U31020
2026-01-08 22:31:08
5655文字
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チトセとジュイス

文 ぜんぶ妄想。今のところの解釈

「ごめんね?」
 ぼくは、またも失敗してしまった。
 真っ暗がりの自室に逃げ込んで、首をくくろうとしたところを見つかって、すんでのところで救い出されてしまった。
「あの、本当に、ごめんね? ジュイスさん」
「うん。まぁ、無事でよかったよ」
 なんてことないみたいな声が返ってくる。ぼくはやりきれないのといたたまれないのとで、膝を抱えてうずくまっていた。
 おそらくジュイスさんは、前にしゃがみ込んでぼくの言うことに耳を傾けてくれているんだけど、あまりにもじぶんがなさけなくて顔を上げることができないでいる。
 ジュイスさんはいま、ぼくのことをいったいどんな目で見ているんだろう。わかんない。
「ぼくって本当にああ、なんでこう
 今日のぼくは本当にだめだった。いろんなことに気が散ってしまって頭の中がなにひとつ整理できてない。
 こういうとき。ぼくはこういうことがもう何度かあるんだけど、こういうときのジュイスさんは、基本的にじぶんから言葉を投げかけてくることはほとんどしなかった。
 たとえば、舞珠さんもこういうときのぼくに寄り添ってくれる希少な人で、面白くもなんともない時間に付き合ってくれる広い度量の持ち主だ。ただ、あの子のばあいは「どうしてこんなことをしたくなっちゃったの?」とまっすぐに訊いてくるし、なにかとその経験豊富な体験談やゆたかな話題を持ちだしてくる。そうやってぼくの鬱屈とした気分を紛らわせようとしてくれてるんだろう。とてもありがたいと思う。
 ジュイスさんはそういうことはしない。ひたすら聞き役に徹している。ぼくの支離滅裂な謝罪とか、あるいは荒唐無稽な弁解にしずかにあいづちを打ち、感情の浅い言葉を並べる。ただそれだけ。でも、それだけでじゅんぶんすくわれる。
 だって、どんな言葉をかけられたって、どうせぼくは一念発起して明日からすばらしい人間に生まれ変われやしないんだから。気持ちのこもったメッセージなんてない方が心地いいと感じてしまうときもある。
 時間をかけて感情をこしてまだにごりのない部分だけを残しておけるようにする、そのために。本人がそういう意図を狙っているのかはわかんないけど、ジュイスさんの方法はただただこの衝動をやりすごすのに丁度いい。
 でも、だめだ。
「ぼくはだめなヤツなんだ」
「いや、よくがんばってると思うけど。おまえはまじめないいヤツだよ、甘楽」
「ううん。本当にごめん、ぼくは」
 そういうときばかりじゃないんだ。
 ごめんね、ジュイスさん。ぼくはいま、ここにやって来たのがジュイスさんだったことを、いやだなと思ってしまっている。
「どうしてぼくはこんななんだろうなんでぼくが、もしも
 もしもぼくが、たとえばジュイスさんのように。
 ジュイスさんは完璧だ。こんな万能な人間をこの世に生み出した理由を神様に尋ねてみたいくらいだ。望見さんのアレはさすがに大仰だとは思うけど、それでも彼への評価にはすなおに頷けるものもある。
 ああ、そう。望見さん。
 ぼくの人生なんて、なんら起伏のないものだった。ただ、徐々に徐々に降下していくばかり。味気のない人生。ちょっと序盤でできる気になって、調子に乗っちゃって、実際は大したことないんだって事実を突きつけられてしまってそれまで。なのに、過去の栄光らしきものにいつまでもすがってまだじぶんにもなにかできるような気になっている。平凡で、つまらなくて、陰鬱で、だるい。そんな人生において、あの子との出会いはひときわ激烈だった。ぼくの人生における異様。
 それなのにひどいんだ、あの子は。次に選んだのが彼なんて。当てつけにしか思えないよ。あんまりだ。望見さんがジュイスさんを褒めそやすたび、ぼくに足りないものはこれだけあるんだって言外に蔑まれているように感じてしまう。
「こんなじぶんがすごくいやなんだ」
 この気持ちを表現することができない。
 いいや。ぼくは、本当はわかっている。わかんないフリをしているだけだ。
 言い表さないうちは、それは実態を伴わないから。ぼくの心にうずまくドロドロとしたものも、言葉にしない限り、そうだと認識してしまわない限り、確定されることはない。わかんない。そう言って目を背けているうちはなにもないのと同じなんだ。わかんない。そう言うことで、ぼくはぼくの中にどろのようにざらめく感情に確信づくことから逃げている。
「ジュイスさん、ごめんね」
「うん。いいよ」
 聞き役に徹するジュイスさんは、どこか影が希薄だ。だからぼくは、まるで1人の人間を相手していることを忘れてしまったようになる。そうすれば気が楽だ。安心して、心のうちを開け放つことができる。
 鏡の中のじぶんに話すように、ぼくの悪い心を吐き出せる。くたびれたサンドバッグを蹴飛ばすように。海を罵るように。山にポイ捨てするように。それなら、罪悪感もなにもなくなるからいい。
 でも、だめなんだ。それはたしかに人間の形をしているのだから。相手はジュイスさんなのだから。
「ジュイスさん」
「なに?」
 ぼくは顔を上げられないままだけど、そこにいるのはきっとステージに立つときに見える、スポットライトそのものみたいなアイドルと同等のすがたなんだろう。そこにあるのは、防風林のようにしなやかで逞しい体躯。湖みたいな目。ちょっとやそっとのことでは傷ひとつつかない強靭な魂。そうなんだろう。
 だからぼくはいやになってしまう。
 こんな薄暗い部屋にひとりぼっちでメソメソとうずくまる陰湿なぼくとはまったく違う存在なんだってことを目の当たりにするのが怖い。薄汚い自分の本質を知らしめられて、結局じぶんを見下げることになるだけな気がするから。だからぼくは顔があげられない。
 神様。あなたのえこひいきを恨めしく思うよ。
 もうとっくにぜんぶを持ち合わせている人よりも、そのぜんぶのうちのたったひとつだけでも欲しいと思うことが強欲だって言うの。
「ジュイスさんにはきっとわかんないよね」
 しまった、と思ったけど遅かった。とうとう口から転がり出てしまった言葉の真意は、もう取り返せない。ぼくはもう言いとどまることはできなかった。
 鏡に映るじぶん。サンドバッグ。海。山。
 ううん。ぼくはたしかに目の前にいるのがジュイスさんだとわかっている。
「ジュイスさんはちょっとずるいな。ぼくにないものをぜんぶ持ってるんだもん。ぼくはジュイスさんが羨ましい」
 アイドルとして一流で、ユニットのリーダーで、ぼくの方が年上なのによっぽどぼくよりしっかりしていて、みんなに慕われていて、加えてお家も立派らしくて、こんなのってない。
 いいよね。運動もできて。頭もよくて。器用で、なんでもそつなくこなす。じぶんのできることに自信があって、頼られることがあたりまえで、実際に期待以上の成果を出せるんだ。しっかりした教育を受けているから、じぶんの一挙手一投足が相手を不快にさせてやいないかなんていちいち不安に思うこともないんだろうね。人と話をすることだって、きっとこんなに頭を悩ませてつねにびくびくしながらするようなことじゃないんでしょう。
「ちょっとわけてほしいくらい」
 わかってる。本当は。こんなものはぜんぶ醜いひがみでしかない。
 この人がアイドルとして輝くのは、必要なだけの努力をしているからだってわかってる。歌と踊りの鍛錬にゾッとするほどの時間を費やしていることをわかってる。そうして蓄積されたたしかな実力が正当に評価されているのだし、リーダーを務める説得力にもなるんだろう。バラバラなぼくらを束ねるにあたってこっそりこめかみを痛めてるだろうことも、わかってる。人が集まるのはおおらかで屈託のない元来の彼の性格によるものなんだってわかってる。お金持ちな実家の話をされることがあまり好きじゃないこともなんとなくわかってる。
 ぼくはわかっていて、その上でこの強くて美しくて気高い存在を傷をつけられやしないかと思っている。
「ジュイスさんみたいになりたいよ」
 最後のは、もうぼくにとっては断末魔にひとしかった。
 部屋がしずまり返る。
 ぼくさえしゃべらなければほぼ無音の部屋だ。ぼくはもてあました汚い感情の波にいまにも心臓が爆発してしまいそうで、どうにかしてこの込み上げるものを落ち着かせなくてはならなかった。
 ジュイスさんは、もしかしたらぼくがまたごめんと口にするのを待っているのかもしれない。でも、今日のぼくは本当にだめだから。
 長く、長く、重たい沈黙。
 破ったのは、ぼくじゃなかった。
「いやだ」
 これはだれの声だったかな、と一瞬わかんなかった。
 だから、うかつなぼくはつい顔を上げてしまったのだ。そこには傷ひとつない完璧で万能な神様に愛された人間がいるんだろうに。
「甘楽はオレみたいになってほしくないよ」
 でも、そこにあったのは、くらがりの中で彩度を奪われた髪だった。あかりのともらない部屋で光をうつさない瞳だった。未来なんて信じられないみたいにうつむいた男の子だった。
「甘楽はさ、きっとじぶんのことを諦めたくないんだよ。じぶんのことを大事にしたいから、精一杯あがいてるんだろ。オレにはそう見える」
 ジュイスさんの声はいまだに知らない人のものみたいに聞こえる。
「オレは甘楽にそのままでいてほしい」
 ぼくはなんだかすごく泣きたくなるような気持ちでその声をきいていた。
 でも、向かいにある顔はちっとも泣くようすがない。相手は鏡に映るぼくじゃない。
「これはオレのひとりごとなんだけど。じぶん探しを続けてさ、いつの日かじぶんにはこれだって確信できるなにかに出会えるもんなら、それを見てみたいんだよ」
 サンドバッグはひとりごとなんか言わない。
「そういう生き方が、すばらしいんだと思うから」
 海だってバカヤロウなんて罵られたくなんかないはずだし、山だってよそ者に踏み荒らされたあげく汚されるなんてまっぴらだろう。死体の隠匿に加担したくなんかないだろう。だいたい彼は、海でも山でさえもない。彼は人間だ。ぼくよりも年下の男の子だ。
 ぼくはそれをわかっていたはずなのに。
ぼくにはそんなこと、期待されてもとてもむりだよ」
「そうかな」
「そんな劇的な出来事が、ぼくに訪れるなんて思えないし人生、そんないいようにいくとも、思えないし」
「そうなのかな」
 ぼくは彼を傷つけた。
「ごめんごめんね、ジュイスさん」
 ぼくは本当にわかっていたんだろうか。いいや、さすがにこれだけは、わかんないはずがないだろう。わかんないじゃ、すまされないだろう。
 傷つかないものなんてない。自然を壊すことも、星を痛めつけることも、こんなぼくにでもできる。できてしまう。傷つけることなんて、痛めつけることなんて、だれにでもできる容易いことなんだ。
 ぼくは本当にだめな奴だけど、それでも悪いやつになりたいわけじゃない。
 ぼくにできることは、したいことは、こんないやしいことじゃなかった。
「ぼくは
 ジュイスさんの言った言葉を反芻する。
 ぼくはぼくを諦めたくないのだろうか。なにをしても失敗ばかりで、どうしても長続きできなくて、じぶんのことがいやで仕方がないのに。それでもぼくはぼく自身を大事に思ってるように、この人には見えているのか。
 じぶんのことにばかりこんなに時間をかけて、ああでもないこうでもないって言いながら、それでも未練がましくじぶんの価値を考えあぐねている。それは、しょうがないからだ。
 だってぼくは、ぼくしか持ってないんだから。
 ぼくは。ぼくを。ぼくの。ぼくが。ぼくに。いつもぼくはぼくばっかりで、そういうところが本当にどうしようもないと思う。
 それでも、いつかだれかの理由になりたいと思う気持ちはある。
 本当だ。嘘じゃない。
 ぼくのことを見て、いいな、あんなふうになりたいなと思ってもらいたい。
 ぼくのことを見て、だれかの心に夢や希望をもってもらいたい。
 そういうじぶんになりたい。
 だからぼくはアイドルになったんだ。
「ジュイスさん」
「うん」
「ぼく、がんばってみるね」
 これはぼくにとってとてもとても勇気を振り絞って口にした言葉だった。ジュイスさんが正しく受け取ってくれるのかはわかんないけど、ゆびきりげんまんをするような、誓いをたてるような、それくらいの気持ちをこめた言葉だった。
「うん」
 ジュイスさんは口元にいつものやわらかい笑みをつくってうなづいた。
 そして、よいしょと小さく言いながら腰を上げると、部屋の隅まで歩いていってルームライトのスイッチを押した。パチリとかわいた音がして、部屋はあっという間に明るくなる。見慣れすぎて眩しいとも思わないよく知った部屋が現れる。暗闇はこつぜんと消え去ってしまった。
 なんだかひどくあっけなく感じて、つい呆けてしまったけど、ぼくは言わなくてはならないことに思い至る。
「あのっ、ぼく、すごくひどいこと言っちゃったよねっ! 本当にごめんね!」
「いいよ。気にしないし」
「でも、よくなかったよね。ちゃんとあらためてお詫びをしたいんだけど
「まだ謝るの? もう散々聞いた気がするけど。まぁいいか」
 明かりの下にいるジュイスさんは鮮やかな髪と目の色を取り戻している。たぶん、それはぼくもまた同じな気がし始めていた。
「じゃあ今度なんか奢ってよ」
 どうしよう。やっぱりカフェとかがいいのかな、紅茶のおいしいところ? ぜんぜん詳しくないんだよなぁというところまで考えて、やめた。彼の趣味の前にぼくじゃ太刀打ちできなさそうだし。
「ジュイスさん、プリンは好き? ぼくのおすすめがあるんだけど
「へぇ、いいな。楽しみにしてる」