暖色の灯りに照らされた静かな夜の温泉街に、微妙な間隔を開けて横並びに立っている二人の姿があった。着物を美しく着こなす男と、Tシャツにスウェットを合わせたラフなスタイルの男という異質な組み合わせだ。
「なぜ、君がいる」
「え?熱史から連絡いってないのか?俺は断ったんだけど、熱史がせっかくだから来いって聞かなくて」
「ふん
…まぁあっちゃんがそう言うのなら仕方ないが」
錦史郎は目を伏せて小さくため息をついた。
ほーらこうなるからめんどくせーんだよ、と思いながら上辺だけで「悪いね〜」と言っておいた。
******
昨日のあの一戦の後、錦史郎は熱史から食事に行かないかと誘われたのだが、さすがに疲労がピークに達していたので翌日に持ち越すこととなった。
大人数ではゆっくり話が出来ないのと、今日は平日ということもあり各々の予定が合わないため、この時間から駅前に集まれるメンバーで、となって二人で会う約束をした。
熱史なりの、他の皆に配慮した建前でしかないのだろうけれど。数年振りの再会を経て熱史との二人きりの食事会に、錦史郎は胸を踊らせていた。
******
由布院は、強羅のご厚意でひとまず箱根家に居候することになった。客室などは無く、共用の和室に布団を並べて強羅、有基、由布院が川の字で寝る形になる。二人は気にしないと言ってくれるが、肩身は狭いしなんとも居た堪れない。当然いつまでも頼っていられないし、早急になんとかせねば。
一夜明け目が覚めると二人の姿は無く、薪割りの音が響いていた。携帯を確認するともう正午過ぎで、(いかん寝過ぎた)とむくりと体を起こす。ちょうどそのタイミングでメッセージの着信音が鳴った。
《えんちゃん、今晩飲みに行かない?ユモトんちで、肩身が狭い思いでもしてるんでしょ》
******
昼休憩に入り、熱史はふと今夜の予定について考えていた。場所は熱史の行きつけの居酒屋だ。店主こだわりの料理が手頃な値段で提供され、雰囲気もよく襖で仕切られたこじんまりとした個室なので、落ち着いて食事をすることが出来て気に入っている。
昨日は旧友との再会が嬉しくて、勢いで食事に誘った。約束の時間が近づくにつれて胸が高鳴っていったがそれは期待と、極度の不安が混じったものだった。
(きんちゃんと二人で、何の話をしよう。話したいことはいっぱいあるはずなのに。大人になって、変わっちゃったなとか思われたらどうしよう。もし盛り上がらなかったら
…うわ、まともにご飯喉通るかな
…)
堂々巡りな思考に苦しんだ末、一筋の光が差し込んだ。
(そうだ、えんちゃんを誘おう。どうせ暇してるだろうし)
チキンな俺を許してくれ、という思いで由布院にメッセージを送る。
「これでよしっ。さ、乙CURRY行こーっと♪」
完全に都合のいい男として利用される由布院であった。
******
「きんちゃんえんちゃーん!お待たせ!」
仕事終わりに駆けつけた熱史が二人と合流した。錦史郎は顔をぱあぁと明るくして
「あっちゃん!お仕事お疲れ様!」と熱史に歩み寄った。まるで飼い主とペットの犬だなと思いながら由布院も「お疲れー」と声を掛けた。
「あっそうだきんちゃん。えんちゃんにも声掛けたこと伝えるの忘れてた
…ごめんね」
「ごめんねって」
熱史のナチュラル失礼に由布院は小さくつっこんだ。
「いや、都合が合ったなら別に、いいんじゃないか。元々、そういう話だった、気がするし」
本当は声をかける前に連絡が欲しかったけど
…という思いを胸にしまい、錦史郎は気にしてないフリをした。
「そっか、よかった
…!」
(おい熱史、めちゃくちゃ気遣わせてんじゃねーか!やっぱりお前ら二人で行くべきだったんじゃねーの?あーーーめんどくせーけど腹減ったな)
******
三人は純和風の薄暗い廊下を進み、個室へ通される。テーブルを挟んでボックスソファが配置されており、錦史郎は熱史の隣をしっかり押さえ、由布院と向かい合う形で座った。
「どっこらしょっと」
由布院が勢いよく席に着く。
「おい由布院、じじくさい声を出すな。みっともない」
「えんちゃんは昔からこれだから。もはや口癖だよね」
「さすが熱史、よくわかってる」
ニヤッと笑う由布院にマウントを取られた気がして錦史郎は口をつぐんだ。
「とりあえずみんな生?」
「おう、良いんじゃね 草津は?」
「僕は下戸だからやめておく。お茶にするよ」
錦史郎が酒に強いイメージを微塵も持っていなかった二人は何の驚きもなかった。
「ここは食事メインで楽しめるお店だから、全然大丈夫だよ」
にこっと笑いかける熱史に錦史郎はどきっとして顔を赤らめる。
料理も色々注文して、ビールとウーロン茶で乾杯した。そういやこの三人で集まるのなんて初めてだな、と今更思いながら熱史はジョッキのビールを2/3ほど一気飲みする。由布院は「良い飲みっぷりだ」と感心の声を上げた。
「あっちゃん、普段からお酒は結構飲むの?」
「まぁ、人並みには飲んでるかな。飲まないとやってられないっていうか」
熱史の困ったような笑顔に、日々の苦悩がうっすらと浮かぶ。
「きんちゃんは家でも飲まないの?」
「えっと
…たまにウィスキーを、ロックで
…」
熱史は「えぇ?!」と驚きの声を上げた。
「ロック?下戸なのにそんなん飲んで失神しねえ?」
由布院がお通しのサラダをモグモグしながら尋ねる。
「もちろん毎日飲むわけではない。
…たまに眠れない時だけだ」
「あー寝酒ってやつか」
「わかるよ〜体には良くないけど、俺もそういう時あるなぁ」
熱史もしみじみと共感する。いつでもどこでも寝られる由布院にはピンと来なかったが、錦史郎の言う"眠れない夜"はなんだか闇が深そうなので深くは追求しなかった。
早々にビールを飲み干した熱史は、ハイボールを注文した。
「熱史くん、ハイペースだねぇ」
「そうかな。なんか楽しくなっちゃって」
酒でエンジンが掛かったのか、わかりやすくご機嫌な様子だ。
「きんちゃんも何か頼みたいものあれば言ってね」
「うん
…ありがとう」
熱史のさりげない優しさに、錦史郎の顔が綻ぶ。
「熱史〜俺もハイボール」
「えんちゃんは自分で頼めよ」
由布院のわざとらしい甘え声を一蹴した。
「うわ、ひっでぇ」
「えんちゃん髪伸びたねー。邪魔じゃないの?」
熱史がまじまじと由布院の顔を見つめる。
「長いのはもう慣れた。まぁずいぶん床屋も行ってねーしなぁ」
「じゃあ俺が切ってあげようか?」
熱史が黒い笑みを浮かべて提案すると、
「マジで?床屋行くのもめんどくせーし、熱史頼むわ。坊主じゃなきゃなんでも良い」
とガチトーンで返され「良いのかよ!」とつっこんだ。
「
…君は執着が無さすぎる。それならいっそ自分で切ったらどうだ?」
錦史郎も思わず呆れ半分に口を挟んだ。
「さすがに自分で切るのは嫌だろ。後ろ見えねーし、左右ガッタガタになりそうだし」
ありえないという顔をする由布院に対して
「なんで俺なら大丈夫だと思うんだよ
…」と、謎の信頼を向けられた熱史は困惑した。
そこから海外の床屋事情の話になったが、仕上がりは博打でしかないという共通認識でまとまった。
どうでもいい
…いや、他愛もない話で盛り上がり酒を飲み進める。一人は、三杯目のウーロン茶をちびちびと飲んでいた。
******
数年間海外でふらふらと過ごしていた由布院は、友達はおろか家族とも音信不通になり帰る場所を失っていた。
「まぁあれだ、遊牧民的な?生活拠点を転々と変えてるからさ、そもそも帰る場所ってのはあって無いわけだ」
哀れな顛末を堂々と語る由布院を前にして、熱史と錦史郎は呆れを通り越して無の境地に至る。
「あらゆる世界を見てきた俺に言わせりゃ、やっぱ日本の風呂がナンバーワンでオンリーワンなんだよ。向こうは基本シャワー文化だし、インドなんかあちーから水浴だぞ?毎日風呂に入らないのもザラとか、ありえねーだろ」
色々言っているが、錦史郎は(よく喋るな
…)としか思わなかった。
「それで、風呂が恋しくなって日本に帰ってきたってわけ?それとも、路頭に迷って俺らに救いを求めに来た?」
「なに、怒ってんの?」
語気を強めて問いただす熱史に、由布院は表情を変えず聞き返した。
「この際もう理由なんかどうでもいいけど。これからどうするんだよ」
現実を見ろと厳しく咎めていた熱史だったが、親友として由布院の現状を思案していた。
「転々とするって言ったって、今は体力もあるし気合いで何とかなるだろうけど、そのうち限界が来るだろ。もし病気にでもなったら?頼る宛てもなく、誰にも気づかれずに世界の果てで孤独死なんてことがあったら俺は
……」
「ちょっ、おい落ち着け!孤独死とか、最悪の事態が過ぎるだろ!」
背もたれに寄りかかっていた体を起こし、まるで自分ごとのように思い詰める熱史を慌ててなだめる。
「いや
…悪かったよ。俺のこと、俺以上に心配してくれてたんだな。とりあえずこっちでバイトでも探して、ちゃんとこの先のこと考えるから。そんな悲しい顔すんなよ、な?」
側から見れば、まるで彼女に突然別れを切り出されたヒモの彼氏が必死で弁解しているような構図だった。
「ごめん、酒が回ったのかな。俺も考えすぎてどうかしてた。ちょっとトイレ行ってくる」
熱史はそう言って席を外した。
由布院は再び背もたれに身を預け、はぁーと息を吐いた。黙って二人の話を聞いていた錦史郎をちらっと見やり「なんか悪かったな」と一応気を遣って声を掛けた。
「君は、幸せ者だな」
「え?」
錦史郎が開口一番意外な一言を放ったので一瞬理解が及ばなかった。自業自得だの、熱史を悲しませる奴は許さないだの責められると思ったからだ。
「相変わらずどうしようもない君に対して、あそこまで憂えるなんてな。記憶とは風化して色を失っていくものだが、忙しさで気に留めないフリをして、ずっとあっちゃんの頭の片隅には君がいた。そんな君を前にして、ダムが決壊するみたいに今まで潜めていた感情が溢れてしまったんだろう」
羨ましいとでも言いたげな錦史郎の発言に、(俺がただどうしようもない人間なだけで、きっとお前に対しても同じ事を思ってるよ)と心の中で返した。
「そういう会長さんは相変わらずポエマーだねぇ」
しみじみ感心するように言うと、錦史郎はいつもの調子で眉間に皺を寄せた。
「なんだ、バカにしてるのか?」
「いやぁ、そんな。なんか装いも"文豪"ってカンジだし、様になってるよな」
錦史郎はグラスのウーロン茶をぐいっとあおり、視線を外した。わかりやすく動揺する錦史郎に、
「お前、"錦夜草音"って知ってるか?」
と尋ねると勢いよく口の中のものをぶちまけた。
「ゲホッ!ゲホッ!」
「おいおい大丈夫か?俺なんか変な事言ったかー?」
口先では心配しているが、顔が明らかに笑っている。おしぼりで口を押さえながら、信じられんという顔で由布院をキッと睨みつける。
錦夜 草音(きんや くさね)
それは草津錦史郎が用いているペンネームだった。"官能小説"作家としての___
「なぜ、貴様が、それを
……」
「驚いたな。まさか本当に草津だったとは」
「僕の方が驚いている!!どこで知った!!」
怒りか羞恥か、はたまた両方か、茹で蛸のように真っ赤に燃え上がり叫んだ。
「んーブック◯フのアダルトコーナー眺めてたらたまたま名前が目に入ってさ、名前ちょっと似てんなーって思って」
錦と草の二文字だけだが、数多の商品の中から手に取るだけの材料になり得てしまったという。自分の本が中古で売られていることに関してはスルーして、「君は暇なのか」とわかりきったツッコミを入れた。
「それで
……なぜ私だと判断した」
もう隠しても仕方ないと観念して由布院に問う。
「あれお前と熱史の話だろ」
「なっ
……!」
きっぱりと言い当てられて面を食らった。
「幼馴染に寄せた淡い思慕、意地っ張り、止むに止まれぬすれ違いってとこだな。『大人になったら結婚しようね』と星に願う少年少女
…アレってお前が女役なの?」
「わーーーもういい!!わかったから、これ以上何も言うな!!」
「安心しろ、正直まんまお前らすぎて"本編"まで読んでられなかったよ。文章は、まあ綺麗でいいんじゃね?」
何が安心しろだ。全くフォローになっていない不用意な発言にトドメを刺され、錦史郎はぐったりと溶け出した。
「あれっ、きんちゃんどうしたの?具合悪い?」
トイレから戻ってきた熱史はテーブルに突っ伏している錦史郎を案じて声を掛けた。
「あっあっちゃんおかえり!」
慌てて起き上がった錦史郎の顔を見て、
「えんちゃん、まさか酒でも飲ませた?」と由布院に疑いの目を向けた。
「そんなことしねーよ。こいつに飲ませたらぜってー後がめんどくせえだろ」
由布院はさも当然という顔で疑惑を突っぱねる。
「僕は今猛烈に酒が飲みたい気分なんだが」
錦史郎が由布院の目を鋭い眼光で捉えながら呟く。由布院は(おー怖い)と二の腕を摩る仕草をした。
「まぁまぁ、無理しない程度ならいいんじゃない?小ビールとかあるよ」
二人に何かあったのか、熱史は不思議に思いながら錦史郎にメニュー表を勧めた。
熱史と由布院もビールを注文し、改めて乾杯した。
******
「おい、小ビール半分でこのザマか?」
「るさい!らめたくちをきくな!!」
錦史郎は由布院に向かって上から叩くように素振りをするが、空を切るだけで全く届いていない。
「こりゃ相当酒癖わりーな」
目をトロンとさせてぐったりしたかと思えばいきなり大声を出したりと、立派な酔っ払いが爆誕した。
「きんちゃんは飲ませちゃダメな人だったね。お水貰おうか」
「んー
…」
錦史郎は背もたれに全体重を預け天を仰いだ。自律性の塊のような人間が、ここまで無防備な姿を晒したのは初めてだった。
「良いもん見れたな〜酒が進むわ」
「おいおいえんちゃん趣味が悪いな
……ふっ
……でも確かにふふ
…きんちゃんにはっ
……悪いけどっ
…ちょっと面白いかもっ
…ふふ
……」
「ふっ、熱史お前
…ふふ
…笑いすぎだろ
……っ
……」
本人の意識が朦朧としているのを良いことに、熱史と由布院は笑いを堪えるのに必死だった。
「
……ちゃん
……な
…で
……」
突然、上を向いたままの錦史郎が何かを呟く。
「へっ
…?きんちゃん、ふふ
…なんか言った?」
「あっ
…ちゃん
…おいて
……いで
……」
「ふっ
……おい草津、あっちゃんがどうしたって?」
「あっちゃん
…ぼくをおいてかないで
……」
「おいてかないで
…?って、え、泣いてる?!」
錦史郎の目から涙が綺麗に伝っている。
「こいつの感情豊かすぎるだろ」
ダムが決壊するとか何とか言ってたがまさにそれだな、と密かに思った。
「ごめ
…ん
……ごめ
…んね
……」
言葉を発する度に溢れる涙を熱史がハンカチで優しく拭ってやる。由布院はテーブルに片肘をつきながらぽつりと呟く。
「ったく、赤子じゃあるまいし
…」
******
あっちゃんと由布院の楽しそうな声がする
何話してるんだろう
そんなこと聞いても、僕にはわからない話かな
二人だけの世界
もう僕のことなんか見えてないみたいだ
ずっと一緒にいたのに
あっちゃん、僕を置いてかないで
もう遅いかもしれないけど
ごめんね
******
火照り切った身体と、ふわふわとした頭に夜風が心地良い。
熱史と由布院は、完全に潰れた錦史郎を挟んで三人で肩を組む形になって歩いていた。歩くというより、引き摺っていた。
「おい草津、ちゃんと歩け」
「私に、指図するな
……」
錦史郎は項垂れながら弱々しく言い返した。
この有様なので、駅前まで送り届けてタクシーを拾おうという話になった。
駅へと向かう途中、カランと音がして錦史郎が
「下駄が脱げた
……」と呟き、即座に由布院が
「なに、ダジャレ?」と反応した。
足元を見ると片方の下駄の鼻緒が切れてしまっていた。物を大事にする錦史郎は欠かさず手入れをしていたのだが、消耗が思ったより激しかったようで、履物店に持っていかなければと思っていたところだった。
「どうしよう。これ直せるのかな?」
「こんなぶち切れてるのどうやって直すんだよ」
熱史は携帯で鼻緒が切れた時の応急処置を検索した。
「えっと、"コンビニなどで手に入る綴り紐を使用する"」
「コンビニ?結局駅まで行かねーとじゃん」
「だね
…そしたらおぶってくしかないか」
「ほんじゃ熱史、よろしく」
由布院は流れるようにパスを繋いだ。
「えっ?!そこはえんちゃんだろ!俺より体大きいし」
「草津くらい別に軽いから平気だろ。ていうか、普通この流れで俺に譲るか?」
「い、いや運んであげたい気持ちは山々なんだけど、腰が痛くて
……」
熱史は苦笑いしながら腰から背中をさすった。
「うわっ、じじくさ」
「じっ、じじくさくて悪かったなー!えんちゃんも毎日デスクワークやってみろ!!」
「おっと、その攻撃は俺に効く」
由布院はしょうがねえな〜と言いながら片膝を立ててしゃがみ、「どーぞ」と促した。錦史郎は熱史に肩を貸してもらいながら由布院を見下ろす。
「
…別に自分で歩ける」
「じゃあ裸足で帰るってのか?汚れるし、何か踏んだら痛えぞ〜」
「そうだよきんちゃん、数分の辛抱だからさ」
「熱史
…いやもういいや
…」
本日何度目かのナチュラル失礼につっこむ気力はもう無かった。
「ほらもう大人しくおんぶされとけよ。あ、もしかして恥ずかしいとか?俺そういうの気にしねーから」
「別にそんなんじゃ
…!!」
錦史郎は見当違いも甚だしい、と勢いよく由布院の背中に覆い被さる。
「うぉっと?!あっぶねえな〜
…もっと優しく乗れないもんかね」
後ろからの衝撃に体勢を崩しかけたがなんとか耐えた。
「うっ
…気持ち悪い
……」
「きんちゃん、大丈夫?!」
「おい間違っても俺目掛けて吐くんじゃねえぞ」
錦史郎は脱力して由布院に身を任せ、ちょうど自分の顔と同じ高さにある熱史の横顔をぼーっと眺めていた。
(あっちゃん、短い髪も似合う
…清潔感があって、相変わらず爽やかだなぁ。学生時代は華奢な印象だったけど、肩回りが少しがっちりしたような気がする)などと考えていると
「きんちゃん
…そんなに見つめられると照れるな
…」と恥じらうような笑顔を向けられ、「あっ、いやっ」と慌てて顔を隠すように埋めた。思わず全身に力が入り、由布院の首をがっちりと締め上げた。
「ウガッ
……!!
…っ
…はっ、
…はぁ
………てめー俺を殺す気か
……!人の上ではしゃいでんじゃねーぞ!くすぐったいんだよ、色んな意味で!!!」
「なっ
…!は、はしゃぐなどそんな子供じみた真似は
……!!」
「熱史も、その緩みきった顔なんとかしろ
…」
「えっ?!そっ、そんなにかな
……」
熱史はカッとなった自身の頬を両手でぐいっと持ち上げた。
******
そうこうしている内に三人は駅前広場に到着した。熱史がコンビニに紐を調達しに行っている間、錦史郎と由布院はベンチに腰掛けて待っていた。
「少しは落ち着いたか?」
「あぁ、なんとか
……」
「そりゃ良かった。ふあぁ〜〜」
全身を伸ばしダラっと座る由布院は大あくびをして「ねみー」と呟く。
「その、すまなかったな」
「え?どれのこと言ってる?俺への悪態?」
「記憶に無い。とりあえず、送ってくれた事には感謝する」
「酔っ払いは都合いいなぁ」
そういえば、と由布院は切り出した。
「草津、お前さっき中学の頃の夢見てた?」
「は?何のことだ」
それも覚えてねーの?と驚きつつ続けた。
「寝言言ってた。僕を置いていかないで、とかなんかすげえ謝ってた」
「
……」
錦史郎は一呼吸置いて、少し躊躇いながらゆっくりと口を開いた。
「
……もう治まったと思っていたんだが、今でも時々夢に出る。
…ふっ、この歳にもなって、一体いつまで囚われているんだろうな。時間が解決してくれるわけでは無さそうだ」
錦史郎は自分自身に呆れるな、と鼻で笑った。
(こんな奴に心中を吐露するなんて、やっぱり今日はどうかしてる)
「ふーん。でも今日のお前ら、すげー楽しそうだったよ。やっぱ俺来なくても良かったな、メシは美味かったけど」
「まったくだ。二人で行く約束だったのに
…」
横目でギロっと睨みつける。
「言っとくけど全面的に悪いのはアイツだからな。ちゃんと文句言っといた方が良いぞ」
「君に指図される筋合いは無い」
妙に素直になったかと思えば、またいつもの調子に戻った錦史郎に少し安堵してフッ、と笑った。
「つーかさ、あんな本書いてる時点でもうどうしようもねぇよな」
「ちょっ
……!!い、いいか、絶対誰にも言うんじゃないぞ
………」
「え〜〜〜どうしよっかな」
わかりやすく絶望する錦史郎の顔に嗜虐心が煽られたが、流石に可哀想なのでその感情は閉まっておいた。
「だから熱史がいない間に確認したんじゃん。それくらい俺にも人の心はあるって」
「それはまぁ
……でっ、でも」
「俺は別にお前の職業知ったところで何も思わなかったけどな。墓場まで持ってってやるから、俺とお前の秘密ってことで」
ニヤッと笑いながら突き出してきた小指をペシッと払いのける。
「その顔やめろ、気持ち悪い
……」
錦史郎は、由布院の一貫した無頓着さをある意味では信用している。自分の職業を知っても大して気に留めない様子に、なんだか少し安心してしまった。
しかし一生、いや何なら死後の世界でも弱みを握られ続けるように感じ、わずかに背筋が凍る思いがした。
「おっ、愛しのあっちゃんが紐持って帰ってきたぞー」
******
「これでよしっ
…と」
熱史が鼻緒の応急処置を施し、「履いてみて」と下駄を錦史郎に差し出す。
「すごい
…ありがとうあっちゃん!」
宛らシンデレラのようにキラキラと目を輝かせる錦史郎に、熱史は「大げさだなぁ」と笑った。
「草津お前それ修理に出すんだよな?」
「えっ?あ、あぁー、うん、当たり前だろう」
そんな考えなど微塵も無かった、という反応に
「はは、だよな」と当たり障りなく返した。
「きんちゃん、体調は大丈夫?車乗れそうかな」
「うん、お水飲んだら落ち着いたよ。何から何までありがとう」
錦史郎は空になったペットボトルを軽く振ってにこっと笑った。
******
タクシーの出発を見届けた熱史と由布院は、途中まで同じ道をゆっくりと歩いていた。
「熱史、いつまでそんな顔してんだ」
「えっ
…?!また変な顔になってたかな
……」
熱史は顔を赤くして、慌てて片方の手で口元を覆い隠す。
「じゃあなー」
「きんちゃん、気をつけてね」
見送りの声を受けながら背を向けた錦史郎は一瞬迷って振り返り、意を決して熱史に歩み寄った。
どうかしたのかと不思議に思う熱史を余所に、
「こ、今度は二人だけで、行きたいな
…」
と耳打ちして逃げるようにタクシーに乗り込んでいった。
突然の出来事に放心した熱史は、錦史郎の言葉を反芻して頭で理解した瞬間、全身が燃えるように熱くなった。
「きんちゃん、それはずるいよ
………!」
「ほんと健気だよなぁ、アイツ」
由布院は遠い目をして言った。
「なっ
…!どういう意味だよ
…」
「まったく、お前も罪なオトコだ
……」
首を振ってやれやれと目を伏せる。
「そういう言い方はやめてくれないかな
……
でもさ、えんちゃんも今日楽しかったろ?」
「んーまぁ否定はしないが、」
「肯定もしない?」
「よくわかってんじゃん」
熱史はまあね、とため息をついて笑った。
気がつけば、街灯がぽつんと立つ分かれ道に差し掛かっていた。
「ほんじゃこの辺で」
「うん、それじゃ」
「___あー、熱史」
「なに、えんちゃん」
「
……頑張れよ」
熱史は青春映画のクサい台詞かよ、と笑いそうになった。
「うん
…ありがとう。えんちゃんもね。なんかあったら、連絡よこせよ」
「そういや学生の時って、なんか用件あって連絡したことあったっけ」
一瞬考える仕草をして、「無いかもね」と答えた。
「まあ嫌と言うほど毎日顔合わせてたし、わざわざする必要も無かったんじゃない?」
「だよなー。この調子だと、下手すりゃ次会うのはまた10年後かもな」
「誰かさんが突然消息を絶たなければ大丈夫でしょ」
「
…悪かったって」
「じゃあ今度こそ、またね」
「おう、またな」
次の休みは黒玉湯に顔を出そうと決めた。