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やこ
2026-01-04 18:37:45
8498文字
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dcst夢
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パン屋の証言/羽京夢
dcst夢アンソロジー「君との夢を石の世界で!」様に寄稿したお話のweb再録。
素敵な企画に参加させていだだきありがとうございました!
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【1】パン屋の証言
一日限定十個のちくわパンを毎日ひとつ、それはもう嬉しそうに買っていくお兄さんがいた。
銀色の髪に大きな目が可愛い年下の男の子
……
だと思っていたら、彼はどうやら私よりも年上で、そして有名な人らしいと知ったのはつい最近の話だ。
とにかく、そのお兄さんをこっそりと眺めるのが、私の密かな楽しみなのだった。
……
と、そこまで私の話を聞いて、合コン好きの遊び人な友人は怪訝な顔をした。「ちくわパンー?」と、店のカフェスペースでサンドイッチを食べながら言う。
この友人は何かと理由をつけてうちのパン屋に入り浸っているのだ。今日も二つしかないカフェスペースの一席を占領して、パンを頬張りながら長々と他愛もない話をしていた。
「何時間いる気よ、いい加減帰って」
「他にお客さんいないから良いでしょー?」
「いや、そろそろお昼だから──」
邪魔、と言おうとしたまさにその時にドアベルが鳴って、話題にしていた人物がひょっこり顔を出したものだから、私は目を見開いた。
「いらっしゃいませ
……
」
「こんにちは。いつものありますか?」
目の前の彼はこっちの気持ちに気付かずに、カウンターに並べられたパンを真剣な目で見つめている。と思ったら、ぱっとこちらに顔を向けてきて慌てる。
「どうしようかな
……
いやでも
……
。ちくわパンひとつ下さい、あと右端のそれをふたつ」
お金と引き換えに商品を手渡すと、愛想のいい笑顔を返される。慌ててお礼を言って、ぼーっとしている間にお兄さんは帰って行った。肩の力が抜ける。
友人がバタバタと窓に駆け寄って、お兄さんを目で追いながら尋ねてくる。
「
……
あれがちくわパンの君?」
友人
……
いや、知り合いがそう言った。お兄さんの余韻に浸りたかったのに邪魔をしてくれる。
「確かにイケメンだわ。どうりで合コンも来ない訳だ」
「合コンは普通に興味ないから。もう帰ってよ」
「はいはい、お会計お願い」
財布を探す友人の肩越しにちらりと窓の外を見た。我ながら目ざとく、すぐに彼の姿を見つける。立ち止まって、誰かに手を振っているようだ。日光に反射した銀髪が眩しくて心臓が跳ねた。
彼の視線の先を追うと、大慌てで彼に走り寄っていく女性が見えた。手に書類を握りしめている。仕事仲間だろうか。ふたりは顔を突き合わせて書類を覗き込んでいる。彼の視線が、何度か女性の方に向いたのが見えた。女性はそれに気付かずに、書類を指差して何やら一生懸命説明しているようだった。
彼の表情が見ていられなくなって、私は慌てて目を背ける。さっき跳ねた心臓が、何故か急速に萎んでいくのを感じた。
「じゃあ、頑張って」
友人はそう言ってドアを開けると、彼らとは反対方向に歩いて行ってしまった。いつの間にか二人の姿も消えていて、私は店内に一人残された気がした。
【2】
□□
の言い分
「好きです羽京くん、私と付き合って下さい!」
復興政府兼海上保安機構の執務室。書類で埋もれたその部屋の、一番奥の席にいる羽京くんに、デスク越しに指輪
……
ではなく警察署で陽くんから回収してきた書類を突きつけながら言った。
「
……
まだ世の中が、そんな状況じゃないから
……
」
書類はしっかりと受け取って貰えたものの、私の告白を片手であしらって羽京くんは椅子に座り直す。その後は一切こちらに視線を向けないまま、受け取った書類に目を落とした。
「じゃあいつ来るんですかその状況は!」
「少なくとも仕事中じゃないよね」
「早くしないと寿命で死んでしまいますよ⁉」
この会話も、もう何度目になるだろうか。適当にあしらわれるのも最早慣れっこだった。
「私の持ってくる書類だけが目当てなんですね‼」
「はいはい、そうだよ」
今日もダメだった。諦めて自分のデスクに行こうとしたが、ちょっと待ってと言われて足を止める。
「何ですか、付き合ってくれるんですか」
「ここ、印鑑漏れ」
私の目の前に書類を掲げて、その右上をペンで指し示して羽京くんが言った。
またやってくれたな陽くんとか、受け取った時に確認すれば良かったなとか、なんでわざわざ印鑑まで復活させたのかとか、言いたいことは山ほどあった。が、一旦飲み込んでとりあえず一言だけ叫ぶ。
「またですか! 羽京くんのアホ!」
「印鑑忘れたのは陽だよ」
「陽くんのバカー‼」
「いってらっしゃーい」
次の書類に目を落としたまま、こちらを見もせずにひらひらと手を振る羽京くんにムッとしたが、こうなっては取り付く島もない。力任せに思いっきり扉を閉めたら、扉の向こう側で書類の山が崩れる鈍い音が聞こえた。いい気味だ。
「──それ拒否られてんじゃねーの?」
「うるさいバカ陽くん」
部屋を飛び出したその足で警察署へ向かったら、陽くんは椅子に浅く腰掛けてデスクに足を乗っけて、全身でサボりを体現してるところだった。なんとも腰に悪そうな体勢だ。
そして私の話を聞いて開口一番この台詞である。カウンター越しに陽くんを睨んだら、彼は悪びれもなく肩をすくめた。
「口が悪りぃな。ほれ、書類」
「ちゃんと確認して下さいよ! 二度手間じゃないですか!」
ぺらり、と雑に書類を渡してくる陽くんからそれを受け取って叫んだ。
「へいへい。
……
おめーも懲りないな、何敗目だ?」
「ほっといて下さい。
……
もしくはアドバイスを下さい」
三十敗目くらいからは数えるのをやめた。今日はさすがに心が折れそうだったので、ないよりはマシかと陽くんにアドバイスを求めてみる。
「あー、プレゼントとかどうだ?」
「プレゼント? たとえば?」
陽くんのくせに意外と王道な事を言う。期待していなかったが、思わず興味を引かれて話の続きを促した。
「なんかほれ
……
食い物とか?」
「羽京くんを食いしん坊キャラにしないで」
陽くんに聞いた私が馬鹿だった。帰ろ。呆れ顔で鞄と上着を手にすると陽くんが慌てた声を出した。
「ちげーよ! ちょっと待て!」
立ち上がった陽くんは、私の両肩に手を置いて目線を合わせてくる。思わず目を瞬かせると、真剣な顔で言ってきた。
「いいか、男は胃袋で掴め」
「いぶくろで」
「ほら、羽京ならあれだ。パンとか好きじゃん?」
「ぱん
……
?」
単純な私はその足で街で唯一の本屋へ向かい、数少ないレシピ本を買い漁ったのだった。
「──で、陽くんのアドバイスで作ったのがこれです」
次の日。書類の代わりに、焼きたてのパン
……
のような物がどっさりと入った籠をデスクの上に乗せた。
邪魔な書類をずざざっと横にどかしたら、書類の山が揺れて半分近くが床に落ちた。羽京くんが顔を顰めたが気にしないことにする。
「プレゼントです!」
なかなか受け取ろうとしない羽京くんに更に籠を押し付けると、中を覗き込んだ彼が怪訝な顔をした。
「なにこれ」
「ロールパン」
早朝、というかもはや夜中の内から起きて作ったロールパン。
……
シルエットだけはロールパンの、なんか黒くて苦いやつ。
「パンかなぁ
……
」
「
……
諦めませんからね‼」
やっぱりだめか。薄々、かなりそんな気がしていた。ぐっと涙を堪えて籠を抱える。勿体無いから、これは自分でお昼に食べよう。とりあえず、一度部屋から退散しようと項垂れて歩き出す。
「あ、ついでにこの書類を事務課に届けてよ」
ドアノブに手をかけたところで、背後から羽京くんにそう声を掛けられた。血も涙もないのか。
「
……
羽京くんのバカ!」
我ながら頭の悪い捨て台詞を吐いて、バタバタと執務室から逃げ出した。
「あの、大丈夫ですか?」
「え?」
不意にどこかからそんな言葉を掛けられて驚いた。きょろきょろとあたりを見回して、自分が今、職場近くのパン屋にいることに気が付く。どうやらパンを選んでいる途中で、ここ数日の出来事を思い返してぼんやりしていたらしい。目の前のカウンターには愛想のいい笑顔を湛えた可愛らしい店員さん。具合でも悪いんですかと心配されて、慌ててそれを否定した。
「
……
ちょっと、プレゼントを考えてて」
「プレゼント?」
「あの
……
、好きな人に渡したくて
……
」
「素敵ですね。その人は何がお好きなんですか?」
「この店のパンが一番美味しいって言ってます」
だから真似してパンを作ってみたんですけどうまくいかなくて。と、店員さんに説明して困ったように笑う。
「なにかヒントがないかと
……
敵情視察です」
「ふふ、そうですか」
口の中でジャリジャリ言うパンに嫌気がさして、普通に美味しいパンを食べたくなったと言うのは内緒だ。
店員さんと二人でそんな事を言いながら笑い合っていると扉のベルの音が鳴った。
「いらっしゃい、ませ
……
」
店員さんが一瞬だけ目を見開いた気がして、誰がきたのか不思議に思って背後を振り向いた。今、あまり会いたくなかった人物がいたので思わず顔を顰める。
「うわ、羽京くん」
「あれ、今日は
□□
もここでお昼?」
羽京くんは店員さんに軽く挨拶をしてからカウンター横のショーケースに並んだパンを選び始める。とりあえずちくわパンを買うつもりだそうです。
「私のパンは食べないのに! ここのパンは食べるんですね!」
「あれはパンじゃないからなぁ
……
。っていうか
□□
も買いに来てるじゃないか」
冗談めかして言うと、容赦のない正論の槍で突き刺された。もう一度言うけど、血も涙もないのか。
「だって美味しいから
……
」
「ここのパン美味しいよね」
「ま、負けませんからね!」
「僕に言われても
……
」
羽京くんと言い合っていると、不意に店員さんに声を掛けられた。店員さんは一度奥に引っ込んだかと思うと何かの書き付けを手にしている。良かったらどうぞ、と手渡されたそれに心当たりがなくて首を傾げた。
「これ使って下さい。そのパンのレシピです」
「は⁉ いや、貰えないですが⁉」
何が書いてあるのかと羽京くんと一緒に紙を覗き込もうとして、その言葉に目を見開いた。そんな大事なものを受け取る理由が思い当たらず慌てる。
「私はもう覚えてるし。それにこれ複製なんで」
「でも
……
」
受け取れない、良いから、の押し問答の末に、店員さんから強引にレシピを押し付けられた。
なぜこんなに良くしてくれるのか、頭に疑問符を浮かべながらも受け取ったレシピの書き付けを大切に鞄にしまう。
「
……
じゃあ、お言葉に甘えて。大切にします」
「大丈夫? まだ普通のパンも作れないのに?」
「羽京くんうるさい」
世界を救った偉大な科学者である千空くんも、大切なのはトライアンドエラーだと言っていました。
不安げな顔をする羽京くんにそう言って、もう一度店員さんに頭を下げる。基本があっての応用だと思うよ、という羽京くんのもっともな意見は黙殺した。
【3】羽京の言い訳
「──それで、新しく作ったのがこれです!」
「なにこれ」
「あの店のちくわパン」
「ぎりぎり、パン
……
ではない、かな」
「
……
出直します」
「えっと、最初よりは良くなってると思うよ」
僕の言葉に
□□
が肩を落としてすごすごと引き下がる。最近毎日欠かさず持ってくるようになったパンのような物は、この後
□□
が美味しく頂いているそうだ。
「
□□
、あの
……
」
「外回り行って来ます
……
」
さすがの
□□
も最近は少し元気がない。書類を抱えてしょんぼりと部屋を出て行く後ろ姿に哀愁が漂っていた。いやまあ、二割くらいは僕のせいなんだけど。
──そんな事が続いてひと月あまり経ったある日。復興政府兼海上保安機構の一室で、僕は今日も机仕事に追われていた。ここ数日は特に忙しくて家に帰る暇もない。おまけに昨日は寝ていない。気を抜くと眠ってしまいそうになるが、首を振ってどうにか意識を保つ。
そろそろ
□□
が出勤して来る時間だろうかと考えていると、予想とは違う、徹夜明けの頭には少し煩わしい声が聞こえて思わず眉を顰めた。
「
……
なんで来たんだい陽」
「書類届けにだよ、
□□
がもう来ねーって言うから」
「え?
……
あれ、そういえば今日は遅いな」
陽の台詞に違和感を覚えて顔を上げる。
時計を見るととっくに始業時間は始まっていたのに、
□□
の姿が見えなくて首を傾げた。仕事中サボることはあっても、遅刻した事だけはなかったのに。
「羽京がいつまで経っても拒否るから、諦めて実家に帰ったんじゃねーの?」
「どこだよ実家って
……
」
いや、そんな事言ってる場合じゃない。事故とかだったらどうするんだよ。
「よお、そろそろ認めてやっても良いんじゃねぇの?」
「何が?」
「しらばっくれんなって」
「余計なお世話だよ」
適当な職員を捕まえて
□□
を見なかったか尋ねたら「港の方に向かっているのを通勤中に見た」と返される。
「港ぉ? どこに行く気だよ」
「え? 本当に街を出て行くって事?」
そう言って片眉を上げた陽と、思わず顔を見合わせた。
「──
□□
!」
散々探してようやく見つけた
□□
は、船着場でフェリーを待つ行列に、大量の荷物を抱えて並んでいた。乗船のアナウンスが流れて、列が進み始める。
□□
もその流れに沿って一歩踏み出した。
え、嘘だろう、まさか本当に実家に帰る気か? その後ろ姿に慌てて声を掛けたが、久しぶりの全力疾走で悲鳴を上げていた喉からはヒュッと空気が漏れただけだった。
「あれ、羽京くん
……
?」
何度か咳き込んでもう一度名前を呼ぶと、今度はどうにか声が出た。こちらを振り向いた
□□
が、僕に気がついて不思議そうに首を傾げる。今にもどこか遠くに行こうとする
□□
の姿に、咄嗟に身動きできずにその場に立ちすくんだ。
「羽京くんなんでこんな所に──」
そこまで言って、
□□
が慌てて列を抜けてこちらに近付いて来た。
「一体どうしたんですか⁉」
今日も仕事でしたよねと怪訝な顔をする。
「
□□
を探しに来たんだよ」
「あー、早速トラブルですか? もう、ちゃんとみんなに引き継ぎしたのに
……
」
「こんな大切な事、なんで僕に黙ってたのさ」
「だって、羽京くんにはバレたくなかったから
……
」
「陽には伝えたのに?」
「え? ああ、仕事が回らなくなると困りますからね」
軽い調子で
□□
が言った。
「間も無く出港いたします。ご利用の方は──」
乗船を促すアナウンスが聞こえて、
□□
が慌てた声を出す。
「ああ、大変。じゃあ羽京くん、私はこれで
……
」
今まで散々、何度も何度もめげずに告白してきておいて、本当にあっさりと行ってしまうつもりか。
「っ、
□□
!」
自分で思ったよりも大きな声が出て、驚いた
□□
が目を見開いた。ばちりと視線がぶつかって思考が停止する。ええと、僕はいったい何を言いにきたんだっけ。慌てて引き止めたくせに、いざとなると言葉に詰まる。
「そろそろ認めてやっても良いんじゃねぇの?」と、さっき言われた陽の能天気な声が聞こえた気がした。ああもう、うるさいな、分かってるよ。
「用が無いなら私もう行きますよ? あの船に乗らないと間に合わないので」
何も言わない僕に痺れを切らした
□□
が、そう言って荷物を抱え直した。
「あああ、待って待って!」
「もう、なんなんですか!」
慌てて腕を掴んだら、
□□
が少しだけ怒った声を出す。
「ごめん、ちゃんと僕から言うから」
「なにを?」
「勝手かもしれないけど、
□□
が好きだ」
「へ?」
「待たせてごめん。でも、そばにいて欲しい」
辞めないでくれ、と言う僕の言葉を最後に沈黙が流れた。遅かったのかもしれない。いや、仕方がないか。彼女の好意に甘えて待たせすぎた。
□□
の反応が返ってこないのが不安になって恐る恐る顔を上げる。そこには真っ赤になって困った顔で固まった
□□
がいて、僕は少しだけ嫌な予感がした。
「
……
え、あの、別に仕事は辞めませんよ」
「は?」
「え?」
「だって、陽が
□□
はもう来ないって言って
……
」
「いや、私、今日は有給でお休みですし。書類持ってくるのは本当は陽くんの仕事ですし」
唖然とする僕に、
□□
が呆れたような顔で言った。
「ウチからだと警察署が通り道だから、今まではついでに書類貰ってから出勤してたんです」
「え」
「パン焼く練習するから、朝からもう寄らないからねってこの間言ったんですよ」
「じゃあ船に乗ろうとしてたのは
……
」
「今日は龍水くん達が隣町に来てるって言うから。フランソワにパン作りを教えて貰う約束で
……
」
「バレたくなかったってその事か
……
」
あ、羽京くんも来たかったんですか? と
□□
がハッとしたように言った。いや違うけど
……
ああ、もう良いや何でも。
「はあ
……
。よく考えたら、辞めるなら僕に連絡が来ない訳がないな
……
」
盛大な勘違い。その原因の九割くらいは陽にある気がするけど、僕も寝不足で頭が働いていなかった。
□□
を巻き込んで、ずるずるとその場にしゃがみ込む。
「辞めませんってば! 何の話ですか!」
「もういいよ、ところで返事は?」
「返事
……
?
……
あ? あれ?」
□□
が一度首を傾げた。しばらく考えて、じわじわと理解が追いついてきたらしい。ますます顔が真っ赤に染まる。今、理解したのか。
「お
……
」
「お?」
「遅いんですよ‼」
「うん、本当にそうだね。ごめんね」
「
……
その表情は卑怯ですね
……
」
そう言って謝ると、
□□
が困ったように呟いた。どうやら僕はよっぽど情けない顔をしているのだろう。
「えー、あの、ええと
……
」
□□
は僕の腕の中におさまってしばらくじっとしていたが、やがて落ち着きなくそわそわとし始めた。恥ずかしさがピークを通り越して我慢できなくなって来たらしい。どうやら腕から抜け出す算段を立てているようだった。
「
……
羽京くん、今お仕事中でしょう? サボってて良いんですか?」
「仕事中に口説いてきた子がよく言うよ」
「やだ、変な言い方しないで下さい!」
□□
の的外れな質問に、僕は思わず吹き出した。
□□
は困ったような嬉しそうな何ともいえない表情でこちらを見上げている。
あー、本当にね。もっと早く決断すれば良かったね。
「はー
……
疲れた
……
」
「あっ! お腹減りました? パン食べますか?」
□□
がハッとしたように言った。
「いや、しばらくいらない
……
」
「あれ⁉」
自分に呆れて思わずため息が漏れる。
□□
が心底驚いたような声をあげて、同時に背後でフェリーが出港する汽笛が鳴った。
【4】パン屋の証言
「──まだ普通のパンも作れないのに?」
「──羽京くんうるさい」
あの時、そう冗談めかして話していた二人を見て、ああ、これはどうしようもないなと思ってしまった。
怪訝な顔をする彼女に強引にレシピを押し付けた。思えばあれは、不器用な私の、彼への拙いアピールだったのだろう。
「あの、これってふたつ買っても大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。
……
パン、焼かなかったんですか?」
「いっぱい焼きましたよ! いい加減このお店のパンが食べたい、って昨日ついに禁止令が出ました。」
一日限定十個のちくわパンを毎日ふたつ、少し恥ずかしそうに買っていくお姉さんが来るようになった。
恋心にすらなりきれなかった私の気持ちは、どうやら膨らむ前に焦げ付いてしまったらしい。
名前も知らなかったあの人に声を掛けていれば、何かが変わっていたのだろうかと少しだけ思って、意味のない想像に頭を振った。
あの人がこの女性を見る時の、愛しむような表情に気付いたあの時に、多分私は諦めてしまったのだ。だって、こんなの付け入る隙がないじゃないか!
「ありがとうございました!」
「またお待ちしてます」
カランカランとベルが鳴って、ご機嫌で店を出る彼女と入れ違いで入ってくる友人の顔に眉を顰めた。
「あれ、どうしたの? なんか機嫌良さそうじゃん」
「むしろ逆だけど
……
」
「ねえ、今回こそ合コン行こうよ!」
どうやら友人は、また新しい人脈を広げて来たらしい。こんな明日も分からないような世の中で、逞しいというか何と言うか。
「あー
……
、良いよ」
少しだけ考えて、そう返事をする。
予想外だったらしい私の言葉に友人が目を見開いたのが、カウンター越しにはっきりと分かった。
「
……
え⁉ いいの⁉」
「たまにはね」
「今回のメンバー当たりだよ! 大通りの花屋の
……
」
機嫌良く語る友人の声を聞き流して考える。仕方ない、私もそろそろ再出発しないといけないだろう。
カウンターに置かれたままだった、ついさっき売り切れたちくわパンの札をそっと取り下げた。
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