめーん! あてぃし今回はパス。推しの長寿のお祝いとかぶっちった』
『私もちょっと忙しくて。ごめんなさいね』
『わがはいとミリアは参加だ』
『あ、でもおじさんたちはちょっと遅くなるかも。映画の舞台挨拶を見てから行くことになるんだよね』
『はいはーい! シェリーちゃんとハンナさん出席しまーす!』
そこからいくつかメッセージが続き、一通りの表示が終わって少し間が空いたあたりで、新たなメッセージが届く。
『みんな返信ありがとう。では、今回のお茶会の出欠は以上かな。当日を楽しみにしてるよ。残念ながら今回は来られないみんなも、次回は是非よろしく』
牢屋敷の一件以来、恒例になっているお茶会のホストであるレイアのメッセージに各々返信をして、またグループが大人しくなる。
ハンナはメッセージを流し見しながら、「よく続きますわね」背後でストレッチをしているシェリーに話しかけるともなく呟く。
何ヶ月に一回とか、誰かの誕生日に必ず、とか、そういった定期的な取り決めがあるわけではなかったけれど、なんとなくみんながそろそろかなと思うタイミングでレイアから声がかかる。何をするでもなく、レイアの家に集まって用意された食事をとりながら近況などを話し合う、お茶会としか言いようのないお茶会はずいぶん長いこと続いていた。
「私とハンナさんですか? それはやっぱり愛の力じゃないですかね」
「誰もそんな話はしてませんわ」
なに言ってやがりますの。うっかり頬を軽く赤らめてしまって、誤魔化すように眉をひそめる。とはいえ、シェリーからはハンナが持っているスマートフォンの画面が見えないのだし、お茶会の参加者を改めて確認していたことも知る由もないのだから、勘違いしてもしょうがないとも言えた。
ハンナ自身は返事をシェリーに任せてしまったので流れをよく追っていなかった。お姉さんの看病で欠席しがちなナノカが来られるようで、少し楽しみだなと思う。牢屋敷での彼女はかなり気を張っていたらしく、お茶会で見る彼女はあの頃よりずっと朗らかで可愛らしい。そんなふうな姿を見せてくれるようになったのは素直に喜ばしい。
レイアのことはまだ苦手だったけれど、お茶会にはできるだけ参加するようにしていた。ナノカほどではなくても、お茶を飲む少女たちは誰も怯えたり泣いたりしていなくて、それだけで嬉しくなる。すれ違いを解消できたヒロとエマだけではなく、先程のアンアンのメッセージみたいにそれぞれ仲良くなった相手と懇意にしていたりするようだが、誰かが孤立するようなこともなく全体的にゆるやかなつながりを保っていた。それはハンナにとって心地良い。
誰も置き去りになっていないかたち。
当のハンナ自身にも、そんな輪の中の特別があった。あったというか今背後にいる。ストレッチを終えたのか、背中にべったり張り付いてきた橘シェリーを、ハンナはあえてそのままにする。
シェリーは背中越しにハンナのスマートフォンを覗き込んで(失礼だとは思うけれど彼女に悪気はないので見逃すハンナだった)、ちょうどそこに表示されていたメッセージに目を留める。
「そうだ、今回はノアさんも来れるんですよね。【バルーン失踪!】なーんて騒がれてけっこう参ってるみたいでしたけど、そろそろ落ち着いてきたんですかね」
「ヒロさんが世話を焼いてたって話はこの前ちょっと聞きましたけど。世間的には正体不明といっても、自分のことで騒ぎが起きてたら気になりますわよね」
望んでいなかった絵と望んでいなかった名声だ。だが、そうはいっても自分自身のことに変わりはない。ノアは子供っぽいけれど聡い子だった。素直ではあるが純粋とも言い切れない。無垢の強さを持たない彼女を誰か支えてあげられるといいのだけれど。
それを思えば己はずいぶん
僥倖
ぎょうこう
だ。少なくとも、奈落に落ちたり現実逃避したりできないくらいには、こちらを捕まえて離してくれない腕がある。
「アリサさんも参加っと」
「あの子、なにげに皆勤賞じゃありませんの?」
「文句ばっかり言ってるわりと毎回来るんですよねー」
シェリーの言葉に思わずくつくつと喉で笑う。特に誰かと遊んだりはしゃいだりするわけではなく、むしろ悪態をついてばかりなのに、招待されている面々の誰よりも出席率が高い。
のしかかっていた顎の重みが消えて、代わりに腹部へ回った腕で引き寄せられる。
「でも、こうやって集まれるのはこの先何度もないかもしれませんね。みなさん進路も違いますし、就職とかしたら忙しくなるでしょうし」
なんの気なしに放たれた言葉がハンナをやや気重にする。社会的に抹殺され、なんだかんだで元の家に戻れて学校にも通えた。とはいえ、母親に置き去られた事実は事実として存在し、福祉に助けられてなんとか高校に通っていたハンナは進学なんて考えられない。しかし、ヒロやエマは別だ。詳しく聞いていないけれどきっと進学するんだろう。レイアも魔法を失ったというのにますます芸能界で活躍しているし、他のみんなも大人になっていく。背中を預けている向こうは「もちろん探偵になりますよ?」と首を傾げていたが本気だろうか。卒業までに養親が説得してくれることを願うのみだ。
まあでも、本心をここだけで言うのであれば。
離れないでいてくれるなら、なんでもいい。
「アリサさん、こっちのローストビーフおいしいですよ。よかったらどうです?」
「ん? ああ、じゃあちょっともらうか
……
おい、そんなに山盛りなんかいらね
……
ああったく、入れすぎだ馬鹿!」
「あちゃー、これは失礼しました。元同室のよしみで許してください」
「ふざっけんな!」
吠えるアリサと誤魔化し笑いするシェリーを、仲いいなあと眺める。アリサはぶつくさ言いながらも、取り分け用の皿に盛られた一掴みもあるローストビーフを仕方なさそうに口に運び始めた。シェリーに押し付けたり、大皿に戻したりしないあたり、彼女の根本的な人の良さがうかがえる。
レイアの自宅はいつ来ても気遅れしまうほど大きくて、それに毎回用意されているケータリングも有名な店の有名なシェフの手作りだとかで、最初の頃はこの一口でいくらになるんだろうなどとむやみに考えてしまったものだ。さすがに今となっては多少慣れてきて、そういったある種失礼なことは思わなくなったが、あんな光景を見ると、【山盛りにできるくらい作られたローストビーフ】にうっかり思いを馳せてしまう。
甘辛いソースのかかったエビのフリッターをもそもそ食べていると、グラス片手のレイアが近づいてきた。未成年なので持っているのはもちろんソフトドリンクのはずだが、所作が優雅すぎておしゃれなカクテルだと言われても納得しそう。
「やあハンナくん。どうだい最近は」
「別になんもねーですわよ」
「しかし、もうすぐ卒業だろう? 進路なんかは決まっているの?」
「今もバイトしてる洋服のリフォーム店にそのまま勤める予定ですわ。しばらくバイトのままですけれど、うまくいけば正社員になれるかもしれませんの」
「そうか。ハンナくんは裁縫が上手だったものね」
きっと正社員になれるよ。なんの根拠もなさそうな軽い言い方だった。実際、レイアは特になにも考えていないんだろう。その場しのぎで自分の評価が上がるような発言をするのはよくあることで、彼女のそんな舌先三寸があまり好きではないハンナだった。とはいえ、敵意を剥き出しにするほど嫌悪しているわけでもないし、たまに会う程度になった今となっては、それはそれで彼女の個性なんだろうと納得している向きもある。
レイアはどうやら、ホストとして全員に声をかけているようだった。順繰りに回っていって、数分程度の軽い会話を交わしては他の子へ近づいていく。社交的といえばそうなんだろう。きっと芸能界とか、ああいった世界では必要なスキルなのだ。だから自分もそれに付き合ってあげるだけでいい。深い話をする必要もない。
「ありがとう。そうなるといいんですけれど」
「深窓の令嬢がお針子さんとは少々似合わないような気がするけれど」
「っ、あなたねえ!」
ハンナの空想はすでにみんなの知るところで、ハンナ自身としてもまあまあ恥ずかしい思いをしているというのに、こういうところで蒸し返してくる無神経さだけは我慢ならない。
レイアは失礼、と片手を上げて、少し焦った調子で言い訳をし始めた。
「いや、それがハンナくんの本当にしたいことではないんじゃないか、と思ってしまっただけなんだ。言い方が悪かったね、すまない」
真意を説明され、ハンナはわずかに口ごもる。
「
……
嫌いでは、ないんだと思いますわ」
新しいものに買い替える余裕がなかったからとか、針を動かしている間は余計なことを考えずに済んだからとか、色々と理由はあったものの、やはり突き詰めていけば好きだったのだと思う。それは幸いだったし、たぶん、【不幸中の】ではなかった。
「そうかい」
レイアは不思議と澄んだ瞳で微笑み、小さくうなずいた。それは芝居がかっては見えなかった。
「私はハンナさん、向いてると思いますけどねー」
アリサと話していたはずのシェリーが、二人の間からにゅっと頭を出して文字通り割って入ってくる。うお、と小さく唸ってレイアが半歩下がった。空いた隙間に留まったシェリーはなぜか得意げに胸を反り返した。
「この間もお直しの余ったハギレで、お客さんとこの小さいお子さんに人形を作ってあげてましたし」
「あ、ああ、あれは子供がずっと気に入って着てた服だって聞いたから
……
思い出に残せればと思って」
「こういうことができる人なんですよ、ハンナさんは」
「それは素晴らしいと思うが、どうして君が自慢げなんだ?」
きょとんとしつつ、シェリーが割り込んできたことで頃合いと見たか、レイアはそれから二言三言ほど交わしてその場を離れていった。
シェリーが感情の読めない笑顔のまま小皿のプチケーキを差し出してくる。
「そろそろデザートはいかがですか、ハンナさん?」
「え、ええ。ありがとう、いただきますわ」
ひと口サイズのケーキはフランボワーズソースの酸味が効いていて美味しかった。甘い物なんてめったに食べられなかったな。良くも悪くも一変した生活を思い返す。初めてのお茶会で出されたマカロンを食べた時なんて、感動のあまり思わず「うんめーですわ!」と叫んでしまって恥ずかしい思いをしたものだ。
最近ではシェリーが会うたびにチョコレートだのドーナツだのクッキーだのを手土産に持ってくるから、そういう感動も薄れてきたけれど。
「
……
ん?」
「どうしました?」
そういえばシェリーがやけに甘いものを用意しておくようになったのは、あのお茶会のあとからである。
「シェリーさん、遊びに行くたびにわたくしにおやつを食べさせてるのって、もしかしてレイアさんに対抗してますの?」
「うーん、どうでしょうね?」
「あ、こっちのワッフルもおいしそうですよ。はいあーん」「あーん
……
ごまかすんじゃねえですわよ」もぐもぐしながら睨んでみるがシェリーは笑うばかりで答えなかった。
それからミリアの持ってきたゲームをみんなで遊んで、そうしているうちに夜も更けてきた。数人がそわそわしてきたのに気づいたレイアが声を上げる。
「もうかなり遅いけれど、もしよければ泊まっていかないかい? ゲームが盛り上がって遅くなってしまったが、ミリアくんとアンアンくんおすすめの映画を観てみようと準備しておいたんだ。もちろん、明日の予定があったりしたら帰ってもらって構わない」
「あ、前に聞いてくれたやつかな? 牢屋敷じゃホラーばっかりだったからさ、往年の名作とか、最近のでもほっこりする感じのをいくつか連絡してたんだけど。おじさん、いつも一人で観てたから、みんなと感想を話し合ったりできたら嬉しいかなって
……
」
遠慮がちに言葉を挟んできたミリアにみんなが目を見合わせる。「わがはいは付き合ってやってるが、いつも同じメンツでは意見も偏ってしまうからな」助け舟のつもりかアンアンがくちばしを挟んできた。魔法がなくなった今、彼女の手にスケッチブックはない。
対照的に、カラースプレーではなくスケッチブックにペンで絵を描いていたノアが顔を上げ、軽く首を傾げながら口を開く。
「のあは難しいお話わかんないけど、みんなといたいから残るよ」
「では、私も付き合おう。ノアの面倒までレイアに任せっきりにするのは正しくない」
「あ、じゃあボクも」
「わぁ
……
嬉しいなあ。おじさんちょっと憧れだったんだよね、友達みんなと夜ふかししてさ、映画見ながらおしゃべりするの」
浮かれ調子でミリアが言い、そんな顔をされてはハンナとしても断れない。どうせ夜ふかしは得意だ、ホラーではないなら付き合うことになんの抵抗もない。
ぶつ切りの睡眠と、途方に暮れるしかない夜泣きの時間が脳裏をよぎる。
胸の痛みを感じる一瞬前、隣のシェリーが呑気な声を上げた。
「私たちはどうしましょうか? せっかくだしみんなでわいわいしちゃいます?」
「わたくしは構いませんけど。シェリーさん、別に毎度毎度わたくしに合わせなくていいんですのよ? あなたが帰りたいなら先に帰っても
……
」
「やだなあ。そんなわけないじゃないですか。私はいつだってハンナさんといたいですよ?」
斜
はす
向かいのエマが「わぁ
……
」と呟きながらかすかに頬を紅潮させている。その何倍も顔を赤くしながらシェリーの二の腕をつねった。彼女はなんの反応もしない。痛みを感じさせたいわけではなかったが、忠告の意味すら通じていなそうだった。余計なこと言うんじゃねえですわよ! 視線で訴える。私はミステリーがいいです! 視線で返ってきた。ウィンク付きだった。
やや微妙な空気が流れ、誰も口を開かなくなったタイミングで、おずおずと上がった手があった。
「あの
……
ごめんなさい。姉さんが心配だから私はこれで帰らせてもらうわ」
「あ、そうだよね。もちろん、無理にとは言わないから」
「でも、久しぶりに気分転換ができて嬉しかった。次は都合をつけられるように頑張ってみる」
「いいんだよ、お姉さんのお世話で大変なんだろうし。私たちはいつだって待ってるからね」
ナノカの申し訳なさそうな声にミリアがぶんぶんと両手を振る。事情が事情だ、当然だが誰も文句は言わない。そのことにミリアが少しホッとしたような仕草を見せる。信じていないとかそういう次元の話ではなく、こういった場面で好ましくない雰囲気になるのが怖いんだろう。
「
……
あー、ウチもパスだな」
「アリサさんはどういうご都合で?」
「
……
親が心配すんだよ」
うぜえ。質問してきたシェリーに対してなのか、愛情のかけ方を間違えている両親に対してなのか、口の中だけで小さく小さく悪たれ口を叩くアリサ。ただ、そんなふうに考えられるようになったのはそれだけ彼女が回復したということなのかもしれない。おおよそ考えうるすべての悪事を働いた彼女からしたら驚きの前進だ。
「では、ナノカくんとアリサくん以外は全員残るということで。それじゃあ映画鑑賞の準備をしよう。さっきのデザートがまだ残っているから、映画を見ている間につまめるよう持ってくるよ」
全員で帰る二人を見送り、あの娯楽室より数倍豪華な応接間に集まる。そろっている機材はもちろん時代遅れなんかではないし、寝っ転がれる大きなソファなどもあってハンナは思わず喉の奥で唸った。
天井から投影用スクリーンが下りてきた時は、さすがに「悪趣味ですわ」と声が出た。テスト用に投影されたのがレイアのどアップだったので。
眠くなったら客間で休んでくれたまえ、とレイアが先に伝えていて、広い家とはいっても一人一室というわけにはいかないので数人のグループに分かれることになった。といっても、眠気に負けそうになった子から好きに脱落していく流れになりそうで、事前になんとなくどの部屋を使うか決めた程度だ。レイアはもちろん自分の部屋があるので除外され、ミリアとアンアン、エマとヒロとノア、シェリーとハンナで分かれることになった。客間は廊下を渡った先に並んでいて、分かりやすいようにかドアの色が他の部屋と違っていたので迷うことはなさそうだった。
「エマくんたちだけ三人だから少し不便かもしれないが。余っている布団を出してこようか?」
「いや、気にしなくていい。どうせノアは捕まえておかないといつまでも絵を描こうとするからな。私とノアは同じベッドで問題ない」
「ノアちゃん、テンション上がると宵っ張りになっちゃうんだよね」
困り笑いをしながらヒロの言葉を引き継ぐエマ。「今日はみんなと会えたから余計だと思う」確かに、ノアは今日顔を合わせてからずっとペンを握って離さない。なんなら食事もヒロが口元に運んでやっていたくらいだ。正しくない、とぶつくさ言っていたヒロだが、それでも無理やりペンを取り上げようとはしなかった。
泊まりの準備なんてしていなかったから、みんなでレイアのレッスン着を借りて着込み、各々好きな場所に落ち着いて映画を見始める。映画は動物のほっこり系と、有名なアクション物と、シェリーが喜んだ人の死なないミステリーがあった。時に感想を言い合い、時にお菓子をつまみながらゆったりと時間を過ごした。牢屋敷の娯楽室ではミリアの悲鳴が響き渡っていたものだけれど、今回はその彼女が選んだ映画ばかりだから平和なものだった。
二本目のミステリーを観終わったところでハンナが大きくあくびをする。面白かったが夢中になるほどではなく、目もしょぼついてきたのでシェリーに目配せしてからレイアに顔を向けた。
「わたくしはそろそろ失礼しますわ。ミリアさん、最後までお付き合いできなくてごめんなさい」
「ううん、遅くまでありがとう」
ミリアの言う通り、もう日付が変わって二時間は経っていた。学校が休みのためバイトに出てから訪れていたが、リフォーム店の朝は早く、さすがにそろそろ限界が近い。
レイアもいたわるような表情でハンナに目を向け、優しく声をかけてきた。
「明日はゆっくり休んでくれて構わないよ。朝食にはエッグベネディクトを用意してあるんだ。ハンナくんたちはあまり食べる機会もないだろうから楽しみにしていてほしい」
得意げなレイアの様子にハンナの表情が曇る。エッグなんとかがどんなものか知らないが、そんなふうに言うということはなにか高級な食べ物なんだろう。傲岸なその態度に思わず眉をしかめた。
「あなたねえ
……
っ」
言い返してやろうとしたハンナの肩を突然誰かが掴んできた。確かめるまでもなくその手の感触をハンナは知っている。驚いて止まってしまった隙をついて、シェリーがぐいっと身を乗り出してきた。
「それは楽しみです! なんせ私たち、普段は一緒に素朴で庶民的なご飯をおいしく楽しく食べていますので! お値段が心の豊かさにどれだけ影響するのか確かめてみたいものですね」
「あ、ああ
……
?」
「では明日のご飯を楽しみにしつつ今日は寝ましょうか。行きましょう、ハンナさん」
「え、ええ
……
。じゃあみなさん、おやすみなさいですわ」
ぐいぐいとシェリーに押されながら部屋を出る。どうしたんだろう。なんだかちょっと強引なような気がする。
部屋に残されたレイアはややポカンとしており、やがて助けを求めるようにヒロとエマに視線を飛ばした。
「
……
私は、今なにか間違えただろうか
……
」
「えっと
……
たぶん、そうかも
……
?」
苦笑しながらレイアから目をそらすエマと、ノアにゼリーを取ってやりながらため息をつくヒロ。
「何度も言っているが、君とハンナでは住む世界が違う。それについて配慮しないのは正しくないな」
「そ、そうか
……
すまない。いや、君たちに謝っても仕方ないな。明日ハンナくんに謝るよ
……
」
「まあ、シェリーの当てつけのような言い方もあまり良くなかった。今回はけんか両成敗といったところか」
レイアがしゅんと頭を垂れる。己の傲慢さが、時には憎悪どころか殺意すら抱かせると知ってしまって、魔女因子という特殊な理由があったせいだと分かっていても気にせざるを得ない。特にハンナに対してはそうだ。なにせこちらに殺意を向けた張本人なので。
そうはいったところで、レイア自身には何が誰の逆鱗に触れるのかさっぱり分からないのだから始末が悪い。さっきだって、少し珍しい料理だから喜んでほしくて出てきた言葉だった。気遣いや単純な疑問のつもりの言葉が誰かを傷つけるのは、いくらなんでも良心の呵責に苛まれてしまう。
「あの、レイアちゃん。そんなに気にしないで。大丈夫だよ」
「ああ
……
」
「あのね、大切な人がいてくれるってすごく心強いんだよ。だからハンナちゃんもきっと大丈夫。明日には元通りになってると思うよ」
「そうだといいのだけれど
……
」
しょんぼり反省するレイアは人気の芸能人とは到底思えず、遠くで見ていたアンアンの「無様だな」の一言に情けなく崩れ落ちる様はいかにも悩める少女だった。
ふたつ並んだ客用ベッドの片方に倒れ込み、ハンナは大きく息をつく。
「うう、ねみーですわ
……
」
「さすがにベッドもふかふかですね。これはおやすみ三秒まったなし」
結っていた髪をほどき、ベッドに腰かけてハンナの髪をまとめているリボンも取ってくれるシェリー。
「でも、楽しかったですね」
「そうですわね。懐かしい子とも話せましたし
……
楽しかったですわ」
眠気のあまり目を閉じて脱力するハンナの髪を、シェリーの手が優しく撫でる。心地良すぎて掛け布団に潜る前に眠ってしまいそう。それもなんだかもったいなくて、なんとかまぶたをこじ開けると、シェリーに向かって両手を差し出した。
「
……
ん」
「はい」
名探偵の推理力か、視線と手の動きだけで読み取ってくれた彼女がそっと覆いかぶさってくる。背に腕を回して軽く唇を上げると優しく吸い付かれた。
触れるだけのキスを何度か繰り返す。するりと指先で耳を撫でられて小さく首をすくめた。唇を食まれ、舌先でなぞられる。誘われるままに口を開くと待ちかねたように赤い舌が入り込んできた。絡め取られて、吸い付かれて、お互いの口の中で呼気が混じり合う。朝からお預けされていたキスは激しくはないものの濃厚で、呼気の熱さと腹部に添えられた手のもどかしさから、あちらも我慢していたのだと感じ取れた。
シェリーの首筋を撫でて、長い髪に指を潜らせ、お返しのようにうなじへ指先を這わせる。髪の生え際に沿うように指でなぞる。「ん
……
」こらえきれない潜み音がシェリーの口端から洩れた。ハンナにできたのはそこまでで、じわじわと侵食され、身体中から力が抜けていく。
はたりと落ちた両手を掴まれ、ベッドに押し付けられる。絡んだ指の親指でそっと甲をさすられる。唇は離れない。入り込んだ舌が何度もこちらの舌を舐めてくる。熱くてぬめった感触に心臓が早鐘を打つ。
絡めていた舌をようやく解放し、シェリーが深く息をついた。
「すみません、苦しくなかったですか?」
「平気」
重ねた手のひらを乾いた感触が滑る。悪戯みたいに手のひらをなぞる指先がくすぐったい。もう一度唇を塞がれて、それからまぶたに優しくキスをされた。しっかりアイロンがけされた真っ白なシーツに二人分の重量がかかり、柔らかく波打っている。
ようやく得られた安心感のある重みを受け止めながら彼女の頬にお返しのキスをする。シェリーがこうしてくれると安心した。少しだけ不自由で、少しだけ重苦しくて、とても温かい。どこにも行かないようにと掴んでくる手の柔らかさが心地良かった。ハンナの小さな手をくるんでくれる手は時々ほんの少し意地悪だ。
ゆるゆると、手のひらと手首の
際
きわ
に指先を走らせてくる、そこに含まれた意図に軽く顔をしかめた。それでもなにも言わずにいると首筋にそっと噛みつかれ、手首から腕をたどりながら下りてきた指が上着の裾をわずかにめくった。
「──こら。なにしてやがりますの」
「だめですか?」
「いくらなんでも、人さまのお宅でそんなことしていいわけないでしょう?」
「バレなきゃ大丈夫ですよ」
「なわけねーですわよ!」
飄々
ひょうひょう
と言ってのけるシェリーに歯を剥きながら肩を掴んで押しのけようとする。しかし悲しいかな、体格差とのしかかられているハンデのせいでシェリーの身体はピクリとも動かない。
無遠慮に侵入しようとする手のひらを咄嗟に掴む。
「ちょっ
……
もう、シェリーさん!」
「むぅ〜
……
」
頬を膨らませて、しようとしていることとは対照的なほど子供っぽい抗議をしてくるシェリー。描いてはいけない場所に絵を描こうとして怒られた時のノアと同じ表情だ。本能的な欲求を制されたとき、人はみんなこういう顔をするのかもしれない。
その顔はなんとも可愛らしかったけれど、だからといって絆されてやるわけにもいかない。レイアが苦手なことを理由に礼を失するなんて遠野ハンナには許されなかった。
両手でシェリーの頬を包み、困りきったため息をつく。そこでようやくシェリーがわずかに眉を下げた。彼女だってこちらをいたずらに傷つけたいわけではない。
「どうしてもだめですか?」
「だ、め、で、す」
「え〜」
食い下がってくるシェリーの首筋に絡みついて耳元に唇を寄せる。さっき止めた時におとなしく引き下がってほしかった。そうしたら、まだマシだったのに。
「だって
……
こ、声とか、出ちゃうし
……
」
「頑張ってください」
「
…………
ベッド、汚しちゃうかもしれませんし
……
」
「頑張ります」
「なにをですの!?」
顔から火が出るほどの羞恥心に覆われながらやっとのことで本音を伝えたのにシェリーは聞いてくれない。これはどれだけいなそうとしても、このまま並んでおやすみというわけにはいかないようである。
耳まで赤くなっていることを自覚しつつ、ハンナは深く深く嘆息する。
「仕方ありませんわね
……
キ、キスだけならよろしくてよ」
「キスだけですかぁ?」
「
……
帰ったらたくさんしてさしあげますから、今日は我慢して」
シェリーを宥めるために口をついて出た言葉がなんとも扇情的であることにハンナは気づかない。
言われたシェリーは寸時停止し、それから一瞬だけハンナから目を逸らした。
「ハンナさん、それは逆効果ですよ
……
」
「? なに? よく聞こえませんでしたわ」
「なんでもないです」
肘で自身を支えつつ、甘えるように唇を落としてくる。「分かりました。キスだけですね」受容の囁きと共に挨拶みたいなキスをされて、それから額とこめかみに唇を押し当てられる。
良かった、分かってくれたようだ。彼女の場合は本気でバレなければいいと思ってるので説得には苦労するだろうと予想していたし実際に苦労したが、それでもこちらが譲歩した途端、存外すんなりとこちらの言い分を聞いてくれて助かった。
髪を撫でられ、ついばむような軽いキスを繰り返される。ドアの向こうに人の気配はない。まだみんな映画を見ているんだろう。静寂の中、二人の唇が離れる瞬間の濡れた音だけが響く。何度も繰り返すうちにだんだん思考が鈍ってきて、無意識に彼女の背中に縋った。
慈しむように触れてくる唇は次第に位置を変えてきて、頬とこめかみを通って耳朶へ触れた。そよぐ吐息は熱を持っていた。少女らしい伸びやかな肢体を持て余すように膝がシーツを擦る。
「っ、ふ
……
ぅ」
耳のいっとう外側を唇で挟まれて、ちろりと舌先がなぞってくる。これは、キスの範疇に入るのだろうか。
「あの、シェリーさんちょっとやりすぎでは
……
」
ぞわぞわとした感覚。怖気にも似ているが絶対的な違いのあるそれを遠野ハンナはもう知っていたし、橘シェリーも知っていた。
「唇で相手に触れることをキスっていうんじゃないですか?」
「そ、それはそうですけど
……
」
「じゃあこれも問題ありませんね」
舌先でゆっくりと外側をなぞって、内側のくぼみに差し入れて、形を確かめながら口内に含む。折りたたまれた耳が捉える濡れた音がどうしようもなく恥ずかしい。
両手をシェリーに掴まれたまま耳穴に舌を差し込まれる。「んん!」強い刺激に思わず身体が跳ねた。呼吸から平静さが失われて全力疾走した後みたいな荒い呼気を吐く。
「あ、んぅ
……
っ、やだ、シェリーさ
……
」
「みみ、よわいってしってるくせにぃ
……
」身体の中で水っぽい音が反響している。ぬめった舌が往復するたびに全身が震え、シェリーとつないでいる手に力がこもる。身体中が熱い。首の後ろにマグマでも押し当てられているようだった。シェリーは約束通り、唇と舌以外ではハンナのどこにも触れようとしなかった。両手同士をつないだまま、足先ひとつですら触れてこない。それがどうにももどかしくてますます息があがっていく。
好奇心旺盛な彼女にはすでに色々と知られていて、だから、彼女の唇はいやに的確だった。どうしようもない箇所に触れたかと思ったらすぐに離れて声が上がるのを留め、ハンナの腰が揺らぐほど丁寧に鎖骨へ舌を這わせたと思えば家族みたいな乾いたキスをその下に降らせた。
「うぅ
……
どこまでする気ですの
……
っ」
「だから、キスだけですよ」
「これはもうキスじゃありませんわ
……
!」
なんて言うかは知らないけれど、もう確実に、絶対に違う。「やだなあ、ただのキスですよぅ」涙目で訴えるハンナにシェリーはにこやかに答えた。
「ハンナさんはキスならしていいって言いましたし、私はハンナさんに唇でしか触れてません。なんの矛盾もありませんね」
言いおいてすぐに首筋を舌が這っていく。誰か反論してほしい。ハンナはもうまともに口もきけない。
膝をこすり合わせていることにも気づいているだろうに、シェリーは飄々とした態度のままキスを続けている。ひっくり返されて、腹部を強く抱かれたままうなじを唇が這い回る。焼け付いて色が変わっているのではないかと思えるほどそこは熱を帯びていた。シャツの襟ぐりのぎりぎりまでを侵してくる舌先。その動きに合わせて背筋に電流が走る。シェリーの身体の下で紅く染まったうなじを見られていると思うだけで、腹部の真ん中が乱れるようだった。あくまでキスだと主張するそれらは、ハンナの脳裏に過去の記憶を呼び起こさせる。うなじへのキスと同時に撫でてくる指先と、耳元で囁かれる言葉と、優しく足を開いてくれる手と、自身から立ち上がる音を。
脳髄が痺れるようでたまらない。本当に、唇と舌先だけでしか彼女は触れていないのに、それ以上の侵食がされているよう。
「ん
……
っ、ねえ、シェリーさ
……
もう
……
」
「
……
ん
……
限界ですかね」
シェリーが動きを止め、ハンナの身体をそっとベッドへ横たえる。
首筋と鎖骨と耳朶をいいように弄ばれてからされた唇へのキスは久しぶりにすら感じられた。
濡れた瞳で見下ろしてくる彼女はこころなしか満足そう。やっと解放された両手で目尻に浮かんだ涙をぐいぐいと拭う。
「すみません。ハンナさんがあんまり可愛いのでやりすぎました」
「
……
絶対そんなこと思ってねーですわ
……
」
反省反省、と自分の頭を叩くシェリーを斜めに睨みつつ、力を抜いて自由になった身体をベッドに沈ませる。疲れた。耳はあんまりしないでっていつも言っているのに。
シェリーは夜の匂いを感じさせない仕草でハンナの髪を撫でてから隣にごろんと転がった。ベッドはセミダブルだけれど二人で並んでも狭くはない。むしろくっつかずに並んで寝れるのだからいつもよりずっと広いと言えた。
手枕でこちらを向いたシェリーは柔和に目を細めている。
その目には弱い。空気が読めず、場の雰囲気に無頓着で、道徳心のかけらもなく、なにを考えているのかいまいち掴みにくい彼女がそういう目をする時だけ、考えていることが分かってしまうから。
それは愛情で、憧憬で、好奇だった。
彼女の愛情と憧憬と好奇を一身に受ける気恥ずかしさは、もしかしたら身体中にキスをされるより大きいかもしれない。だけれど、遠野ハンナは橘シェリーのその視線を受け入れたし、受け入れることで前に進めたものもあった。
誰かのそばにいるということは、置き去りにされるかもしれないし、置き去りにしてしまうかもしれないということだ。もうすぐみんなひとつ上のステップに進んで、こんなふうに集まれなくなるかもしれなくて、それは二人も例外ではない。
だけれど、遠野ハンナは信じてしまった。
信じてしまったから、可能性すら受け入れられた。
「キスだけで我慢したんですから、ハンナさんもちゃんと約束守ってくださいね」
「大いに反論したいところではありますけど
……
まあいいですわ。一応、聞いてあげなくもなくてよ?」
「たくさん、ですよね?」
「
…………
」
さすがに言葉の綾だったかもしれない。
シェリーは食えない笑みでハンナの返事を待っていて、それがなんとも小憎たらしくも可愛くて、どうしようもないなと自分に呆れる。
「
……
帰ったらですわよ」
「はい」
恥ずかしさのあまり枕を抱えて顔を埋める。いつもは夜になんとなくそういう雰囲気になるだけで、事前に話したり誘ったりなんてしたことがなかったから、シェリーとそんなことを話すだけで身悶えしてしまう。
枕越しに深く息を吸い込んだら、当たり前だけれど全然シェリーの匂いがしなくてさみしくなった。
ふかふかの枕を手離し、シェリーの手を取る。
口元に引き寄せて指に軽くキスをすると、彼女は少しくすぐったそうに笑った。
これもまた、大人へのステップをひとつ上った、ということなのかもしれない。
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