かなざわ
2026-01-04 13:26:49
2631文字
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責任をとるのは誰?

純と慎一郎の深夜貸し切り枠交流が続いており、そこに司がお呼ばれしている前提です。二人とも無自覚なのでよだ→←つかですが、いずれよだつかになる二人の話。

 その夜、貸し切りリンクに顔を出した司はマスクを着けていた。どこにでもあるデザインの、白いマスク。
 純が知る限り、司が風邪などを患っているという状況は今までなかった。様子を見る限り咳き込むわけでもなく、具合が悪そうには見えない。そもそも彼は体調不良を抱えたまま貸し切りに参加するタイプではないだろう。
 では、何故マスクを着用しているのか。純は単刀直入に本人に問い質すことにした。
「調子悪いの?」
「いえ、予防です。うちの生徒さんの学校でインフルエンザが大流行してて、学級閉鎖になったらしくて。うつすわけにもうつされるわけにもいかないので、落ち着くまではマスク着用が厳命されまして」
「そう」
 普段から言動が大仰な司は、マスクで顔半分が隠されていても表情が分かりにくいと感じることはなかった。
 眉を下げて、苦笑いをしている。マスクの下の口は、緩く上がっているのだろう。
 表情は分かるのに、顔がちゃんと見えない。もどかしいな、と考えていると司の視線が辺りを探った。
「あの、鴗鳥先生はいらっしゃらないんですか?」
「ここの職員と何か話してた」
 靴を履き終えた純が立ち上がっても、司は落ち着かない様子で入り口の方を気にして動き出そうとしなかった。
 貸し切りの時間は決められている。一分一秒でも長く氷の上にいたい純は司を放ってリンクに向かおうとした。
 一歩、二歩、踏み出してから、未だに動こうとしない司に視線を向ける。
「何かあるの?」
「お誘いいただいたので、ご挨拶してからと思ってるだけなんですが」
「慎一郎くんなら、待たせたことを気にしそうだけど」
「そ、れは……確かに」
 靴だけでも履いておこうかな、と呟いた司がベンチに腰をおろした。それでもきっかり切り換えられたわけではないらしく、靴紐にかかった司の指の動きは随分とゆっくりとしたものだったけれど。
 律儀というか、融通がきかないというか。
 呆れつつ、純はふと司がマスクを外す様子を見せないことが気にかかった。
「ねえ」
「はい」
「マスク外せば」
 今日の貸し切りに参加するのは、いつも通りに純と慎一郎、そしてここ最近呼ばれるようになった司の三名だ。罹患している者がいないのだから、マスクを着用している必要もないだろう。
 そう考えての何気ない言葉だったのだが。
 暫し考えた後、司は首を横に振った。
「今日は念のため、しておきます。万が一俺が罹患していて、お二人にうつしでもしたら切腹したくなると思うので」
……そう」
 相変わらず人の言うこと聞かないな、と。最初に思ったのはそれだった。
 次いで考えたのは、病原菌をうつしたくないと思われるくらいには気遣われているのか、と。
 更には、今日は彼の顔が見れないのか、とまで考えるに至り。
 腹の内だか胸の中が、もやりと疼くのを感じた。苛立ちにも焦燥にも似ていて、けれど決定的に違う、何か。
 リンクに体を向けていた純は、踵を返した。一歩、二歩、そう離れていなかった距離を詰めて、司のすぐ前に立つ。
「夜鷹さん? どうかしましたか」
「慎一郎くんに、今夜の貸し切りに君を誘うように言ったのは僕だよ」
 慎一郎から貸し切り枠が取れた連絡が来た際に、司にも声をかけるのかと聞いたのは純の方からだ。純の問いに慎一郎はどこか楽しげに明浦路先生に予定を確認してみるね、と返してきた。
 司に直接連絡をしたのは慎一郎ではあるが、発案をしたのだから実質純から誘ったようなものだろう、と考えていた。
 ぱち、とまばたきをした司が、ふっと目を細めた。笑っている。至極、嬉しそうに。
「そうなんですか! ありがとうございます、嬉しいです!」
 何の打算も計算もない、まっすぐな言葉。
 マスクをしていても分かる、満面の笑みを浮かべているのだろう表情。分かるのに、何故だろう。司の顔がマスクで覆われているのが、面白くなかった。
 その顔を見せろ、と。衝動に刈られるまま手を伸ばし、司の襟元を掴んだ。ぐいと引き寄せると、司の腰がベンチから中途半端に浮いた。
「ぅっ、え」
 そのままマスクを剥ぎ取ろうと考えていた純だが、ふと動きを止める。この後に純か慎一郎のどちらかが体調を崩しでもしたら、司はそれを自分のせいだと思い込むに違いない。病原菌に名前が書いてあるわけでもないのだから、どこからうつされたのかなど分りもしないのに。
 そうなったとしたら切腹は無理だとしても、司は今後の貸し切りに顔を出さなくなる気がする。
「ねえ」
「っ、なに」
 結局、マスクを剥ぎ取るのはやめることにした。代わりに顔を近づけて、間近で司の瞳を覗き込む。
 驚きに見開かれた琥珀色の眼の中に、普段通り表情の変わらない純が写し出されていた。
「僕はどうして君を貸し切りに呼んだんだろうね」
「え……
「また呼ぶから。責任とって、ちゃんとおいでよ」
「責任、って」
「分かった?」
 問いかけ、しかし返事を聞くつもりはなかった。呼べば、彼はやって来る。その確信があったからだ。
 純は首を傾け、マスク越しに唇を重ねた。目は閉じない。ごわついたマスクを挟んで、柔らかな熱が触れる。司の肩が大袈裟に跳ねるのを見て、溜飲が下がった。
 襟元を掴んでいた手を放せば、司は音を立ててベンチに座り込んだ。何故こんなことをするのかと問いかけるような眼差しが、純を射貫いてくる。
 困惑、混乱、羞恥、そして幾ばくかの、高揚。司の目の中に目まぐるしく浮かぶ感情は、純をも揺さぶろうとしてくるようだった。
 面白いな、と思うまま、純は再度手を伸ばした。今度は服を掴むのではなく、司の明るい色の髪を黒い手袋で梳く。
 手袋を外しておけば良かった。これからリンクに乗るのに、そんな風に考えてしまったことに驚いた。
 司は純の真意を探ろうとしているのか、唇を引き結んで見上げてくるだけだった。
 振り払われないならいいよね、と解釈し、指の中で司の髪をくしゃくしゃと遊ばせる。
 パチパチと音がしそうなほどの視線を向けられて、それが心地いいと感じられた。
「責任、とってね」
 純がそう畳み掛けて尚、司は目を反らさない。
 次はマスク越しにではなく唇を重ねてみようか。そうしたら、彼はどんな表情を見せるだろう。
 想像するが予測はつかず、それが面白いと思えた。込み上げる衝動のまま、純はふっと笑っていた。