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みすず
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ザーメンズマンション
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村椿と鏑木さん
お酒。
年始も程々に過ぎた頃、仕事を終えた村椿はモールをぶらりと歩いていた。
新春を迎えたとはいえまだまだ頬を撫でる空気は冷たく、手袋を嵌めていない指先は痛むほど。これは早く店に入って食事をしたほうがいいと考えて歩いているのだが、今日はこれと決まった気分にならない。
村椿がむむっと悩み顔でいると、雑踏の向こうにふと見知った顔がある。暗い赤髪に眉を少し寄せて前方を睨み据えているかのような眼差し、端正な顔立ちは男性的で、高い身長は雑踏のなかで頭一つ抜けながら目立っている。
「鏑木先生!」
咄嗟に笑って駆け寄った村椿に、常の白衣を脱いだ鏑木が呆れたように短く息を吐く。
「おう。なんだよ」
「お姿を見つけたのでつい
……
すみません、お忙しかったですか」
「いや
……
久し振りに呑みにでも行こうと思ってたところだ」
「行くか?」とお誘いをいただいて、村椿は「是非」と笑顔で頷く。
白衣姿ではない鏑木はすらりと背が高く均整の取れた体型が際立ち、一見するとお医者様という印象が薄いが理知的な目は滅菌室に似た鋭さも持っており、肩書きを告げれば納得されることだろう。残念ながら目の下の隈は今日も健在だが足取りはしっかりと力強く、村椿は先程までよりも速い歩調で鏑木と並び歩いた。
「以前、連れて行っていただいたお店ですか?」
「別のとこ。同じ場所ばっかでもつまらないだろ」
そんなことはないけれど、と思いながらも、村椿は鏑木の連れて行ってくれる店を楽しみにする。前回の店は落ち着いた雰囲気で、静かに流れるジャズが耳に心地良かった。扱う酒も上等なものが多いようで、ワンフィンガー注がれたウイスキーを飲む鏑木が大層絵になったのを村椿は覚えている。
迷いのない足取りで鏑木は路地に入った。片側が煉瓦風になった建物には行き先を案内するように蔦が這っていて、丁度それが途切れるところにか細い灯りのかかるドアがある。黒くのっぺりとしたドアの重厚な金属ノブを回し、鏑木が「ん」と村椿を顎でしゃくった。
鏑木がなかに入り、閉じかけたドアを慌てて開いた村椿はふっと感じる暖かい温度に肩の力を抜く。寒さに緊張していた体が弛緩しているところへ鏑木が「こっち」と短く言いながらカウンターへ座るので、村椿も彼の隣へと腰掛けた。
店内は薄暗い。棚やカウンターに等間隔で並ぶアルコールランプが時折揺れては店内の隅に踊る影を作っており、鏑木の横顔も陰影がくっきりして見えた。
「俺の顔見てそんなに楽しいか」
「俳優名鑑に載っていそうだなと思うので、それなりに」
鏑木が「は!」と短く笑う。目を伏せながら笑う口へ持っていった細巻きの煙草。村椿はSugar以外の煙草を知らないので銘柄は分からないが、細く吐き出された紫煙はバニラに似た香りがした。
「なに飲む」
「鏑木先生のおすすめでもいいですか」
「お前、ワインばっか飲んでそうなのにそういうの飲まねえよな」
村椿は苦笑する。以前、普段はどんなものを飲んでいるかと問われてビールや酎ハイと答えたところ、鏑木は西洋風に片眉を上げていた。
「飲まないわけじゃないんですよ。ワイナリーへの見学は定番ですし、気に入ったものがあれば買いますが
……
」
「買う割に飲まねえって?」
「そうですね。結局、ひとに差し上げることが多いです」
「勿体ねえ話だ」
そう言うなら今度は鏑木にも土産に買って来ようかと村椿は考え、渡す機会がないかと考えを改める。今日、こうして並んでいるのは偶然で、普段の鏑木は病院にいる。まさか、病院に酒を差し入れるわけにはいかないだろう。気軽に会えるくらい親しくなれればと思う気持ちもあるが、同時に目の下に隈を作るほど忙しい鏑木にはその時間を休息に充ててほしいとも思う。
鏑木は「なににしますか」と低い声で訊くバーテンダーに、棚へ並ぶ瓶の一つを指差した。真っ黒な細長い瓶は、鏑木の印象にも重なる。
グラスにツーフィンガーずつ注がれた琥珀色。鏑木は乾杯とも言わずに口をつけたので、村椿も続いてひと口飲む。
すっと舌から広がるピート香。他で知らないほどのスモーキーさからは意外なほどの甘さ。初めて飲む味わいに村椿は素直に「美味しいです」と呟いていた。
「そりゃ良かったな」
「鏑木先生はこういうスモーキーなお酒がお好きですか?」
「他にも飲むが、美味いだろ」
村椿は頷き、胸を灼くアルコールにちびちびと少しずつグラスを傾けた。
「最近はやんちゃしてないのか」
咽せた。
きついアルコールで盛大に咳き込んでいると鏑木先生が「なにやってんだよ
……
」と理不尽に呆れた声を出すものだから、流石に村椿も恨めしい目を向けてしまう。
「っ
……
先生がいきなり変なことを仰るからでしょう」
「真面目な話だろうが」
患者の体のことだぞ、と続けられれば確かにご尤もと頷くしかなく、村椿は納得できない気持ちで眉を寄せる。その顔が面白かったのか、鏑木先生が口角を僅かに上げるので、村椿は気の利くバーテンダーが差し出してくれた水を飲むことで顔を隠した。
「実際、年明けではしゃぐ奴は多いんだよ」
「
……
そうですか。ぼくは年末年始のツアーには同行しなかったので」
「媚薬キメる機会もなかったってか」
「
……
はい」
主治医との会話ってつらいなあ、と村椿が目をしょぼしょぼさせている間に、鏑木は別の酒を注文する。
「鏑木先生はお強いですね」
「お前が酔っても置いて行くからな」
「せめてタクシーを呼んでください」
「そこで安易に酔わないって言わないところは褒めてやるよ」
火をつけられた二本目の煙草。
紫煙を目で追いながら飲んでいるうちに村椿のグラスも空になり、また鏑木と同じものを注文する。
その日はそれなりに酒が進み、店を出る頃には村椿は体がふわふわとする心地がしており、鏑木からは何度目かの呆れたような視線を向けられていた。
「鏑木先生
……
」
「なんだよ。俺は帰るぞ」
「はい
……
あの、今年もお世話になります」
路地を出てぺこりと下げた村椿の頭にのしっと乗る鏑木の手。
「早々、医者の世話になるんじゃねえよ」
離れて行った手はそのままひらひらと雑に振られ、鏑木は雑踏のなかへ進んでいく。
その背中を見送りながら村椿は「格好いいなあ」と呟き、自分も行きよりも乱れた歩調で歩きだした。
帰り道で見事にすっ転び、翌日鏑木大先生のお世話になるとはちっとも思わないままに──
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