酔拳
2026-01-02 09:45:31
5218文字
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ほぼカプなし 体不ネタ(再掲)


司が肉体的に弱っている話。
カプなしのため支部にまとめる予定もないのでついでにこちらへ再掲します。カプなしとはいいつつ同じ生産ラインで類司を生み出しているため一応ご注意ください。

(Twitterからの再掲・初出2024/10/14)



「じゃあいくよ……3、2、1、……発射!」

いつものように、類が作った装置のテストをしているときだった。実験台はもちろん司で、その腰には安全のため命綱を結んだベルトが巻いてあり、足元にはクッション性の高いマットが敷かれていた。前回の公演で使った装置をブラッシュアップして、より高く飛べるようにしたらしい。
勢いよく飛び上がった司はその高さに「うおっ」と声を上げたが、慣れも出てきているのか大声で叫んだりはせずに着地体制に入った。
いつもであれば、そのまま何事もなく両足でマットの上に着地して、ポーズのひとつやふたつ決めてみせただろう。その鍛えられた体幹で、ぶれることなくしっかりと。

でも、今日は違った。

マットに降り立つ直前、司の顔が一瞬歪む。あれ?と思った瞬間、着地の勢いを殺し切れずに片膝をついた。重心が前に寄って、ぐらりと上体が傾く。

「司くん!」

類が叫んだ。わたしたちも慌てて駆け寄る。その身体がマットに沈む前に、抱きしめるようにして類が受け止めた。

……すまん」

小さな謝罪のあとなにかを言いかけて、司は口を噤んだ。手で口許を押さえる。えむが恐る恐る訊いた。

「司くん、吐きそう?」
……

多分、この場合の無言は肯定だ。司はきっと神聖なステージを汚すことを何よりも厭うだろうから、今わたしにできることは。

「わたし、袋探してくる」

自分のカバンにコンビニでもらったレジ袋が入っていた気がする。ロッカーへ向かうべく、一旦その場を離れた。
ちらりと見えた横顔は、ひどく青白かった。


*****


今日は休園日で予定も入ってないから使ってもいいよってお兄ちゃんが言ってくれたから、久しぶりにワンダーステージで練習できる日だった。あたしたちは今ワンダーステージを飛び出して修行中だけど、やっぱり原点はここだ。おじいちゃんとの思い出も、みんなとの思い出も、たくさん詰まった大切な場所。だから今日の練習がと〜っても楽しみだったし、司くんみたいにやる気12000%!って感じで、とにかく今日のあたしはぎゅいんぎゅいんだった。
朝に集合して、客席の周りをぐるぐる走ってウォーミングアップ。ステージの上で発声練習をしてから、あたしは寧々ちゃんと歌の練習をして、司くんと類くんはアクションシーンの確認をしているみたいだった。久々のワンダーステージはやっぱり楽しくて、気づいたらもうお昼が近くなっていたから、今日の反省点を話し合って練習を切り上げた。ほんとは一日中ここで練習していたかったけれど、午後はあたしはお家の用事でどうしても抜けなければいけなくて、座長である司くんの判断で午後はお休みになっていた。
練習はおしまいだけど、司くんはこれから類くんの舞台装置のテストをするんだって言って準備してた。類くんの作る装置はばびゅーん!ってなったりぐるぐる〜!ってなったりキラキラ!ってなったり、魔法みたいな演出を叶えてくれる。あたしが出したアイデアを実現するためにたくさん考えていろんな装置を作ってくれる類くんは、本物の魔法使いさんみたいだった。
だから、今日の装置もきっとバリバリどっかーん!ってなるんだとばかり思ってた。ーー練習中にひとつだけ感じた違和感のことはすっかり忘れて。

「3、2、1、……発射!」

類くんの合図と同時に、司くんがびゅーんと打ち上がった。メイコお姉さんのマジ高い高いには及ばないけど、それでもすっごく高い。
高く飛び上がった司くんが落ちてくる。いつもならマットにしゅたっ!と着地してかっこいいポーズを決めてくれるから、あたしはそれが楽しみだった。だけど、司くんは着地前にぬぬ〜ってお顔になって、着地が崩れた。

「司くん!」

マットのそばにみんなで駆け寄る。ぐらぐらって倒れちゃいそうな司くんを類くんが支えた。司くんはひとこと謝って、手で口を押さえてしまう。司くんはなんにも悪くないのに、謝らないでほしいな。ちょっとだけ悲しくなった。
司くんは類くんに支えられたまま、ずっとうつむいている。……あれ、もしかして。

「司くん、吐きそう?」

司くんはなにも言わなかった。苦しそうに口許を押さえたままだ。寧々ちゃんが「わたし、袋探してくる」とロッカーのほうへ走って行った。……どうしよう。司くん、具合悪いってことだよね。
そこでようやく、あたしは練習中に感じた違和感のことを思い出した。休憩中に客席に置いていた飲み物を取りに行ったとき、ふたつ隣の席に座ってスポーツドリンクを飲んでいた司くんがなんだかしょぼしょぼに見えたのだ。いつもの司くんとなんだか違う気がして、あたしが大丈夫?と声をかけようとすると、司くんは先回りして「オレは大丈夫だ。寧々と類には言わないでくれるか?」と笑った。少し悲しそうな、寂しい笑顔だった。
あのときから体調はあまりよくなかったのかもしれない。どうして忘れていたのだろう。この四人でまたワンダーステージで練習できるのがすごく嬉しくて、はしゃいでしまったせいだ。装置のテストを始める前にあたしが類くんに伝えていたら、司くんはこんなふうにならなかったのかもしれないのに。

……司くん、ごめんね、」

そっと触れた背中はじっとりと熱くて、燃えているみたいだった。


*****


朝起きたときから、若干の怠さは感じていた。しかし動けないほどではないし、いつもどおりの練習ならこなせそうだと判断して家を出る。朝食は少しだけ控えめに、ご飯のおかわりはやめておいた。
今日は久々にワンダーステージを使った練習ができる日だ。フェニックスワンダーランドを飛び出したにもかかわらず、今でも快く場所を貸し出してくれるえむの兄たちには感謝しかない。
やはり自分たちの原点はあの年季の入ったステージだし、初心を忘れないためにも、今日の練習には気合を入れなくてはならないのだ。座長が体調不良で欠席など示しがつかないだろう。えむは久々のホームでの練習に昨日からはしゃいでいたし、なんだかんだで寧々も類も楽しみにしているようだったから、こんなことで水を差すわけにはいかない。
大丈夫だ、今日の練習は午前だけ。数時間をしっかりやり切って、帰宅してから休息を取ればすぐに快くなるはずだ。

ウォーミングアップがてら客席の周りを走っているときにも、身体の動きが鈍いような感覚はあった。いつもと同じように脳から命令を出しているのに、四肢がいつものように動いてくれないような、そんな感覚。
少し走っただけなのにやたらと汗が出る。タオルでそれを拭うと、通り抜けた風が肌を冷やしてぶるりと身震いした。大丈夫、これは汗をかいたからだ。病は気からというし、大丈夫と信じていれば大丈夫なはずだ。
ささやかな身体の異変に見て見ぬふりをして、アクションシーンの練習に入ることにした。

練習に集中しているあいだはよかった。走っているときの違和感はどこへやら、演技に全神経を向け思い切り動いていれば、気は紛れるし身体の怠さは忘れられた。
しかしひと段落して休憩に入ると、それらが大きな疲労感になって一気に押し寄せ、思わず客席に腰掛ける。下手をしたら立てなくなりそうだ。
ちょうど飲み物を取りに来たえむが、なにか引っ掛かるのかこちらを見ていた。敏感な彼女のことだ、もしかするとこちらの不調を感じとっているのかもしれない。向こうから訊かれる前に、先回りして口を開いた。

「オレは大丈夫だ。寧々と類には言わないでくれるか?」

えむは一瞬戸惑ったのち口を噤んで、うん、と首を縦に振った。なにも言わずにペットボトルを手に取り、寧々の元へと走っていく。少しの罪悪感が心に積もった。

なんとか練習を終えて、類の舞台装置をテストするため腰にベルトを巻いているときだった。嫌な動悸がする。少し肌寒い。ぞわぞわと背中を這い上がる悪寒。どうしてこんなときに。もう少しだけ待ってはくれないものだろうか。自分の身体に対して内心で悪態をつきながら、装置の上に立った。

「3、2、1、……発射!」

ぐん、と足裏に感じる圧力。下半身を踏ん張って、装置の力を利用して高く跳ぶ。見える視界は確かに今までよりも高い。これなら他のショーにも応用できそうだ。やはりオレたちの演出家は素晴らしい、えむ語で言えばぐいーん!とかばびゅーん!とかそんな感じだろう。
最高点に到達すると身体が落下を始めた。一瞬の浮遊感に胃がかき混ぜられるような気持ち悪さを覚えて、着地の体勢に入るのが遅れてしまった。うまく脚に力が入らず片膝をつく。上半身を安定させることができなくて、前方へ倒れ込んだ。

「司くん!」

類の声が聞こえて、そのあたたかい胸に受け止められる。背中に腕が回されて、しっかりと身体が支えられていた。
まずい、なにか言わなければ。生唾を飲み込んでかろうじて口を開いた。

……すまん」

大丈夫だと続けたかったのに、それ以上は言えなかった。内臓が揺さぶられるような気持ち悪さはまだ続いていて、思わず口許を押さえる。

「司くん、吐きそう?」

えむの問いかけにも返事ができなかった。ぐるぐると世界が回っている。寧々がなにか言って走っていく足音がした。そっと背中に手が触れて、泣きそうな声でえむが言う。

……司くん、ごめんね」


*****


「司くん!」

急いで駆け寄り、地面に向かって傾ぐ身体をかろうじて受け止める。間に合ってよかった。マットを敷いてはいるけれど、彼が頭から倒れ込むところなんて見たくはなかったから。
抱きとめた身体は嫌な汗をかいていて、燃えるように熱い。明らかに発熱している。

……すまん」

その声は震えていた。小さく息を呑んで、口許へ手を持っていく。寧々が袋を持ってくると言って走って行った。
えむくんが不安そうにこちらへ歩み寄り、そっと司くんの背中に手を添えて「ごめんね」と呟く。司くんはなにも言わなかった。否、言えなかったのかもしれない。
今にも泣き出しそうなえむくんには、救護室へ先に行っていてほしいとお願いした。寧々がレジ袋を一枚握って戻ってきたので、司くんにそれを渡し、なるべく優しい口調で、柔らかい声音を意識して声をかける。

「救護室まで行こう、歩けるかい?もし司くんがよければ、僕がおぶっていくよ」

レジ袋を握る司くんの手に、きゅっと力が入る。それがイエスを意味しているのかノーを意味しているのか、僕にはわからなかった。かたく結ばれていた唇がやっとちいさく開く。

……すまん」

司くんは同じせりふを繰り返した。僕が聞きたいのはそうじゃない。それなのに。
苦しかった。謝罪されることが。謝罪しかしてくれないことが。僕より司くんのほうが絶対につらいはずなのに、どうして頼ってくれないんだ。預けてくれないんだ。さっきちゃんと意識したはずなのに、感情が先に口をついて出る。

「どうして、話してくれなかったんだい?」

救護室へ走っていく前、えむくんが言っていた。走っているときから司くんの様子が少しおかしかったこと。訊こうとしたら口止めされたこと。最後に、言えなくてごめんなさい、と。
それを聞いて、正直、最初に生まれた感情は怒りだった。なぜ言ってくれないんだ。僕たちは仲間なのに。必死に鎮めて優しく声をかけようと思っていたつもりが、二度目の謝罪を聞いて怒りが再び込み上げ、語気が少し強くなってしまった。司くんが、話してくれないから。子供じみた理由だった。そんなわけはないとわかっているけれど、全く信頼されていないみたいで悲しかった。遠慮するなと言ったのは司くんなのに。

「ちょっと類、病人相手になに言ってんの」

寧々が耐えかねて口を挟む。司くんは反対にまた口を噤んだ。目もきつく閉じて、気持ち悪いのを必死に耐えているようだった。
ごめんね、と声をかけてその身体を背負う。触れている背中がひどく熱くて、火傷してしまいそうだと思った。

今日は休園日だから救護室のベッドももちろん空いていて、えむくんが整えておいてくれたそこに司くんを寝かせる。こうして蛍光灯の下で見ると、その顔はより青白く見えた。司くんはぐったりと目を閉じたままだ。
今はえむくんが司くんのご家族に連絡を取ってくれているらしい。迎えを待つあいだ、寧々が僕の腕をつついた。

「気持ちはわかるけど、病人をいじめるのはやめてよね」
「それはわかってるよ。……でも、」
「わたしだって言いたいことは色々あるけど、我慢してるんだから。司がちゃんと元気になったら、えむも含めて三人で思いっきり言ってやろう」
……うん、そうだね」

人気(ひとけ)のないテーマパークに、正午を告げる音楽が鳴り響いていた。