もち粉
2026-01-10 01:30:09
1933文字
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君の匂いを首に連れて


カブミス
冬の朝

凍てつくような冬の空気が街全体を覆い、年が改まったばかりの城下は静謐な落ち着きをまとっている。

俺も城の勤め人となり、毎月の禄を食む身となった。いつまでも冒険者時代のように酒場の地下にいるわけにもいかない。だから昨年の秋ごろに、小さな家を借りた。
すると、恋人のミスルンさんがしょっちゅう泊まるようになった。

特に冬は彼の迷宮探査も基本的には休みになる。そのためこの数週間で、ミスルンさんがうちにいる時間がすっかり増えた。もう半同棲状態である。
家事などまともにしたこともない者同士。それでも、二人でままごとのように料理や掃除の真似事をするのは楽しかった。
多少の失敗なら、週二回契約している家政婦が片付けてくれる。山になった洗い物も放置した湿った雑巾も、いつのまにか元通りだ。
無謀なことを考えずに最初から家政婦を雇えと助言してくれたリンには感謝している。


❆❆❆

朝、台所から聞こえるコトコトという控えめな音に目を覚ます。廊下に出ると、湯気の混じった暖かい匂いが鼻先をくすぐった。

冬の朝の空気は、薄く白く広がっている気がする。
その中でミスルンさんが、俺のシャツを着て台所に立っていた。袖が少し長くて、華奢な手首の骨が無造作に開いた袖口から覗いている。
窓から入る朝日を背にして、彼の輪郭がふんわりと光って見えた。

……それ、俺の服ですよね」
「そうだな」

お茶を差し出しながらまるで天気の報告みたいに返されて、俺はため息をついた。
それ、今日着ていくつもりだったやつ。

どうせなら、素肌に俺のシャツ一枚でいてほしい。下は履かずにお願いします。
……冬じゃなければ、そう頼んでもよかったんだけど。

ミスルンさんの家では当然、使用人が服を用意していたらしいが、ここではそうもいかない。
家政婦の契約に洗濯は含まれていない。別途洗濯屋に頼まなくてはならないのだ。

ある日家の中で寒そうだったミスルンさんに、俺の上着を着せかけて「寒さを感じたら重ね着をしてください」と言ったのだが、それ以来彼は俺の服を適当に着るようになってしまった。
出かける時もそのままだ。しかも返してくれない。
最近、クローゼットの中が明らかに減ってきた。

「ミスルンさん、俺の服、それ以外も持っていってません?」
「持っていった。……いけなかったか?」
「いけなくはないですけどね。俺の着るものが足りなくなってきました。
着替えが足りないなら、取りに行くの手伝いますよ」

「いや、私の服は足りている。ただ、お前のを着ていたいだけだ」

……え?」

「お前、昼間はいないから。せめてお前の匂いと、一緒にいたかった」

カップの中のお茶が、かすかに揺れた。
……そんなことを、こんな朝に言う?
愛おしさに喉の奥がきゅっと詰まって、思わず片手で口元を隠す。直球だよね、このひと。


「服が足りないなら、私の服を着てもいいぞ」
「いや、小さくて着れないですよ」
「そうか」

あっさり引き下がったかと思いきや、また爆弾を投下してくる。

「私の服に、お前の匂いがついたらいいと思ったのだが」

……俺、体臭きついとかないですよね?」

思わず自分の腕を顔の前に持ってきて嗅いでしまった。

「いや、いい匂いだぞ」

ミスルンさんが抱きついてきて、俺の匂いを確かめるように息を吸い込んだ。うれしいけど、恥ずかしいから、あんまり嗅ぐのはやめてほしい。
お返しに彼の髪に鼻をつけてみたが、ミントのような香りがするばかりだった。



その日の夕方、買い物のついでにマフラーを二本買った。
同じ、深い紺色で、少しだけ編み目が違う。
帰って渡すと、ミスルンさんは指先でそれを触りながら首をかしげた。

「二本もくれるのか?」
「二本とも共用にしましょう。明日はそっちのを俺が使います」

「ふむ」
短くうなずいて、素直に首に巻く。
その仕草が、少しだけぎこちなくて愛しかった。

​隣に座った彼から、ほんのりと自分の服の匂いがした。それだけで、このひとがすっかり自分のものになったように思えて、胸の内が甘やかに満たされる。
真新しい毛糸の匂いも、いずれ俺と彼の匂いに染まるだろう。


❆❆❆

晴れ渡った静かな冬の朝。陽射しは暖かさを約束しているが、吸い込んだ空気が鼻腔の奥から肺を冷やすのがわかる。

玄関を出たカブルーは、隣に並ぶ同じ紺色の中から選んだ、少し編み目が荒い方のマフラーをくるりと首に巻いた。ほんのりと甘い、ミントの香り。カブルーはその香りを吸い込むと、くすぐったそうに笑って歩き出した。


君の匂いを首に連れて歩く朝は、少しだけ世界がやわらかい。