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Ca(か)
2026-01-07 22:42:33
5156文字
Public
haikaveh SS
きみに届く挽歌・1 (一途な鳥の話・改題)
とある年の大晦日、子ども時代の穏やかな日々に思いを馳せながら大掃除をがんばるアルハイゼンの話
青と水色の伸びやかなグラデーションの空が薄い雲を抱いて、のんびりと流れていく。
今年も終わりだな、とアルハイゼンは開け放った玄関から空を見上げ、フローリングを掃く箒の手を止めた。
家の中から見える街の人々はどこか気もそぞろで、その足取りもやや速い。年末のこの時期は、仕事納めだ大掃除だと誰も彼もが忙しなく過ごしている。だというのに、なぜか昔から、こと大晦日の午前中はひどくゆっくりとしたものに感じられるから不思議だ。祖母との暮らしの名残か、それとも単に今朝は早起きだったからか。
どちらもだろう
――
と、とりとめもなく考えていたところに、背後から声が飛んできた。
「こーら、アルハイゼン! 手が止まってるじゃないか。さぼってないで掃除しろ」
髪をきゅっとひとつにまとめ上げ、腕まくりをしたカーヴェがキッチンからひょこっと顔を出し、こちらを睨みつけていた。
「人聞きが悪いな。休憩だ」
「たかが床を掃くのに五回も六回も休憩はいらないだろ。まったく
……
年の終わりに家を綺麗にして、清々しく新年を迎えてこそ、いい一年のスタートが切れるっていうのに。今日はまだレンジフードもやらなきゃいけないんだぞ」
「一年分の負債を一日で巻き返そうというのは無理がある。毎日少しずつでも進めていればこうはならない」
「あのなあ。それはいつも掃除をすすんでやる人が言う言葉なんだよ。君ってやつはほんとに、口だけは達者だな」
「都合が悪ければ塞いでくれてもいい」
「ばか。自主的に掃除もしないやつの口なんか、肉でもキスでも塞がないよ。わかったら手を動かして、絨毯も敷き直すんだぞ。昼ご飯はそれまでお預けだからな」
昼ご飯。
そう聞いただけで、アルハイゼンの腹がぐう、と控えめに鳴った。
「ちなみに、今日のメニューは」
「うん? 決まってるだろ。大晦日スペシャルピタだ」
カーヴェが得意げに指をぴんと立て、「食べたければきりきり働けよ」と言い残してキッチンに引っ込んだ。
大晦日スペシャルピタ。聞こえはいいが、ようは保冷庫の中身の在庫処分メニューだ。とはいえ、おかずの残りをかき集めて作るやっつけ飯は意外にうまい上に二度と再現できないので、なかなか侮れない品でもある。
時計を見ればまだ十時半。さすがに昼食には早い時間だ。アルハイゼンはふん、と一息ついて、壁に立てかけた箒をまた手に取った。
さか、さか、さか。
床板の木目に従い、力を入れずに、毛先のしなりで砂や埃を浮かせて除く。ふさふさと豊かな箒の穂はシュロの樹皮からできており、あるとき出張から帰ってきたカーヴェが「とてもいい工芸品を買ったんだ」と荷解きもそこそこにアルハイゼンに見せてきたのがこの箒だった。
「この箒で床を掃くと、シュロの繊維に含まれてる油分が床板に移って、それはうつくしい艶が生まれるんだってさ! 磨かれ続けた床は、ゆくゆくはきれいな飴色にまでなるらしいぞ。この箒自体も手入れをすれば三十年は保つらしいし、いい買い物をしたよ」
またこの男は。
若干酔いの入った赤ら顔のカーヴェに、その時こそ渋い顔をしたものだったけれど、調べてみればシュロの箒にはほんとうにそのような効果があるらしかった。後になってから聞いた数十万モラという価格には思うところがないでもないが、本人が納得して払ったのならこの箒にはその価値があるのだろう。三十年働いてもらおうじゃないかと掃除のたびに持ち出されるシュロの箒は、約一年たった今も売り文句に違わず、丈夫で使いやすかった。
――
床を掃くときはね、目に見えるくらいの大きな石ころは先に手で取っておくのよ。そのまま箒で掃いてしまうと、床を削ってしまうし、箒も傷めてしまうからね。
さか、さか、と一定のリズムで箒を動かすアルハイゼンの耳の奥に、在りし日の祖母の言葉が浮かぶ。
思えば祖母と暮らしていたときも、年末にはこんなふうに大掃除をした。
祖母は毎年十二月に入る頃、リビングの机にカレンダーを広げてアルハイゼンと
作
・
戦
・
会
・
議
・
をした。少ない日取りで一気に掃除をしては大変だからと、掃除をする場所と日にちを話し合い、カレンダーに書き込んでおくのだ。
――
この日はお休みにして、次の日からは廊下の窓拭きを頑張るのはどうかしら。
――
休むのはお祖母様だけでいいよ。俺はこの日も掃除できる。
――
あらあら、アルハイゼンったら。すっかり頼もしくなったのね。でも、ここのお休みの前の日は本棚を整理する日でしょう。たっぷり一日かけて読み返したい本が見つかりそうだと思わない?
予定が決まってからは一日一箇所、無理をせずに午前中だけやるという決まりのもと、窓や床を磨いたり、家具の手入れや修繕、本棚の整頓などを手分けして行った。正午の鐘が鳴るとふたりで昼食をとり、午後には少しだけ昼寝をした。起きてからは祖母の用意してくれたおやつを食べながら好きなだけ本を読み、キッチンから届く夕飯の匂いを合図にして栞を挟んだものだった。
今思い返してみても、とても幸せなひとときだったと思う。得がたい、あたたかで優しい生活がそこにはあった。この日々がいつまでも続けばいい
……
などと子どもらしいことを思いながら、それがけして叶わない願いだということも理解していた。
当時は教令院を半日で見限って帰り、家で勉強していた頃だ。問いを立てるにじゅうぶんな知識の詰まった本たちに囲まれながら、じっくりと仮説を組むにふさわしい静けさのなか、どこまでも深く思考の海に潜る日々。両親が遺した本は両親の代わりに自分に寄り添ってくれ、ページに書かれたメモをなぞることでいろいろなことを教えてくれた。そうして学びを深める自分を見守りながら、祖母はきっと心配もしていたことだろう。けれどその心配を祖母は一度として言葉にすることはなかった。言葉にすることがすべてではないことを、アルハイゼンはまず祖母から教わったのだった。
相手を思い、いつくしみながらも、ただ静かに見守ることで示す愛情もあるのだ。
「アルハイゼン、ちょっと来てくれないか! 保冷庫が思ったより魔境だ」
「
……
はあ」
懐かしい思い出に浸っていたところをキッチンからの声に引き戻され、やれやれと嘆息する。さっさと掃けと言ったりこっちに来いと言ったり、人使いの荒いことと言ったらない。アルハイゼンは呆れながら箒を壁に立てかけ、声のした方へと足を向けた。
キッチンでは、保冷庫を前にしたカーヴェがなにやらうんうんと唸っている。傍で浮いているメラックも一緒にピポピポ唸っていたが、アルハイゼンが来たことに気づくとにっこり笑った。
「なんだ。俺はまだこれから、誰かさんにきつく言われたように絨毯を敷き直さなければいけないんだが」
「ごめんごめん、ちょっとひとりじゃお手上げで
……
冷凍室なんだけど、この引き出しが最後まで開かないんだよ。霜がすごくてさ」
カーヴェがこつんと小突いた保冷庫の二段目、冷凍室はかたく閉じられている。カーヴェに代わってそこを引き出してみれば、半分ほど開いたところで大きな霜の塊が引っかかり、それ以上は動かせない。ぐっと力を込めてみてもガリゴリと不穏な音をさせるばかりなので、さすがのアルハイゼンも眉間にしわを寄せた。
「な? すごいだろ」
「
……
存外重症だな。君がきちんと閉めないからだろう」
「ええ? なに言ってるんだ、君だってグラスに氷を出すときに何回か閉め損ねてただろ。僕だけじゃないぞ」
「俺は締め損ねに気づいたらちゃんと締めているよ。無論、君のぶんもだ」
「僕だって一昨日、君の代わりに閉めたろ!
……
ああ、いや、やめだ。年末にこんなくだらない喧嘩なんかするもんじゃない。扉がちゃんと閉まらないのが悪いことにしよう」
「保冷庫になすりつけるだけでは同じことの繰り返しだよ」
「なすりつけてなんかないさ。このでかい霜の原因が保冷庫の開閉機能にあるなら、いっそ保冷庫を改造してやればいいってことだよ」
……
改造?
予想だにしない発言に思わず手が止まった。
「例えば?」
「うーん
……
まあ、そうは言っても日曜大工レベルだけど。ようは閉め損ねがなくなればいいんだし、いま扉にくっついてる磁石よりも強いやつを仕込めばいい。パッキンの中に一周ぐるっと入れ込めばいいだろ。あとは
蝶番
ヒンジ
の角度をちょっと変えて、重心を奥に持っていけば問題ないはずだ」
「なるほど」どう考えても日曜大工の範囲ではない改造案を聞きながら、アルハイゼンは扉にかけた手を冷凍室に突っ込み、霜の大きさをじかに確認した。「自動で霜取りもできれば言うことはないな。こうして年末に揉めることもない」
「自動霜取り、なあ
……
いや、言うほど難しいことでもないかもしれないぞ。烈焔花の花蕊のちっちゃいのをタイマー式の箱に入れて、一定時間ごとに露出させて霜を溶かすんだ。花蕊は1/4くらいの大きさに削って、内部の排水ラインを整えれば案外いけそうだけど、どう思う?」
「特許を取るなら早いもの勝ちだよ」
「はは! 大げさだな。こんな素人の思いつきなんか持ってったら、賢者会議で何年笑われるかわからないさ」
その賢者会議が大揺れしそうだと思うのは自分だけだろうか。少なくとも妙論派の賢者は飛んで来そうなものだし、耳の早いあの大商人もすぐに手を回してくるだろうが。
保冷庫の霜は、触ってみたところ手強い大きさではあるものの、どうにか剥がせないこともなさそうだった。アルハイゼンはカーヴェの作業用の革手袋を嵌め、直接手で除くことにした。分厚い革越しに氷の塊の手応えを感じながら、ぐっ、ぐっ、と力をかけて少しずつ引き剥がしていく。
びしり。氷の塊にヒビが入る音がして、そこでちらりと互いの顔を見る。
――
いけるか?
――
いける。
視線のやりとりと頷きののち、アルハイゼンはむんと一層力を込めて氷に指を食い込ませた。
「頑張れ、アルハイゼン! その自慢の筋肉で霜をやっつけてくれ!」
「ピッポピ、ピッポー!」
「今年の霜は今年のうちにー!」
「ピポポー!」
わあわあと呑気な声援を背中に浴びながら、アルハイゼンは霜の塊に挑み続ける。力が抜けるからやめろと言いたいところだが、どうしてか氷を掴む手の力は、声援を受けてますます増した。
なんて騒がしい年末だろう。あの静かで穏やかな日々から繋がっているとは思えないほど、大人の自分が過ごす日々はどたばたと賑やかで忙しない。もしも祖母がこの光景を見たとしたらなんて言うだろう。祖母が願ってくれた平和な生活ではあるだろうが、まるで一年の辻褄を合わせるかのように大晦日に大掃除を敢行したり保冷庫に大きな霜の塊をこさえたりと、彼女が作り上げていた丁寧な生活からは程遠い。それでもまあ、怒られたりはしないだろうと思う。よほどのことがないかぎりは声を荒げることもせず、予定外のことが起きても「そういうこともあるわね」と柔らかに笑っていた祖母の心のしなやかさを、アルハイゼンはまだ覚えている。
がこん、とひときわ大きな音がして、革手袋に容赦のない重みが載った。そのまま引きずり出してみると煉瓦のような霜の塊があらわになって、見ていたカーヴェがやった! と歓声を上げた。
これで万事解決
――
かと思いきや、冷凍室をスキャンしたメラックが困った表情でビービーとエラー音を出したので、アルハイゼンたちはおや、と工具箱を見やる。
「ん、どうしたんだ? メラック」
「ピ
……
ピポ」
なにか言いづらそうにしながら冷凍室をホログラムで指すメラックに、アルハイゼンの脳裏にあまり好ましくない仮説がひとつ浮かんだ。
カーヴェも同じだったようで、まさか
……
と、恐る恐る冷凍室を覗き込み
――
ぴたりと石像のように動かなくなった。
「どうした」
「
……
天板の、とこに」
分厚い霜が、びっしり。
水を打ったような静寂。そののち、はあぁ、と重い溜息がふたつキッチンに響いた。
どれだけ項垂れようとも、あと十三時間で新年がやってくる。別に年末に全てを片付ける必要はないけれど、大きなやり残しを見てしまった以上、知らんふりして新年を迎えるのも寝覚めが悪そうで。
こうなったらやけくそだ、とカーヴェがぷりぷりしながら改造用の工具を取りに部屋へ戻った。アルハイゼンはその背中を見送りながら、やはり祖母の言うとおり、大掃除は少しずつやるのが正解だったのだ
――
と、いまだ手の上に鎮座する霜の塊をシンクにごとんと捨てた。
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