まきわ
2026-01-08 20:06:03
9763文字
Public クロリン
 

スローペース

フォロワーさんのネタをお借りしての現パロクロリンです
カフェをやってる先輩と諸事情からそこに居候している大学生後輩君の話です
なんか若干原作前世系現パロぽいかもしれない(?

朝日の差し込むキッチンで、冷蔵庫から卵をいくつか取り出す。
リィンはコンロに置いたフライパンの前に立って、しばし目玉焼きにするかスクランブルエッグにするか迷う。
首を傾げて考えて、今日はスクランブルエッグにした。
溶いた卵をフライパンに流し込んで、菜箸で散らしていると二つある寝室の内片方の扉が開いて、閉まる音がした。
音の方へ視線を向けているとラフにTシャツとスウェット姿の青年が欠伸混じりに姿を現した。
「おはようございます」
「おーおはよーさん」
声を掛けると青年は首の後ろを掻きながらほんのり笑って答えた。
「トーストとベーグル、どっちにします?」
下の階でカフェをやっている関係で、懇意のパン屋から仕入れた食パンとベーグルをプライベートにも流用している。
バンズなんかもあるのだが、これをさらっと活用できるほどの料理の腕はない。
青年は少し考えこんでから緩い笑みを浮かべて答えた。
「今日はトーストの気分」
「了解です」
こちらも笑って答えると菜箸を置いてトースターに食パンをセットした。
「んじゃオレはコーヒー淹れるな」
お願いします」
カフェを経営する青年が、お湯を沸かしつつ手際よく挽いてあるコーヒー豆をフィルターに入れていくのを見てリィンはほんの少し口の端を上げた。

リィンがこの青年、クロウと暮らすことになったのは本当にただの偶然で、事故のようなものだった。
大学進学を機に親元を離れることにしたリィンは大学の近くにアパートを借りた。
いや正確には借りる、はずだった。
それが不動産屋のミスによりダブルブッキング状態になっていることが判明したのは引っ越し準備の為に鍵を受け取りに来た日のことだった。
同じ時間を指定されて鉢合わせしたもう一人の借主がすごく困った顔をしているのを見た瞬間、リィンは「そちらがどうぞ、俺は心当たりがありますから」と口に出していた。
そして途方に暮れることになった。
当然ながら初めて来る土地だから心当たりなどあろうはずもない。
送り出してくれた親にこんな情けない報告をするのも気が引けて、現実逃避のように一旦見かけたカフェに入った。
それがクロウの経営する小さなカフェだったのだ。
ちょうど客がいなかったこともあり、声を掛けられるままカウンターに座ったリィンは気安いクロウの雰囲気に流されて事の顛末を全て話してしまった。
話を聞いたクロウは同情するように苦笑した後、じっとリィンを見つめた。
そして提案してきたのだ。

『ならうちに住むか?部屋ならあるし、オレは気ままな一人暮らしだから一人増えても別にかまわねーし』

「祖父の遺してくれた持ち家だから家賃も気にしなくていいし、気になるなら空いてる時間店を手伝ってくれりゃいい」と付け足したクロウの言葉は、もう数日後に大学の授業開始が迫っているのに住むところを失くしたリィンにはとても魅力的だった。
今会ったばかりの信頼できるかもわからない人間と一緒に住むことを承諾するのはどうかと迷ったが、可憐な女子ならともかく自分は男だ。
奪われるようなものは何一つない、かなり低い確率を引き当てて彼が快楽殺人者だったとしてもリィンは幼いころから剣術を習っていて腕には覚えがある。
そう簡単にどうこうされることはないと思ったのに加え、クロウはリィンの両親と直接話をして承諾を得ることまで提案してくれた。
それが最後の一押しになってリィンはクロウとの共同生活を始めることにしたのだった。

あっという間に一か月と少しが経って、リィンは大学にもクロウとの生活にも慣れていった。
自分の部屋として一室を与えてもらったのも助かったが、クロウは必要以上に踏み込んでくることのない割に、細かい事によく気を回してくれた。
初めてづくしの大学生活があっという間に落ち着いたのもそのおかげだといっても過言ではない。
その感謝を表す為にリィンは授業が終わると毎日のように店を手伝った。
そしてそんな充実した日々に、心から満足していた。

「それじゃ行ってきます。今日は四限までだから早めに帰ってこられると思います」
「おう、了解。つか、ちゃんと青春も楽しめよ?そんな店の事気にしなくていいんだからな?」
「大丈夫ですよ、やりたくてやってるんだから。じゃ、行ってきます」
「ん、ほどほどに頑張ってこいよ~」
カウンターの中から手を振るクロウに軽く手を挙げて返してリィンは店を出た。
直接住居部分に入る玄関がないので、家から出入りする時は必然的に店の出入り口を使うことになる。
歩き出しながら、通りに沿った店の大きな窓から開店準備を始めたらしいクロウの背中を一瞬だけ振り返る。
真面目な好青年って思ってるんだろうな)
そんなんじゃないのに。
リィンはため息をついてから、足を速めて大学へと向かった。

「リィン今日何限まで?僕午後もあるからお昼一緒にどう?」
大学に入ってから親しくなった友人に問われてリィンは少し首を傾けた。
「四限だけど、昼なら構わないぞ。その後帰って店を手伝うけど」
「居候させてもらってるお店だっけ。なんか毎日のようにお手伝いしてない?大変そうだねぇ」
同情するように眉を下げた友人にリィンは苦笑を返した。
「別に手伝わなくても大丈夫だって言われてるんだけど、始めてみたら楽しくて。サークルに入る気もなかったからちょうどいいんだ」
「そうなんだ。楽しいならいいね。僕も何かバイトしようかなぁ」
いいんじゃないか、と返しながらリィンはほんの少し罪悪感を覚えた。
全くの嘘を言ったわけではない。
楽しいのは事実だけれど、きっとそれは彼の存在があの店にあるからというのが大前提だ。
クロウの淹れるコーヒーの香りに満ちた店内で、彼と共にお客さんを迎える時間はとても満ち足りていた。
二人で店をやっているような、クロウの相方になったような感覚を幸せだと感じるようになるのにそれほど時間はかからなかった。
まだ出会ってからそれほど経っていないのにこれほど近しく想うのが不思議だった。
クロウと居ると肩の力がふっと抜けてすごく柔らかな気持ちでいられる。
それでいて、彼が店の客と気さくに話しているのを見ると取られてしまうのではないかと不安になったりもする。
取られるも何も自分のものではありえないのに、そう思うと胸がきゅっと甘く痛んだ。
だからリィンは朝稽古ついでに朝食を作る役目を自分に課した。
そうすれば起きてきたクロウはコーヒーを淹れる役割を自然とこなすようになる。
その日何人から注文を受けようとも、一番最初に彼がコーヒーを淹れる相手は自分であるという自己満足を得る為に。
(全部自分の為だ)
だから良い人なんかじゃないし、真面目では全然ない。
それを知られてしまったら嫌われてしまうだろうか。
喉元にまだかすかに残っているクロウの淹れてくれたコーヒーの味を意識しながらリィンは少し眉を寄せた。

「久しぶりっ、クロウ君っ」
ドアベルの音に続くように聞こえた声にクロウが手元の伝票から顔を挙げると、身長の低い女性がぴょこんと店に入ってきたところだった。
「なんだトワじゃねぇか。この時間に珍しいな」
クロウが相好を崩すとトワは軽い足取りで駆け寄ってきてカウンター席に腰を下ろした。
「取ってた講義が休講になって時間が空いちゃったんだぁ。それでせっかくだからクロウ君のところに顔を出そうかなって。カフェオレもらえる?」
「りょーかい」
彼女はクロウの高校の、そして中退するまでの大学の同期で、親友と呼べる友人の一人だった。
中退してまで祖父から店を受け継いだクロウを気にかけて時間が空くとこうして店を訪ねてきてくれるのだ。
だから彼女達の気に入りのブレンドは良く知っていた。
手早く淹れてカウンターに置くと、トワは「ありがと」と微笑んで早速カップを口元に運んだ。
ふぅふぅと冷ましながらトワはちらりとクロウを見上げた。
「ねぇねぇ、アンちゃんから聞いたんだけどクロウ君が美人さんを連れ込んでるってほんと?」
「ぶふっ、あんのアマまた適当なこと言いふらしやがって!連れ込んでねぇっての!居候させてるだけだっつーの!」
眉を吊り上げて慌てるクロウにトワはくすくす笑って一口飲んだカップを置いた。
「わかってるって。不動産屋さんの手違いでおうちがなくなっちゃったんだよね?うちの大学の子だよね」
「そ。まぁ部屋は空いてたし、今んとこ問題なくやってるし心配ないぜ」
トワはまた一口ゆっくりとカフェオレを飲んでから首を傾げた。
「ならいいんだけどクロウ君がおうちに誰かを入れるなんて珍しいね。わたし達ですらここまでしか入れないのに」
クロウは気まずそうに眉を寄せた。
「それは別に他意があるわけじゃねーぞ。ただ苦手なんだよ、踏み込ませるの」
言い訳をする子供のようなクロウに、トワは小さく笑った。
「わかってるってば。でも、だからこそ珍しいなって。どんな子なのか気になっちゃったんだぁ」
「ゼリカみてーなちょっかい出すなよ?ようやく懐いてきたとこなんだし」
「猫じゃないんだから。でも何かあったら言ってね。アンちゃん達も含めてできることはするから。まぁクロウ君は手際良いし面倒見もいいから問題ないと思うけど」
おう、あんがとな。何かあったら声かけるわ」
返しながらクロウは気付かれない程度に小さく自嘲の笑みを浮かべた。
きっと思っているだろう、リィンも。
『面倒見のいい優しい人』だと。
懐に切り込むには一旦それで構わないけれど、ずっとそんな事が優しくする理由だと思われていては困る。
最初に出会った時、事情を聞いている内にまるで天啓のように予感がしたのだ。
ここで捕まえなければ手に入らなくなる。
その予感に突き動かされるまま、気付けば同居を申し出ていた。
(これが一目惚れっつーやつなのかねー)
珈琲豆を挽きながら自分の思考を辿ってみる。
容姿がどストライクだったのは確かだ。
だが女性を連れ込むどころか親友が遊びに来ることすら抵抗のあった自分の住み家にまさか男を連れ込むことになるとは。
いやだから連れ込んでねぇっつの」
「えぇ?それはもうわかったってば」
一人ツッコミを入れたクロウにカフェオレを楽しんでいたトワが不思議そうな声を返してきた。
なんでもない、と返してからクロウは窓から外の通りを見つめた。
(なんにせよ早いとこ『イイヒト』を脱却しねーとな)
きっかけがなんであろうと心を決めたならぐだぐだしているような男では、クロウはないのだ。

「戻りました」
小声で声を掛けてからランチタイムで混み始めている店内をざっと見回して早足でカウンターに入る。
注文されたコーヒーを淹れていたらしいクロウはリィンを見て笑みを浮かべた。
「おう、おかえり」
「荷物置いたらすぐ入ります」
半ば駆けるように二階へ上がろうとクロウとすれ違った瞬間ぽんと頭を撫でられた。
「まだ回ってるから焦んなくていいぜ。なんなら一杯淹れてやろーか」
「そっそれは落ち着いたらで!」
頭の上に大きな手の温もりを感じて一気に体温が高くなる。
顔も赤くなっている気がして、知られないようにとリィンは慌てて二階へと上がっていった。

チェーン店でもないクロウの店は基本的には近所の常連、近くの高校や大学の学生が客層のメインだ。
ランチタイムもそれなりに混むが、どちらかというと学生達が授業を終える夕方頃がピークタイムだ。
クロウに「お前が来てからより混むようになったんだよなぁ」と言われたが何故なのかはわからない。
客層がほとんど女性なのはきっとクロウの容姿が優れているからだろう。
(それにしても
リィンの担当である紅茶の注文をこなしながらちらりと横でサンドイッチを作っているクロウを見る。
(クロウさんってスキンシップ多いよな)
気安い性格だとは思っているが、加えて頭を撫でたり、背中を軽く叩いたり、腕を絡めて引っ張ったりなど割と距離感が近い気がする。
最初からそうだったかと言われるとそうではない気がするし、お客さんに対しても当然そういうわけではないので、親しく感じてくれているからだと思えば嬉しい。
けれどその度に妙に意識して動揺してしまうのは困る。
「リィン~」
「わひゃっ!?」
考え事をしながら作業していると突然真横にクロウの顔が現れた。
気付けば完全に背中に寄り掛かられて覗き込まれている。
「わりぃ、手が汚れてるからそこの棚から砂糖取ってくんね」
「あ、は、はい」
近い!!と叫びたくなるのを堪えてクロウが顎で示したキッチンの上の棚から砂糖を下ろしてクロウの傍に置く。
「サーンクス」
軽く礼を返してきたクロウに小さく頭を下げて、気持ちを落ち着かせるべく深呼吸をした。
まだ顔が熱いけれど振り払うように手元のティーポットに集中して丁寧に茶葉を入れ、お湯を注ぐ。
っ、まだ、背中に熱が
クロウの胸板がほとんど密着していた背中にじんわりと余韻が残っている。
それに惑わされないようリィンは手順通り紅茶の準備をしてフロアへと運んで行った。
その様子をクロウが密かに伺っていたことには気付かずに。

「おつかれさん」
閉店後、看板を片付けてシャッターを下ろしてきたリィンに声を掛けると、リィンはどこか肩の力が抜けたような微笑みを浮かべた。
意識してやっているわけではないようだが人付き合いは得意なようで、どんな相手でもリィンは優しげな笑みでそつなく対応することができている。
が、こうしてクロウと二人だけになるとより力の抜けた稚い笑顔を見せてくれるとクロウは密かに自惚れているのだ。
「一杯飲んでから上がらねぇか?」
「いいんですか?ならぜひ」
「んじゃお前はオレに紅茶淹れてくれよ。オレはお前にコーヒー淹れるから。OK?」
提案するとリィンは嬉しそうに顔を輝かせた。
「はいっ」
小走りでカウンターの中にやってきて、もはや慣れた手つきで紅茶を準備していく。
それを横目で見て頬を緩めながらクロウもコーヒーの準備を始める。
こうして並んでいるとクロウは他の誰と居る時とも違う幸せを感じる。
同じように感じてほしくて、まずは意識してもらおうとさりげないスキンシップを繰り返してはいるが効果はいかほどか。
同性に意識されていると意識するかどうかは微妙なところだが、そもそもリィンは異性相手だとしても恋愛感情には疎いように見える。
けれど密かに伺う限り、割と脈があるような気もするのだ。
(一気に攻め込んでもいいが、嫌われて出てくとか言われたら立ち直れなさそーだしなぁ)
だかららしくもなく一定の線以上に進めず、やたらとスキンシップをしてくる距離感の近い男止まりになっているのだ。
いい匂い」
思考に沈んでいた意識がリィンの呟きで呼び戻される。
どっちが?」
紅茶とコーヒー、両方の香りがカウンター内に満ちている。
あえてリィンの手元を覗き込むようにして顔を近づけると、リィンは動揺したのか手元が揺れて少し体を引いた。
けれど嫌悪されているわけではなさそうだ。
「あ、えっと、コーヒーが」
手元の紅茶じゃなくてオレの方なのかよ、とおかしく思いながらクロウは手の甲をポットを押さえているリィンの手に軽く当てた。
「紅茶もいい香りだぜ。いい茶葉使ってるし」
「知ってます。仕入れだって手伝ってるんですから」
どこか誇らしげに言うのがまた可愛らしい。
抱き寄せたくなる衝動をぐっと抑えてフィルターにお湯を注ぐ作業に戻る。
「紅茶淹れるの上手いよな。教える前から」
「母が紅茶派だったので。ここで役に立つとは思ってませんでしたが」
「助かってるぜ」
そう返した時のリィンの表情は、多分クロウでなくても目を奪われるような、花が綻ぶ瞬間を見たようなものだった。
頬をほんのり染めて、どこか切なさを含んで嬉しそうに微笑む姿を見たら今すぐ抱き寄せて告白しても上手くいくのじゃないかと思うほどだった。
けれどクロウの目にフィルターがかかっていないとは言い切れない。
そんな事をした瞬間拒絶されてそのまま出て行かれたらそこで終わりだ。
「クロウさん?」
固まっているのを不審に思ったのか今度はリィンがクロウの顔を覗き込んできた。
慌ててさりげなく深呼吸して笑みで表情を取り繕う。
「あ、おう、そろそろできるぜ」
「俺も、もうそろそろ良さそうです」
二人は揃ってカウンターの席側にカップやポットを置くとお互いの淹れた飲み物の前に座る。
「それじゃ」
「お疲れさまでした」
さすがにカップを鳴らすのはどうかと思ったのでお互い軽くカップを掲げて口に運んだ。
今この時間がどうしようもなく幸せで、相手も同じ気持ちでいればいいのにと願いながら。

夕食後は事務処理の時間だ。
分担するような量ではないから全て把握しているクロウが一人で行う。
特に苦手なわけではないけれど、1、2時間もパソコンの前で同じ姿勢でいると全身が硬くなったような気がしてしまう。
「なぁんか蓄積してる気がすんだよなぁ」
シャワーを浴びてきたクロウは肩に手を当てて腕を回しながらリビングにやってきた。
リビングで大学の授業の支度をしていたリィンはクロウを見上げて首を傾げた。
「肩こりですか?」
「肩っつーか背中から肩にかけて?腰もかねー」
「パソコンの前に座ってるとなりますよねあ」
リィンは何か思いついたというように顔を輝かせた。
「俺、剣術を習ってるって話はしましたよね」
「おう」
「そこでマッサージのやり方を老師師匠に教わったんです。結構得意なんですよ」
それその師匠のじーさんにやったのかよ、と言いたいのを眉を寄せるだけで堪えて、クロウは先を促すように首を傾げた。
「やってあげます。少し良くなると思いますよ」
マジ?」

クロウに断る理由がなく、リィンがやたらに張り切って乗り気だったのでクロウの寝室を使ってマッサージを行うことになった。
言われた通りベッドにうつ伏せになるとリィンは頓着なくクロウの尻の上辺りに跨った。
平常心でいられるかクロウはやや心配だったが、少なくともこの体勢から押し倒すのは割と無理があるので万が一の時もなんとかなるだろう。
(つーかやっぱり全く意識されてねーのかなぁいや男相手に何を意識すんだって話だけどよ
なんとなくがっくりしながらも枕の上に自分の腕を重ねて頭をそこに落とす。
「じゃあ、始めますね」
やけに張り切ってつやつやした声が背中に降ってくる。
クロウの返事を待たずにリィンの手が腰に押し当てられた。
得意だ、というだけあって確かにリィンの手が動く度背中が解れて血が流れていく気がする。
そういう心地よさとは別に背中を押しているのがリィンの手指だと意識すると流れてはいけない下腹部に血が流れていきそうになる。
「どうですか?」
そんなクロウの気も知らずにリィンは少し心配そうな声音で聞いてきた。
先ほどまでつやつやしていた声が、クロウが全く反応しないので不安になったのかトーンが落ちている。
「きもちーぜ」
心を籠めて答えると明らかにほっとした気配が背中に伝わってくる。
(焦ってもしょーがねぇよな。まだ大学生活長いんだしゆっくりやるか。とはいえ)
少し考えている事がクロウにはあった。
それを円滑に進める為にも、クロウはリィンの厚意をしっかり受け止めてマッサージに正しい意味で集中することにした。

……ふぅ。こんなところでどうでしょう」
息をついてクロウの上から降りると、クロウも体を起こしてベッドの端に座って肩を回した。
「ん、なんかほぐれた気がするぜ。あんがとな、気持ちよく眠れそーだ」
そう言って笑うクロウの顔を見ると、役に立てたのだという気持ちが湧きあがってきた。
リィンも心が解れた気がして思わず頬が緩む。
(今日はなんだか嬉しい言葉をたくさんもらえた気がするな)
リィンの方こそよく眠れそうな気がする。
「んじゃそろそろ寝るかー」
「はい、それじゃえ!?」
寝室を辞そうとした瞬間、ベッドの上のクロウに思い切り腕を引かれた。
予想していなかったこともあってリィンは引かれるままにベッドに引っ張り込まれた。
「ちょっ、なっ、なにしてっ!」
並んで寝そべる形になったので真横にクロウの顔があるのに動揺して声が上擦る。
そのままリィンが立ち上がろうとするよりも前に掛布団で覆われて背中に手を回されてしまった。
「く、クロウさんっ、わるふざけは!」
「それそれ」
え?」
クロウは額が突き当たりそうなほど近くでにやりと笑った。
「もう一緒に暮らし始めて一か月以上経つってのに敬語のままだろ。距離感じるんだよなぁ。親しくなるには腹割って一緒に寝るしかねーだろ?」
「腹割って一緒に寝るってなんですかっ。普通は話し合うんじゃ
「まーまーいいじゃん。遠慮でもあんのか?」
優しく問われてリィンは言葉に詰まった。
住むところを提供してもらえたのは助かっているが、だからといって遠慮しているわけではないと思う。
手伝うのもそうしたいからだし、妙な遠慮を感じずに済むようにクロウ自身が振舞ってくれているから。
(ただ口調が気安くなって、呼び捨てにしてそうやって距離を近づけてしまったら
かろうじて見ないフリをしている自分の気持ちが溢れ出しそうで怖かった。
絶対に叶うはずのない想いを自覚して、一人で抱え続けるのに耐えられる気がしなくて。
だから悪足搔きのような一線を引き続けているのだ。
どう答えたらいいかわからず俯いていると、回されたままだったクロウの手がぽんとリィンの背中を叩いた。
「俺はさ、お前が一緒に暮らしてくれて嬉しいし楽しいぜ?助けられたって思ってんのかもしれねぇが、オレも充分助けられてる。同じように感じてるからこそ上手くいってるってのはオレの自惚れかね?」
「あ……
同じように感じている。
そう言ってくれた事がリィンに一歩を踏み出す勇気をくれた気がした。
同じ気持ちを抱いているなんて、そんなはずはないけれど、それでもクロウならば受け入れてくれるかはともかく否定はせずにいてくれるかもしれない。
そんな気がふっとしたのだ。
リィンはおずおずとクロウの紅い瞳を見た。
クロウはリィンを見つめ返して、励ますように頷いた。
………うん。俺もクロウと暮らせて嬉しいし楽しいと思ってる」
そう答えただけで心臓がどきどきして張り裂けそうなほどだったが、クロウが嬉しそうに破顔したのを見て更にたまらないような気持ちになった。
「よかった。これからもよろしくな」
「あっ
クロウは言うと共にリィンの頭を胸元に抱え込んで優しく撫でた。
(こんなふうにされると勘違いしそうになるな)
それでも、今は甘えさせてもらうことにしてリィンは目を閉じた。
ドキドキして眠れないかもしれないと思ったが、意外にあっさりとリィンは眠りに引き込まれた。
そのくらい、クロウの体温と匂いは心地よかった。

翌朝目が覚めるとクロウの隣は空っぽで、昨夜のことは夢だったのかと一瞬思った。
(いやいやさすがにそりゃねーだろ)
思い直すと今度はリィンの反応が不安になる。
昨夜は良い感じだったように思えたが、こうしてあっさりと空っぽになっている隙間を見るとさすがに攻めすぎたかと心配になった。
………
のそりと起き出して、なるべく普段通りの顔ができることを確認してから部屋を出る。
気だるげな気配を纏いながらキッチンに顔を出すといつも通りリィンはコンロの前に立っていた。
……はよ」
声を掛けるとフライパンに落としていたリィンの視線がこちらを向いた。
おはよう、クロウ」
窓から差し込む朝日の中で少し気恥ずかしそうにはにかむリィンを見て、クロウはようやく何か動き出したような気がした。