やまだ
2026-01-01 23:23:31
1562文字
Public 羅小黑戦記
 

No title

夏の師弟 映画無印時代

 ぱんぱんに張り詰めてくろぐろとした果皮は、包丁をかるく当てるだけで新鮮な音をたてて勝手に割れた。現れた赤い果肉を覗きこんだ小黑の上げた歓声は、清流がさらっていつか海へたどり着くだろう。
「師父! こっち側全部、全部ぼくのだからね!」
 緑陰のもと、小黑は自分の顔よりも大きな半割りのスイカへしっかとしがみついている。今にも齧りついてしまいそうなくせ、ぎりぎりのところで无限の返事を待つ妙な律儀さが微笑ましい。育ち盛りの証左か、盛夏であっても小黑の食欲は旺盛だ。
「腹を壊すぞ」
「平気だよこれっぽっち。ね、いいでしょ師父、ねえねえねえねえねえ」
……わかったから。せめてスプーンは使いなさい。できるだろう?」
「うん!」
 口をきゅっとすぼめて目を細める、機嫌のいい猫そのものの顔で笑う子を見ながら手元のスイカにもう一度刃を入れる。ぱかりと割れたひと切れに齧りつけば水気とともに夏の味がはじけた。
 咀嚼しながら仰向いてみる。河辺で大樹に背を預けているから无限たちの周囲は快適だが、梢の隙間から覗く空は青くぎらぎらと燃えている。木漏れ日はもはや熱線となって容赦なく青葉を貫かんとしていた。
……見るだけで暑い」
「師父」
「ん?」
 小黑に呼ばれて振り返る。小黑なりの懸命さでスプーンを繰ってはいるようだが、顔の周りはすでに果汁まみれだ。白い髪もほんのり桃色に染まって頬に貼りついている。無意味だと理解していてなお手を伸ばさずにいられない惨状だった。
「どこに口があるのかわからないな。もう少しゆっくり食べたほうがいい」
「ねえ、師父は春と夏と秋と冬、どれが好き?」
 果汁をぬぐってやる无限の指の下から、じっとしていられない弟子の問いがやってくる。きょとんと瞬く无限を見つめるまるい目に、夏の陽射しが踊っていた。
……突然だな」
「うん。急に気になったから。ちなみに、ぼくは夏が好き」
「そうか」
 それは小黑らしい、と思った。生気に満ち満ちる今の季節は、この子にまったくふさわしい。
「ぼく師父のこと結構知ってるのにさ、師父の好きなものは全然知らないなって思ったんだ」
 ふと笑ってしまった。
 无限が小黑とともに旅をするようになってからまだ一年にも満たない。それでも无限を知っていると力むことなく言いきるのは、小黑なりに无限を注意深く観察しているからなのだろう。この小さな妖精の小さな胸のいくらかを、无限に関する知識が占めているという推察は、今日の陽気と無関係に全身をあたためた。
「春が好きだよ」
 そう言ってスイカを一口齧った。小黑の猫耳がぴょんと立ち、くるんと動く。へええ、と気の抜けた声を出す口元をまた果汁が濡らしていた。
「そうなんだ。あったかいから?」
「夏も好きだ」
……んん?」
 もう一口スイカを食べる。河に向かって種を吐き出した。
「秋も、冬も」
「ええ? 師父、それずるくない?」
「一番を選べとは訊かれてない」
「そうだけどさ」
 不服そうに唇を尖らせた小黑の口元をもう一度ぬぐう。上着も汁でべたついていて、これはもうどうしようもないかもしれない。
「小黑。食べ終わったら体を洗おう」
「泳いでいい?」
……本当に腹を壊すぞ」
 ほどほどに、と付け足して頭を撫でる无限を予測していたかのように擦り寄ってくる子どもには苦笑するしかない。无限のことを知っているというのもあながち過言ではないのかもしれなかった。
 小黑の白髪を輝かせる陽射しに目を細める。
 いつかこの夏の日を、いずれ小黑と迎える秋冬を、春を、かけがえなく好ましいものとして思い返す瞬間があるのだろう。
 そんな未来が約されていると思えば、好きな季節をたったひとつに絞るような惜しいまねをできるはずがないのだった。