2026-01-05 08:57:44
6243文字
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高校同級生大神くんゆめ/ネームレス

 放課後の非常階段は思いのほか風が冷たく肌寒かった。
 外に繋がっているというだけでイメージしていた開放感はなく、錆びた手すりとコンクリートに囲まれてみるとむしろ真逆の空間だった。極めつけは、ギターケースを抱えて座り込む先客がいたことだ。
 ――最悪。
 誰もいないと思って選んだのに、と黒髪のつむじを見下ろして内心毒づく。
 背中の向こうで扉が閉まる。退路を断つみたいな重い音が響くと同時、驚いた顔でこちらを見上げた視線を逸らせずに立ち尽くす。
……びっくりした。誰かと思った」
「それはこっちの台詞」
 安心を誘う朗らかな笑みを向けられる一方で、不機嫌さを隠すことなく眉根を寄せた。しかしそんな反応すら意に介すことのない態度に、より一層苛立ちが募る。
 三年間変わることなく同じクラスだった大神万理という男のことを、わたしは好ましく思ってはいなかった。
 なるべく一人を選んで過ごしてきたわたしと、クラスの中心に近い位置にいる彼とでは、関わる場面は多くない。それでも彼のことだけが気に障って仕方がなかったのは、わたしが外れた位置で俯瞰できていたからこそだろう。
 成績優秀、品行方正。バンドやアイドルという派手な活動をしながらも、教師たちからは真面目で模範的な生徒として扱われていたのがずっと不思議だった。目立つ容姿に違わず男女共に人気があったが、集団のなかではあくまでその場に溶け込み調和していた。
 いつだって人当たりのいい顔で円滑なコミュニティを維持するその姿は、わたしからすればどこか擬態じみていた。けれど、輪の中にいる人間がそれに気付くのは不可能だったろう。
 摩擦や軋轢とは無縁とでも言いたげな、奇妙な自然さ。誰とでも分け隔てなく接する平等な優しさ。本心がどこにあるのかわからない人間を信頼することはわたしには難しかったし、感じるのはどこまでも冷たい断絶だった。
 理解不能な、警戒と嫌悪の対象。
「あなた、こんなところで何をしていたの」
「君と似たようなものだと思うよ。ちょっと一人になりたくて」
 ギターケースに手を置く仕草を見ながら、スカートをお尻の下に引くように折り曲げて少し離れた位置に座る。
「それの練習だかライブだかは今日はないの?」
「うん。今は作曲中」
「そ。こんな時期まで音楽活動してるなんて、余裕なのね」
 言葉に棘が生えたのは八つ当たりに近かったが、本心でもあった。この男が進路に悩むような人間には見えなかったし、興味もなかった。
 鞄から担任に突き返された紙を取り出し、広げて丁寧に折っていく。進路希望調査票と書かれたそれは真っ白なまま、なんの変哲もない紙飛行機へと形を変える。
 こんなことをしてもどうにもならない。わかってはいても、空欄に書くべき文字は見つからなかった。どこに向かっても行きつく先は決まっていて、ただ道のりが少し変わるだけなのではないかと思えて仕方がないのだ。
 幸い受験に困らない程度の学力は持ち合わせている。そうなるとより、学校からの支援や協力、他者とのすり合わせにも大きな価値は見出だせない。
「余裕かぁ」
「そうでしょ」
「君からもそう見える?」
 一拍遅れて返ってきた言葉の意味を理解するまで、数秒の時間を要した。思わず顔を上げてから、不意に晒された無防備な横顔に息を呑む。
 口元だけは唯一笑みの形を作っているが、前髪の下から覗く目は笑っていない。
 隙なんてまるで見せない人間だと思っていた。だからこそ、弱点が剥き出しになった素顔を振り切るための術をわたしは持ってはいなかった。
「な……、だって」
 教室では決して見せることなかった表情に、勝手に抱いていた苦手意識が薄れて揺らぐ。
……あなたの成績なら、大体の大学には受かるでしょう」
 咄嗟に出てきた台詞のテンプレートさに我ながら呆れてしまう。こんなこと、親や教師から散々言われていないわけがない。
「そんなことはないと思うけど、それは君も同じじゃない? 進路希望、まだ出してないんでしょ」
「どこで聞いたの」
「さっき先生から。あと俺たち二人だけらしいよ、出せてないの」
 プライバシーという概念のない個人情報の流出っぷりに思わずため息が出た。だが、彼相手でなかったら担任も話すことはなかっただろうと思うと彼を追及しても仕方がなかった。
 諦めて、近くで見ると思ったよりも大きく存在感のあるギターケースに目を向ける。
「あなたにも真剣にやってることがあったのね。驚いた」
「なんだと思ってたの。ずっと真剣だったよ」
「なんにも本気じゃないんだと思ってた」
 言ってから、度々この学校に訪れていた他校の男子の姿を思い出す。それから、神経質そうな美貌を持つあの男の子の前でだけ見せていた、大神の乱されて砕けた顔を。
……まあ、いいんじゃないの。あなたの中に周りに反抗する意志があるなんて思わなかったけれど、いつもみたいに他人ばっかり気にしてへらへら笑ってるよりマシだと思うし」
「俺、そんな風に見えてる?」
「わたしからはね。悩みなんてなにひとつないと思ってた」
「あるよ、普通に。そんな聖人君子でもないしね」
 言いながら、大神が軽く笑う。
「でも、親と喧嘩したのは初めてかも」
「その時点で異常じゃない」
 落ちたトーンには気付かないふりをした。そうなのかなあとよくわかっていなさそうな顔で曖昧に濁されて、こういうところだとやや呆れた。
「親だって他人よ。色々言われたのかもしれないけど、あなたの人生の責任を取ってくれるわけじゃない。なら、そんなもの無視したらいい」
「他人って……すごいこと言うね」
「事実を言ってるだけ」
 言い放って黙っていると、大神がギターケースを壁に立てかけてわたしの隣に座り直す。手元を覗き込まれて、その近さに身体が固まる。
「そっちは? それ、どうするの」
「紙飛行機なんだから飛ばすわよ」
「また職員室に呼び出されて終わりだと思うけど」
……関係ないでしょ」
「俺は話したのに」
「そういう交換だなんて、聞いてない」
 すぐ横に置かれた彼の手から逃れるように膝を抱えた。
 大学にしろ、専門学校にしろ、選べる道はいくらでもある。だがその先なりたい職につけるかどうかは別だ。音楽なんてその最たるものだろう。どれだけ実力があっても、それだけで生きていくことはわたしなんかが想像するよりきっとずっと難しい。
 周囲から受けているであろう反対は言われなくともわかったし、大人たちからすれば無謀過ぎる賭けにしか見えないことはわたしにだって理解できた。それらに従うことは簡単だ。それでも自分で決めた、彼らしくもない型破りな強固さが眩しかった。
「なんか、意外だったな。君こそ悩んだりしないと思ってた」
「バカにしてるの?」
「違うって、褒めてるんだよ。自分のしたいことだけしてるんだと思ってた」
「やっぱり、バカにしてる」
 ふくれたわたしを見て、大神がからかうみたいに笑う。
 三年間同じクラスで同じ授業を受けていたけれど、こんなに気安いやり取りをするのは初めてだ。一人でいるときに声をかけられはしても、腕一本分もない距離で並ぶことはなかった。
 卒業まで一年を切った、当たり前にあった場所がもう失われることが見えている今だからこそ、多分目を見て話せていた。
「俺、卒業したら上京するつもりなんだけど、君はどうするの」
「わたし、は」
 言葉がつかえる。大神の視線が外れることなくわたしを射抜く。その引力にひっぱられるようにして、続きは勝手に口から出ていた。
「わたしも、行くと思うわ。やりたいこと、なくはないから」
「うん」
……っていうか、普通に、そのほうが選択肢あるから。東京の大学に進学するクラスメイトなんて、いくらでもいるでしょ。それと同じ」
「うん、そうかもね。一人暮らし始めるって話も結構聞くし」
「そうでしょう」
 この期に及んで言い訳じみた、理屈だけは立派な言葉の羅列を、大神がなだらかに受け止める。同い年とは思えない落ち着いた物腰が元来のものなのか、はたまたひと足先に進路を決めた人間の余裕なのかわからないのが悔しい。
 よく知っていると思っていたはずの彼のことを、本当はなにひとつ知らなかったのだと思い知る。だってわたしはクラスメイトたちがはしゃいで話していたライブにだって、一回も行ったことはない。作られたステージの上で作られる決まった笑顔は、それは様になっているだろうとしか思えなかったのだ。彼がいつも見せる振る舞いと同じなのだから、そんなものは見なくても想像できる。
 でも、今は少しだけ気になった。
 彼が続けたいとしがみつく場が、どれだけ唯一のものなのか。
「どうせ東京行くならさ、俺たちのライブにも来てよ。チケット用意するから」
 心を読んだかのような台詞に、なんで、と素直な疑問を漏らす。
「それって、わたし以外の全員も誘うの?」
「ううん。あ、いや、もちろんチケット欲しいって言われたら渡したりするかもしれないけど、最近は有り難いことに早めに売り切れたりするから、基本的には売るほうに回すかな」
 だから、君だけ。
 囁くみたいな低音が、風に吹かれることなく間に落ちる。
 なんでわたしなの、と聞きたくて聞けなかった。聞いてしまえば留めておけない何かがある気がして、その代わりに「いつもこうやって誑かしてるの」とストレートにぶつけて内側から生まれる熱を煙に巻く。
「誑かしてないよ。人聞き悪いなぁ」
「他校の、優等生っぽい子は? 歩いてるの見たのよ」
「あー、それは……もう別れてるから」
 温度を増していた空気が壊れて霧散する。わかりやすく大神の顔が歪んで、胸がすく。
「わたしのバイト先、あなたのデートスポットと被ってるのか知らないけど、この三年間で何度も見かけてるのよね。それも毎回別の子と。いつも他校の子を選んでるのは、やっぱり同じ高校内で付き合ったり別れたりすると面倒だからなわけ?」
……バイト、どこでしてたの? バンドメンバーはよく変わってたし、女の人も多かったから、そういうのも含まれてると思うけど」
「喫茶店。入口がちょっと人気のない路地にあってわかりづらいの。バンド仲間と仲良く手を握ったり腕を組んだりして歩くのが当たり前ならそうだったのかもしれないわ」
「性格悪……
 大神を本気で好きだという女の子が多かった割に、学内では色恋沙汰の話を聞くことがなかったのは彼のリスクヘッジの高さだろうと常々思っていたのだ。
 知られたくなかったのであろう部分をピンポイントに突かれた、不愉快そうな大神を見るのは気分が良かった。
「それはお互い様でしょう。アイドルって彼女作っていいの?」
「俺はまだデビューとかもしてないから……。あと、ほんとに今はいないよ」
「なら、後ろ暗くなく交換できるわね」
 携帯電話を取り出して、自分のプロフィールを開いて大神に手渡した。表示されているメールアドレスと電話番号の英数字ををちまちまと打ち込む姿に、マイクを持つところではなくギターの上を自由に動く指を見てみたかったなと今更の後悔が僅かに過ぎる。
 返されてすぐに一通、メールが届く。
 律儀にも「大神です」と記されたタイトルが彼らしい。手早く登録を済ませて、これはそういうことなのだろうかと画面を眺めた。わからないけれど、アドレス帳に増えた名前はわたしだけに用意されるチケットが存在する証明のはずだった。
 それが嘘でもまやかしでもないのなら。
「ライブ中は名字じゃなくて、バンって呼んでね」
「それ芸名? そのままじゃない。そもそもわたし、ライブとかぜんぜん行ったことないんだけど……呼んでなにかいいことあるの?」
「んー、見つけてファンサする?」
「最悪」
「ひどいな。これでも結構みんな喜んでくれるのに」
 よくわからないが、目当てのアイドルからアクションがあれば喜びもするだろう。わたしからしてみれば、そんなものはまったく欲しくはないのだけれど。
「呼ばないし、ファンサとかいうのもいらないから」
「来てはくれるんだ」
 そうでなければ連絡先を交換したりはしない。わかっているくせに、いちいち聞いてくるのが鬱陶しい。顔を見られたくなくて、スカートの裾を気にしているふりをして誤魔化す。
「行くから、ちゃんと……
 周りと同じように「バン」と呼ぶ気にはなれない。わたしとって大神はアイドルではない。
 どこか癇に障る、厄介で疎ましい、八方美人のクラスメイト。誰かに頼られる自分であることに一生懸命な、器用過ぎるだけの愚かなひと。
……ちゃんと、見つけてよ」
「うん」
 大神が嬉しそうに、笑って頷く。
「もちろん。待ってる」
 数秒視線が交わり、わたしは観念して、なら、行く、と小さく頷いて顔をそむけた。
 それから作ったままにしていた紙飛行機を手に取り、立ち上がる。丹念に爪を立てて折り目をつけたから、もう一度広げ直してもボロボロになっているだろう。だからわたしは大神に宣言した通りに、陽が沈み始めている空に向かってそれを飛ばした。
 何かの物語のように、どこまでも伸びていくなんてことはない。吹いた風の影響で軌道を逸らし、落ちるみたいに降下していく。その先は見届けなかった。
「新しい紙もらってきたら、一緒に書こうよ」
「じゃあ、あなたはまず親と喧嘩の続きをしてくるのね」
「続きかあ、できるかな。もう諦められてるかも。……それよりさ、そのあなたって呼ぶのやめない? 癖?」
「昔から人の顔と名前を一致させるのが苦手だったから、あなたで統一させたの。便利でしょう。というか、それを言うならあなただってわたしのこと君って呼ぶじゃない」
「なんか、名前呼んだら怒られそうな気がしてた」
「まあ、そうね、無視したかも。でも、べつに、呼んでいい」
 今なら。否、これまでそうされていたとしても無視しただけで、呼ぶなと言うことはなかったと思う。何度も呼ばれれば、もしかすると諦めて返事をしたかも。
 だから別にいつだって呼んでよかったのに。
「おおがみ」
 振り返ると、大神もまた立ち上がってわたしを見ていた。わたしより高い位置にある顔を見ようとすると自然と僅かに顎が上がる。背を反らすみたいに、ちゃんと立つしかなくなる。
「って、呼ぶから」
「じゃあ、俺は名前で呼ぶ」
「そこは名字じゃないの?」
「今まではね。でも、なんか仰々しいし。名前にちゃん付けでいい?」
 細々とした確認をし合って、手探りに距離を測る。ちゃん付けなんてずいぶん女の子扱いしてくるんだなと思ったが、この男はそういう人間なのだった。そしてわたしもそれを嫌と思っていないのがどうしようもない。卒業してしまえば、クラスメイトという肩書きもさっぱり失われるのだし。
「これからよろしく」
 ――大神に言わせれば、これからがあるらしいのだし。
 なんだか入学式みたい。わたしの言葉に大神が相好を崩す。
 武装のためじゃない笑顔に不快感は抱かなかった。突き放すみたいな顔をしていた薄汚れたコンクリートも、今はオレンジの陽の光に柔らかく溶けている。
 わたしたちは扉を開けて、肩を並べて校舎のなかに戻る。