史加
2026-01-06 19:24:32
3868文字
Public 原神(ルカキリ)
 

そうして手探りにつけられた傷こそが

ルカキリ/最初で最後の恋を思うふたりの話

※しれっと事後



 人間、生きていれば何が起こるかわからないものだ。
 色恋なんてものは自分には無縁だとファルカは思っていた。なにせ親友は故郷の神様で、交友関係の中には魔女が含まれている。西風騎士団大団長という肩書きは見た目だけならきらびやかで、たいそう価値のあるものに見えるのだろう。地位と名誉欲しさに近寄ってくる貴族の女は後を絶たず、頭のお堅いご老人たちはファルカの優秀な遺伝子を後世にも残すべきだのなんだのと言ってしょっちゅう見合い話を持ってくるが、どいつもこいつも覚悟というものが足りていない。最初のうちはのらりくらりとかわしていたが、そうしているとチャンスがあると思われて延々と話を持ちかけられ続ける。
 なのであるとききっぱりと自らの立場を重みのある言葉であらわした。己が個よりも国を選んだとしても文句のひとつも言わないどころか、もし己がそうしないことを選ぼうとしたら叱り飛ばしてくれるくらいの覚悟のある者でなければ選べないと明言したところ、見合いの話はぱったりと止んだ。近付いてくる女もいなくなった。当然だ。誰だって誰かの特別になりたいのだから、自分を特別にすることなく国と心中しろなんて言える覚悟をおいそれと抱けるはずがない。
 ファルカ自身、見目の良い女性を前にきれいだと思うことはあっても、それ以上の感情を抱くことは一度もなかった。花や宝石を美しいと思うのと同じように整ったものだと思うだけで、そこから愛だの恋だのといった感情が生まれたためしはなかった。大切なのはモンドであり、そこに住まう人々の平和と幸福である。それで十分だし、年老いるまでそんな自分が変わることはないのだろうとすら思っていた。
「そう思ってたんだがなぁ……
 呟きは朝ぼらけの空気の中に溶けて消える。ナシャタウンの早朝は寒い。クーヴァキで動く暖房器具のスイッチを入れて、それから先ほどまで身を横たえていたベッドを見る。白いシーツの上に夜の名残のような竜胆色の髪が散らばり、ほんとうにかすかな、気配に敏感な者にしかわからないくらいの寝息が聞こえるのに、胸の奥がむずがゆくなった。
 ファルカはけっして、冷えきった夜は人肌が恋しくて眠れない、なんてかわいらしいことを思うような歳ではない。目の前で無防備を晒している相手はファルカよりも長く生きている存在なので言わずもがなだ。そんな互いが夜に温もりを分かち合い、ともに朝を迎えている。そんな現実を前に、どうにも落ち着かない気持ちになるのはしかたのないことだろう。
 率直に言うなら、想定外だったのだ。
 まさか自分の中に誰かを特別に大切にしたいという感情が生まれるのも、特定のひとりを美しいと思ったあとに隣にいて欲しいという願いが続いたのも、出来ることなら自分の手で笑わせてやりたいなどと思ったことも。
 この歳になってなんとまあ初々しい感情を抱いているのかと恥ずかしくなる。ティーンだってもっとどろどろと成熟した欲望を抱くだろうに。けれど正真正銘はじめて特定の誰かに心惹かれる経験をしたファルカにとって、己の胸に浮かぶ思いはすべて取り繕いようのない本物だ。だからこそ悩ましいし、なにひとつ誤魔化さず真剣に向き合いたいと願ってやまない。
……視線がうるさいですね」
 そんなファルカの心など露知らず、かわいげのないことを言ってフリンズが目を覚ます。否、本当ならランプの中に入って身体を休めるだけで十分だという存在が、こうしてファルカに倣いひとの姿のままひとと同じように一夜をともにしてくれているだけでかわいらしくてしかたないのだが。ともあれ緩慢な動きで起き上がった彼の、まだどこかとろりと眠たげな金糸雀色の双眸がファルカを見つめた。
「おはようございます、ファルカさん。こんな朝から悩み事ですか?」
 すっと伸びた白い人差し指がファルカの眉間に触れる。ひんやりと冷たいそれをファルカは己の手で優しく握り込んで下ろした。
「まあな。お前のことを考えてた」
「またですか。適当でいいと言っているのに」
「そういう訳にはいかないだろ」
「真剣に考えれば考えるほどあなたが苦しむだけですよ。それとも僕を怒らせてみたいのですか?」
「お前が本気で怒ったときの表情は正直気になるな。だが、そうさせるつもりはないさ」
 他愛のない、とは言えないが、ふたりにとっては最早慣れた言葉の応酬を交わす。フリンズは完全に目が覚めてしまったらしく、ぱっとファルカの手をほどき、ベッドから立ち上がった。
 シャツの裾から伸びるすらりとした白い脚はしかと床板を踏みしめてその体重を支える。昨晩脱いだあと適当に畳んでおいたスラックスを履く間も危うげなど感じさせない。だが、いつもよりも開いているシャツの襟元からのぞく首筋には紅い華がひとつ、鮮やかに咲いている。色が白いのも困りものだ。たったの一輪でさえおそろしく映えてしまうのだから。
「人間は「そういう」友人関係を結ぶこともあるのでしょう。僕は別にそれでもかまわないんですよ」
「お前がかまわなくても俺がかまう。だいたいお前は俺のことが好きなんだろう?」
「ええ、もちろん。あなた以外の人間があなたと同じように僕に触れることなど許すはずもありません」
「それは俺も一緒だ。だから大切にしたい」
……僕を怒らせたいのだとしか思えませんね」
 身なりを整えながらため息をつくという器用なことをするフリンズに、やっぱり難しいもんだなとファルカも内心嘆息する。なにせ誰かを特別に想うなんて生まれてこのかた初めてで、経験値はゼロなのだ。しかも相手は人間ではなくスネージナヤの妖精ときた。ただでさえファルカの持つ肩書きが他者と紡ぐ未来に大きな影響を与えるというのに、相手がひとならざるもので寿命も違うとなると、問題は山積みである。
 ほぼ確実に置いていくことになる相手に何を残してやれるのか。ともにいられる時間にどれだけのことをしてやれるのか。そもそも自分はフリンズと何をしたいのか。それはフリンズを傷付ける行為ではないのか。エトセトラ、エトセトラ。
……その見た目で脳筋ではないのがあなたの欠点ですね」
「おい、お前今確実に俺を馬鹿にしただろ」
「ティーンだってそこまで思い悩みませんよ」
「んなこた俺だってわかってる。けどな、」
 ふ、と至近距離で金色が揺らめく。光の当たり方によっては月のようにも、陽だまりのようにも見える美しいひとみに、ファルカだけが映っていた。
 唇に刻まれるやわらかな感触。ひとのそれよりも低いのに焼き付く体温。ふるりと夜色のまつげが震えるさまを、どうしようもなく美しいと思う。
……恋とはもっと身勝手なものでしょう。少なくとも僕は僕の勝手であなたを想い、こうしてともに過ごすことを選んでいるんです。だからあなたもそうしてください」
……フリンズ」
「あなたがいなくなったあとの世界での生き方を決めるのは僕ですから」
 ぴしゃりと言い放つ目の前の妖精は、おそらく嘘は言っていない。嘘は言っていないが――きっと、年長者らしく強がろうとはしている。
 ひとならざるものというのは皆、そうだ。ファルカの知る神も魔女も、ふとしたときに気丈に振る舞う。必ず訪れる離別がもたらす痛みを知りながら、それでも人間に好意を抱き続け、関わり合うことをやめずにいる彼らの心にはさみしさが巣食っていることを、ファルカは知っている。
 だから、おざなりになんて出来ないのだ。その強がりに甘えるばかりの身勝手を貫こうだなどと思わないのだ。どうせ身勝手を貫くのなら、強がらせないための身勝手がいい。
 一度は振りほどかれた手を取り、静かに引き寄せる。たいした力は入れていない。けれどフリンズは大人しくすっぽりとファルカの腕の中に収まった。それがすべての証左だった。
……ファルカさん」
 フリンズが静かにファルカを呼ぶ。
「そんなに心配しなくたって大丈夫ですよ。数百年でも、千年でも、寂しく思う覚悟は出来ています」
……もしも俺が、人の道から外れてでもお前と一緒に生きたいと言ったら?」
「ふふ、そんなファルカさんはきっと偽者ですから僕の手で殺して差し上げましょう」
「はは……ただでさえ一緒にいられる時間は短いんだ。ちょっとでも長生きするために、気合を入れないとな」
「そうしてください。あなたにはモンドのために生き、僕を置いていってもらわなくては。そうしてどうか僕のランプに傷をつけていってください。このランプが古銭や宝石と同じように、輝かしく価値のある歴史を刻む美しいものとなることを僕は楽しみにしています。……そうなれたらいいと、思っています」
 ファルカの背に回るフリンズの腕に力が込められた。胸元に顔を埋めた彼の背を優しく撫でて、やっちまったな、と内心反省する。
 特別に想うひとを大切にするのは途方もなく難しい。愛する故郷のためだけに生きるほうがよっぽど簡単で、こんなに頭を悩ませることも、自省することもなかっただろう。
 だからやはり、手は抜けない。雑に放ってしまおうとは思えない。手をかければかけるほどきっとフリンズを傷つける。だとしても、大切にしたい。
 大切に、大切に。傷付けないことは不可能だから、なるべく彼がいつか未来で愛おしく思える傷をつけるのだ。
 寂しさに寄り添うものが愛であると、ファルカのいない世界で彼が信じられるように。