景生
1825文字
Public 花足
 

吉凶

※出所後同棲


 寒空の中、人垣をかきわけた。除夜の鐘が鳴り響き、境内は賑わっている。周囲の人々は口々に言う。「あけましておめでとう」。新年を祝う挨拶の声が、あちらこちらから聞こえる。足立は歩きながら、ふと思い出していた。自分がもう何年も、その言葉を口にしていないことを。自分自身という存在が、それを口にする意義に欠けていることを。足立は目の前の、花村の手に引かれながら(この子は何で僕と初詣なんかに)と懸念を抱えていた。二人にとっての年末年始は毎年、特別なことはせず、ただ経過するだけの日付だった。年越しの瞬間は起きていることもあれば、寝ていることもある。だというのに今年は例外で、真夜中から早々に参拝に向かっている。それを不思議に思いつつも、足立は花村に理由を訊ねることはしなかった。代わりに「寒いね」と足早に進む彼の背中に声を掛ける。「寒い」周囲の灯篭にぼんやりと照らされた白い息が、視界に霞み掛かった。花村の視線がちらりと足立を覗くものの、交わされる前にすぐに戻される。それきり彼は振り向かない。足立は腕を引かれたまま、賑やかな人混みを突き進んだ。
 
 参拝を早々に済ませた。その帰り、境内にある数段の石段で足立が躓いた。大した段差ではないのに派手に転んでしまい、その出来事は周囲の人々の目を引いた。心配そうな声がどこからともなく聞こえてくる。ただ不運な人を憐れむような、そんな些細な出来事であったが、足立の耳にはそれが次第に、後ろ暗い囁きとして変化していった。ひそひそと。「八十稲羽の」ひそひそと。「昔、テレビで」静かに聞こえてくる。「元警察官の」「連続殺人犯」。突き付けられる単語に、後ろ指を差されるような気配がする。本当にそんな声がしていたのかどうか分からない。ただ中には、足立の顔を見て気付いた者が居るかもしれない。そういう可能性は常に付き纏っていた。人通りの多い場所で騒ぎを起こしたくなかった足立はすぐに立ち上がると、今度は自分が花村の腕を引いた。平気かと訊ねてくる彼に大丈夫だと伝えて、車を停めた駐車場に促した。
 しかし花村はそれを拒む。「もう帰るのか」花村は足立の腕を掴み返すと「まだ、おみくじ引いてねえだろ」そう言いながら、別の方向へ軽く手を引いた。段差にぶつけた足立の足が気になっているのか、視線は下を向いている。「怪我。してるんなら帰るけど」
 怪我は無かった。足立は早く家に帰りたい気分だったが、しかしそれを理由に嘘を吐く気にはなれなかった。おみくじを引くだけならばと、込み上げてくる不快感を飲み込んで、溜め息を溢す。「良いよ、うん」体調を誤魔化しながら、花村の誘いに頷いた。そうしてまたしても、花村に先導されながら大勢の参拝者の隙間を抜けていく。道中、目まぐるしく過ぎ去っていくのは老若男女の表情。嬉々とした声が、笑い声が、ずきずきと足立の頭に響いてくる。新年を迎えた人々の感情は、しつこく肌に纏わり付いてくるようで、それは次第に胸焼けとなって徐々に足立を蝕んでいった。やけに気分が悪いのは、自分が人混みに酔ってしまっていたのだと、おみくじを引いてから足立は気付いた。
 顔色を悪くしながら、足立は手元の紙を見つめた。まだ中身を確認しないままで立ち尽くしていると、隣に居た花村が「俺、吉だった」と報告してきた。「あんたは?」
 足立は彼の視線に促されるように、紙を開いた。覗き込んできた花村が、それを見て「凶」と口に出す。占いを信じない足立であったが、それは妥当な結果だと思った。
「はは」花村は笑い出す。「だろうな」
 どこか満足そうな声だった。「俺が結んどいてやるよ」彼はそう言って、読み終わらない内に足立の手からくじを奪ったが、足立は中身に興味が無かったので気にしなかった。
 花村は吉と凶の紙を重ねた。細長く折ると、それをおみくじ掛けに縛った。振り向いた彼は寒さに身を縮こませている。上着のポケットに片手を突っ込んだ。「帰ろうぜ」
 戻って来た彼の左手に優しく背中を押される。その最中、具合が悪いのだろうと花村に言い当てられて、足立は返事に戸惑った。視線を逸らして、この寒さのせいだろうと適当に答える。耳に聞こえるあの気配はいつの間にか消えていたが、言い知れない不快感は残っていた。
「あんたは神様に歓迎されてない」
 花村はそう言って、足立の肩を抱き寄せた。彼はまるで喜ぶかのように、微かに唇を綻ばせていた。