ゆうり
2026-01-04 00:04:21
2989文字
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あの人は押しに弱い。

明けましておめでとうございます。
別に年明けとか関係無い左をちょっと嫉妬させたかっただけのヘクジェラ短文です。関係両片想い以下。

あの女は皇帝陛下近くに仕える貴族の誰かしらの娘だったか。
これまで宮廷内の人間関係のあれこれなど面倒くさいと投げていた事が今になって悪影響を及ぼすとはヘクターは思いもしなかった。全く、これっぽっちも。
そんな自分には正体も掴めない人物が、自分の人生において最上とも言える主君の側で美しい笑みを浮かべて主君と仲睦まじく話す光景を見せている。
別に覗き見という訳では無い。城内の玉座の間までの道すがら、第二皇子期から良く出歩いていた皇帝陛下は今も公務を離れれば城内を闊歩していることも多いので今日もその一部であるだけなのだ。
ただその光景が周囲の人々から見れば微笑ましく、ヘクターから見れば苦々しい物でしか無かった。



ヘクターはその光景にくるりと背を向けて鍛錬場に向かう事にした。
今日は非番なのだから別に城下に行っても構わない、でも今はそうしたい気分にはならなかった。
見たくないなら城から出れば良い話であるのも分かっている。分かっているのに何故か面白くない自分がいる。
ぎゅうと胸が絞られる訳の分からない感覚を持て余して思わず手を当てて苦しと思う部分を押さえてみるが、その程度でどうにかなるならこんなに頭の中で困る事もないだろう。
どうしていいか分からない感情があるなら、何も考えずに済む事をすればいい。
考えるよりも先に身体を動かせば良い。それだけ。
そんな事を考えながら鍛錬場に向かうヘクターは自分の早い足音にいつしか軽やかでもっと早い足音が混ざった事に気が付いていなかった。

「ヘクター、待って!」
ヘクターの耳には誰よりも透き通って聞き取れる声と同時にくんとマントが引かれた感覚を感じて早足がピタリと止まる。
マントが引かれた方向に顔を向ければふわふわの眩しい御髪を乱れさせ、息せき切って佇むヘクターにとっての最上の人であるジェラールがいた。
先程誰だかと話していた時とは天と地ほどの差もあるその姿を間近で見てヘクターは面食らってしまった。
「ヘクター?」
その場に立ち止まり声も上げないヘクターを見て、マントを掴んだままのジェラールはことりと首を傾げて丸くて大きい瞳を更に大きくしてくる。
先程はもっと落ち着いた凪いだような瞳だったような。こんな大きくて零れそうになる事もあるんだな、とヘクターは漠然と思う。
「ヘクター?⋯あの、ごめん」
「えっ?」
今度は零れそうだった丸い目を伏せ表情もしゅんと落ち込んだようになってしまった。
何ならくせ毛のいつもなら特に跳ねた部分もへたりと力を失ったように見える。
「なんで謝るんですか、俺何も悪い事されてないですよね?」
次いで離されそうになったヘクターのマントを掴んでいたジェラールの手を軽く握る。
皇帝陛下の御手に触れるなど自分のような傭兵でなくとも許される事では無いのかもしれないが、この人は自分から降りて来てくれる人だ。自分から膝を折って目線を合わせてくれる人だ。だから自分が求められるのであれば近付きたい。
自分から声を掛けて近づいてくれて自分を掴んでくれたのに、今にも踵を返して逃げ出しそうなこの人を逃がしたくない。

目の前の人が痛みに耐えるような表情をした事でヘクターは気が付いた。
ジェラールの手を軽く握っていたはずが思わず力が籠っており、手を離すとジェラールの指先に少し圧迫痕が残されてしまっている。
「す、すいません!」
「大丈夫、ちょっとびっくりしたけど。ふふ、何かお互いに謝りあってて何をやっているんだろうね」
玉座の間の下で見た時の微笑みとは違う柔らかなジェラールの笑顔を見てヘクターは安心する。本当にお互いこんな所で何をやっているのかと自分も笑いが込み上げてきた。
そんなヘクターを見てジェラールもホッとしたような表情を見せる。
「良かった」
「え?」
「さっき広間で君を見かけた時辛そうな顔をしていたように見えたから」
「そ⋯うでしたか?」
正直自分で自分の表情まではわからなかった。
ただ何となくあの光景を見ていたくなくて逃げ出したような気はするけども。
でも先程まで残っていた感情も今はすっきりと消えているような気がする、何なら何を悩んでいたのかも思い出せない程に。
「いつもの君だ」
そう言って嬉しそうな顔を見せてくれるこの人が近くに居てくれるなら、それで良い。


「そういえば何か俺にあったんじゃないですか?」
皇帝陛下が本気で走ってまで掴まえに来るような何かがあったのでは?と今更ながらヘクターはジェラールに問いかける。何なら謝られた理由も不明だ。
すると問いかけられたジェラールの方が複雑な顔をする。
「どうしたんすか?」
「ごめん、君、今日非番だったのに掴まえてしまってるんだよね。掴まえてから気が付いてしまって」
ジェラールはうう、と唸りつつ顔は下を向き、両手で顔を隠してしまう。
公的な場ではまず見られないような子供っぽいジェラールの仕草を見てヘクターは破顔する。
「っはは!気にしないでください。外出る気にもならなくて鍛錬でもしようかと思ってたくらいなんで」
「せっかくの休みなのに⋯?」
「休みなんて寝てるか身体動かすか酒飲んでるかくらいのもんですよ、俺は」
「そうなんだ⋯」
ジェラールは一応納得はしてくれたようだった。自分で言うのもなんだがヘクターの休暇中のする事などたかが知れてる。まあちょっと前なら妓館に行く事もあったかもしれないが最近は縁遠くなって同僚にも訝しがられるが、行く気が無いのだから仕方がない。
なのでやる事が更に減った今、ヘクターは暇を持て余しているだけなのでジェラールが気にする事は何も無いのだ。
何ならその暇をジェラールの用事に使えるのならヘクターにとっては有用でしかない。
自分を呼び止めたということはそれだけの用事があったのかもしれないと思い、ヘクターはジェラールに尋ねる。
「何か俺に出来る事がありますか?」
「えっ?」
「何か聞きたい事なり頼みたい事があって掴まえてくれたんじゃないですか?」
本来なら頼み事なんて面倒でしかない。
自分の身に着けている物に触れられるのも勘弁だ。
でもこの人が自分を欲してくれるなら。
そんなの、

「いや、でも悪い⋯」
「悪くないです暇なので何でも使ってください勿論無給で構いません」
「傭兵がそんな事言っていいのかなあ」
「良いんです俺が構わないんですから」
ヘクターは内心自分で自分に驚くしか無かった。今自分がやっている事はこれまでの自分では有り得ない事ばかりだという自覚はある。それなのにそれを恥とも思わない。
そんな押しの強すぎるヘクターに負けたのか、ジェラールは降参という体で両手を上げる。
「えっとその⋯公務が早く片付いて。ちょっと城下に出掛けたいと思ったのだけど、君は今日は外出は控えるつもりだったのだよね」
「貴方が行くならお供します」
ヘクターの強引さに既に敗北していたジェラールは仕方ないとばかりに諦めたような表情をする。
ヘクターの反応でころころと変わるジェラールの表情を、城下でもきっと沢山見られるのだろう。そんな貴重な機会を与えてくれた皇帝陛下を城門の方向へ促し、ヘクターは先程の悩み事はとりあえず心の片隅に押しやって強引に得た僥倖を楽しむ事に決めたのだった。