村椿は自炊を殆どしない。料理をするのが苦手かというとそうでもない。米は炊けるし肉は焼けるし野菜を煮ることだってできる。味付けが極端ということもない。
だが、好きではない。面倒くさいのではない。自分の作った料理そのものが好きではないのだ。忌避しているといってもいいだろう。
それなのに村椿は現在、台所に立って包丁を用意している。その背中には後ろからひょい、と村椿の手元を覗き込む渡瀬。
モールで偶然にも渡瀬と会った村椿は時間が丁度良かったので彼を夕飯に誘ったのだが、行こうとしていた店が定休日であったり臨時休業であったりと閉まっており、必然的に台所へ立つことになったのだ。
「……ほんとうに食べるんですか?」
渡瀬には一度、料理を振る舞ったことがあるので、彼が他者の手料理を苦手としていないことは知っている。問題は村椿側だ。
「そこまで準備してるのに? 俺、結構お腹空いたんだけど」
「分かりました……では、味付けのときに手伝ってください」
「いいよ」
くす、と笑う渡瀬に少し気が抜けながら、村椿は冷蔵庫で冷やしていた玉葱の皮を剥いていく。
玉葱をどこまで剥けばいいか分からないなんてこともなく、ほどほどのところで手を止めた村椿は俎板の上に玉葱を固定して、危なげない手つきでくし切りにしていく。時折、俎板と包丁が重たくぶつかってしまうのは経験不足を窺わせるけれど、渡瀬も落ち着いて見ていることだし指が飛ぶのを心配されるような事態にはなっていない。玉葱は無事、別のボウルへ移された。
「……それ、使うの?」
「苦手ですか? 三つ葉」
「三つ葉……?」
「お吸い物とか茶碗蒸しにも入っていると思いますけど」
「ああ……これなんだ。それなら、ううん……ぎりぎり野菜……?」
やや難しそうな顔つきになる渡瀬は、恐らく野菜が好きではないのだろう。村椿の家の冷蔵庫は食材という食材がほぼないため、渡瀬と共にスーパーへ寄っていたのだが、村椿が徐に取ろうとしたピーマンは彼のぎゅっと寄せられた眉と、村椿の袖を掴んで引く仕草によって棚へと戻されたのを思い出す。そうでなければピーマンの肉詰め辺りを作っていたのだが、冗談めかして伝えたら渡瀬は普段の彼からは意外なほどはっきりとした表情を浮かべていた。「嫌」という表情だった。
「っふふ」
「どうしたの?」
「いえ……思い出し笑いです」
「ふうん……楽しいこと?」
「そうですね。ふふ、そう」
村椿が笑い声を抑えようとしていると、立ち上る紫煙のようにゆったりとした仕草で渡瀬が顔を覗き込んでくる。
「なに思い出したの」
じ、と猫のような目。
一秒、二秒と呼吸を数える。
教えない。
いつかを思ってそう言おうかとも思ったが、色素の薄い渡瀬の目に映る自身を見た村椿は別の言葉を引き連れながら口を開く。
「葵さんのこと」
「……そう。俺のどんなこと?」
「可愛らしいところ」
ふ、と軽く笑い、渡瀬が「なにそれ」と言いながら身を離した。
村椿はこれ以上追求されなくて良かったという気持ちと、ほんの僅か開いた距離に寂しく思うのとで一瞬唇を結び、それから何事もなかったように鶏肉を切り始める。今日は親子丼だ。
鶏肉を切り終え、水を張ったフライパンに火をつけたところで村椿は渡瀬に声をかける。
「味付けお願いします」
「俺もよく分かんないよ?」
「砂糖だけでいいので」
以前の会話で渡瀬が料理をしないというのを聞いていたので、出汁は既に入れてある。あとから醤油も味醂も足すつもりだ。したくは、ないけれど。
「そこまでするなら砂糖も変わんなくない?」
「……変わるんですよ」
「そ?」
不思議そうに首を傾げてから、渡瀬はフライパンを見て如何にも目分量というように砂糖をざっと入れた。やや豪快な手つきに村椿は微笑む。
自分ではしない、できないやり方だと思った。だから、良かった。
渡瀬と場所を変わって親子丼作りの続きをして、合間あいまに他愛のない会話をする。広場で時々見かけるふわふわの四つ耳をした生き物のこと、今日行き損ねた店にあるおすすめのメニュー、Sugarがそろそろ切れそうなので買いに行きたいと思っていること。
親子丼の最後の工程は簡単且つ早い。卵が半熟のうちに炊き立てご飯に盛れば親子丼は出来上がりで、テーブルまで持っていけばあとは手を合わせて食べるだけ。尚、普段滅多に料理をしない村椿の家には盆というものも碌に存在しないため、それぞれに丼を持って行った。
「いただきます」
「……いただきます」
渡瀬が食べ始めるのを見てから、村椿も箸を取る。
自分の作った親子丼。普段であれば食べたくない。
だって、と思いつつ口に運びかけたとき、渡瀬がなんてことのないように言う。
「美味しいね」
端的な言葉だからか、村椿の胸にすっと染み入る。
間を置いてからやっと食べた親子丼は確かに美味しかった。
それは、そうだ。だって、だってこれは村椿が一人で作ったものではない。砂糖だけとはいえ、渡瀬が味付けをしてくれた。大雑把に入れられた砂糖は少しだけ甘味が強く出ている。
とろりとした卵、シャキシャキ感の残る玉ねぎにほろりと崩れる鶏肉。三つ葉がふうわりと香って、炊き立ての米には鶏肉の脂が絡む出汁がじゅわりと染み込んでいる。
美味しいと思った。美味しいと思えた。
「京ってさ」
「え、はい。なんですか?」
無言で咀嚼しているときに話しかけられ、村椿は慌てて嚥下してから渡瀬のほうを見る。
ちろりと唇を赤い舌で舐めた渡瀬はもう一度「京ってさ」と言うと、宙に浮かぶなにかを追いかけるように視線を上に向けながら続ける。
「あんまり料理しないんでしょ。出汁とか味醂とか買ってたし」
「……はい。そうですね」
「でも、結構上手いよね」
なのに苦手? と問う渡瀬の目が村椿へ向けられる。
気遣うようでも言い難そうにするでもなく、渡瀬の温度は常と変わらない。なんならもうひと口親子丼を食べている。
「……味気ないんですよね」
丼をテーブルに置いて、村椿は熱に赤くなった手のひらを見つめる。
「ぼくの作る料理ってなんの特徴もないんです。味覚は正常です。美味しいと思うものも不味いと思うものもある」
でも、自分の作るものにはなんの個性も反映されない。
「自分で作るものなんて好きに味付けできるのに、そういうものが全く出てこない」
「それが嫌?」
「嫌ですね。だけど、今日は美味しいです。葵さんの手がかかっていますから」
「砂糖入れただけなんだけどね。折角作ってもらったし、京が美味しいならいいんだけど」
ところでさ、と話を変える口振りになった渡瀬がぎゅっと眉を寄せる。
楽しくもない話をしてしまったからかと内心慌てた村椿へ差し出される丼。
「三つ葉、引き取ってくれない……? 春菊と同類の味がする……」
ぐっと曲げられた渡瀬の口端を見て、村椿は失笑してしまった。くつくつと笑い声を上げながら肩を揺らし、震えそうになる箸で渡瀬の丼から三つ葉を引き取っていく。
「ふふ、ふ……すみません」
「京はその葉っぱ好きなの?」
「結構好きですよ。春菊っぽいと思ったこともないですし」
「……それならさ」
「はい?」
つい、と渡瀬の細い指が村椿の丼へ向けられる。照明に指輪が鈍く光った。
「それも個性出たってことにならない? 好きなものが丼に増えたってことでしょ」
ぱちりとまばたきをして、村椿は自身の丼と渡瀬の丼を見比べる。
三つ葉の乗らない丼と、三つ葉がやたらと乗っている丼。無個性とはいえない、特徴のある親子丼。
「京が料理作ってくれるときはさ、俺が個性つけてあげる」
目の動きの少ない微笑を浮かべる渡瀬にく、と喉の奥がつかえたような心地になった村椿は、次いで苦笑を浮かべる。
「葵さん、野菜を引き取らせる気でしょう。それなら味付けのほうをお願いします」
「なんだ、バレちゃった」
悪びれることなく笑いながら親子丼を再び食べ始めた渡瀬につられ、村椿も再び丼へ箸をつける。
三つ葉のたっぷり乗った親子丼は先程よりもずっと美味しかった。自分一人で作るよりも、自分一人で食べるよりも、ずっと、ずっと。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.