ひらひらと降り注ぐ白いかけら。紙吹雪でも落ちてきたのかと顔を上げたネイスは、鼻先に落ちたそれが存外に冷たくて、思わず長い耳をピンと真っ直ぐに伸ばす。
空には、一面に鈍色の曇り空が広がっている。今にも雨でも降り出しそうな重たい雲からは、雨ではなく白のかけらが花びらのように落ちてきていた。掌に触れれば、かけらはあっという間に溶けて、水となって消えていく。
「レレム、これは何だ」
「雪ですね。この時期の黒衣森は雪が降るんですよ、ネイスさん」
ネイスの足元を歩いていたララフェル族の少女――レレムは、大きな空色の瞳をぱちくりとさせて答える。
もし彼女の両手が空いていたなら、身振り手振りで雪とは何かをネイスに伝えてくれただろう。しかし、あいにくネイスもレレムも現在は両手が塞がっていた。
彼らの手を塞いでいるのは、スパイスや果物、バターが詰め込まれた木箱だ。二人は今、グリダニアの冒険者ギルドの依頼により、ウルダハより食材を運んできたところなのである。
「雪が降ってきたなら、ますます急がないといけませんね。星芒祭マーケットが開かれている場所はわかりますか?」
「うん。地図を見て覚えておいた。こっちだ」
グリダニアへの訪問自体は初めてではない。見覚えのある通りを抜けて、普段はがらんとした広場に続く通り道を抜けた、その先。
「……すごい。別の世界みたいだ」
感嘆の吐息が、ネイスから漏れる。
そこには、星と光の世界が広がっていた。
「わあ……! すごく綺麗ですね、ネイスさん!」
重たい荷物の存在を忘れ、レレムはその場でぴょんぴょん跳ねる。
彼女が興奮するのも無理はない。星芒祭の時期になると、各都市では飾り付けをすることを知っているネイスであっても、ここまで豪華な装飾やツリーが用意されているのは初めて目にした。
金銀の装飾は、昼間であっても広場に星芒祭という輝きを添えている。主役であるスターライトツリーにはとびきり大きな星が飾られ、銀色に輝く垂れ幕が一足早い流星群のように空を横断していた。あちこちにプレゼントを模したカラフルな箱たちが積み上げられており、飾りであると分かっていても胸がわくわくする。
「これが、星芒祭マーケットなのか。随分と沢山飾り付けをするんだな」
「わたしも、こんなに華やかな飾りは初めて見ました。ウルダハよりもずっときらきらしていますね!」
星芒祭の時期になると、リムサ・ロミンサやウルダハでも星芒祭特有の星飾りやカラフルな布飾りを吊す。
しかし、星芒祭発祥の地であるイシュガルドに近いグリダニアは、やはり本場として一段気合いの入れ方が違うようだ。
「でも、ウルダハの星芒祭だって、国際市場の通りが賑やかになる。呼び声が賑やかで、ネイスは嫌いじゃない」
「あれは、スターライトセールに腕まくりしている商人たちが張り切ってるだけじゃないですか。やれくじ引きやら、宝くじやらで人を呼び込んで、少しばかり安くした品を売りつけようって魂胆が見え見えです」
レレムの言葉は手厳しいが、ネイスは商人たちの欲と気合が渦巻くスターライト商戦も嫌いではなかった。
もっとも、ネイスはいつも商人に引き込まれて、うっかり買い物をしてしまう側なので、レレムとしては気が気ではないのだろう。
対するグリダニアの星芒祭マーケットは、活気こそウルダハのそれに劣るものの、素朴な風合いの土産物やグリダニアの特産品が屋台に並べられていて、手に取りやすい温かな空気を漂わせている。屋台を眺めているだけでも楽しいと、ネイスが頬を緩ませていると、
「おーい、冒険者さんたちー。その荷物はこっちだよー」
自分たちを呼ぶ声に気がつき、ネイスとレレムはマーケットに誘われていた足取りの軌道修正を行う。二人を呼んだ青年のそばには、ネイスたちが運んでいるのと同じような木箱が山と積まれた屋台があった。
「これ、たしか食材が入っているんだったな」
「きっと、温まる食べ物か飲み物を提供する屋台なのでしょう。どれだけ飾りが素敵でも、寒いことには変わりありませんから」
レレムの言葉を肯定するかのように、ぴゅうと冷たい風が吹き寄せ、ネイスは長く伸ばした耳をぺったりと頭に貼り付ける。
ウルダハの乾燥した気候と照りつける日差しに慣れた二人にとって、黒衣森の冬は常よりも冷たく感じられた。首に巻いたマフラーに顔を半ば埋めながら、二人は屋台へと近づく。
「遠くからわざわざありがとうね。重かったでしょう?」
「これぐらいは平気だ。まだまだ運べる」
「そう? だったら、残りの荷物がないか、後でミューヌさんに確認しておいてもらえるかしら」
木箱を受け取った依頼主は、話しながらもてきぱきと伝票と箱の中身を確認していた。
元はといえば、この依頼は星芒祭の実行委員会がグリダニアの冒険者ギルドに発注し、グリダニアのギルドから更にウルダハのギルドに委託されたものだった。
ネイスが世話になっている冒険者グループがこの依頼を引き受け、かくしてネイスはレレムと共に食材運搬の護衛と搬送の任務に就くことになったのである。
依頼主から検品完了の捺印をギルドの契約書に捺してもらい、これをウルダハの冒険者ギルドに見せれば依頼は完遂だ。追加の依頼については、帰りの飛行艇に向かう途中で確認すればいいだろう。
ひとまず、文字通りの意味でも肩の荷が降りたと、ネイスがレレムと顔を見合わせていると、ふと芳しい香りが二人の鼻を掠めた。
「これは……果物の香りでしょうか。ワインとも違いますし、ジュースにしては少し濃いような……?」
首を傾げるレレムを連れて、ネイスは荷物を渡した屋台の表側へと回る。そこには大きな鍋が三つも据えられ、中から芳醇な甘酸っぱい香りをもたらしていた。
「これは何だ、レレム」
「中身を見る限り、サングリアに似た材料を使ってますね。こっちは……オレンジを入れているのでしょうか」
レレムが見やすいように、ネイスは彼女を抱え上げて鍋の中を覗かせる。しかし敏腕シェフのレレムでも、この鍋の中身はすぐにはわからなかったらしい。
「おや、先ほど荷物を運んできてくれた冒険者さんたちだねぇ。帰る前に一杯、どうかなあ? とーってもおいしいよお」
二人が鍋を覗いていると、店員らしきエレゼン族の青年が、のんびりとした口調で二人に話しかけた。
星芒祭の伝説に則り、聖人の従者を示す赤を基調とした装いが、ゆったりとした彼の物言いと絶妙に噛み合っている。
「これは、何という飲み物なんだ。ネイスたちは酒は飲めないから、酒だと困る」
お祝いには酒がつきものだと、ここ最近の付き合いで理解していたネイスは、慎重に尋ねる。先日、そうと知らずに酒を口にして、翌日ひどい頭痛に見舞われたことがあったのだ。
青年は、ゆっくりと首を横に振り、
「お酒じゃないよお。これは、キンダープンシュっていう、あったかい飲み物なんだぁ」
「キンダープンシュ?」
「うーん……果物とかスパイスを入れてぐつぐつ温めた飲み物って言ったら、わかるかなあ」
「なるほど、キンダープンシュだったんですね! 懐かしいですね。小さい頃、わたしもよく飲みました」
嬉しそうに足をパタパタさせるレレム。しかし、ネイスは長い耳を数度ピクリとさせ、首を傾げていた。
「ネイスさんは飲んだことはありませんか? 黒衣森のキンダープンシュは、フェアリーアップルをたっぷり使った甘酸っぱい飲み物なんですよ」
「それは飲んだことはない。果物を煮るのか?」
ネイスが覗いた鍋の中では、オレンジの輪切りが浮いたり沈んだりを繰り返していた。他にも、レレムが言うように林檎のを切ったものがぷかぷかしているものもある。
「果物とスパイスを一緒に煮込むんです。たまに、味付けで違う食材を混ぜることもありますね。ウルダハなら、紅茶の中に混ぜて煮込むこともあるんじゃないでしょうか」
「ああ、たまにミレが飲んでるような」
自分の冒険者仲間であるロスガル族の男性を思い出すネイス。彼のティータイムには、ネイスの知らない飲み物が度々登場していた。
「それなら、ネイスも飲んだことがあるかもしれない」
「ネイスさんが飲んだことがあるものなら、ウルダハ風のキンダープンシュでしょうか。バターが入ってるものは、濃厚で美味しいと聞きますよ」
話しながらも、レレムは青年から森都風のキンダープンシュを注いでもらっていた。林檎を入れて煮込んだそれは、レレムにとっては故郷の味だ。
「そちらのお兄さんは、砂都風のがいいかな?」
そう言われて、ネイスはウルダハ風の味付けのものに視線をやる。ふわりと漂ってくる紅茶とスパイスを混ぜたような香りは、ネイスにとって仲間に繋がる匂いでもあった。
だが、その隣にある鍋の香りにもう一度鼻をひくつかせ――ネイスは、小さく息をのむ。
「ネイスは、これがいい」
「ネイスさん……? これは、リムサ・ロミンサ風の味付けのものではありませんか?」
驚くレレムを横目に、ネイスは海の都の絵が描かれたマグカップを受け取る。
オレンジの輪切りが入った鍋から注がれたキンダープンシュは、レレムのものとは違う、柑橘類独特の爽やかな匂いを漂わせていた。
「ネイスさん、そんなにオレンジが好きでしたっけ?」
「そう言うわけじゃない。多分……これがネイスが知っているキンダープンシュだから、これにした」
答えつつ、ネイスたちは近くの椅子に腰を下ろし、注いでもらったキンダープンシュを喉の奥に流し込む。温められた鍋から注がれたばかりのキンダープンシュは、鼻先すらも温めるほどに程よく熱く、冷えた体によく染み込んでいった。
レレムが林檎の甘酸っぱさに舌鼓を打っている頃、ネイスはオレンジの酸味に目を細めていた。半分ほど飲み終えてから、ネイスは深く息を吐き出す。
「……小さい頃、リムサ・ロミンサの近くに住んでいたことがあったんだ」
気がつけば、ネイスはレレムに話していなかった思い出話を唇に乗せていた。さながら、キンダープンシュがネイスを過去へと連れていったかのように。
「マスター……ネイスの師匠と一緒に、ネイスはエオルゼアに来たばかりの頃だった。ネイスは外から来たよそ者だったから、村の子供たちに馴染めなくて、よく喧嘩をしていた。そんな時、喧嘩の仲裁をしてくれた人が、これを……作ってくれたんだ」
ネイスには特別よ、と寒い日に渡してもらったカップの中身。マスターがなかなか帰ってこなくて、一人で寂しくて部屋の隅でじっとしていたとき、彼女が渡してくれたとっておきの飲み物。
それが、今のネイスの手元にあるキンダープンシュと繋がっていく。
「その人は、まだご存命なのですか?」
レレムの問いかけに、小さく頷く。
「でも、ネイスは……あの人に、酷いことをした。あの人も……ネイスに酷いことをした」
ネイスの表情から、単なる昔馴染みとは言い切れない相手なのだろうと、レレムも察してくれたらしい。
彼女との別れは、決して穏やかとは言えなかった。喧嘩別れなどという言葉では済まないほどに、互いが互いを傷つけあってしまった。
だから、思い出すことすら苦痛で、今までずっと思い出に蓋をしてきた。思い出したら、ネイスも彼女も傷つくだけだと分かっていたから。
けれども、キンダープンシュのオレンジが、こうしてゆっくりとネイスの重石を溶かしていく。
「……いつか、また会えるといいですね」
無難な言葉に込められたレレムの気遣いは、ネイスにも伝わっていた。
「ああ。……ネイスもまたいつか、会いたい」
今までは、思い出そうとしても、別れの直前に彼女が見せた、今にも泣き出しそうで、行き場のない感情をネイスに向けて叩きつけようとした、そんな顔しか浮かばなかった。
けれども、オレンジの酸味が混じったキンダープンシュを飲んでいると、彼女がネイスに飲み物を作ってくれた時の笑顔が、小さな灯りのようにネイスの中に浮かび上がっていた。
(……そうだった。彼女は、こんな顔もしていたんだ)
辛い別れのせいで塗りつぶしていたものが、少しずつ、幕を取り除くように見えてくる。それらが全て剥がれ落ちる日はなくとも、以前よりも日の当たる場所に、隠れていた思い出を連れていくことはできるだろう。
「そうだ、ネイスさん。キンダープンシュを飲み終わったら、お土産をみなさんに買っていきませんか?」
物思いに沈んでいると思ったのか、レレムが明るい声で提案する。彼女の心配りに、ネイスは今はありがたく乗ることにした。
「それなら、ネイスは木でできたスターライトツリーの飾りを買いたい。個室にツリーを置くことはできなくても、あれなら小さいから皆の部屋に置けそうだ」
「それはいいアイデアですね! わたしは、園芸師ギルドの方が作ったリースが良いと思いました。ツリーを丸ごと持っていけなくても、リースならウルダハにも持ち帰れますから」
「星芒祭の食べ物は持って帰れないか。あそこにあった大きなケーキは、皆が喜びそうだ」
ネイスが指さしたのは、食品を提供している屋台だった。一抱えもありそうなホールケーキに、ネイスは目を輝かせていたが、レレムは厳しい面持ちで首を横に振る。
「流石に生菓子は厳しいと思います。でも、焼き菓子は探してみましょうか。日持ちするものなら、皆で食べられますから。ケーキは、ここで食べてわたしが味を覚えて帰ります」
味を覚えるという口実の元、ちゃっかりケーキを食べようと企むレレム。幸い、レレムの小さな企みに、ネイスは気が付かず、大きく頷いていた。
「それなら、レレムにはこのキンダープンシュも作ってほしい」
「もちろんです。ネイスさんが飲んでいるオレンジの味付けにしますか?」
「味は、これと同じじゃなくてもいい。でも、一緒にキンダープンシュって飲み物を飲んでみたいと思ったんだ」
こうしてレレムと隣り合って飲んだことが、思い出の一ページとなったように。
「皆で飲んだら、今度はキンダープンシュが皆の思い出の味になると思うから」
いつか、共にいる仲間と別れて旅立つ日が来たとしても、この飲み物を口に含めばあの日の団欒を思い出せる。そんな思い出を作りたいと、ネイスは心の内で願っていた。
ちょうど、悲しい別れ方をした彼女が、ネイスに与えてくれた温もりを、オレンジのキンダープンシュが思い出させてくれたように。
「では、帰ったら皆が気にいるようなスペシャルなキンダープンシュを作りましょう!」
「そうしよう。好きな果物を全部入れてみるか」
「うーん、それは流石に変な味になるかも……。味付けは引き算も大事ですからね」
わいわいと自分たちだけのパーティの計画を立てて盛り上がる二人の冒険者。彼と彼女の笑い声に釣られるようにして、その日のキンダープンシュは大層多くの人に配られたのだった。
それから数日後。ありったけの果物を使った多種多様なキンダープンシュの香りが、ゴブレットビュートの屋敷から漂い、暫く冒険者たちの間でキンダープンシュが流行ったのはまた別の話。
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