昼休み。教室が騒がしくなる中、綾波レイだけはいつものように、微動だにせず窓の外の景色を眺めていた。その横顔はどこか遠い世界を見ているようで、近寄りがたい静けさを纏っている。
シンジは手元の弁当箱をぎゅっと握りしめると、意を決して彼女の席へと歩み寄った。
「綾波、これ」
そっと声をかけると、レイは「え?」という表情で、不思議そうにシンジを見上げた。
「あの、また……作ってきたんだ。よかったら、食べてよ」
差し出された弁当箱を見つめ、レイは少しだけ迷うような素振りを見せたが、やがて白く細い指を伸ばした。
「……ありがとう」
受け取りながらも、彼女の瞳には戸惑いがある。どうしてこの少年が、自分に対してこんなにも甲斐甲斐しく接してくれるのか、その理由が彼女にはまだ上手く飲み込めないでいた。
レイが黙って包みを解き、蓋を開ける。
そこには、丁寧に面取りされた根菜の煮物や、ふっくらと焼き上げられた豆腐ハンバーグなど、シンジが時間をかけて作った、見るからに美味しそうなおかずが並んでいた。
「……」
無言で見つめるレイ。その様子に、シンジは拒絶されなかったことにホッと胸を撫で下ろし、自分の席に戻ろうとして――ふと、思い出したように足を止めた。
「ねえ、綾波。何か、リクエスト……とかある?」
「リクエスト……」
聞き慣れない言葉に、彼女が小首をかしげる。
「うん、好きなもの。何でもいいよ。明日、入れてくるから」
シンジが優しく微笑むと、レイは再び弁当箱に視線を落とし、しばらくの間じっと考え込んだ。彼女にとって「自分の好きなもの」を言葉にするのは、きっとエヴァに乗るよりも難しいことなのかもしれない。
やがて、小さな唇がわずかに動いた。
「……卵焼き」
「卵焼き? うん、いいよ」
「……甘いの」
ぽつり、と付け加えられたその一言に、シンジは少し意外そうな顔をした。
「甘いの、好きなの?」
「……よくわからないけれど。食べると、安心する味がするから」
窓から差し込む光に照らされて、彼女の白い頬がほんのりと朱に染まる。
シンジは、そのあまりにも純粋で、どこか幼い子供のようなリクエストに、胸の奥が温かくなるのを感じた。
「わかった。じゃあ、明日は甘い卵焼きだね」
「……ありがとう、碇君」
シンジが自分の席に戻る背中を、レイは弁当箱を抱えたまま、じっと見つめていた。
二人の間には、言葉にならない新しい「約束」が、銀色の光の中で静かに結ばれていた。
翌朝、まだ静かなキッチンで、シンジは一人フライパンに向き合っていた。
ボウルの中で卵を溶きながら、ふと数日前の出来事を思い出す。初めて彼女にお弁当を作ってあげた時、シンジは期待よりも不安の方が大きかった。彼女に「食事を楽しむ」という感覚があるのかさえ、分からなかったからだ。
でも、翌日に返ってきた弁当箱を家で開けたとき、シンジは驚き、自然と口元が緩んでしまった。
中には、おかずを仕切っていたアルミのカップや、緑色のバランまでが、丁寧に、そして律儀に洗われて元通りに収められていたのだ。普通なら捨ててしまうようなものまで、彼女は真っ直ぐに扱い、返してくれた。
「……なんか、綾波らしいや」
彼女が求めた「甘い卵焼き」。
シンジはいつもより多めに砂糖を手に取った。彼女が「安心する」と言ったその味を、できるだけ形にしたくて。
焦がさないように、ゆっくり、丁寧に。
黄色い層が重なっていくたびに、あの窓際で少しだけ頬を染めた彼女の顔が浮かぶ。
これならきっと、喜んでくれるだろうか。そんな控えめな期待を込めながら、シンジは最後の一巻きを慎重に仕上げた。
「よし……できた」
綺麗に巻き上がった琥珀色の卵焼きを、まな板の上で少し休ませた。
粗熱が取れるのを待ってから、包丁を優しく入れる。現れた断面は、どこまでも均一で美しい黄色をしていた。
ひとつ、切れ端を味見する。口の中に広がる優しい甘さと出汁の香り。
「……うん、おいしい」
自分の納得いく出来栄えに満足すると、シンジはその一切れ一切れを、崩さないよう大切に弁当箱へと詰めた。
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