千代里
2026-01-09 08:16:05
10198文字
Public 君ふれ短編
 

君触れ・クガネ編・4話


 リムサ・ロミンサの冒険者ギルド。その正面に広がる広場では、常日頃は閑散としているが、催しものが開かれる時期になると独特の賑わいを見せる。
 星芒祭の頃はスターライトツリーが置かれ、ヴァレンティオンの頃はハートのオブジェが鎮座する。そして今、降神祭が開かれる時期は、東の異国の装飾がふんだんに取り入れられていた。
 降神祭――それは、ひんがしの国からやってきた使者たちが、東の文化を西方に伝えるための催しである。年に一度、定期的に開催されるこの祭には、エオルゼア地方の人間にとっては東の異国の文化に触れられる機会として歓迎されていた。
 居住区ではせいぜい東方の飾りを目にする程度であったが、リムサ・ロミンサの都市内では、おみくじというフォーチューンクッキーに似た運試し、餅つきという餅なる食べ物を作るために必要な東方の調理、鏡餅なる装飾品の展示、東方の調度品の購入、東方の神の着ぐるみを着た動物の展示など、まさに祭りの会場のようになっている。
 賑わう広場の片端では、降神祭の使者に便乗してやってきた商人たちが、来客向けに東方の品々を販売していた。この時期限定の東方の品が並ぶ市場は、ところによってそこそこの賑わいを見せていたが、
「今日も、誰も来ねえな」
 露店を開いている商人――ムヒョウの護衛を任されたフェリキシーは、自分達の方に一向に近づかない来客を見遣る。なお、ここ数日の彼らの相手は閑古鳥である。
(まあ、このおっさんの売れ行きがどうだろうと、俺には関係ねえ話だが)
 ウルダハだったなら、こんなにものんびり構えていられなかっただろうと、フェリキシーはありし日に思いを馳せる。おおかた、シェーダー族のお前がいるせいだと、店主から難癖でもつけられていただろう。
「ううむ、この広場は商売に向いてないのでしょうか。冒険者さんたちがたくさんいらっしゃる居住区で売ってみても、買ってくれたのは数人だけでして」
「てめえが売ってんのは、たしか保存用の食料だったか?」
「ええ。干物や乾物ですね。ですが、主要なものは調味料としての乾物です」
 ムヒョウが示してみせたのは、リムサ・ロミンサでもたまに見かける魚を開いて干したものだ。他にも、魚粉や味噌、醤油もあるとムヒョウは語る。
「日持ちするものの方が喜ばれるかと思ったので、干物や粉物を多めに持ってきたのですが、持ってくる品物を間違えたのでしょうか」
「あんたの考え自体は、間違っちゃいねえだろ。ただ、見た目からして馴染みもねえもんを物見遊山で買うほど、こっちの連中も耄碌してねえんだ」
 すでに出来合いの食べ物と異なり、調味料などは見ただけで味わいが分かるものではない。衣服や武器のように見ただけで効果や見栄えが分かりそうなものとは訳が違う。
 実際に店の前にやってきて、調味料を試しに舐め、どんな風に使えるかまで考えてくれる冒険者や町人は稀だろう。
 かと言って、広場で東方の料理を振る舞おうにも、リムサ・ロミンサでは東の者に馴染む食材が売られていない。東方から生ものを持ち込むことはできず、調味料を使った試食の料理を振る舞うわけにもいかず、已む無く今の形に収まっているとムヒョウは語っていた。
(人が来ねえ方が、俺としては楽だけどな。立っているだけで金が払われるんなら、こんなに気楽な仕事はねえ)
 用心棒のフェリキシーにとって重要なのは、ムヒョウが依頼料をきちんと支払うかの一点に尽きる。たとえ一品も売れなかったとしても、フェリキシーは一ギルたりとて、まけてやるつもりはなかった。
 広場の片隅では、おみくじの内容に一喜一憂する都市の住民の笑い声が響いている。対して、本日もムヒョウの露店の周りは実に閑散としていた。
 今日も売り上げはゼロだろうと、既に今日の仕事を終えた後のことを考えていると、
「あれ、フェリキシー? こんな所で何してるの」
 聞き覚えのある声に、フェリキシーはそちらへと視線をやる。見慣れた濃紫の短髪に、猫に似た耳をぴょこんと動かしている少年――数日前に家に招かれ、食事を共に食べた彼ことケイが、フェリキシーへと手を振っていた。
「見りゃわかるだろ。仕事中だ、仕事中」
「そうなの? ああ、用心棒ってことか」
 フェリキシーの存在が商売の邪魔にならないように、今日はいかめしい鎧姿ではなく革のジャケットを軽く羽織っただけの軽装である。
 とはいえ、フェリキシーの持つ戦う者としての気配と、すぐそばに置かれた武器。これだけで強盗の類は尻尾を巻いて逃げるだろう。
「街中で用心棒なんて、必要あるの? イエロージャケットが巡回をしてくれてるのに」
「西方の警備のかたのお手を煩わせるのは、私どもも本意ではありませんので。それに、フェリキシーさんには、用心棒以外にも、大変お世話になっております。私どもは西方の知識に疎いので、宿のやり取りや露店の場所取りなどに協力いただけるのは、大変助かるのですよ」
 ケイとフェリキシーのやりとりを目にして、友人同士だと思ったのだろう。ムヒョウが大きく頭を下げる。つられて頭を下げたケイは、改めてムヒョウの顔を見て、
「あっ。ミストヴィレッジにいた味噌売りのおじさん!」
「なんだ、知り合いなのか、ケイ」
 フェリキシーの質問に、ケイはぶんぶんと首を縦に振る。
「この前、フェリキシーが遊びにきた時、俺が東方の調味料をいっぱい買ったって話をしたでしょ? あれを売ってたのが、このおじさんなんだよ」
「ああ、お前が使い方もわからないのに買ってきたアレか」
 今度はムヒョウの方を見やると、彼も数少ない客だったケイのことを思い出したらしい。改めて深々と頭を下げ、
「その節は、大変お世話になりました。どうでしょう。西方の料理には合いましたでしょうか」
「うん! 最初はおじさんが作ってくれた味噌汁を作ろうとしたんだけど、ユキハネがパエリアの味付けに使う方法を教えてくれたんだよ。最近は野菜炒めの味付けとか、あとは味噌焼きライスとかに使ってるよ」
「そうでしたか、それはよかったです。ユキハネさんが教えてくださったということは、やはり彼女は東方の出身なのですか?」
 話を振られたフェリキシーは、何やら思うところがあるのか、瞬時瞳に力を込めた。だが、すぐにいつも通りのそっけない口調で、
「そうらしいって聞いてる。ガキの頃に東から離れて、それっきりらしいがな」
「そうでしたか。それでも東の味を覚えていてもらえたのは、何やら東の者として嬉しいですね」
 人の良い笑顔でうんうんと頷くムヒョウ。心温まる光景ではあるものの、残念ながらムヒョウがどれだけ好人物であっても、後ろに積み上げられた在庫が消えるわけではない。
 ケイはムヒョウに笑顔を返しつつも、フェリキシーにすすすと近づいて、ちらっと在庫を見やる。
「あのさ。さっきから思っていたんだけど……露店を開いている割には、お客さんが全然来ないね」
「店出した時からずっとこうだよ。得体の知れない調味料なんざ、いちいち足を止めようとも思わねえ」
「えー。未知の食べ物って挑戦してみたくならない?」
「そういうのは、てめえみたいに生活に余裕のある食い道楽だけだ」
「食い道楽ってほどじゃないんだけどな。同じものばっか食べてたら、舌が飽きちゃうだけだよ。ミィハなんか、ずっとオムレツでもいいとか言い出しかねないし」
 ケイの発言を受けて、フェリキシーは頭の硬い知り合いを思い出す。たしかに、彼はあまり食に拘らなさそうだ。冒険者のように必要に迫られてではなく、食というものに然程興味を持たなさそうなミィハは、ケイの言う通り、放っておくと同じものばかり食べていそうである。
「てめえは使ってみてどうだったんだよ」
「おいしかったよ。甘辛くて、西にはない濃厚さもあって、独特の塩気もあったんだ」
「だったら、てめえが試食の何かでも作ってみたらどうだ。このおっさん、東方の調理は分かっても、西はからっきしだって、お手上げだっつってたからな」
 フェリキシーはムヒョウの方を顎でしゃくってみせる。話が聞こえたのだろう。弱りきった顔で笑うムヒョウに、ケイはぱっと顔を輝かせた。
「それなら手軽なところで、向こうでさっきお餅って食べ物を配ってたんだ。味付けは黒蜜っていう甘いタレだけだったけど、ムヒョウさんが売っていたやつなら他にも合うと思う!」
「そうですね。それなら、醤油やきな粉も合うでしょう」
 ケイの言葉を聞き、ムヒョウもいくつかの調味料を小皿に出していく。すかさずそれを受け取ったケイは、いそいそと餅を配っている場所に行ってしまった。
 大丈夫なのだろうかと危ぶむフェリキシーの不安をよそに、餅を配っている場所では何度かどよめきが上がっていた。元々社交的なケイのことだ。接客もお手のものなのだろう。
 程なくして、ケイは駆け足で戻ってきたが、彼の後ろには数名のヒューラン族やミコッテ族がついてきた。彼らは店主であるムヒョウを見つけると、一目散に駆け寄り、
「ちょっと聞きたいんだが、さっき、そこのにいちゃんがくれたショーユってやつ、あんたの店で取り扱ってるんだって? 一樽……いや、一瓶でいい。譲ってもらえないか!?」
「ショーユあちょっと塩気が強かったのよねえ。きな粉ってやつは悪くなかったわ。あれで、甘さ控えめなスイーツが作れそう。あの粉をいただけないかしら」
「こんな店があるなんて、知らなかったよ! 親方が聞いたら絶対興味持つと思うから、何売ってるか教えてくれないか!?」
 押し寄せる波のような客人たちを前にして、ムヒョウは一瞬呆気に取られていたが、流石そこは商売人。すぐさま笑顔で客たちを捌き始めた。
 どうやら、広場の端でろくに幟を立てるわけでもなく、試食の品もない店だったため、店の存在そのものが認知されていなかったらしい。どんな売り文句よりも雄弁な実食の機会は、客を寄せるにはうってつけだったようだ。
「フェリキシー。俺、ここで火を使って実食販売ができないか、降神祭の人に聞いてくるよ。そしたら、ムヒョウさんの品物もきっともっと売れるだろうし!」
「てめえの好きにすりゃいいが、お前はお前で何か用事があってここに来たんじゃねえのかよ」
 賑わいを聞きつけて、こっそりと店先に置かれたままだった貨幣に手を伸ばす盗人を、早速片手で追い払いつつ、フェリキシーはケイへと尋ねる。
「ミィハが門にいるイエロージャケットの人に薬の納品をするって言ってたから、ひと足先にぶらついてただけなんだ! 気にしないで!」
 誰かの役に立てるのが嬉しいのだろう。長い尻尾をブンブン振りながら、さっそくケイは降神祭の管理者の元へと突撃していった。
……まったく。あいつ、お人好しにも程があるだろ」
 そう言いつつも、退屈な傭兵稼業もお人好しのひとつなのかもしれないと、フェリキシーは口の端を歪ませる。そして、店先にできつつある人だかりを整理し始めたムヒョウに代わり、彼の財布を守るため目を光らせていた。
 
 ***
 
「まずは、魔物から目を逸らさないこと。攻撃を当てるにしても、身を守るにしても、目を閉じていては正しい行動につなげられません」
「わ、わかった。でも、じっと見ていたら、ガン飛ばしてるとか思われねえか?」
「あの魔物は、こちらが攻撃しない限りは攻撃的な行動はしない魔物ですから、ずっと見つめていても大丈夫ですよ」
 そう言いながらも、ユキハネは己の声が震えないように細心の注意を払う。
 父親のムヒョウから、ユキハネへと修行を依頼された青年――ヒョウセツを伴い、ユキハネはリムサ・ロミンサ近くの草原にやってきていた。
 街に近い草原に生息しているのは、レディバグやラットといった小ぶりの魔物たちだ。
 これらの魔物は元々存在する小さな生き物が異常成長したような体躯をしており、見ただけなら標準サイズの鼠や虫と比較してぎょっとするような大きさではある。しかし、その性質は非常に温和で、人間を積極的に襲うような真似はしない。とはいえ、時に異常繁殖して、周囲の草地や畑の野菜を食い荒らすので、駆除を求められることはある。
 今回、ユキハネがヒョウセツの訓練に使うことにしたのは、これらの温和な魔物である。見た目こそ巨大なてんとう虫やネズミなので、生きた魔物を見る機械の少なかったヒョウセツにとっては、魔物の異質な雰囲気に慣れるのに役立つだろうと思ってのことだ。
「本当に襲ってこないんだよな? 急に噛みついたりしないよな?」
「はい。もしそんなことがあったら、私がすぐに対処しますから。体の力をもっと抜いてください。せっかくの武器が、それでは使えませんよ」
 言いながら、ユキハネはヒョウセツの背中に手を添える。なぜか更に彼の体に力が入った気がしたが、何度かユキハネの言葉を聞いていくうちに、ヒョウセツの息が整い、余分な力が抜けていくのがわかった。
(初日より緊張が解けるのがずっと早くなっていますね。これなら、魔物への攻撃もできるのではないでしょうか)
 ヒョウセツの話によると、彼はこれまで故郷の道場で剣術を磨いてきたらしい。そのため、刀の構え方は、本人が誇る通り堂に入ったものであった。
 しかし、魔物を前にして感じる緊張や不安が余計な力を生み出してしまい、せっかくの構えを台無しにしてしまっている。そこで、ユキハネは彼を温和な魔物のそばに置き、ひたすらに魔物という存在に慣れさせる訓練を続けていたのだった。
 ヒョウセツの緊張をよそに、レディバグは呑気に草原を闊歩し、ラットは草間に隠れた虫を食んでいる。のどかな一幕を眺める余裕すら出てきたヒョウセツを片目で確認したユキハネは、訓練を次の段階に移そうと決意した。
「それでは、今日は魔物を一匹討伐してみましょうか」
「えっ!? いや、まだオレは心の準備が」
「大丈夫です。何かあったら私が対処しますので」
 この辺りの魔物なら、ユキハネの魔法で五匹はまとめて討伐できる自信があった。
 ヒョウセツは一度、魔物に殺されかけるという経験をした。おそらく彼の希望を待っていては、いつまで待っても魔物に武器が触れることはあるまい。そう思ってのやや強行的な指導である。
 ユキハネは手近なところにいたレディバグの頭を、杖でこつんと殴った。途端に、レディバグは標的をユキハネに定め、手のひらの数倍はある大きさの翅を広げ、ユキハネに飛びかかってきた。
「ヒョウセツさん!」
「ああもう、わかった!」
 やぶれかぶれな雰囲気はあったものの、ユキハネに集中しているレディバグの背中から切り掛かるのは、ヒョウセツにはわけないことだったようだ。
 鍛えられた肉体から振り下ろされた一撃は、緊張をほぐしておいたおかげか、過たずレディバグの真っ赤な殻をたち割り、一撃で物言わぬ死体へと変えた。
 暫く痙攣していたが、やがて命に終わりを迎えて動かなくなったレディバグを、ヒョウセツはいまだに息を乱しながら見下ろしていた。
 倒した敵が死んだフリをして飛びかかってくることもあるので、彼の過度な警戒をユキハネは笑わなかった。たとえ、駆け出しの冒険者が剣を振り回していても追い払えるような弱い魔物が相手であったとしても、だ。
(一度油断を覚えると、油断してはならない時にその癖が出てしまうから……ですよね。お師様)
 フェリキシーと共に冒険者として活動し始めた頃、なぜ取るに足らない魔物相手にも残心を解かず、警戒を怠らないのかと尋ねたことがあった。そのとき、ぶっきらぼうに答えた師匠の言葉は、ユキハネの中に今もしっかりと刻まれている。
「ヒョウセツさん、素晴らしいです! もう魔物を倒せるようになりましたね」
「あ、ああ……! でも、まだこんな小さな虫じゃ、用心棒には……なれねえだろ」
「用心棒の一歩は小さな虫からでも構わないと思いますよ。それに、虫の中には小さくても毒を持つものもいます。そのような虫を追い払うのもお仕事ではありませんか?」
 ユキハネの言葉に、ヒョウセツも少し自信を持ち直したらしい。グゥーブーに完膚なきまでに叩き潰されたプライドが、完全な自信の喪失に繋がる前に持ち直して良かったとユキハネは思う。
 とはいえ、このまま中途半端な興奮状態で次の魔物に向かうのは、事故のもとだ。ユキハネは「少し休みましょう」と手近な岩に腰掛け、ムヒョウが持たせてくれた弁当をヒョウセツに差し出す。
 米を丸めて味噌を軽く塗って焼いたものだが、これが冷めても香ばしさが残って大層美味なのだった。今日は、ユキハネの発案で魚や肉を軽く焼いたものを中に入れたり、刻んだ海藻を混ぜ込んでみたりしたので、いつも以上に空腹を十分に満たせる。
……なんだか、変な気分だな」
 おにぎりを半分ほど食べたヒョウセツが、不意にぽつりと漏らす。
「このご飯が、ですか?」
「ちげえよ。西の魔物を眺めながら、西の土地で握り飯食ってて、そんで」
 ガブリと半分ほどを一口で食べてから、ヒョウセツは続ける。
「そんで……隣に、あんたみたいなベテラン冒険者がいるなんてさ」
「私は、ベテランと言われるほどではありませんよ」
「でも、あの槍使いの兄さんの相棒なんだろ?」
 ヒョウセツが口にした相棒という言葉を、ユキハネは唇でなぞる。
 ――相棒。
 果たして、自分はフェリキシーにとってそう言える存在なのだろうか。
「相棒……と言えるかどうか、私にはわかりません。私はお師様を頼りにしてますが、お師様は私がいないと困る、という方ではないので」
「あの兄さんと、付き合いが長いんじゃねえのか?」
「二年ほどに過ぎませんよ。お師様は私と出会う前から、もっとずっと長く冒険者として活動していたのだと思います」
 不思議そうな顔をしている青年に、ユキハネはなんと言えばいいのかわからず困ってしまった。
 フェリキシーと自分の関係を一言で言い表すのは困難だ。ミィハとケイのように気の合う友人というわけではなく、かといって他の冒険者のようにその場限りのチームというわけでもない。
 強いていうならユキハネが頼んで弟子という立場に収まったわけだが、果たしてフェリキシーはそのことをどう受け止めているのだろうか。
 先日の『故郷に帰ることができる』という発言と合わさって、ユキハネが終わりのない思考に悶々と耽っていると、
「じゃあ、ユキハネ……は、いつから冒険者になったんだ?」
 呼びかける時にどこか言葉に詰まったのは、最初、ヒョウセツはユキハネに敬称をつけて呼ぼうとしていたからだ。自分に指南してくれる相手に呼び捨てをするのは、道場の流儀に反するとのことだったが、自分と同年代の若者に畏まられるのも面映くて、呼び捨てで良いとユキハネの方から頼んだのだった。
 閑話休題。
「私が冒険者になったのも二年前ですよ」
「なら、冒険者になるために東方から出てきたのか?」
「え?」
「だってユキハネは、東の出身だろ。名前聞けばすぐわかったよ」
 一瞬驚いたが、種を明かせばなんてことはない。東方から来たヒョウセツには、ユキハネの名前を聞いただけで、すぐに故郷がどこかわかっただろう。
「私が冒険者になったことと、故郷から出てきたことは、関係はないんです。たまたま戦う力があって、戦いたいと思う理由があったから、冒険者になったんです」
 話しながら、ラノシア地方の澄んだ空を見上げる。かつて冒険者になると決めた時はウルダハの砂混じりの空だったことまで、よく覚えている。あの頃は、こんなにも長い間冒険者として活動するとは思っていなかったのではないか。
「えっと、ヒョウセツさんは用心棒になりたいのですよね。どうして、用心棒を希望したのですか?」
 自分の話をずっと続けていくのも気まずく、ユキハネはそれとなく話題を変えてみた。
「そりゃあ、親父がずっとそうしてたからだ。だから、オレも親父みたいに刀一本で稼ぎてえって思ったんだ」
 少し照れくさそうにヒョウセツは己の夢を語る。しかし、ユキハネは軽く首を傾げ、
……ムヒョウさんは、調味料を売るお店の方ではないのですか?」
 ユキハネのいう通り、ムヒョウは乾物や調味料などを扱う商人だ。主に扱うのは醤油や味噌であるとのことで、そのほかにも出汁を取るのに使う乾燥した昆布や魚粉も扱っているらしい。
 あの穏やかな男性が用心棒という物騒な言葉につながらず、ユキハネが不思議そうにしているのを見て、
「親父はもともと、クガネのお偉方すら一目置く凄腕の用心棒だったんだよ。親父が雇われりゃ、それだけで盗人は尻尾巻くって武勇伝もあったくらいだったんだ」
……だった、のですか」
 目を輝かせて父の武勇を語るヒョウセツ。しかし彼の言葉が全て過去形で話されていることを、ユキハネは聞き逃さなかった。
 ヒョウセツ自身、それが過去の栄光であることは自覚していたらしい。どこかガックリとした調子で、
……でも、お袋が病で死んじまって、親父も足を怪我したからもう引退だとか情けねえこと言って、刀を置いて。今は、お袋の実家の店を手伝うんだって、大して売れもしねえ海藻やら干物やら扱ってるってわけだよ」
「それは……きっとお父様にも、お父様なりの考えがあったのでしょう」
「でもよ! ちょっとくらい足を怪我したくれえで、ずっとやってた用心棒の仕事をやめなくてもよくねえか? 同業者にも、引き留めようとした人が何人もいるってのに」
 ヒョウセツはそう言うものの、些細な怪我が思わぬ後遺症をもたらす例を、ユキハネはごまんと見てきた。それに、後遺症とは身体的なものだけとは限らない。
……ミィハさんも、夜はよく眠れないと言っていましたし)
 彼もひどい怪我を負ったことがある身だが、今のところ肉体的な不調は見られない。しかし、精神的にはかつてと同じとはいかないようだ。
 ひょっとしたら、ムヒョウも何かの戦いで心に傷を負った可能性もある。そうでなくても、自分の負傷が今後の生活に響くことを考え、父一人子一人の生活を安定させようと、慣れない商人の道を進んだのやもしれない。
 だが、大して長い付き合いユキハネが、賢しらにそのように語るのもよくなかろうと、今は相槌を打つことだけを選んだ。
「今の親父は、なんだか情けなくってよ。昔の親父の方が、まだずっと――……
 ヒョウセツはまだ何か言いたげにしていたが、本人自身愚痴っぽくなったと感じたのだろう。ふるふるとかぶりを振って、結った髪の毛をパタパタと左右に振るうと、
「あのさ、ユキハネ。ユキハネは、東のどの辺の出身なんだ?」
「私は、クガネの生まれだと思います」
「なら、オレと一緒だな。なあ、ユキハネ。できるなら、えっと……こ、これからもオレに稽古をつけてくんねえか?」
 何やら緊張した声音で、ヒョウセツはユキハネへと身を乗り出す。
「それは、どういう……?」
「親父の行商が終わったら、フェリキシーさんは契約終了っつってただろ。その後もって意味で、つまり」
 驚いてパチパチと瞬きするのが精一杯のユキハネに、重ねてヒョウセツは言う。
「あー。いや、稽古じゃなくてもいい。オレ、もっとあんたみたいな冒険者と……ええと、つまり、本当に魔物と戦った人から色々教わりたいっつーか」
 何やらしどろもどろになってしまったものの、ヒョウセツが何を言いたいかは、ユキハネにもおおよそわかった。
 ヒョウセツは、ユキハネを師匠と見込んで、更なる訓練を望んでいるのだろう。断られるかもという不安とひょっとしたらという期待で、ヒョウセツの顔はアウラ族独特の落ち着いた肌にさっと血の気が走っていた。
 同年代の若者の期待に、できればユキハネだって応えてやりたい。自分だって戦う術が知りたくて、フェリキシーのそばにいたいと願った身だ。彼の気持ちはよくわかる。
(でも……
 ヒョウセツとムヒョウは、クガネに戻り、商いの道に戻るのだろう。それについていくということは、ユキハネが東に――故郷に向かうということになる。
(お師様がこれを聞いたらどう思うのでしょうか)
 お前が決めろ、と言われそうだと思う。そうしたら、自分は果たして決断できるのだろうか。
 何よりも、決断できずに右往左往している自分に、フェリキシーは幻滅してしまうのではないか。その姿を見るのが、今は一番怖い。しかし、この迷いすらもまた、フェリキシーの言うところの「自分の行動の理由に俺を使う」になってしまうのではないか。
 思考が定まらず、ヒョウセツの顔を見ることもできず、俯いてしまったときだ。
「ユキハネ? こんなところで、何をやってるんだ」
 聞き覚えのある声に、ユキハネは顔を上げる。
「ミィハさん……
 そこには、ユキハネが最近知り合った頼もしい友人であり、彼女の知る中で最も博識な青年――ミィハ・ト・リーゼが立っていた。