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芽生えの衝動

肉食系に目覚めるフェルン

 ビョウビョウ。パチパチ。窓の外で荒れ狂う嵐と、暖炉の薪が爆ぜる音。
 荒々しい自然の咆哮と穏やかな炎の揺らぎをBGMに、上着を繕うシュタルクをぼんやりと眺めていたフェルンは、ふと抱いた違和感に眉を顰める。
「シュタルク様」
「んー?」
 暖かい室内に気が緩んでいるのか、間延びした返答と共に顔を上げたシュタルクの深紅の瞳が、眉を顰めたフェルンを映す。表情が乏しいフェルンの寄せられた眉に気が付くと、ぎくりと身を硬くして、困惑したように小さく首を傾げた。
「え……っと、もしかして不機嫌だったり、する?」
「いいえ。それより、先程から唇を気にされているようですが、どうしました?」
 おずおずとした問いに素っ気なく答え、フェルンは自分の疑問を口にした。
……へ? 唇?」
 ころりと零れそうなほど丸くなった紅い瞳に、困惑の色が浮かぶ。
 質問の意図を理解していない様子に、無意識の行動だったことが伺えた。
「頻繁に舐めていらしたので、怪我でもなさったのかと」
 フェルンがそう説明すると、やっと腑に落ちたような表情を浮かべたシュタルクは、少しだけ気まずげに苦笑しながら頭をかいた。
「あ、いや。違くて……なんか、引き攣るっていうか、乾いてる? から気になっちゃって……
「ああ、なるほど。乾燥ですか」
 締め切った部屋で暖炉を使っていると、自然と空気は乾いてしまう。この嵐では換気もできないので仕方がないが、乾燥は肌の大敵だ。
「シュタルク様、こちらへ来てください」
……はぁい」
 ぽんぽんと暖炉の前――そして自分の隣――のクッションを叩きながら呼ぶと、シュタルクは「犬みたいに呼ぶじゃん」と笑いながらフェルンの隣に腰かけた。
 大人しく座ったシュタルクに満足気に頷いたフェルンは、畳んだ上着の上に置いていたポーチから小さな瓶を取り出す。掌よりも小さな瓶の中でとろりと揺れる琥珀の液体を見て「なにそれ」とシュタルクが問いかけた。
「これは蜂蜜です」
「はちみつ? 食べるのか?」
 蜂蜜は食べ物との認識は致し方ない。しかしこの場では不相応なことを言い出すシュタルクに白い目を向けながら、フェルンは瓶の蓋を開けた。
 ふわりと漂う甘い香りに、そわそわとしていたシュタルクの表情が和らぐ。
「これを塗ります」
「どこに?」
「シュタルク様の唇に」
……なんでぇ?」
 心底意味が分からないと言いたげな困惑した表情のシュタルクに、フェルンはにやりと口角を上げ「知らないんですか?」と問いながら瓶の中で揺れる琥珀を少しだけ掬い取る。
「蜂蜜には保湿成分があるんですよ」
「そうなの?」
「そうなんですよ。これも、保湿用で購入した物です。食用じゃありません」
 返答し、ついでに用途を説明しながら、暖炉の灯りで光る琥珀を纏った指を半開きの唇にそっと這わせた。
「じ、自分でやるよぉ……
「もう塗ってますよ。ほら、じっとして」
……ひゃい……
 落ち着きなくうろうろと彷徨っていた紅い瞳が、行き場を失くして瞼の裏に隠される。勝ち気な瞳が隠れると存外に幼い顔立ちになることは知っていたが、情けなく下がった眉の効果で一層幼げに見えた。
 大人しくなったシュタルクのかさついた薄い唇に、琥珀を塗り込むように指を滑らせる。緊張しているのか、髪と同じ赤いまつ毛が小さく揺れた。
 可愛い人だなあ。自然と浮かんだ思考に一人照れながら、フェルンは小さく笑んだ。
「んー……?」
 まだ? とでも言いたいのだろう。ぐずる子どものような声を上げるシュタルクに、堪えきれなくなったフェルンはくすくすと笑い声をあげる。
「え、なに? なんで笑うの?」
 ぱちり。音でも鳴りそうな勢いでまつ毛が跳ね上がり、困惑に丸くなった瞳がフェルンを映す。
 紅い瞳の中の自分は、大層機嫌のよさそうな顔をしていた。
「いえ、なんでもないです……ふふ、終わりましたよ」
「なんだよぉ……
 ケアされたばかりの唇を尖らせ、不満げながらも「ありがと……」と礼を告げる律義さが愛しい。無骨な戦士ゆえの鈍感さか無神経な所もあるけれど、シュタルクは基本的に真面目で律儀な青年なのだ。
「甘い匂い……舐めそうなんだけど……
 皮膚を覆う蜂蜜の感触が落ち着かないのか、しきりに口元を触ろうとして我慢している様子が微笑ましい。
「ダメですよ。せっかく塗ったんですか、ら……
 ふと視線を向けた先――暖炉の灯りで濡れたように光るシュタルクの唇が、酷く艶めかしく見えて、フェルンは息を呑んだ。
 伏し目がちに唇を気にするシュタルクの横顔を、暖炉の灯が煌々と照らしている。赤いまつ毛が目元に濃い影を作り、まだ少年のまろみを残す頬の輪郭が際立っていた。
 大人になり切っていない、少年の幼さと青年の精悍さを併せ持つ不安定な艶めかしさ。
 その横顔に手を伸ばして、めちゃくちゃに貪ってやりたくなる衝動を、フェルンは必死に抑えこんだ。
「フェルン?」
 きょとんと首を傾げるあどけない仕草。
 フェルンの情念など知りもしない無邪気なそれが、いっそ憎らしい程可愛く見えた。
……また、塗ってあげますね」
 激しい情念をおくびにも出さず、フェルンは笑って見せる。途端、シュタルクが困惑した声を上げた。
「ええ? もういいよお~気になっちゃうもん……
「ダメです。お肌のケアは継続が大切なんですよ」
 先ほどまでの婀娜っぽさは掻き消え、普段の情けない様子に戻ってしまったシュタルクを諫めながら、フェルンは内心ほっと息を吐いた。あのままだと衝動に任せて襲っていたかもしれない。

 とんだ劇薬に触れてしまった。
 気が付いてしまった欲望を拭うように、フェルンは薄く蜜の残る指で己の唇に触れた。

2024.01.01

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