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らせん
2026-01-09 23:40:10
6588文字
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2026.1.6〜1.7 ミュージカル十二国記 月の影 影の海 於博多座
ミュージカル初体験による自己満語り的感想 ネタバレ多数
「念願叶う」ってこういうことだ。
私は舞台が好きだ。
初めて生の舞台を観たのはいわゆる「小劇場系」が流行った頃。私は二十代前半だった。職場に演劇好きな同僚がいて誘われるままにいくつかの舞台を観たが、結婚出産を機に長らく遠ざかっていた。
再び演劇に触れるきっかけになったのは娘が演劇部に入ったことだった。はっきり言って驚いた。演劇に興味がある風には見えなかったし、私も自分の観劇体験を話したことはなかった。そもそも美術部に入るつもりだと言っていたのにどうしてそうなったのか。
聞くと、軽い気持ちで観に行った新歓公演で主演をしていた先輩がとてもすごくて圧倒され、一緒にやってみたいと思ったという。
そこから娘の部の学内外での公演を観に行くようになり、主演を娘にやらせてもらえるようになったころ、かつて第三舞台で観た「スナフキンの手紙」を、鴻上尚史さん演出で虚構の劇団という劇団が行うという新聞広告を見つけた。びっくりした。娘のおかげで舞台を観に行くことのハードルが下がっていた私は、中学生に鴻上さんの舞台は早いかと若干思いつつもチケットを取り、娘と二人で観に行った。客席でプログラムを手売りしている鴻上さんに驚き、昔はわからなかったマイクを通さないプロの声量に圧倒され、終演後ロビーでお見送りをしてくれた俳優陣にまたもや驚き、特別な観劇体験として心に残った。
そして、後で知ったことだが、当時鴻上さんの下で演出助手として参加していたのが、元吉庸康さんだった。
今回のミュージカル十二国記の、脚本家だ。
私が本格的に観劇生活にハマっていくのはもちろん鈴木拡樹さんを好きになったことがいちばんの理由だが、その流れで元吉さんのお名前を知った。
拡樹くんが出演したPSYCHO-PASSステージ3の演出を手掛けていたからだった。
そのプログラムの中に、元吉さんの師匠である鴻上さんの言葉として引用されていた言葉がある。曰く、「どこまでいっても演劇は本(脚本の意)である」。
過日、姫路文学館山田章博原画展に於いてのトークショーに参加した人は覚えておいでだろうか。あの日、登壇こそされていなかったが元吉さんもその場にいてひとこと挨拶を求められたとき、「3時間のミュージカルにするので、原作のあれがないこれがない、は、僕のせいです」(意訳)と、言われた。脚本の責任は自分にあると明言されたのだ。
前置きが長くなったが何が言いたいかというと、私がこれを書いているのは観劇後だ。ミュージカルを観た上で書いている。
ミュージカルは素晴らしかった。
ある意味、原作勢の、いや、私のいちばんの懸念である脚本の仕事を元吉さんは全うされたのだ。
厳密には原作だけでなく、アニメやドラマCDのエピソードも盛り込まれているようだが、観ている分には違和感はなかった。確かに原作に描かれているエピソードで削られているものはある。ありはするが、陽子の心境の変化を尺の都合で力技で進めている様子はなく、その代わり陽子の周りのキャラクターの心情が歌でもって足されている。
達姐の生きるのは目的のない旅のようなものという歌や、楽俊の「他人の2歩は『おいらにゃ3歩だ』」という原作のあのセリフを膨らませて楽俊自身の生きる指針のようにした歌や、舒栄の妾(わらわ)が王だと言い聞かせるような歌がそれだ。
塙王、塙麟もそうだ。確かに月影は陽子の物語だけれど、裏を返せば塙王、塙麟、舒栄の破滅の物語でもある。塙王の「次の世の巧は良きものとなるだろう」(意訳)という最後のセリフが泣かせる。確かにあなたにも天意があったのに。
私はミュージカルを観たことがない。
いわゆる2.5次元と呼ばれる漫画原作をミュージカル仕立てにしたものはあるが、生オケを入れた本格的なグランドミュージカルを観るのは今回が初めてだった。
だから、今回のミュージカル十二国記の歌と芝居の配分が普通のものと比べてどうなのかはわからない。
ミュージカルといえば何でもかんでも歌で表現するといった勝手なイメージを持っていたのだが、今回のミュージカルは物語が動くシーンは芝居で、心情は歌で表しているように思った。
プログラムを開くとlyricsという表題で何曲かの歌詞が載っており、意味を調べると叙情詩が語源で、特に心情や物語を伝える言葉と説明されていた。
けれど、ここで自分でも自覚していなかったことに気づいた。私は音楽を聴くとき、先にサウンドが入ってくる。音色や音程やリズム、楽器の音が先に入り、歌詞はほとんど入ってこない。歌詞の音程は耳に残るが歌詞の意味自体は残らないのだ。
だから、博多座初日に初めて観劇したときは、歌の部分が何を言っているのか全然聞き取れなかった。原作は頭に入っているので場面を見るとどのシーンのどのセリフかはわかるが、言葉自体は聞き取れなかったのだ。
鴻上さんや三谷さん演出といったストレートプレイの膨大なセリフの会話劇は普通に入ってくるのだけれど、そこに音楽が足されると途端に音が優先する。
次の日に観た2回目の公演はだいぶ聞き取れるようになったが、それでも半分くらいだろうか。もう少しミュージカルに慣れたら聞き取れるようになるのだろうか。
そういった意味では、例の「強くなりたい」のシーンは歌ではなかったのでありがたかった。
「楽俊は裏切ってもいいんだ」からの一連のシーンは柚香さんと加藤さんの芝居で進められた。もし歌でシーンが進んでいたら、たとえ二人がどんなに素晴らしい歌声であっても私は音に引っ張られて没入できなかったかもしれない。
お二人の迫力ある目を逸らすことを許さない真剣な芝居のおかげで、私は原作を読んだときと同じように、思う存分泣くことができたのだった。
開幕前から聞きかじっていた舞台装置の「モップ」のことを書く。
舞台上、天井から板の上まで、更に上手から下手まで、まるでスクリーンのように細長いロープが二重に隙間無く垂らされていた。これが「モップ」か。
モップは素晴らしい働きをした。
映像を写すことができるかと思えば、あるときは前後に移動し、あるときは回転する。
しかも、一枚もののスクリーンと違ってロープの集合体なので、掻き分けて演者が出入りでき、モップの前だけに照明が当たるときはモップの奥は暗くなってその間にセットの転換が行われ、モップの奥に照明が当たると奥行きが生まれて遠景を表現できるといった、いわゆる御簾のような役割をも担っていた。
途中、ロープが結ばれて室内のカーテンのような形状になったのだが、一体いつ解くのか注視していたら、柚香さん扮するヨウコが舞台中央最先端で想いを激白しているシーンで外された。観客の目を柚香さんに集めている隙にというわけだ。
以下は原作ファンのオタク的感想のため、箇条書きにする。単なる叫びだ。
・景麒!景麒が登場した!ほんとに居る!膝裏までの金髪!すご!
なんだか笑ってしまう。そうやんな。一生懸命やったんよな。言葉足らずやけど仕方ないよな。小説の場面が可視化されるってことに今更ながら悶える。2.5次元舞台もいくつか見てるけど景麒が出てきた瞬間あんなに「景 麒 !!!」ってなったの初めて。やばいな。泰麒くん可視化されたらどうなるんだ私。
・「きゃらきゃら」にメロディ付いてて笑った。玉城さんサイコー。すんごい腹立つ。
割とテンポ良く進むけど大丈夫?
蒼猿斬って鞘が現れるとこ原作勢はわかるけど舞台初見だとわかんないかも。
そして、私は原作を知ってるから「オウシ」と聞いても「王師」と脳内変換できるけど読んだことない人はわかんないだろうな。私も初読時は人名や用語は理解は後回しで記号化して流して読んでた。
・楽俊が行き倒れの陽子を運ぶ場面は暗転して表現しなかった。獣形かひとがたか、脚本家も迷ったのか?
そして楽俊の「憚り」シーンはひとがたになって出てきたけど"着替えて(服を着て?)"涙を拭うのに手が届かない設定になっていた。まぁそりゃそうね、舞台上で裸はね。最後抱き合ってうわ!楽陽出来上がった!って思った。楽俊ったら獣形のときは陽子に慎みを持てとか言ってたくせにひとがたならいいんだ?!慎みの概念が切り替わるの?それとも想いが昂って?
・六太ぁー!六太くんかわいーよ!。景麒もかわいい、塙麟も健気で切なくてかわいい。麒麟はみんなかわいい。
・舞台セットも衣装もお金かかってるー!(人生初舞台観劇が小劇場だったのでセットその他の差にいちいち驚く)コパステもすんげーと思ったけどさすが東宝系!ちゃんと利益出てる?
玄英宮のセットが金ピカで天井の装飾が降りてきたなーと思ったら露台の手すりに早変わり!雲海も立ち込めてる!
・ラストの再びの誓約場面、ヨウコと陽子二人して王気がすごかった。景麒あんなに王気サンサンなのに溶けないってすごいな?いや違うわもう溶けてた!全身白い衣装で頭にツノ生やしてた。これ獣形なのね。
・もし今後、風海がミュージカル化したら、誓約の場面は今回の歌に不協和音が足されて不穏な音がこれでもかとアレンジされた後に驍宗さまの「ゆるーすー」が来るんかな。うわ、雛泰麒絶望。観たい。
・陽子役のりりかさん、舒栄役の原田さん、めちゃくちゃ声がよくて歌うまい。ずっと聞いてたい。りりかさんは内なるヨウコとして要所要所でずっとヨウコとともに居てくれた。すんばらしかった。原田さんも声の伸びがすごい。原田さんが登場するたび、「偽りの大袞」(白銀参照)の文言が頭をよぎって困った。
・延王役の章平さんのビジュアル良すぎ。登場シーンからしてカッコいい以外の言葉がない。超ロングヘア好きはメーテルから魂に刻まれている。故に、こんなん惚れてまうやろー!
・開始してしばらくしてからとラストに、モップのスクリーンに「十二国記」の文字。感動する。ほんとに舞台化したんだ
…
何回も言う
…
まだウソみたい。みんな十二国記の舞台見てんの?ほんとに?夢にまで見た舞台化?
ビジュアルが眼前に迫ってくるってすごい威力
…
。
・妖魔の造形が頭とふたつの鉤爪だけだったのはなるほどと思った。たまととらも同様で、人との大きさを測るのにはいい装置だと思った。未来に風海や白銀が舞台化されたら計都と羅睺もこうなるのかな。
・会場に来てるお客さんみんな礼儀正しい。奥の席に移動する時も「前失礼します」って必ず言われたし、ポシェット落とした時も秒で拾ってくれた。まさしく訓練されたオタクだった。
以上、ミュージカル観劇後、数日してからの感想をつらつら垂れ流した。
個人的な解釈を多分に含むため、記憶違いや解釈違いもあると思う。そこは寡聞にしてお詫び申し上げる。
何度も言うが、まさか十二国記が舞台化される日が来るとは夢にも思わなかった。
立ち上げてくれた関係者の方々、キャスト、スタッフその他、携わってくれた全ての方々、そして許諾してくださった小野不由美先生に心からの感謝を申し上げる。
本当ににありがとうございます。
どうかこの先もこの流れが続き、いつの日か私の最推しである戴極国の麒麟である泰麒の物語にまみえる日が来ますよう。
ここから加筆分 ↓ ↓ ↓
2.5次元舞台について少しだけ加筆する。
2.5次元舞台(個人的解釈を含む)。説明するまでもないだろうが、漫画やアニメ、ゲームといった画で表現される原作を舞台・ミュージカル化したものだ。
小説原作と違ってキャラクターの画という圧倒的正解のビジュアルがあるために、舞台では俳優は髪型も衣装も、あるときは声までも(アニメの場合声優さんか?)限りなく寄せ、セリフもまた完全に写され、まるで画からそのまま出てきたように表現される舞台のことだ。
舞台化しようと企画される原作はたいていの場合、漫画であるならコミックス数巻に渡るストーリーが既に展開されており、人気を博している。故に、例えば休憩なしの舞台にしようとするとせいぜい2時間半くらいの尺の中に入れるために、原作を理解・分解・再構築するといった作業が必要になり全てのエピソードを入れ込むことは難しい。
人によって心惹かれるエピソードやこだわりのあるエピソードが違い、原作を好きでわざわざチケットを買って劇場に観に来る客はそれだけにどうしても原作との差異を見つけてしまう。
原作の漫画や小説で自分の脳内で「読む」セリフと、実際の舞台で「聞く」セリフのテンポやイントネーション、字や吹き出しで表される効果音(ドーン!、ほたほた、など)と実際の音、主人公がエンディングに向かうまでのストーリーの流れや解釈の違いなどだ。
もちろん、漫画の世界そのままを単に舞台上に展開するだけでは舞台化した意味はない。二次元ではできないことを三次元に構築し、舞台装置や照明を使い、俳優が自らの身体でもって観客の目の前で表現するからこそ舞台としての迫力と面白みが増すのだから。
今回のミュージカル十二国記は、キャラクターのビジュアルは原作の挿絵を担当している山田章博先生の画を忠実になぞっていた。
柚香光さん演じる常世でのヨウコと、加藤梨里香さん演じる蓬萊での陽子は原作に於いて姿が変わっているという設定なので二人一役でもなんら不思議ではない。かえって信憑性が増すほどだった。
姿も衣装も、景麒は景麒のまま、六太は六太のまま、尚隆は尚隆のままで、舞台上で完全に存在していた。
柚香光さんのヨウコは挿絵から出てきたのかと思うほど完成されており、常世に連れてこられた直後の怯えた声音が、物語が進んでいくにしたがって変わっていく。
前屈みでお守りのように剣を抱きしめ、そして己の意志に関係なく剣を振り回すジョウユウの動きに翻弄されながら、制服を泥と血で塗れさせ這うようにして旅をする陽子。
何度も裏切られ、誰も信用できなくなり楽俊を殺さなければと悶え葛藤するヨウコと陽子。葛藤の果てに己の意志でもって裏切られもいい強くなりたいとする高みまで辿り着き、蒼猿を斬ったシーンは涙が止まらなかった。
己の王としての運命を受け入れ舒栄を討ち果たした後、再びの誓約シーンの尊さと眩しさよ。まさしく景王本人がそこに居た。
最後のカーテンコールで久遠の庭という画集の表紙で景王陽子が纏っていた衣装を柚香光さんが着て出て来られたときには歓声が上がった。衣装の袖や裾を靡かせるためにゆらゆらくるくると舞台上で舞う柚香さん。なんと尊くて眩しいのか(2回目)。
ところであんなに人殺しを嫌がっていた陽子が最後舒栄を討つ描写を入れてきたのには驚いた。
原作ではなかったけれど、アニメやドラマCDにはあったのだろうか。
舒栄は謀反人だ。謀反人は討たれなければならない。だが、謀反人たる舒栄も景王が治める慶の民のひとりだ。
王は血の轍を越えていかねばならないというヨウコの決意を私たち観客に見せるためだろうか。
長い原作をミュージカルであれ演劇であれ映画であれ、尺の限定される他の媒体に移し替えるためにはある程度エピソードを省かなければならないと前述したが、ヨウコと陽子の目線で原作のストーリーを踏襲し、舞台ならではの装置や演出を駆使し、歌によって登場人物の心情や人となりを肉付けしていく今回のミュージカルはとても素晴らしい出来だと思う。
長い十二国記シリーズの中ではこの「月の影 影の海」は常世への導入物語として完成されているので最初のミュージカル化にふさわしいと思うし、俳優のファンの方で原作を知らないという方にもまだ理解しやすいのではないか。
ミュージカル十二国記は、原作ファンとしても舞台ファンとしてもとても満足した観劇体験だった。
陽子の物語は実はこれで終わりではない。まだまだ十二国には続きの物語があるので是非他の物語も企画していただきたい。
そしていつか、いつかほんとうに、類稀なる黒麒、泰麒の物語に会える日がきますよう(2回目)、切にお願い申し上げる次第です。
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