冬至を過ぎた年末の空はカラッと晴れていた。肌に当たる風は体の芯をぶるりと冷やすが、水色に澄んだ空は気持ち良くもある。類は空を見上げて、はあと白い息を吐いた。
誰に見せるでもない新作ロボットの材料が足りずに外へ出て、普段はあまり通らない新興住宅地の小道を歩いていた。
類はスマートフォンをちらりと見た。ロック画面に映るデジタル表記は十時過ぎ。少し早く出過ぎただろうか、パーツ屋が開くのは十一時だ。
どこかで時間を潰してから行くか、はたまた目的地付近で待つか……からりとした空の下、顎に手を当てて、うーんと小さく唸る。
せっかく普段通らない道にいるのだから、この辺りで散歩でもしようか。そう決めた類は、周囲をくるりと見回した。
──カタカタカタ……
耳に弱く響くカタカタとした音。不意に聞こえたため方向ははっきりとは分からない。それどころか本当に聞こえたのかもはっきりしない。幻聴だと言われれば納得してしまいそうな音だった。
──カランカラン、カタンカタン……
また、聞こえた。今度は先程よりハッキリと。次の瞬間、類は駆け出していた。
音の正体を探って、どうしようと思った訳でもない。ただ類の直感が『あれは面白いものだ』と訴えている。
どうせ時間もあるのだ、音の正体を探って見定めてからパーツ屋に行っても問題など無い。
小道から更に脇の細い道へ。
あの音はそんなに遠くないはずなのに、それらしきものは一向に見えない。
──カランカラン……
「そ……、だ……!」
音と共に、今度は声まで聞こえてきて、ますますその正体に興味を覚える。類は無意識に期待していた。漠然とした『面白いもの』に。
色褪せた類の日々を鮮やかに彩る光──そんなものを望んでしまう愚かな自分を、類は少しだけ疎ましく思った。
──カランカラン、コロコロ……
「どう……、そ……たカ!」
溌剌とした声。先程よりかなりハッキリと聞こえた。
どうやら脇道の更に奥、砂利の敷いてある先から聞こえるらしい。
私有地の可能性が高いその道に入るのに、一瞬躊躇った。何か言われたら謝罪して立ち去れば良い、そう思いながら、類は砂利を踏みしめた。
砂利道を入ってしばらくすると木が鬱蒼と生い茂っていた。そこを分けて、そろりそろりと進む。
やがて出てきたのは、新興住宅地に似つかわしくない、古びた木造の建物だった。どことなく、神社の社殿を思わせる造りだ。中央には細かい装飾の掘られた身舎があり、その周囲には回廊。鳥居も賽銭箱もないが、ここは神社だと言われれば何となく納得してしまうだろう。
──カタンカタン…
「どうダ! ん? もう一回? イイぞ」
──コロコロ
「ハハハ、上手いダろう」
どうやら声の主は、その古びた建物にいるらしい。よく聞くとイントネーションに違和感があり、母国語は別なのだろうかと思わされた。誰かと会話をしている様子だが、その一人の声しか聞こえない。それでも飛び出してくる自信満々な言葉は、真夏に浴びる水しぶきのような心地よさで、悪い気はしなかった。
類はそっと、建物へと近付いた。幸いにもドアや窓に相当する部分は縦格子であり、中の様子は容易に見ることが出来そうだ。
溌剌とした声はなおも続いていた。声を聞く限り若い男性なのだろう。幼さもある声の中に、時折男らしい太さが混じるのが不思議だ。その声を出す主を見てみたい、そう思うのは自然な流れだった。
こうなったら興味は止められない。早速、縦格子の隙間に合うように顔を動かして、中の様子を覗き見た。
まず見えたのは時代劇に出てくるような和傘だった。「もう一回ダ!」の声に続いて、今度はひょいと毬が浮かぶ。それを傘が華麗にキャッチ。そのまま毬は、軽やかに傘の上を散歩し始めた。
なんて綺麗な曲芸だろう。不自由な視界からでも、その美しさは十二分に伝わってくる。くるくる、ころころ……類はしばらくそれを眺めていた。
「もう一回? だめダ、休憩。またあとデやろうな!」
その言葉とともに傘が畳まれる。見えたのは、顔は少し幼いものの、年齢は類と然程変わらないであろう青年。丸っこい頭に、黄色ともオレンジともつかない髪、そこから二本のツノがにゅっと生えている。開けた口にも鋭い八重歯が見えたため、咄嗟に『鬼』と言う単語が浮かぶが、顔の愛くるしさは『鬼』と言うよりは大道芸人の弟子と言われる方がよほど納得できた。
青年は誰かと話を続けていたが、その相手はここからでは見えない。もう少し近寄ってみようか、そう思いながらそろりと足の位置を変える。
パキッ──足の下で小枝を折るような音がした。
「ん? おい、誰カいるのカ?」
マズい、気付かれてしまった。不法侵入以外の悪い事をしている訳ではないし、言い訳などいくらでも出来る。それなのに類の心臓がどきりと飛び上がったのは、彼の持つきらきらとした瞳に当てられたからかも知れない。
けれども、隠れる事も逃げる事もしなかった。話してみたいと素直に思ったからだ。
間もなくドアがガラリと開く。類と青年は真正面から対峙した。青年は大きな目をきょとんとさせて類を見上げたため、類は笑みを作って応じた。
「すまないね、カラカラとした音が気になって追っていたら、素敵な傘回しに出会ってしまって、見物させてもらったよ」
「おお! オレの傘回しを見てくれたのカ! どうダ!?」
「うん、素晴らしかったよ。安定感もあるし、何より回転が綺麗だ」
彼の顔がパアッと明るく輝く。瞳を更に煌めかせて、類の眼前へとずいっと迫った。
「そうダろう、そうダろう!
──あ……」
思い出したように手を頭へ持っていくと、二本のツノを手で隠す。先程までにこにこしていた顔を無理やりムッとさせ、類を見る目も鋭く変わった。
「な、何しにキた! ニンゲンっ!」
「ええ? 今更かい?」
「ニンゲン、オレをいじめにキたダろ!」
警戒の様子を見ていると、どうやらツノは本物であるらしい。まさか現代に『鬼』が現れるとは驚きだが、こんなに愛嬌があって、曲芸まで披露してくれるとは、更に驚くべき事だ。ツノを隠す姿もわざとらし過ぎて可愛い。類は思わず吹き出した。
「な、なにガおかしい!?」
「ふふ……僕は『類』、君をいじめに来た訳ではないよ。君の傘回しが見事だったから、それを見に来ただけなんだ」
「る、ルイ? 本当カ? 石投げたりシないカ?」
「しないよ。それより先程の傘回しをもっと見せて欲しいな」
そう言って微笑むと、鬼はツノを隠した手をそっと下ろした。
「オレの傘回し、見たイのカ?」
「うん。回転が鮮やかで素敵だったからね」
鬼はにぱっと笑う。閉じた傘を胸の辺りまで上げてぶんぶんと二度ほど振った。嬉しい気持ちを表しているのだろう。
「ルイ、こっち二来い! こっちデ見よう!」
「おや、お邪魔していいのかい?」
「ルイ、いいニンゲン! 傘回し好き! イイぞ!」
返事の前に腕を引かれ、古い木造の建物へと引き込まれた。その拍子に床がぎしりと鳴った。
中はがらんとしていた。床にはツノの生えたひよこのぬいぐるみが一つ、あとはしめ縄のようなものが壁に掛けられているだけ。
「ここは君の……」
「オレ、ツカサだ! ツカサとよべ、ルイっ!」
「えっと、ここはツカサくんの家なのかな」
「分からん! じーさんじゃないじーさんに呼ばれるんダ」
いまいち会話は通じていないが、彼の居住地では無いらしいことは分かった。ツカサの事は気になるが、とにかく彼は傘回しを見せたいらしいし、類自身、もっと近くで彼の曲芸を見たかったため、それ以上は言及しない事とした。
「じゃあ、見せてくれるかい」
「イイぞ!」
ツカサは毬をひょいと投げた。その間に傘をさっと開き、降りてきた毬をひょいと乗せる。そこからくるくる……毬が傘の上を走り出した。
「ぴいっ!」
足元で何かが鳴いた。ふと見ると、ひよこのぬいぐるみがぴょこぴょこ跳ねている。類の視線はそちらに奪われた。回る毬に合わせて丸く小さな羽をバタバタさせて、ぴいぴいと鳴く。
何だか自分の作るロボットのようだ。気付くと類はしゃがんで、ひよこを間近に眺めていた。
「オイっ! ルイっ!」
カラカラ回る音が止んだと思うと、ツカサがむっと頬を膨らませてルイを睨んでいた。
「あ、あぁ、ごめん」
「傘回し! 見るんダろ!」
「そうだね、ごめんよ。
……やはり動きが素晴らしいね。毬が踊っているようで、見ていて胸が高鳴ったよ」
「むむう……」
どうやらいじけさせてしまったらしい。どうしたものか……。
「もし良かったら、僕にも少しやらせてくれないかい」
「お、イイぞ! ふふん、難しイぞ」
傘を、ずいっと押し付けられるように渡された。自信満々な瞳に、まだ何もしていないのに『どうだ!』と言わんばかりの口。時折見える八重歯は鬼らしいが、それ以外は至って普通の『可愛い』男の子だ。
「オレが毬を投げテやる」
「うん、ありがとう。じゃあやってみるね」
片手を籐巻きに、もう片方は柄へ。一度くるりと回してみる。そう言えば角度が大事だと聞いたことがある、そう思い出して、傘を少し傾けた。
「ほほお」
ツカサの感心したような声。悪い気はしない。
「どうかな?」
「うまイぞ、ルイ! ……それ!」
試しに回していた所に、突然毬を投げられた。平紙に当たった毬は、成すすべもなくころりと落ちていく。
「おや……失敗だね」
「難しいダろ。もう一回ダ!」
ツカサは、狭い部屋の隅に転がった毬をパタパタと小走りで取りに行く。屈んで毬を両手で挟むと、腕を伸ばした状態で類の方へと戻ってきた。何をやっても、その動きはどこか滑稽で可愛い。
ツカサは両手を下げた。また毬を投げようとしているのだろう。
「僕が合図を出してもいいかい? はい、と言ったら毬を投げて欲しいんだ」
「……? イイぞ」
では……。類は傘を傾けてくるくると回し始めた。先程より少し速く、リズミカルに。すり足でゆっくりと、立ち位置を調整する。ツカサの投げる毬が、やや内側へと行くように。
「はい!」
「うお!?」
突然言われて驚いたようだが、ちょうどいいタイミングで投げてくれた。すとんと傘に乗ったと思うと、コロコロとはね歩き出す。
「ルイ! 凄いナ! ルイ、ルイ!」
「ふふ、ありが……おっと」
数回転したところで、勢いの付きすぎた毬がぽてんと落ちてしまった。それでもツカサはその場でジャンプをして、ルイの成功を喜んだ。
「ルイ、傘回しできる!」
「ありがとう、でもツカサくんには敵わないね」
「ハッハッハ、オレは上手いからナ!」
腰に手を当てて、フフンと自慢気に笑う。
パーツ屋はとっくに開いている時間だったが、類はその場を離れる気など毛頭無い。
つまらない日常の中、突如として差した光。傘回しをする鬼、ひとりでに動くひよこのぬいぐるみ……楽しい。ここ数年でこんなに心が踊る事があっただろうか。
「ツカサくん、他の芸は出来るのかい?」
「ほカ? オレは傘回ししカ知らナい」
「もし良ければ、他の技も練習してみないかい? 僕と一緒にショーをしよう!」
おっと、つい興奮した言い方になってしまった。引いてはいないだろうかと心配してツカサを見ると、きょとんと首を傾げている様子が目に入った。
「しょー? 傘回しは『しょー』カ?」
「そう、傘回しもショーの一つだよ。
ショーと言うのはね、身に付けた技で、見る人を笑顔にするものなんだ。ツカサくんの傘回しで僕は笑顔になった、だから傘回しも立派な『ショー』なんだよ」
ツカサは、今度は首を逆に傾けた。うーんと唸りながら。
やがて何かを思いついたようで、パッと明るい顔をして、類の眼前へと迫った。
「じゃあルイは『しょー』か! ルイがいるとオレ嬉しい!」
あまりに近くに迫った、キラキラの瞳。無意識、無自覚に類の頬が熱を持つ。
「えっと……僕は『ショー』では無いけれど……でも、そうだね。ツカサくんが笑ってくれると僕も嬉しいよ」
「嬉しいカ! オレも、ルイが笑ってるとうれシい! ルイ『しょー』シよう!」
「……うん。けれども今は道具も何も無い……けど……」
結局、類がパーツ屋へ辿り着いたのはその日の夕方だった。
簡単なダンスを教え、歌を教えた。ツカサはそのどれもに感嘆の声を上げて喜んだ。もう一回、もっと教えてくれとせがまれて、挙げ句の果てには指が外れる手品なども見せた。
ひよこについても話した。ツカサの友達だというひよこ。話したりはしないものの、ツカサと類の歌やダンスを大いに喜んで、一緒にぴょこぴょこ跳ねていた。
気付くとパーツを入れたビニール袋を前後にゆらゆら揺らしていた。こんなに浮足立っていたとは、自分でも驚きだ。何もせずとも浮かぶのは、ツカサのきらきらと無垢な笑顔。ああそうだ、明日はあれを持っていこう、あんなものを作ったら喜ぶかも──類の足は自然とショッピングモールへ向かっていた。
翌日もあの場所へ赴いた。何となく夢だった気がして不安だったが、ツカサは翌日もその場所に居た。ぬいぐるみのようなひよこと共に。
「ルイ! 待っテたぞ!」
「やあツカサくん。今日はいいものを沢山持ってきたよ」
「イイもの! 何ダ!?」
肩に下げた大きな袋をどすんと置いて、中をガサガサと探る。
「先ずはツカサくんに……これが手品セット、これがコマ……」
「うおおお!? 何ダ何ダ! いっぱイあるぞ!」
ツカサは一つ一つ手にとって掲げ、その場で思い付いた遊びをし出した。手品の箱に手を入れたり、コマを下から眺めたり。持ってきただけでも嬉しそうに目を輝かせていたが、使い方を教えたら、きっともっと喜ぶだろう。
「今日はひよこくんにもお土産を持ってきたんだ」
「ぴ?」
ひよこがてこてこと近づいて来た。全体は可愛らしいフォルムだが、その目はツカサと良く似ていてキリッとしている。もっと仲良くなって触れてみたい、そんな願望は今は隠しておく事とした。
「はい、これ。ツカサくんとお揃いの傘に、小さな毬だよ」
「ぴ!? ぴっ!!!」
ひよこは器用に傘と毬を持って小さなジャンプをした。
「良かったナ! おそろイだ! おそろイ、おそろイ」
「ぴ、ぴ」
「ふふ、喜んでくれたようだね」
ひよこは早速傘を回し始める。なかなか上手くはいかないが、練習すれば直にできるようになるだろう。
「それで! ルイ、この道具の使い方教えてくれ!」
「ああ、そうだね。これは……」
軋む床に座り込んで道具を囲む。類は、一つ一つ丁寧に教えた。ツカサはそのどれもに興味を持ち、夜が深まるまで二人と一羽で練習をし続けた。
次の日も、その次の日も、終業式の日も。学校のある日は下校のその足でツカサの元へと向かった。
ツカサは、類が来る度に色んな技を身に着けていた。ダンスも歌も、簡単な手品も。類が教えたものを四六時中練習しているようだった。
「どうダ、ルイ! うた、上手くなったカ!?」
「凄いよツカサくん! ダンスに至っては僕よりずっと上手だ。身体の使い方が上手いのかもしれないね」
「ふふん! ルイより上手! 凄いダろ!」
「うんうん」
素直な反応に笑顔が溢れる。腰に手を当てた自慢げな顔。ふんぞり返る先にある頭に触れて、優しく髪を撫でる。
「お……な、なんカ、恥ずかシいな……」
「僕なりの褒め方だよ。凄いねって気持ちを表したんだ」
「ハッハッハ、すごい! オレすごい!」
よしよしと数度手を動かしていると、二本のツノが目に入る。おや……「ここ、少し欠けているのかい?」
その疑問を口にすると、先程まで得意気だった顔がしゅんと下を向いた。
「ニンゲンから逃げてる時、転んダ」
ズキリ──その一言に類の胸が痛む。
「そうなんだね……辛い事を思い出させてしまったかな……」
「イイんダ。ニンゲン悪くない。鬼キたら逃げるのは普通。転んダオレが悪イ」
「そんな事は……」
慰めなど何にもならない。だからこそ、それ以上言葉が出なかった。
「なあ、ルイ! それより『しょー』をやろう! うたとだんす、一緒にやるやつ!」
「ああ、そうだね。じゃあこの歌で──……」
気にもしていない、人間を恨んでもいない。そんなツカサが眩しくて──少し不憫で──類は目を細めた。
(ツカサくんは、僕の宝物だ。やっと出来たショーをする仲間だ。大切にしたいな……)
数日経ち、大晦日になった。その間も類は、ツカサの元へ通いつめていた。
ツカサもひよこも、すっかり類に懐いていた。ひよこはついに、類の上に座るようになったが、その生態はよく分からないままだ。分かるのは、ひよこがツカサの事も類の事も大好きだと言う事。類にとって今は、それだけで十分だった。
「そうだ、ツカサくんのツノだけど……」
不意に発したその一言に、ツカサはビクリと身体を震わせた。怯えさせてしまったのだと申し訳なく思うが、類は続ける。
「その、欠けてしまった所に、リボンを巻いたらどうかと思って持ってきたんだ」
「りぼン……?」
「うん、これだよ」
小さなチャームのついた、赤く平べったい紐を見せる。ツカサはほわ、と気の抜けたような声を漏らした。
「これ……巻くのカ」
「嫌かい?」
「イやじゃない……巻いて欲しイ」
「うん……もちろんだよ。座って」
床に屈んだツカサのツノに、丁寧に巻いていく。結べる程よい長さ……チャームの位置を調整しながら、ゆっくりと。
静かに、良い子に待っているツカサを見下ろす。影が掛かっても綺麗な髪色の隙間から、長い睫毛が揺れるのが見えた。
満たされた気持ちだった。
赤いリボンを運命の赤い糸などと言うつもりはなかったが、ツカサに惹かれている自分を否定も出来ない。
幸福な緊張感に包まれながら、リボンが解けないよう、きゅっと結んだ。
「出来たよ。鏡を見てみて」
「……おお……! 格好イイぞ!」
どちらかと言えば『可愛い』だけれども、「そうだね」と答えた。
「僕からの親愛の気持ち……そうだね、友達だよって気持ちを込めて結んだんだ」
その瞬間、ツカサの目から大粒の涙が零れた。ボタボタと、止めどなく。
「ツカサくん!?」
「……う……う、お、ルイ……」
「どうしたんだい? 何か辛い事を思い出させてしまっ……」
勢い良く肩を掴まれた。鋭い爪が肌を掠めたが、痛いほどでは無い。けれども、肩を掴んだ手のひらは熱く、強かった。
「ルイ、オレ、ルイのともだちか?」
「当たり前だろう。僕らはもう友達で、仲間だ……と、僕は思っていたのだけれど……」
「ルイ、オレも、ルイガともだちだったら嬉シいと思っテた! ルイ、いるとたのしい。ルイ、ずっとイっしょにイたい……」
涙は止まらない。
「……? 来られる時は毎日来るよ。僕も、ツカサくんと過ごすのが毎日楽しくて仕方無いんだ。
仲間とショーをするのがこんなに楽しいって、思い出させてくれたのはツカサくんなんだよ」
涙はまだ止まってはいなかったが、ツカサは笑っていた。満面の笑みで。
すっかり暗くなった頃に家へと帰ってきた。本当はもっとツカサの元に居たかったし、新年だってそこで迎えたいくらいだった。けれども行き先も告げずに出てきてしまった手前、そうするのは躊躇われた。
それに元日にやる事もそこまで多くは無い、明日また行けばいい。そう思って帰ってきたのだ。
大晦日と言えども、何をする訳でもない。ネギも入っていない年越しそばをすすり、それからいつも通りガレージへとやって来た。
そう言えばツカサが『鬼』だと言う事をしばらく意識していなかった。ずっと認識はしていたが、彼と過ごす時間があまりにも楽しくて、その辺りを調べようと思っていた事を忘れていたのだ。
何気なく検索して調べ始める。
確かに、あの辺りは鬼に纏わる伝説がいくつかあるらしい。その中には恐ろしい伝説もあれば、ほのぼのした人情ストーリーもあった。
(ツカサくんは、その頃の生き残りなのだろうか……)
何百年も、何千年もあの場所で傘回しをしていたのだろうか。それにしては着ているものも傘回しの道具も、そんなに古びて傷んでいるようには見えない。
そう言えばあの場所は……地図アプリで拡大して見る──そこには、類が通う場所とは似て非なる、小さな神社が写っていた。
「ごめん、少し出るよ。友達のところ」
両親にそれだけ言って、家を飛び出た。友達なんて居ないのは知っているはずだが、両親からは特段何も言われなかった。
大晦日の静かな夜を駆けた。路上駐車は多いが、歩く人は誰も居ない。コンビニの前にだって居なかった。本当に静かな、年末の夜だった。
類の胸の奥はざわざわと落ち着かない。
本当は分かっていた、何となく感じていた。
『ツカサくんは、この世のものでは無い』と。
住宅街から小道へ。そこから砂利道……いつもと何かが違う、どことなく明るい気がする。掻き分けて通ったあの鬱蒼とした木々が無い事に気付いたのは、ぴかぴかの鳥居を見つけた後だった。
ここ数日何度も通った古びた建物は、小綺麗な拝殿に。くすんだ砂利道は白玉砂利に。土地の広さこそ変わりないが、ツカサの居たあの空間とは違う。
類は、鳥居の前で立ち竦んだ。
ツカサの名を大声で叫びたかったし、泣き出したかった。けれどもただ呆然と、そこに立っていた。
「おや、こんな夜更けに参拝ですかな」
社務所から年配の男がひょいと顔を出す。神主……もしかしたら宮司かも知れない。
「二年参りするには、うちは何もないのですが……」
「あ、いえ、僕は……その……たまたま、寄っただけで……」
小道の奥にある神社にわざわざ『たまたま立ち寄る』なんてことがあるだろうか。苦しい言い訳だと思ったが、男はさほど気にしていないようだった。
「ああ、そうですか。何も出来ませんが、良かったらお参りして行ってください。建物外であれば見学して行っても構いませんし」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて……」
男が社務所の奥へ消えた後、神社内を歩いた。狭い神社のため、一周するのにもさほど時間は掛からないだろう。だがもしかしたら、ツカサは人間に怯えて隠れているだけなのかもしれない。その辺から『ルイ!』と名前を呼んで、出てくるかも知れない。そんな淡い期待を抱いてゆっくり歩いた。
走ったせいで滲み出てきた汗が、今は無慈悲に身体を冷やす。心に空いた穴の虚しさもあり、身震いする程の寒さを抑えることが出来ない。
『ルイ!』と呼ぶ声はしない。ぴいぴいと甘えるひよこも居ない。
古い建物があったはずのその場所の裏を見て、ようやく類の目に涙が滲んできた。確かにあったはずの毎日は夢だったようだ。類の願望が映し出した、儚い願い。ようやくそう認識した。
帰ろう。そう思って顔を上げた。
ふと見えた、拝殿裏の装飾、それは二本のツノを持ち、片側に布を巻いた鬼の彫刻だった。
──ルイ……
「……ツカサくん……?」
白い光に包まれる。いつの間にか、目の前にはひよこを抱いたツカサが立っていた。
「ツカサくん!!」
「ルイ、ごめんナ。オレはもうイかなきゃ」
「嫌だよ! もっとずっと、一緒にショーを……」
駆け寄って、掴もうとする。けれどもどんなに寄っても、光に包まれたツカサに触れる事はできない。
ツカサはツノに巻いたリボンを指差し、にっと明るい笑顔を見せた。
「ルイは、オレとともだちにナってくれた。笑顔にしテくれた。
だからオレ、イかなきゃ。オレを笑顔にしテくれて、ありがとう」
「僕も……僕もツカサくんに笑顔にしてもらったよ! だから……」
「ダから、ルイは、もっとたくさんのニンゲンを笑顔にできる。そうダろ?」
「…………え?」
光が強くなる。行ってしまうのだと、類にも分かった。
嫌だ、行かないで、僕を一人にしないで……っ!
心は叫んでいるのに、声には出ない。ただツカサとの日々が頭に流れて止まらない。傘を回す姿が、どうだ! と歌う姿が、隣で笑う姿が……。
──ルイ。いつか、ずっと一緒に『しょー』をしような。オレもニンゲンになって、ずっと、一緒に……──
気が付くと、先程の場所で座り込んでいた。立ち上がって歩き出す、とぼとぼと。
「おや、お帰りですか。何か面白いものはありましたかな?」
男がまた、ひょいと顔を出す。どうやら待っていてくれたらしい。
「ええ、とても興味深く拝見させていただきました。
あの、変な事をお聞きしますが……こちらの神社は、鬼を祀っていたりしますか? 鬼の彫刻のようなものがありましたので……」
男は驚いた様に目を丸くした。その顔はどことなくツカサに似ている。子孫というわけでは無いだろうが、土地の持つ不思議な力などがあるのかも知れない。
「よく見つけましたね。お察しの通り、この神社には、鬼に纏わる話があるのです」
「鬼に纏わる話、ですか?」
「ええ。お聞きになりますか?」
類は唾をごくりと飲んだ。
「ぜひ、お願いします」
返事を受けた男は、ゆっくり頷いてから口を開いた。
──昔、人間と仲良くなりたかった鬼が居ました。ですが、その友好の気持ちをなかなか理解されずに迫害されてしまいました。
石を投げる人間から逃げてきた鬼は、この神社にあった小さな建物に逃げ込みました。
ここは静かで、滅多に人も来ない。そのまま鬼は、数百年、この建物に姿を隠していました。
そんなある日、彼に友達ができました。それは一匹の鳥だったと伝わっています。鳥と鬼は、人間の忘れ物の傘と毬で、傘回しを練習して過ごしていたそうです。
そうして数千年過ごす内に、鬼は『人間とも友達になりたかった』という願いを残しながらも、やがて命を失ってしまいました。
人間が残した傘と毬、同じように寿命の尽きた、友達の鳥を抱いたまま……──
どうやって帰ってきたのかは良く覚えていない。静かなガレージに、除夜の鐘がゴーンと響く。
虚しくて、寂しくて……類の心は黒く染まっていく。もう誰も、友達なんて、仲間なんて望まない。こんな想いをするなら……こんな……──そう思っていた時、瞼の裏にツカサの顔が浮かんだ。
『ダから、ルイは、もっとたくさんのニンゲンを笑顔にできる。そうダろ?』
思い出したその言葉。類は椅子を思い切り引いて、立ち上がった。
僕は、もっと沢山の人間を笑顔にできる。ツカサがそう言ってくれたのだ。
誰でもない、大親友のツカサが。
それから類は、演出家への道を進んだ。その過程で信頼出来る仲間も得た。やりたい事も出来るようになった。
それでも時折、思う。
──いつかまた、ツカサとショーを出来たなら……。
この世界じゃなくても良い、どんな場所でも良い。別の次元でも良い。
どうか、僕ら二人とその仲間たちで、笑顔に溢れた素晴らしいショーが出来ますように──
・・・
神山高校の屋上で、司は本を閉じた。
「司くん、何を読んでいたんだい?」
覗き込んできた類に、本の表紙を見せる。
「鬼の伝説の物語だ。先日のショーから、鬼の話が気になってしまってな」
「ああ、その本なら僕も読んだよ。鬼と人間が曲芸を通じて友達になる話だね」
「おおそうだ! ん? まさか、昨日まで借りていたのは類だったか」
「ふふ、お互い『鬼』に興味を引かれてしまったようだね。
ちなみにもう読み終えたのかい?」
「ああ、今さっきな。
……良い終わり方ではあるが……やはり少し悲しいものがあったな」
司が眉を下げると、類はその顔を見て、優しく微笑む。
「……司くんなら、どんな結末にしたいと思うんだい?」
「そうだな、オレなら……やはり、鬼を連れ出して人間に紹介し、大勢の前で素晴らしいショーをする!
その結果、主人公の男だけでは無く、もっと多くの人間が笑顔になる。その笑顔の力が鬼を人間に変え……こうして二人と鳥は、ずーっと仲良くショーをしました──こんな感じだろうか」
「とても司くんらしいね。
でもそうだね、もし僕らがこれをショーにするなら、そんな結末が似合っているかも知れないね」
「そうだろう、そうだろう!
覚える曲芸も、もっと派手なものに……そうだな、例えばこのシーンで……──」
二人は身を寄せ合い、鬼の物語のショーについて話し出した。
からりと晴れた冬の空が、そんな二人を見守っていた。
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