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よつもり
2026-01-03 00:16:17
3390文字
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落下というもの、傷で紡ぐ物語
THE FALL/落下の王国 の感想。ネタバレを含みます。
以前DVDの宅配レンタルで借りて観たことがあり、そのときはただただ映像の美しさに見惚れたものですが、
今日リバイバル上映に行き、映画館の音響とスクリーンで観たら、もう本当に打ちのめされてしまったんですよ。
大怪我したスタントマンのロイが、父を失った少女アレクサンドリアに物語る物語がどんどんと悲惨なものになっていく過程が、クリティカルに胸が痛くなって涙腺が緩む緩む。
というわけで、ほぼ満員の最前列席であまり音を立てないようにと咽び泣く私の横で夫は、同じシーンを観ながら笑いを堪えていたとのことでした。
どういうことかと、この映画は強く悲喜劇の性質を兼ね備えた映画なんですよね。
私が観た物語と夫が観た物語は同じですが、私はだいぶ入れ込んで観たかたちとなりますので、アレクサンドリアの大怪我のち、少女の要望で物語を急いで語る際の、やけっぱちとも取れる登場人物の退場シーンはあまりに痛々しくて辛かった。
でも、同じシーンを、すこし俯瞰して見ると、ロイという人物の情けなさや弱々しさが見て取れるし、元々だいぶ面白キャラクターではあった旅の仲間たちが雑に死んでいくというのは、そのシーンの絵の作り方からみても、面白くなるように撮られている。
一つのシーンに悲劇性と喜劇性の両面が存在していて、どちらを受け取るかで泣くこともできるし笑うこともできるような作りになっているものでした。
ロイが同情に足る人物かどうかについては、これもまた人によって受け取り方が大きく変わるだろうなと。
映画の撮影中の事故により大怪我をし、お付き合いしていた女優を別の俳優に奪われて、やけっぱちになって自殺まで考え、歩けない自分の手足の代わりにアレクサンドリアを操って自殺のための薬(おそらく睡眠薬)(睡眠薬飲んで死のうというのもなんだか軟弱である)を持ってこさせようとしたロイですが、では彼は実際、そこまでヤケクソになるほどの状況だったかというと、おそらくそうではない。
というのも、終盤まで彼の怪我の程度というのは観客に分からないようになっている。もしかすると半身不随をも思わせるようなロイの絶望っぷりでしたが、最後の最後で彼は映画のスタントマンに復帰して、危ないスタントをこなしまくるという様子を見せています。
もしかすると、アレクサンドリアとロイが知り合った頃のロイの状態は実際悪く、そこから劇的な回復を果たして仕事に復帰したというストーリーかもしれませんが、そういうストーリーだとしたらもうちょっとはっきりと「足はもう動かない」とか「日常生活も困難になるだろう」とか、そういうセリフや何らかの演技で説明がほしいところ。
ロイの足の状態がどうだったかについては、アレクサンドリアとのやり取りの中で「足のどの指を触ったか」というクイズをするくだりで「感覚がもしかしてあるかもしれない。けれどももしかすると無いかもしれない」というような観客の推量に頼る描写をしており、ここの受け止め方によってロイの状態はどうかということの解釈は分かれるものと思います。
状態が悪いのであれば自殺まで考えるロイの絶望には確かに理解できる。
しかし実際のところ、最後の最後にロイはスタントマンに復帰し、落下して、落下して、落下しまくるというアクションを見せており、つまり立って歩くことができている。ということで、彼の絶望は自分の体が動かないことに由来するわけではない。
彼の絶望は、自分の恋人が自分のもとを立ち去った。しかも別の男になびいて。というところだった。
というのが最後の最後に分かるわけです。
となると、あの、自殺に失敗して半狂乱になって叫んで暴れていたロイの様子は途端に滑稽になるんですよ。
体の自由は一時的に効かないとはいえ、序盤においても治る見込みはおそらくあったのでは?と思われる。
途中、映画会社の人がやってきてロイに色々と話しをしていたシーン、あのシーンのセリフは私もうまく咀嚼できずにあんまり覚えていないのですが、あそこでは仕事に関する悲壮な話がされていたんでしたっけね?今日の夜の回を予約したのでこのあたりちゃんと観てこようと思います。
ともかく、ロイの絶望の仕方はもしかすると大仰だったかもしれない。
もちろん、大怪我をして体の自由が効かないというのは不安だし、その先の未来を一緒に考えていた彼女が立ち去ったというのは本当にショックなことです。
けれども、絶望や悲しみをまだはっきりと理解できないアレクサンドリアの、父の喪失とその飲み込めなさと比べると、ロイの絶望の仕方は、相当に大人げない。子供を使ってまで自分の傷をなんとかすることばかり考えていたロイは、父を失って傷ついているアレクサンドリアの傷には思いが至らない。
アレクサンドリアは自分の傷に無自覚故に、大仰に自らの傷について騒ぎ立てるロイのために薬を持ち出そうとし、落下し、頭に大怪我を負う。
小さな子どもが抱く喪失に気が回らず、自分の傷つきのことばかり騒ぎ立てていたロイは、アレクサンドリアがロイのために落下し大怪我を負った時点でようやくアレクサンドリアからの親しみや愛情に気がつくし、その時に冷静に話をするのではなくて、酒を煽りながら5歳の子供の枕元で泣きべそをかきながら懺悔するというどうしようもなさがある。本当に大人げの欠片もない。
けれども、そういうどうしようもなく弱くて、軟弱で、大人げなくて、仕方ない男であるロイでなければ、あのように荒唐無稽で繊細で、5歳児と共有することができる物語を紡ぐことができなかった。
傷つき、喪失、悲壮、痛々しさのあるあの物語を5歳児に語り聞かせるのは大人げないけれども、しかしそういう物語によってしかアレクサンドリアは自分の父を見出すこともできなかっただろうと思う。
二人は二人で紡ぐ物語において窮地を経験し、それを二人で乗り越えることで、ともに打ち勝った。
アレクサンドリアはロイは父ではない、父とは別の人物だとしっかり理解している。アレクサンドリアがロイに懐いているのはその面影に父を見ているからではなくて、ロイがアレクサンドリアに物語を聞かせてくれたからだ。
けれども物語の中ではロイこと仮面の黒山賊はアレクサンドリアの父となっていく。彼は娘の激励により立ち上がり、勝利し、自殺まで考えるほどの失恋の痛みと喪失を克服する。
箱庭的な彼と彼女の二人の物語、二人だけの物語はそうして完結し、その後二人はそれぞれ退院し、アレクサンドリアはロイのその後を、映画による彼の活躍によって知ることになる。この二人の別れ方も、案外さっぱりしたものです。
スタントマンという命を張る職業を選んだロイの刹那的な様子は、入院中の彼の一連の言動と符合する。彼はそういう人物であり、そしてそういう刹那的な彼は映画という物語の中で落下を繰り返す。
けれども最後、彼は落ちながらキスを送る。落下し、落下し、落下しまくりながら、フィルムの此方側にキスを送る。
この物語における落下とはなんだろう。ロイが直面していたのは、おそらく彼が思い描いていた人生のレールが崩れた場面だったのではないかと思います。スタントマンとして仕事を続け、恋人と結婚し、その先も続くだろうと思っていたよい人生というものが崩れて手に入らなくなった。予測によって得ていた精神の安定は、先の見通しが立たなくなると途端に揺らぐ。彼は足元が崩れて不安だった。お先真っ暗といったものだった。それに比べれば、まだ5年しか生きておらず、子供らしい時間感覚で生きているアレクサンドリアの方がまだ、父を失ったことのその切実な不安を感じ取ることは無かったのかもしれません。
人生の足元が崩れ、落下する恐怖。それをロイは、アレクサンドリアという相棒とともに物語を紡ぐことによって乗り越えた。一度落下を経験し、そこから生還したロイは、経験を得た。だから落ちることをもう恐れない。彼は何度も何度も落ちることができる。彼の中には物語があるから。そんなロイを見てアレクサンドリアは喜ぶ。物語の中でともに戦い打ち勝った相棒が、現実の世界で怖いもの知らずに落下を続けるのを見るのは、きっと誇らしいことでしょう。
というわけで、今晩もう一度観てきます。
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