はいで
2026-01-07 22:37:39
4532文字
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灰色の海の彼方

小話:オデュッセウス原典ネタ第五歌
テーマ「オデュッセウスの輝き」
本編の文字数:約3,400文字

【注意】
・原作ネタ
・独自解釈
・大部分が暗い

・無断転載禁止
・AI学習禁止

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 英雄オデュッセウス。
 広大な帰路を歩んだ不屈の英雄にして冒険者。
 物語においては堅忍不抜、深慮遠謀と謳われる英雄。
 そのオデュッセウスは毎日の様に海を見つめていた。

 毎日毎日、海を見つめていた。
 幼い頃は故郷で彼方の景色を夢見て、旅の最中にあっては明日の旅を行く為に、海を見つめ続けた。
 水平線の果てを毎日眺めていたのだ。
 それは海に囲まれた島国イタカを故郷とするオデュッセウスにとってはごく自然な行いであり、冒険の中においてもオデュッセウスの日常の一部であった。





Title:灰色の海の彼方





 その日は空が暗く、灰色の雲が垂れ込めていた。
 海岸から海を見つめるオデュッセウスは「今日は船を出すには向かない日だ」と考えて、ため息を吐いた。
 オデュッセウスが腰を下ろしている海岸では、木々は絶えずざわめき、季節の花が風に揉まれながらも必死に花弁を引き留めていた。揺れる枝がきしむ様子を見ると自然と心が不安になる。
(この風だったら帆は閉じた方がいい)
 頭の中は絶えず船旅の事を考えている。
 頬にぶつかる風は湿気を帯びている。
(この分だと雨も降る、もうすぐ嵐だ)
 オデュッセウスは頬へ纏わりついた髪を指先で払った。
 強風が波を白く泡立たせ、細かな滴を空へ飛ばして荒れ狂っているのが見えた。



 だが、全てはオデュッセウスには関係のない事だ。
 ずっとオギュギエ島で女神の屋根の下にいるオデュッセウスには。



あの海の彼方へ行きたい)
 難破した先で一方的に女神の所有物にされ、彼女の権能により海を渡る事を禁じられたオデュッセウスはどこにも行けない。
 鬱々とした籠の鳥は此処ではなくただ遠くの景色を夢見ていた。

 何度海を見つめたのだろうか?
(今日は嵐だ)
 幾日も、幾月も眺めていた。
(今日は霧で水平線が見えない)
 例え島へ閉じ込められていても、心はいつも遠く彼方を見ていた。
(今日はよく晴れている、航海日和だ)
 幾年が過ぎたある年、ふと、黒髪から色が抜け落ちている事に気が付いた。白くなった部分は日を追うごとに増えていく。
…………
 己の身の上に過ぎた年月を思って暗い気持ちになった。
(あの海の向こうへ行きたい、のに)
 海を見つめてもどうにかなる訳ではない。
 それでも、オデュッセウスは海辺へ足を運ぶ事をやめられなかった。
(冥界で予言者テイレシアスが「惨めな帰還になる」と言っていたがそれでも、帰れるんだ。帰れないよりは何倍もマシだ、だから備えておかなくては)
 春になれば動物の親子を見かけたりもした。
(テレマコスは今どんな姿になっているんだろうか?)
 故郷にもあった花が毎年咲く度に思い出すのは、花を見て笑んでいた家族の姿だった。
(ペーネロペーも今頃、この花を見ているんだろうか?)
 ある日はカモメが飛んで行くのが見えた、仲間と群れて飛ぶ姿が印象的だった。
(俺の仲間は全員死んだ)
 島からは出られずとも屋根の下から抜け出しては、あくる日もあくる日も海の彼方を見つめ続けた。
俺は予言を信じていていいんだろうか?本当に、故郷に帰れるんだろうか?)
 灰色の海の前で無情に去り行く時を想う。
 それが今のオデュッセウスの日常だった。






 そうして7年の月日が過ぎたある日、遂にオギュギエ島での束縛から解き放たれる時が来た。
 アテナとゼウスの介入により再び船出する機会に恵まれたオデュッセウスはしかし嵐に襲われ、難破した船から投げ出され、身一つで嵐の海の最中で藻掻いていた。
 どれほどの時を泳ぎ続けているのだろうか?
 わからない。
 空は厚い雲に覆われて太陽は見えず、暗闇の所為で時間間隔は失われていた。暗く先の見えなかった視界が徐々に明るく見え始めた事から、辛うじて夜明けを迎えたのだという事くらいしかわからない。

 壊れた船から降りてそろそろ1日は経つのかもしれない。
 オデュッセウスは波にもまれ続けて疲労がピークにあった。
 泳ぎ始めてずっと食事を摂っていないし、一睡もしていない。
 こんな嵐の海なのだ、すがる船も木材もない海のど真ん中で気を抜けばあっという間に遠洋へ流されてしまう。
 不幸中の幸いと言えば船が難破する前に陸地が辛うじて見えた事、そして波にもまれるオデュッセウスを憐れんだ海の女神イノが「溺れる事がないようにこれを纏いなさい」と神秘の籠ったヴェールを貸し与えてくれた事だ。
 最悪、死にはしない。
 だがせっかく見えた陸地から遠ざけられてしまえばまた元の場所へ戻されるかもしれない、オギュギエ島へ捕らえられた時の繰り返しになってしまうかもしれない。あの恐ろしい月日はもう二度と体験したくない。
 故郷へ帰る為には手足を止めるわけにはいかない、休むわけにはいかない。

 手足は冷えて感覚は薄く、重たくて動かすのが辛かった。まるで丸太を持ち上げている様な重労働だと感じられた。
 それもそうだ。季節はまだ菫の花が咲く春先だというのに、オデュッセウスは春を待てずに喜び勇んで海へ出てしまったのだから。お陰で、まだ冬の冷たさの残る水の中を泳ぐ羽目になってしまった。
 すぐ近くである筈なのに、陸までの残りの距離がどうにも遠く感じられた。嵐の波が眼前に聳え立つ所為で陸地は覆い隠されており、今、近づいているか遠ざかっているのかも確認が難しい。その上、身体は疲労困憊なのだ。



 だがオデュッセウスはそんな事を気にしてはいなかった。
(帰れる!)
 オデュッセウスは長い間この時を待ち望んでいたのだから。



 この7年間ずっと焦がれ続けていた機会だった。
(イタカへ帰れる!故郷へ帰れる!)
 心に浮かぶ歓喜がオデュッセウスを突き動かし続けた。
(家へ帰れる!)
 力の限り泳いだ。鉛の様に重い四肢をどうにか動かし前へ進み続けた。
(ペーネロペーに会える!テレマコスの姿を見られる!)
 死ぬ気で泳いだいや、それでは語弊がある。
(俺は生きて帰る!!)
 オデュッセウスは丸2日間かけて、遂に嵐の海を身一つで踏破した。





 3日目の夜明け。
 オデュッセウスはどうにか陸へ辿り着いた。

 疲労の最中で手足を動かし続けた為、既に精魂尽き果てている。
 声を出す事さえ億劫だ。
 ようやく岸辺へ辿り着いたと安心したら、岩場ばかりで安全に乗り上げられそうな場所がなかなか見つからず、途方に暮れながら延々と泳ぐ羽目になったのも疲れた。荒波によって岩盤へ打ち付けられた時は肋骨が軋み、肺から空気が抜けて水を飲み溺れかけた。
 ここで死ぬんじゃないかとさえ思った。
「ふっ」
 それでも、笑みが零れ落ちたのは。
「あは、あはは!!」
 心の底から笑えたのは、余りある達成感が彼の心を動かしたからだった。
(なんてすがすがしい気持ちなんだろうか)
 何者にも縛られず行動できる自由はなんと素晴らしいのだろうか?
 明日がどうなるかはわからない。
 荷物はない。食料もない。身体はボロボロだった、疲れ切っていて海水に冷えきっていた。借り物のヴェールは海へ流して返した。苦労して作った船はなくなったし、用意していた物資も一緒に消えた。
 残っているのは長旅で傷みつつあるアテナのアイギスだけで他には何も手元にはない。

 夜の岸辺は寒い。疲労で身体は酷く重たい。
 それでも、オデュッセウスの心は晴れやかだった。

 いつの間にか嵐は止んでいた。
 黒い雲に切れ間が生じて、一条の光が地上へ差し込む。
 清らかな朝の日差しが身体の上に降り注ぎ、オデュッセウスの顔を照らした。ずっと嵐の暗闇の中にいたオデュッセウスはその眩しさに目を瞬いた。
(温かい)
 陽だまりの光に温められて、やっと穏やかな気持ちになれたオデュッセウスは緊張感から解き放たれて、眠気に襲われた。
(このまま眠ってしまいたい位だが)
 それは流石に無防備に過ぎる。
 オデュッセウスは苦労して重い身体を引きずって森へ分け入り、良く茂った2本のオリーヴの木を見つけて仮の宿とする事にした。木の根元に枯れ葉を集め、傷付いた身体を完全に覆い隠せる程に敷き詰めてから、枯れ葉の内側へ身を隠して横たわる。
(ああ明日は何をしよう)
 眠りに落ちる前のまどろみの中でまだ見ぬ明日について考える。久しぶりにワクワクと胸が躍っていた。
 心地よい達成感が胸いっぱいに満ちるのを感じながら、オデュッセウスは久方ぶりに安寧の眠りに就いた。












 

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○あとがき
・原典第五歌の脱出劇のお話。
・この物語で書きたいのは、オデュッセウスの輝き。
・「前へ進むための一歩が如何に重く苦しいものか多少は知っているからな」
 ↑このセリフの深掘り。

・荒れた天気の日に筆者は海の近くを通りかかってこう思いました。
(今日の海はざわめいている、不安な気持ちになる。オデュッセウスは何度こんな気持ちで海を眺めたのだろうか?)
 そして気がつけば海の前にあった飲食店の窓際で、嵐の海を見つめながらこのお話の下書きを書いておりました。
 海はなんて大きいのだろうか?
 人はなんて小さいのだろうか?
 こんな中へ投げ出されて嵐の中を泳ぎ切るなんて心が折れてしまいそうだ。
 だからこそ、海を乗り越えたオデュッセウスは輝いている。
 オデュッセウスが全てを失ってそれでも海を乗り越えられたのは「自らの手足で家族の下へ帰れる」という希望があったからだと思う。
 描写としては短いですが「俺は生きて帰る!」の辺りが書きたくて書いたお話しです。

・その為には、一緒に絶望も描かなくてはならなかったので辛かったですけどね~!推しが絶望するシーン書くのつれぇオデュッセウスの寿命を7年も消費した女神マジで許さん

・落涙の翼のテーマ曲『Echoes』
 公式PVでサバージオスとオデュッセウスが映し出されるシーンがありますが。
 いつかと自分の心へ言い聞かせていたのはオデュッセウスも同じなんじゃないかな?
 だからこそ、サバージオスへ共感できたんじゃないかな。
 灰色の海の彼方を目指す、彼方へ焦がれる気持ちを知っていたから。

・私は落涙の翼でサバージオスのファンになって、オデュッセウスについて気になり始めたのです。
「サバージオスを助けてくれたのはどうしてなんだろう?」
 そして『オデュッセイア』を読んですっかりファンになってしまいました。
「これは確かに助けに行く」
 彼の心が知れて良かった。
 だからこそFGOのオデュッセウスの深掘りもしたい。彼の内面を想像してみたい。筆者なりに形にしてみたい。
 この物語はそんな模索のお話です。